第15話 乙女たちの話し合い
依頼開始の次の週、すなわち5日目から9日目はハプニングに遭遇することなく、事件未解決であることを忘れそうなくらい平和なままで終わった。
そんな1週間を終え、2回目の帰省となったこの週末。全く懸念事項がない中で過ごす我が家は、フローラに居心地のよさを実感させるのには十分すぎた。
誤解を招く表現なので訂正しておくと、フォンバレン家は居心地の悪かった場所、というわけではない。2人が優しくしてくれたおかげで不自由なく過ごせたのはこの身で経験した事実であり、時折見せてしまったワガママに2人が嫌な顔1つせずにいてくれたことは、フローラにとって非常にありがたかった。人の中身に踏み込むほど素が見えて嫌いになる、ということを言う人もいるが、フローラと2人との間ではそんなことはなく過ごせた。
だが、快適に過ごせるわけではなかったのもまた事実。いつもドキドキしながら生活する、ということほど過ごしにくいものは数える程しかない。エースと同じ屋根の下で毎日寝る、というだけでもフローラにとってはかなりの挑戦なのにも関わらず、朝に弱く夜も1人では寝られないという弱点が拍車をかけて、フローラにとっては起床と就寝、つまり1日の始まりと終わりが試練と化していた。
そんな状況があった上での我が家のベッドでの睡眠は非常に快適であり、また我が家では何故か1人で就寝起床が出来ることもあって、フローラは1週間ぶりに誰にも起こされることなく十分な睡眠から目覚めていた。
「ふあ……」
朝日が差し込む部屋の中、ベッドから上体を起こして寝ぼけ眼をこすり、次いで完全に立ち上がって大きくノビをする。上げた腕を重力に任せてすとんと落とすと、フローラは自室の扉を開けてリビングへと向かった。
すでに皆が活動を始めていたリビングでは、フローラの母親であるネロ・スプリンコートが洗濯物を干していた。
「お母さーん。朝ご飯は?」
「キッチンに昨日買い置きしておいたパンがあるわよ」
「はーい」
キッチンに向かうと、そこには確かにパンがそこそこな数置いてあった。食器棚から皿を取り出していくつか好みのものを取ると、牛乳をコップに注いでからテーブルに座り、行儀よく食べ始める。
それから15分ほどはテーブルから動くことなく、食事しつつ今日何するかを考えていた。これといって何かしたいということはないが、休みの間にこちらでしか出来ないことは何かしらしておきたい、というのが願望である。
しかし、その願望を満たすことの出来るプランを考えつくよりも、朝食を食べ終わる方が早かった。考えながらだと手に持ったものを落とす可能性もあるので、いったん考えるのを止めてから台所に向かいシンクに皿とコップを入れる。
とその時、玄関口から誰かの来訪を告げるベルが鳴り響いた。
「フローラ見てきてー」
「はーい」
手が離せないらしい母親の代わりに、玄関を開けに行くフローラ。未だにパジャマ姿ではあるが、ドアから顔を覗かせるだけなら問題ない。
玄関の扉を開けた隙間から顔を覗かせると、そこにはいつもの笑みを浮かべているセレシアの姿があった。
「おはよ、フローラ」
「う、うん。おはよう」
いきなりの登場に、フローラは視覚情報をきちんと処理できずに目をぱちくりさせていた。その原因であるセレシアは、フローラのその様子が少しおかしかったのか、少し噴き出し、その後にしゃべり始めていた。
「その感じだと、今起きたとこみたいね」
「うん、そうだよ。今日はどうしたの?」
「今日は一緒に街までおでかけしたいなぁ……ってことで呼びに来た」
「いいけど、私起きたばかりでパジャマだし、準備なんて全然出来てないよ? 朝ご飯だって、今さっき食べ終わったところだし……」
「んじゃあ今からしよっかー。お母さんフローラ借りまぁーす! てか突撃おめかししまぁーす!」
「えぇ……?」
にっこり笑顔とその場の勢いのまま、自宅に上がるセレシア。そんなセレシアの行動をこの家では誰も突っ込まないのがもはや暗黙の了解レベルのことであり、フローラも戸惑いこそすれど勢いに逆らうことはしなかった。
そして、今は自室のドレッサーの前に座っている。背後にはもちろん、押しかけてきたセレシアの姿。
「さぁて、おめかし始めるよ?」
「ちなみに拒否権は……」
「うーん……ないかな」
「だよね。お願いします」
「うん、任せて」
拒否権がどうこうと口では言ったが、フローラはセレシアにこうしておめかししてもらうことは好きである。いざ自分でやろうとすると大変で、してもらった方が楽だ、ということもあるが、個人的にこの空間とやりとりが落ち着けるのだ。
「こうして髪梳くの、楽しいんだよねー。フローラの髪って微妙に癖ついてるのにサラサラしてるから引っかかりも少ないしさー」
「そうかな? セレシアも十分サラサラだと思うけど」
「まぁそうだけどさ。フローラには敵わないかなー? 羨ましいなー」
フローラを褒めながら慣れた手つきで髪を梳かしていくセレシア。セミロングヘアに若干ウェーブがかかっているその髪を、一切のトラブルなしに整えていく。
数分後には、寝起き感満載だったフローラの髪型は外出可能なくらいに整えられていた。
「はい、終わり。じゃあ次は服かな。今日のコーデはどうしますかー?」
「セレシアのお好みで」
「はーい。じゃああたしのセンスで選ぶわね」
部屋のクローゼットから、セレシアが独断と偏見で服を選び、その中からさらに選りすぐっていく。決断の早いセレシアなので、5分後にはフローラの着せ替えタイムは終わりを告げていた。
「ほい、こんな感じでどーでしょうか?」
「うん、ばっちりです」
そういうフローラの目の前の鏡の中には、先ほどのパジャマ姿と違って十分に着飾られた自身の姿があった。いつものカチューシャは今回使わず、黄緑色のシャツワンピースを身に纏っている。
身に纏う衣服の軽さにつられて、身も軽くなった感覚すらある。
「よーしじゃあ、出かけよっか」
「せめてその前に歯を磨かせて? 外行きの準備、まだ身なりしかしてないから……」
「あ、そうだった……。じゃあ、入り口で待ってるわね。急かしちゃったから、ごゆっくりどうぞー」
フローラが一切外行きの準備を済ませていなかったことを失念していたセレシア。そう言ってそのまま外へと出ていく後ろ姿を、フローラはしっかりと数秒見た後、洗面所へ向かうのだった。
* * * * * * *
「うー……。もう少し快適な温度だったら、最高な1日になりそうなのになぁ……」
「そうだね……。ちょっと暑すぎるかも……」
時と場所は移り変わり、昼前の街中。夏手前の暑さに少し難儀しながら、2人は街を賑わせている人混みの中を歩いていた。
「こんな時フォンバレンくんいたらなー。氷属性便利そう」
「確かにそう思う。本人に言ったら、文句言われそうだけどね」
「そうね。でも、『俺は暑さしのぎの道具じゃないんだけど』って言いながらしてくれそう」
今はいない人物の会話を、歩きながらする2人。
それからほとんど間を置かずして、腹部から正直すぎる重低音が鳴り響く。セレシアとフローラはそれが何なのかを理解した後、互いに顔を見合わせて笑った。
「これから出歩こうかと思ったけど、さすがに胃袋は正直だったみたいね。混まないうちにお昼済ませよっか。いつものお店でいい?」
「うん。大丈夫だよ」
出歩く予定だった2人が予定を変更して向かったのは、とある飲食店。1つ1つの座席に対してすべて個室制をとっているため秘密の話をするには持って来いの店である。
セレシアとフローラは、ここの店の常連客に近いので店員ともそれなりに顔馴染みだ。
「いらっしゃ――おっと、セレシアちゃんにフローラちゃん、今日はうちで食べてってくれるの?」
「はい。いつものお部屋、空いてます?」
「空いてるけど、さっき空いたばっかの部屋だからな。ちょっと確認するから、おじさんについてきてくれ」
その中で最も親しく話してくれるこの男性は、この店の店長であり、セレシアの母親が結婚前に学校で教師をしていた時の教え子だそうだ。偏見なども特になく、粘つくような視線もないので2人揃っていいお付き合いをさせてもらっている。
ちなみに一人称で『おじさん』とは言っているが、まだ30代前半と若い。
「んー……よし、大丈夫だよ」
「ありがとうございまーす。メニューは……いつものでお願いしますね」
「あいよ。じゃあしばらく待ってな。店混みだしたからな」
「はーい」
店長が部屋を出た後、個室のドアが閉められると、そのタイミングを待ったかのようにフローラは向かい側に座ったセレシアと話し始めた。
「ねぇセレシア。どうして私とお出かけしたかったの?」
「とにかくお話したかったからかなぁ。ただのお話ならどこでも出来るけど、踏み入った話はそういうわけにはいかないじゃない?」
「うん、確かに」
このご時世、どこから秘密が漏れるか分からない。それ故に秘密の話をする時は場所を選べとは2人が子供の頃から親に言われてきたことだ。言われたタイミングは別だとしても、2人はそれを今も守っている。学校のある日には屋上で会話をするのも、そのせいである。
「んでさ、率直に聞きたいこと聞くけど……フォンバレン家で何日か過ごしてて、楽しかった?」
「うん、楽しいよ。2人とも優しいから。夜寝られなくてフォンバレンくんに頼ったり、毎朝2人に起こされたりするけど」
「迷惑かけまくりじゃない。そんなんだと、いいお嫁さんにはなれないよー」
「うう……分かってはいるんだけど、どうしてもあと5分の誘惑に勝てなくて……」
フローラが夜1人で寝られず、朝も中々起きられないことは当然セレシアもよく知っている。依頼の時は毎回セレシアが起こすことで事なきを得るのだが、どうやらフォンバレン家でもそれは変わらないらしい。
「まぁなんにせよ、楽しくやれてるならそれでいいかなー。元々心配してたのは寝起きのことだけだし、信頼できる相手に預けてるって話なわけだから」
「寝起きは……善処します」
「うん、頑張ってねー。目指せ毎日6時半起床」
「7時じゃ……ダメ?」
「難しいラインね」
笑いながら他愛のないやり取りをするセレシアとフローラ。
ちらりと時計に目を向けると、すでにそれなりに時間が経っていた。だがまだ料理は運ばれてはきていない。
「料理遅いねー。お昼時だからかな」
「私たちが入ってた時も割と混んでたからね。気長に待とうよ」
「そうね。もう少し話すことにしましょ。今んとこあたしばっか聞いてたけど、フローラからは何か聞きたいこととかあったりしないの?」
「うーん……そうだなぁ……」
首を傾げて悩むフローラ。色々と悩んでいるのか、視線が色んな場所を向いている。
その視線が再びセレシアに向いたのは、少し経ってからだった。
「聞きたいことというか……頼み事なんだけど」
「ん、なになに? なんでも言って?」
割と色々出来るフローラからの、なかなかない頼み事。セレシアは他の人には理解できないであろう期待を少しだけ抱きながら、耳を傾ける。
「私の保護依頼ってね、2週間が一旦の目途なの。だから、その一区切りだけで終わった時のために、フォンバレンくんとスプラヴィーンくんにお礼の手料理を振る舞いたくて」
「なるほどねー。でも、あたしでいいの? もっと料理上手な友達いるでしょ」
「そうだけど、依頼のことが絡んじゃうとなおさら、ね」
「あーそっか。あれってあたしたちだけの秘密なんだっけ」
依頼のことは、未だに誰にも明かしてはいない。エース、ミスト、セレシア、パードレと依頼による保護対象のフローラ、そしてその両親の7人だけが知る、超機密事項レベルの依頼となっている。
普段からフローラからセレシアへの頼み事は多いのだが、依頼が絡むとなるとこれは自分にしか出来ない仕事。エースやミストよりも戦闘能力が落ちることを自覚している身としては、このような形で役に立てるのなら願ったり叶ったりでもある。
少しだけやる気が入ったセレシアは、一つ頷いてから言葉を発した。
「分かった。何が作りたいか、とか、まだ決めてないことが決まったら言って」
「うん、なるべく早く決めるね」
「あんまり焦ってもダメよ。時間に制限はあるけども、しっかりと考えなさい」
右手の人差し指をビシッとフローラに差しながら、セレシアは少しだけ真面目な表情でそう言った。差されたフローラはその仕草と言葉に少しだけ面食らったような顔をし、それを見たセレシアはしてやったりといった感じでニヤリと笑みを浮かべる。
「どう? 今のデキるお姉ちゃんっぽかった?」
「う、うん。ぽかった」
遅れながらもセレシアの仕草の意味が分かり、彼女の笑みに釣られてフローラも笑ったところで、お待ちかねの料理が運ばれてきた。一般的な女性が食べるにはやや多めだが、2人はこの料理をいつも難なく平らげている。
そのことを知っているこの店の面々は、驚きやそれに類する反応はもうしていない。
「はい、いつものハンバーグ定食大2つ。2人だけの時間を、どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
2人揃って頭を下げると、店長は再び外へと出ていった。そのドアが閉められたことを目で確認したセレシアが再び前に視線を向けると、そこには先ほどまでの笑みを消したフローラがいた。
「2人だけの時間……か」
「どうしたの、フローラ」
「いつでもどこでも、こんな風に楽しく話せたらいいのにな、って、そんなこと思っちゃった」
フローラがぽつりと呟くように言った言葉は、その場に重い響きを残した。セレシアもその重みをひしひしと感じるが、負けてはいけないと声だけでも明るく振る舞う。
「そんなこと、今気にしててもしょうがないよ。あんまりどんよりしちゃうとご飯が美味しくなくなっちゃうから、もっと楽しく食べよ?」
「……そうだね。ごめん」
「フローラの謝ることじゃないって。あ、せっかく手料理のことがあるんだし、それについて話しながら食べようよ」
「うん」
セレシアの軌道修正が功を奏し、その後は手料理を何にするかを中心に色々と話しながら昼食後のデザートまできっちりと食べた2人。財布の中は少し寂しく、心の中は少し温かくなった後は予定通り街に繰り出していくのであった。
その間の2人の手は、その存在を求めるように繋がれたり、周りを気にして離れたりを繰り返していた。
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