第11話 些細な衝突



 いつもと違う朝は普段では体験できないハプニングが色々とあったものの、どうにか朝ごはん、身支度と朝の準備をこなしてきたエースたち3人。揃って制服に身を包んだその後は、いつものように始業時間ギリギリ──


 ──ではなく、いつもよりもかなり早い時間帯に出ていた。


「こんな時間に家を出るのなんていつぶりだろうね」


「そもそもあったか? 俺、入学当初から遅くにしか出てないイメージなんだけど」


「僕も覚えてないし、もしかしたらそうかも」


 遅くに出る、というのは双子であるとバレないようにしていたころからの習慣であるため、もう4年以上も続けていることになる。


 それほど長く続けていれば、イレギュラーな日が記憶の中に埋もれていって思い出せなくなるのは当たり前のこと。一時2人の出る時間をずらしていたこともあったが、その時も登校は遅い時間だったことを考慮しても、ここまで早いのは中々珍しい。


 ならば、普段から遅く出ていた2人の登校時間を、そこまで早くさせた理由は何か。


 それは言うまでもなく、3人目としてこの場にいるフローラの存在である。彼女との関係性とあれこれ勘繰られないように、ということであまり人のいない早めの登校をしているのだ。


 それが功を奏したのか、最初に合流する道では生徒に出会うこともなく、あまり人通りのない通学路を3人は問題なく進んでいた。


「なんか、ごめんなさい……。私のせいで生活リズム狂わせちゃったみたいで」


「問題ない。いっつも朝飯から登校までかなり時間あったし、その暇潰しに難儀してた時間が縮むだけだ。な?」


「そうだね。僕らにとっては大した負担じゃないから、あまり気にしなくてもいいよ」


 普段のフォンバレン家では、ミストの起床時間が非常に早いため、それにつられてエースも早くなることが多々ある。


 そのため、すべての準備を済ませてから家を出る時刻になるまでに1時間近くの空き時間が出来てしまう、というなかなか面倒な問題があった。エースの言うように毎日空いた時間を潰すために色々と考えなくてはならないが、裕福ではないため暇潰しの道具はそう多くなく、たまにネタ切れを起こして二度寝をし、そのせいで学校に遅れそうになったこともある。


 そんな、ある意味では強敵とも言える空き時間が、今日はわずか15分。いかに早く出たかが一目で分かるほどの縮みっぷりである。


「にしても、2人の家って学校からかなり近かったんだね……」


「直線距離だと半分くらいの時間で済むからね。本当はそうしたいところなんだけど……」


「住む家バレたら何されるか分からないからな。念には念を、ということで」


「そういうことなんだね」


 本当なら学校の敷地を突っ切った方が早いものを、わざわざ迂回して登校することでカムフラージュしているという方法。そうやって、自分たちの居場所を自分たちで守ってきたという事実を知り、フローラは2人の用心深さを見た。



 気が付くといつの間にか、視界の先には見慣れた学び舎が見えて来た。まだまだ早い時間のため、敷地内に生徒はちらほらとしか見えない。トラブルの発生すらもなさそうに思えるほど閑散さを保ったその中で、3人は生徒玄関へと歩みを進める。


 と、そこで聞き覚えのある声が聞こえて来た。


「みんなおっはよー」


 3人が顔をそちらに向けると、そこにはニコニコ笑顔でトレードマークのポニーテールを揺らして、こちらへと駆け寄ってきたセレシアの姿があった。本来はあり得ない方向から見せた姿に、エースは首を傾げる。


「……なんでそっちから?」


「あー……えーとね。ちょっと実家帰りしてたの。実家の方で色々あったから」


 エースのはっきりとした疑問に対して、どこかはぐらかすような答え方のセレシア。一見すると怪しさしかないが、それはきっと言いたくなかったものを言わせてしまったのだろう、とエースは判断して自分の中に落とし込む。


「もしかして……マズイこと聞いたっぽい?」


「え? 全然いいよ。別に怒ってないし、軽い寝不足なだけだから。あー、眠い……」


 そう言ってあくびをするところを見るに、セレシアの言葉は偽りや配慮ではなく事実を述べただけなのだと、エースにはなんとなく分かった。ついでに、周囲の視線を浴びそうな大あくびを1つ、隠すことなくしてしまう。


「エース、せめて隠してよ」


「ん? ああ、悪い。ついつられて」


 ミストの指摘に反応を返した後にエースはもう一度大きなあくびを、今度はきちんと隠してする。エース自身は全く寝不足とは思っていないのにも関わらずこうなるのは、本当は足りていないのか。


 そんなことを考えながら、エースはあくびによって目にたまった涙をこすって払う。


「にしても……3人揃ってとは珍しいね。何かあったの?」


「プラントリナさん、それは『昨晩はお楽しみでしたね』ってやつを期待してるのかな?」


「え、ちょ、ちょっとスプラヴィーンくん? 何言ってるの!? セレシアも、誤解しないでね? たまたまだから!」


 セレシアが何気なく言い放った言葉と、それをミストがやや補足して言った言葉のどちらもに対して慌てるフローラ。恥ずかしさからなのか、頬は紅に染まっていく。


「えーと……スプラヴィーンくん。あたし、そういう意味で言ったんじゃないし、もしそうだったらあたしフローラのために怒り狂う自信あるんだけど」


 全く意図せずして爆弾を投下してしまったセレシアも、ミストの補足には少し戸惑い気味だった。


「まぁ、何もなかったんならそれもなんか残念だなー。フローラ、そういうとこだけ意気地なしだもんね」


「ど、どうしてそうなるの……?」


 セレシアの言葉を聞いて、今度はわけが分からず困惑するフローラ。エースの見立てでもいつもより当たりが強いように思えるのは、気のせいなのか、それとも別の何かがあるのか。


 いずれにせよ、発言者にしか分からない発言ではある。そんなことをエースが思っていると、何故か話題が飛び火してきた。


「フォンバレンくんそういうとこ疎そうだし、ちょっと踏み出すくらいのことなら無自覚でしてくれると思ったんだけどなー。まぁ、相手が相手だし、無理か」


「さりげなくディスられてるのもだが、俺に何を期待してるのかがもっと気になる」


「うーん……。手を繋いだりとか、一緒にお出かけしたりとか?」


「いやそれもうカップルだろ」


 色々と言われたことに反論しているうちに、嫌でも気疲れがどっと出てくる。週末がすぐそこに見えている金曜日なので、身体への蓄積疲労は既に十分な量があり、その量に相応な分のずっしりとした重みが、エースの肩に乗っかる。



 その後も会話と移動を続けていくうちに、一行は教室のある3階にたどり着いた。いつもなら人の姿は見えずとも教室から活気が漏れている廊下は、同じような光景で正反対の雰囲気を出していた。


「しっかしこうまで早いと誰もいないなー」


「まぁ、学校に早く来たところでそんなにたくさんはやることないからねー。いつもの君たちみたいにギリギリとまではいかなくても、遅めに来る人のほうが多いと思うよ」


「いつも来ないから、新鮮だな」


 そういうエースの視線の先には、分かれ道がある。普段使う教室の場所は、フローラだけが直進方向、残りの3人は右折した先にあるため、進む方向は同じにはならない。


「じゃ、ここでお別れだな」


「また後でねー」


「うん、バイバイ」


 その分かれ道でエース、セレシア、フローラの順に各々がセリフを言って別れ、それぞれの教室にたどり着いた。


「ここも人いないなー」


「早いからね」


 エースたちがいつも使う教室にも、人の姿はほとんどなかった。いつもは溢れかえっている時に視線を浴びながら入るため、その光景がないのは気楽に感じられた。


 それが少しだけ、寂しくもあったが。


「さぁて、これからどうするかな……」


 自分の席に座って、天井を見上げるエース。これと言った課題が今日はなく、依頼を受けて外に出るということも今は出来ないため、こうしてぼーっとするくらいしかエースには思いつかなかった。


「そんなに暇なら、せっかくだし演習場にでも行ったらどうだい?」


「んー気が乗らない」


「そっか。僕は少し校舎の中を散歩してくるよ。何かあったらよろしくね」


「ん、りょーかい」


 無気力状態でまだ宙を見つめているエースをよそに、ミストが教室から出ていく。気配だけを少し追った後は、心の中で何をするか考えていた。







「フォンバレンくん、今いい?」


 そんなエースのいる教室の中に、少々慌て気味のフローラがやってくる。何かあったことはフローラの態度を見れば分かるが、エースたちの教室とフローラの教室は互いに見えない位置にあるため、直に確認することは出来ない。


 そのため、事実を確認するには必ずフローラに聞くこととなる。


「どうかしたのか?」


「ちょっとだけ、助けてほしいの」


「……分かった」


 色々と省かれた答えであったため少々困惑が混じった解答にはなったが、肯定の意味であることには変わりない。エースは座ったばかりの椅子から腰を上げると、教室の外へと出た。


 先ほど別れたばかりなのにも関わらずこうして来る、ということはハプニングの類いでもあったのだろうか。


 そう考えながら少し歩いていると、急にフローラが立ち止まった。


「ここなら、セレシアにも聞かれないよね?」


 そういうフローラの声のボリュームが小さいところを見ると、どうやら依頼のことが少し絡んだらしい。自分に判断を仰ぎたい、ということだろう。


「聞かれないと思う。で、どうした?」


「クラスの子に『一緒に依頼に行かないか』って誘われたの。でも今、私は保護してもらってる身だから、行けないでしょ? どうやったらそのことに触れずに断れるかな、って」


「んー……難しいな。でも俺にしか聞けないよな。ミストいないから」


 フローラの話を簡単にすると、依頼もなく体調もいい今の状態では断る理由が考えられずに困った、ということらしい。先約があるか、体調不良でない限り基本的に依頼の同行を断ったりしない彼女ならではの困りごとではある。


 ちなみにフローラはケガに関する回復魔法はスペシャリストであるが、病気に関する回復魔法は今まだ学びの身。上手くはまだ治せないらしい。


 なら仮病を使えよ、と少し思ったが、嘘をつくことをフローラが好まないこともエースは知っているため、それは最終案。他に何かないか、と考え、あることが思いつく。


「なら、最近の生徒が襲われた、ってのをネタにすればいいんじゃないか? 依頼に関しては触れられなくとも、親の意向っていうのは触れても問題ないと思うんだけど」


「あ、そっか。それなら嘘ついたことにならないもんね。少し申し訳ないけど」


「まぁ、それは確かに」


 フローラを依頼に同行させたい男子生徒の心情は、エースも何となく分かる。エースとて年頃の男子であり、枯れているわけでもない。


 だが、それとこれとは別問題。命と欲を天秤にかけた時、エースの基準に照らし合わせるならば命の方を取るのが当たり前だ。


「じゃあ、言ってくるね」


「上手くいくといいな」


 そう言って、エースはフローラを送り出した。事情が事情なだけに、相手も分かってくれるだろうと、信じていた。







 その結果、どうなったか。



「ダメだったっぽいな……」


 再び困った顔をして戻ってきたフローラの顔を見て、エースはその結末を想像した。


 大方、「自分が守ります」などという言葉を言って引き下がらなかったのだろう。過信とまでは言わないが、『もしも』が持つリスクと比べることが出来ていないであろう相手に、エースはため息しか出なかった。


「どうだった?」


「えーとね……自分が守るから大丈夫だ、心配しないで、って」


「やっぱりか……」


「フォンバレンくん、説得に協力してくれないかな?」


 フローラからの頼み事。その答えとして残されていたのは、すべてイエスの意味になるものだった。過程がどうであれ守り抜けなければ失敗なのだから、リスクは可能な限り背負うべきではない。


 しかし、親の意向を無視する相手の説得だ。自分が出たところでどうにかなると、エースは全く思えなかった。


「分かった。出来る限りはしてみるが、あんまり期待しないでくれ」


「うん、お願い」


 ただ、困った顔を見せられれば断れないのがエースの性格。本陣に赴くべく、フローラと共にフローラのクラスへと向かった。


 その教室に入った瞬間、猛烈な敵意を向けられたことにエースは簡単に気づいた。


「お前だったか……」


「こっちのセリフだ、いちいちしゃしゃり出てくんな」


 その男子生徒──フォーティス・ヴァニタとは、エースは一戦交えたことがあった。それもエースが双子だと判明した直後のトラブル解消のための模擬戦闘であり、エースはともかく、相手からのイメージは悪い。


「まぁーお前からすりゃおめぇが出てくんなって話ではあるわな。で、親の意向を無視して娘を連れてくとかいう無謀なことをやろうとしてるのか」


「テメェにゃ関係ないだろ」


「確かにないな。でも説得頼まれたんで、やることはやっとくよ」


 『売り言葉に買い言葉』という近い状態のエースとフォーティスのやりとりに、フローラがハラハラしている様子がエースの視界の端に映る。


 しかしそれを考慮することは一切なく、エースは言葉を続けた。


「一応聞いておく。スプリンコートさんの親の意向を無視して娘を依頼に同行させたとして、その帰りに最近噂の襲撃に出会ったらどうするつもりだったんだよ」


「決まってんだろ。叩き潰すんだよ。こそこそ隠れて襲撃しか出来ないような相手の実力なんざ、たかが知れてる」


 予想の範疇を出ない展開だからこそ、ため息しか出なかった。


 一つ補足しておくならば、エースは好き嫌いこそすれど、決して目の前のフォーティスのことを弱いと思っているわけではない。むしろ模擬戦闘の際に一番てこずった相手であり、そこから実力をつけていることも知っている。


 エースが問題としているのは、むしろメンタル面の方だ。彼に限った話ではないが、その強さをある程度人に頼られるようになると、天狗になるような人もいる。そうなると、自分の強さを過信して余計なリスクまで取ってしまう。


 それこそが、エースの一番避けたいことだった。リスクは避けられるならば避ける方が安全であり、取らない選択肢を持っておくべきだと、エースは考えていた。


「危険だから出ないっていうのは、リスク回避のための策だ。なのにリスクをとってどうするんだよ」


「あ? 指図とはいい度胸じゃねぇかおい。こそこそやってる奴の前に、お前から叩き潰してやろうか」


「なぁ、お前はバカなのか? 説明しても分かんねぇのか?」


 完全に喧嘩モードに入る2人の言い合い。ヒートアップしていくその様からは、説得という本来の目的が薄れつつあった。


「ちょっと、2人とも……」


 そんな2人をどうにか宥めようとするフローラだったが、互いに目の前の相手しか見えていない状態。間に入りこむための切り口が見つからず、どうしようもない様子だった。




「何をしてるんです?」


 そこに現れたのは、別の男子生徒。エースは知らなかったその姿に、フォーティスとフローラには見覚えがあったようだ。


「あ、エアードくん」


「おはようございます、スプリンコートさん。で、どうしたんですか、これ」


 現れたばかりで事情の分からないエアードに対してフローラが差し支えない程度の内容を話す。


 相手の方はそれを聞いて一応理解したようで、話にすぐさま加わった。


「えーと……親の意向って、無視してはいけないものですよね、フォーティスくん」


「お前までそう言うのかよ。俺が強いのは知ってんだろ。現に模擬戦では最近負けなしだぞ。守ればそれでいいじゃねぇか」


「まぁ、極論はそうですね。君はそれが出来るほどには強いです」


 自分の強さを認められたためか、まるで自分が優勢であるかのような態度をとるフォーティス。その姿にエースは心の中で分かりやすい、と率直に思った。もちろん口に出すと話がこじれるので、出しはしない。


「ですが、それとフローラさんを連れていけるかどうかは別問題です。君がもしフローラさんと彼女だったとして、相手が嫌がるのにデートに連れていきますか?」


「行くわけねぇだろ。つか、それとこれは別問題だろうが。嘘の可能性はどうすんだよ」


 フォーティスから飛ぶ、鋭いツッコミと判断。


 先ほどエースはバカとは言ったが、フォーティスは決して知識の面ではバカではない。頭の回転も、場合によっては早い。


「なら質問を変えましょう。もし行きたくない理由が他にあった時に、彼女が嘘をついて断るような人物だと思いますか?」


「それは……まぁ。つかねぇな。下手くそだし」


 どうやら、エアードの説得の方が効果があったようだ。同じクラスにおり、さらにはエースのように立場的なものがない分だけ、すんなり受け入れられる、ということだろうか。


 ヒートアップしてしまった自分にも悪いところがあったことは理解しているが、それでも、つくづく立場というのは面倒だな、とエースは思わざるを得なかった。


「彼女の言い分を信じてあげましょう。悪いイメージは、今後に響きますからね」


 エアードにそう言われて、フォーティスは鼻を鳴らした。このような展開になってしまったことが、相当気に入らないらしい。


 しかし、今後に影響するというエアードの言葉が現実になってしまうことと天秤にかけると、やはり気に入らない展開に乗るしかなかったようだ。


「しょうがねぇな。エース・フォンバレン、今回はテメェの説得に応じてやるよ。分かったらさっさと出ていけ」


「言われなくても出ていってやるよ。じゃあな」


 くるりと振り返って歩き出したその背中越しに、エアードの苛立ちの表情と、フローラの申し訳なさそうな表情が見える。フローラにフォローを入れようかとも思ったが、これ以上の長居はさらなる揉め事を起こすだろうと考え、エースはフローラのいるクラスから足早に退散した。


 そのエースの姿を拳を握りながら見ていた生徒がいることは、前を向いたエースが知るはずもなかった。

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