第9話 意外なもの



 食事が終わった後はそれぞれ後片付けを行い、沸かしたお風呂に順番に入ると、この日やるべきことすべてが完了した。


 途中でフローラが風呂に入っているタイミングでそのことを忘れていたエースが隣接する洗面所に行こうとしてミストにからかわれる、というハプニング未遂の出来事はありながらも、ハプニングそのものは1つもなかった。



 そしてその後は全員が静かながらも楽しい夜をリビングで過ごし、やがて寝る時間が近づいたと言うことで解散。初日の夜は、そのまま終わりへと近づいていた。


 そんなこの家の中で動きがあったのは、解散してから十数分後であった。



 明かりを小さなランプと月光に頼ったリビングに1人でいるフローラが、リビングから伸びる2本の廊下を進み、ある部屋の前に来る。


 その部屋の前で少しの間逡巡した後に、意を決して戸を2度軽く叩いた。中から返ってきた「どうぞ」という返答を聴いてから、フローラはドアを開けた。


「失礼します」


「あれ、スプリンコートさん。どうしたのさ」


 ドアの向こう側には、読書中だったのか本を片手に持ったまま椅子に座っているミストの姿があった。その本を置いて身体をこちらに向けると、再び込み上げて来た恥ずかしさで何も言えないフローラに対して問いかけを投げてきた。


「もしかして、トイレの位置が分からないとか?」


「ううん、違う」


「じゃあ何かデザートが食べたくなったとか?」


「そうじゃなくて……」


「なら、外出したい……ってそれはないか。もうパジャマだもんね。だったら……」


「えーと……スプラヴィーンくん。夜、一緒に寝てくれないかな……?」


「……えっ?」


 ミストが予想した答えに対してフローラが外れであることを言うという流れが則ったままのやり取りを続けたため、半自動化していたやり取り。


 それを断ち切るように告げられた正解の中身を聞き返すミストに対し、フローラは顔をやや赤らめながら補足説明をしていた。


「夜、私が寝るまででいいから、一緒にいてほしいの」


「もしかして、スプリンコートさんは夜1人で寝られないとか……?」


 始めて明かした事実に対してさらに飛ぶミストの疑うような口調での問いかけに対して、フローラは恥ずかしながらも首を縦に振った。夕方にエースから聞いたことがすべてエースたちの秘密ならば、これはフローラがずっと隠してきた秘密。


 といっても、その重要度や秘密にしておく度合いには天と地よりも広い差があるが。


「まさかスプリンコートさんにそんな弱点があったとはね」


「だって、お化け怖いし、一人になるの避けたいし……」


「付け加えると、結構ビビりだよね」


「そ、そこまで言わなくても……」


「ごめんごめん。まぁ一緒に寝てあげたいのはやまやまなんだけど、それに関しては隣の部屋にもっと適任な人がいるからそっちに頼みなよ。まだもう少しだけ部屋にいないけど、帰ってきたらそっちに頼んでみたら」


「隣……?」


 明かりを月光に頼っているためか部屋がやや暗くなっており、ミストの表情の微細な変化はドア付近にいるフローラには分からない。ミストの言っていることの意味も、この家に来てまだ数時間しか経っていない彼女にはこれまた分からない。


「隣はエースの部屋だよ。僕と寝るよりもそっちの方がいいんじゃない?」


 故に、その中身を聞いた途端に、熱があるのではないかと錯覚させてしまいそうなほどにフローラは顔を紅に染めた。反論しなくてはまた何か言われると頭では分かっていても何故か思考が働かず、それ以上何かを言うことが出来なかった。


「とりあえず隣に頼んでみなよ。それでダメなら、しょうがないけどね」


「う、うん……」


 断ってくれないかな、と思ってしまう自分と、断らないで欲しいな、と思ってしまう自分。どちらもよく眠るためではあるが正反対の考え方を同時にしてしまうあたり、相当意識していることが自分でも分かる。


「じゃあ、そういうことで。バイバイ」


「えっ……?」


 色々と考えすぎているうちに、ミストの意地悪な笑みが扉の向こう側に消えていく。ワンテンポ遅れて気づき阻止しようとするが、時すでに遅し、だ。閉められた扉は内側から鍵がかけられたため、フローラにはどうすることも出来ない。


「スプラヴィーンくん……」


 もう頼れるものがなくなったため、腹をくくるしかない。


 しかし、この頼みはあまりにもハードルが高すぎる。意中の相手に一人じゃ寝られないから一緒に寝てくれ、などという頼み事をするのは、フローラにとってはこの世のあらゆる試練の方が易しく感じるレベルだ。


 だがこのままでは埒が明かないことも分かっている。2つの考えで板挟みになり、ミストの部屋の前で込み上げてくる恥ずかしさを振り払うようにしていると……


「何してんの?」


 横から突然、声をかけられる。


 振り向いた先には、半袖にズボンと軽装を身に纏うエースの姿があった。


「え、あ……」


 あまりも突然すぎる出現に、言葉が思うように出てこないフローラ。その姿に首を傾げ訝しむエースの姿が焦りを生み出し、フローラのしどろもどろさを強めていく。


「どした? 顔赤いけど……ちょっとごめんよ」


 すると、余計に誤解を生む結果となる。自分とフローラの額に手を当てて熱を確認する動作の間、より接近した顔と顔の距離に、フローラは恥ずかしさが爆発寸前で踏みとどまっていた。


「熱はないな……。いやでも風邪の可能性がなくはないし……」


「あの……大丈夫だから、大丈夫ですから……顔、近い……」


「え? あ、ああ、ごめん」


 フローラの絞り出したような小さな声はきちんとエースの耳に届き、エースとフローラの距離は正常まで離れる。爆発寸前の恥ずかしさは元もレベルまで戻ったが、まだまだ顔は赤い。


「で、どうしたの? ミストに何か用だったの? それとも、終わったあと?」


「えーと、あの、その……」


 またもやしどろもどろになるフローラ。あまりにもハードルが高すぎるだけではなく、そもそもが相手への無理なお願いであるもの。言い出したくとも、なかなか難しいものだ。


 しかし、顔と顔の距離が急接近した先ほどの恥ずかしさが少しハードルを下げたのか、今度はきちんと言葉に出来た。


「あの、夜、私が完全に寝るまで、一緒にいてもらえないかな……?」


「ん?」


 フローラが告げた内容に、エースから返ってきたのが短い聞き返しの言葉だった。一瞬、何を言われたのか分からなかったくらいにはエースの思考回路は止まっていたようだった。


「私、夜1人で寝られなくて……スプラヴィーンくんに頼んだら、フォンバレンくんに頼めってドア閉められたから……お願いします」


「はぁ……またあいつ何か企んでるんだろうなぁ」


 フローラが最後の一押しとばかりに頭を上げると、エースのそんな声が聞こえてきた。おそらくミストの考えていることをエースは理解しており、それは明らかに避けたいところなのだろう。


 自分のせいで少しでも迷惑がかかることは出来るだけ避けたいところであったが、フローラにとってこれだけはどうにもならないこと。お願いだから助けてください、と心の中で呟いていた。


「1つ聞いとく。だいたいどのくらいで寝れる?」


「いつもは……10分くらいかな?」


「じゃあそのくらいは俺がリビングにいればいいのな。りょーかい」


「うん。その後はもう大丈夫だから。お願いします」


 勇気のいる頼み事がなんとか通り、フローラは安心したのか胸に手を当てて安堵の息を漏らした。


 それと同時に、心の中で平謝りしていた。ただでさえいつもの居住空間に侵入してきているのに、さらに迷惑をかけるような頼み事をしたのだ。おそらく、エースの中でのフローラの評価は下がっただろう。それでも頼まざるを得ないところに、自分のダメなところを感じさせられた。



 そんな気持ちを抱えたまま、フローラがすぐさま布団――これは何故か常備してある3つ目らしい――に潜り込むと、すぐさま小さなランプが切られた。


 明かりが外からの月光のみになり、リビングには静かな空間が形成される。新聞などは暗くて読めないはずなので、エースがおそらく外の景色を見るなどして時間が過ぎるのを待っているのだろう。


 エースのために早く寝なくては、と意識して寝ようとするが、眠くなるような気配はなかった。それどころか頭が冴えてしまっている。


 眠気の全く起こらない自分の状態がどうにもならず、フローラは上体を起こした。


「ごめん、フォンバレンくん。眠れない」


「どうしたのさ」


「なんか目が冴えてるような感じがして……ごめんなさい」


 フローラが安眠出来なければ、エースが落ち着いて寝ることは出来ない。そのため、何がなんでも寝なくてはならない。しかし眠れない。自分のせいで余計に迷惑をかけてしまっている事実を痛感し、フローラは暗い声で謝った。


「少しだけ待ってて」


 その謝罪を聞いたエースはフローラにそれだけ言うと、キッチンへと向かった。


 何をするのだろう、とフローラが視線を向けた先では、夕方の時と同じようにティーカップとソーサーを用意していた。そして同じようにティーポットから紅茶らしきものをカップへ注ぎ、それをこちらへ持ってくる。


「はい、どうぞ。熱いから、気を付けて」


「これは……?」


「眠りやすいようにあっためたハーブティー。一般的な紅茶と違って、目覚ましにはならないから安心して」


 エースの解説を聞きながら、フローラはティーカップの縁に口をつけ、恐る恐る傾ける。中の液体が喉を通ると、夏なのにも関わらずその温かさが身体の芯まで染み渡った。


「美味しい……」


「口にあったなら何より」


 ソファーに座った状態のエースの傍で、布団の上に座ったフローラはハーブティーを飲んでいた。先ほどまで緊張へと変換されていた『見守られている』ということが、今は安心感に変換されていた。


「もし迷惑なんじゃないか、とか考えてるなら、気にしなくていいよ。俺は大丈夫だから」


「本当に?」


「うん。本当に大丈夫」


 エースのその言葉を聞いて、思わず口元が緩んだフローラはフフフと声に出して笑ってしまった。目の前で首を傾げるエースに対して、反対の手に持ったソーサーの上にティーカップを置いてから、フローラは浮かんだ言葉を口にした。


「フォンバレンくん、最初に出会った時からずっと変わらないね」


「そうか? 背は伸びたし、声も低くなったし……」


「ううん、そういうことじゃなくて……」


 その先の言葉は喉元まで出てきていたが、言わない方がいいかなとフローラ自身が思ったことでそのまま霧散していく。目の前のエースは不自然に止まった言葉の続きが気になる様子であったが、それは数秒間だけの話であった。


「ハーブティー、ごちそうさまでした」


「どうも。片づけは俺がやっとくから、また横になったら?」


「そうさせてもらうね」


 エースの言う通りにフローラがティーカップとソーサーを手渡すと、エースはそれらを戻しにキッチンへ戻った。その間に、フローラはこれまた言われるとおりに布団に潜り込んでいた。


 今度は緊張など一切なく、心の中には安心しかなかった。落ち着いた心が身体を緩ませていき、瞼を閉じれば水の流れる音や食器がぶつかる小さな音が聞こえてきて、そんな心地よい空間の中でそのまま――









 きちんとティーカップとソーサーを洗ったエースがリビングへと帰ってきた時には、フローラが安心したような顔で寝息を立てていた。眠れないと言っていた少女がこれだけあっさりと眠ってしまったことに、エースの心の中では達成感と物足りなさがごちゃ混ぜになっていた。


「お休み、スプリンコートさん」


 その感情を一切出すことなく、眠りについたフローラにそう言うと、エースも安眠するべく自分の部屋へと帰るのであった。



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