第8話 唐突過ぎた始まり
朝最初に聞く内容としてはとんでもない依頼を受けたせいか集中力を持続させることが中途半端にしか出来ず、授業中に何度か魔法をファンブルさせたエース。とりあえず朝一番の授業の担当教師に休んだ理由を伝える、という最低限のことは果たしておき、残る授業に関してはファンブルしたこと以外は何もなく終えることが出来ていた。
そして放課となった今の時間は、ミストが学校から直接買い出しに行っているために1人で帰り道を歩いていた。最短ルートを通れば早いものを、いつものように安全第一ということで遠回りする。
夕陽はまだ落ち始めということもあり外はまだ明るいので、1人鼻歌まじりに帰路を進む。これを夜にやってしまうとあまりにも響いて迷惑だ、と言われることは容易に想像できるので、もちろん日中から夕方にかけての明るめの時間しかしない。
やがて、夕陽の差しやすい疎らな木立からやや茂った森になっていき、その先へと続いていく小道を抜けた先には、オレンジ色の背景でより映える黒屋――我が家であるフォンバレン家が見えてくる。
この時間帯だとあまりにも目立つその黒色は、夜になればその真価である視認性の悪さを発揮する。家にいることの多い夜の時間帯に外観の黒は周囲に溶け込むような保護色となり、敵意を持つ者の襲撃をある程度は防ぐことを見込んでいる――
というのが、この家の持ち主であるパードレの談である。
そんな、外観の我が家とその奥に広がる森だけが見える場所に、エースは違和感を感じていた。目をこすってもう一度同じように見るが、その違和感は気のせいではなかった。
まず、家の前に家の主であり義父であるパードレがいる。何故外にいるのか、という理由は聞きたくなるが、それだけの問題でしかない。いたとしても存在そのものはおかしくなく、普通にあり得る光景だ。
エースが感じた違和感の発生源は、その横にいる女子生徒だった。緩くウェーブのかかったクリーム色の髪と共にピンク色のリボンが髪の隙間から風にたなびくその感じは、フローラ・スプリンコートでほぼ間違いないだろう。
訝しく思ったエースだったが、流石にずっと見ているのも変なので止めた足を再び動かして自宅に近づいていくと、ある程度距離が縮まったところでその存在に気づいたパードレが挨拶を投げかけてきた。
「おう、帰ってきたかエース」
「ただいまって言いたいとこだけど……事情を説明してくれますか」
目の前の光景から入ってくる情報に対して、エースは困惑しか返せない。それ故に、パードレに投げた言葉がそれだった。
その言葉は突き詰めていけば『何故、フローラが自分の家の前にいるのか』という疑問にたどり着く。その答えとして思い当たる節がないのではなく、その節の内容が今ここで起こることがエースとしては有り得ないと考えたのだ。
だからこそ聞いたのだが……
「依頼の始まりってわけだ」
まさかの思い当たる節が正解だった、ということを示すパードレの回答。
確かにエースは、ミストやパードレと共にスプリンコート家に出向き、フローラを我が家で保護する、という依頼を引き受けてきた。
だが、それは今日の朝の話である。現実的に考えて、その日の夕方に来る、などということを予測できるはずがない。出来る人が世の中にいたとしても、少なくともエースには出来ない次元の話である。
「あんたは心の準備ってのを知らないのか……」
予測不能な展開の到来にしかめっ面になったエースは目の前にいることを十二分に分かっていながら、パードレへの文句を吐き出すしかなかった。不機嫌にも見える表情は、場の雰囲気を悪くするのには非常に適している。
「あの……迷惑だった、かな……。ごめんなさい。私が一人で戦えないばっかりに……」
「あーっと……そういうことじゃない。俺の心の準備が出来てなかっただけ。スプリンコートさんは一切悪くないから、大丈夫だから」
「本当に?」
「ホントだよ」
エースのしかめっ面の理由を勘違いしたフローラが自分を責めるように謝り始めたのを聞いて、慌てたエースは謝罪と誤解を解く言葉を同時に言った。ここでフローラを泣かせるようなことがあれば後でネタにされてミストにいじられるのだろう、という考えも少しだけあったが、それよりもフローラに変な気苦労をかけたくないという考えの方が大きかった。
「じゃあ、後はよろしく頼むぞ。少年」
「頼まれる以外の選択肢がないでしょうに」
エースの言い分を半ば無視する形で言葉を並べた後、パードレがこちらに背中を向け、手を振りながら遠ざかっていく。その後ろ姿を見ながら、エースは頭を悩ませるしかなかった。
「説明ってものを知らんのかあの人は……」
だいぶ慣れてはきたが、差し支えない程度にだが説明を省いたり、強引に任せてしまうところに、主にエースが振り回されてきた。たまにミストも巻き添えなのだが、どっちかというとミストも相手のペースを奪ってしまうので、そういう意味ではエースの気苦労は絶えない。
「まぁ引き受けたことだし、頑張るか」
とはいえ依頼は依頼なので遂行する以外の選択肢はない。
自己暗示をかけるようにして、悩んだところでどうにもならないものを押し込んでおいてから、エースはフローラの方を再び向いた。
「さて、こうなったからには色々と話さなきゃならないこともあるからな。それをこれから話していこうかな、と思ってるわけだけど……外だと何が起こるか分からないから、まずは中に入ろう」
「うん、分かった」
エースの言葉をきっかけに、2人は家の中に入る。玄関口で靴を脱ぎ、そこから直進、突き当りを直角に右に曲がると、この家のダイニングにたどり着く。
「とりあえず、そこの椅子に座りなよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
そのダイニングに入った瞬間、真ん中から少しキッチン寄りに配置されているテーブルが目に入る。そこに収められている椅子の内、入り口と向かい合わせになるものをエースが言葉と共に指差すと、フローラはおずおずとした様子で座った。
一方のエースは、座らずに左に曲がってキッチンに向かう。
「色々と話がしたいとこだけども、その前に、と。何か飲むものあれば、あるものに限り何でも出すよ」
「そ、そんなに気を使わなくてもいいよ」
「まぁそういうなって。一応、お客様なわけだしさ」
「えーと、じゃあ……紅茶、あったら貰えるかな?」
「りょーかい」
注文を受けたエースは、台所においてあったティーカップとソーサーを2つ手に取った。側にあったティーポットからカップへ紅茶を丁寧に注ぎ、片手に1つずつ持ってリビングに戻ると、左手に持っていた方をフローラの眼前に差し出す。
「どうぞ」
「どうも」
エースが向かい合わせになる位置に移動している間に、ティーカップに口をつけるフローラ。仄かな甘い香りは、口の中にも広がった。
「美味しい……」
「だろ? 俺の最近のお気に入り」
「フォンバレンくん、紅茶入れるの上手なんだね」
「俺が好きなのもあるけど、母さんが昔よく入れてるのを見てたから、そのおかげかな。お菓子に合わせて茶葉の細かい配分とか変えたりもするから、ちょっとした趣味かもしれない」
「なんか、凄く意外……」
「誰にも言ってないしな。知ってるのはミストと校長くらいだし」
ティーカップをもう一度口につけ、中身を飲み干すエース。彼の意外な特技を知ったフローラも、同じようにティーカップの縁に口をつけて紅茶を飲む。その頬はやや赤いが、紅茶は決して温かくはない。
「で、話を変える、というか戻すけど……何から聞きたい?」
「あ、えーと……」
エースが急に投げかけた質問に対して、フローラは数秒間は悩んだ様子のままそこから変わることはなかった。見た限り、聞きたいことがないのではなく、むしろがありすぎて優先順位がつけられないように見える。
その様子に対して、エースは椅子の背もたれに身体を預けてこう言った。
「まぁそうだよな。入学してすぐくらいからの付き合いなのに、隠してることいっぱいあるしな。ごめん」
「ううん。別にいいよ。隠さなきゃいけないってことは、私たちにも分かることだから」
「そう言ってもらえると助かる。こっちも色々とあるから」
一度背もたれから身体を起こして、言葉の後にエースは頭を下げた。それは完全に謝罪の意を示すためであるが、その内容は秘密にしていたことも含まれて入るが、一番は余計な気を遣わせたことへのものだった。
「じゃあ、とりあえず校長との関係の詳しいとこから話そうか。知ってることもあるだろうけど、それは一部だしな」
「お願いします」
フローラが言葉と共に頭を下げると、エースは軽くうなずいて自分たちの今のことを話し始めた。
「前に言ったから半分くらいは知ってると思うけど、俺とミストは今、周りに言っている限りでは校長の義理の息子ということになってる。一応、戸籍上でもそういう関係として登録されてるはず」
エースとミストの実の両親は、すでにこの世にはいない。2人が7歳の時に周囲に言われなき罪を着せられて死に、家も家族も失った2人は双子ということで誰にも拾われずに路頭に迷っていた。それから数週間なんとかして生き延びようとしたものの、万策尽きてもう少しで死んでもおかしくないところをパードレに拾われた、という過去が、今に繋がっている。
「そうなんだ……。校長先生は、先生でお父さんでもあるんだね」
「まぁな。で、今俺やミストはここにずっと住ませてもらってるけど、その対価が前に言った校長からの雑用。拒否出来ないからめっちゃこき使われて大変」
今までに引き受けさせられた依頼の数々を思い出して、苦笑いをするエース。
誰も引き受け手がない力仕事に荒い息をたてながらやったり、2日間遠い町で朝から晩まで売子をやらされたりと、強引にやらされた依頼の数々は、今はただのいい思い出ではある。
「校長と俺たちの関係に関しては以上だ。次は……なんでうちに来たのか、とか?」
「それはお父さんから聞いたから知ってるよ。あの日、私が学校で襲われたことをお父さんやお母さんに言ったんだけど、その後で校長先生に相談したらフォンバレンくんたちの家ならどうか、ってなったって聞いた。確かに私はいいよ、って言ったけど、いきなり行けってなったからすごく驚いちゃった」
「俺も今朝そのことを聞いて、早くても明日かなと思ってたとこにこれだからなぁ。あ、だからご飯も特に何か出来ないかも。ミスト買い出し行ってるけどまだ知らないし」
「それは全然いいよ。私には、文句を言う権利なんてないから」
フローラのその言葉の直後、2人の耳に床を踏みしめる足音が聞こえてくた。それはすなわち、2人以外の誰かがこの家に来た、ということを示す。
しかしその後に響いた『ただいま』の一言で、エースは一瞬作っていた警戒態勢を解いた。フローラも安心したのか胸をなでおろしている。
やがて、買い出し帰りであることを示す両手の買い物と共に来るミストの姿が扉越しに見えた。エースがその扉を開けると同時に自然体で言葉を口にする一方で、ミストは目に入った光景に対し入り口のところで何か言いたげな様子で立っていたままだった。
「あ、お帰り」
「うん、ただいま。で、なんでスプリンコートさんが今ここにいるの?」
「依頼はすでに始まっている、ということらしい。俺もビビった」
ミストの疑問にエースがやや遠回しな表現を用いて答える。ミストはその言い方でも合点が言ったようで、小さく頷いた後にいつもの意地悪な笑みを浮かべた。
「ああ、なるほど。僕はてっきりエースがお持ち帰りしたのかと。それならそれでその勇気に対して赤飯炊くんだけど」
「真面目な話してる時に茶化すな。つか赤飯事かそれ」
「真面目な話? 将来のこと? ますます赤飯必要だよね」
「違う。どっちかっつーと過去のこと……ってそれ以前に茶化すんじゃない」
いつものようなミストのからかいにこれまたいつものようにエースが反撃の突っ込みをすると、それを起点にまたミストがからかうというエンドレスな展開へと突入する――
かと思われたのだが、いつもはおらず、今だけはこの場にいる3人目の様子が、そのエンドレスな展開を未然に防いでいた。
「……」
ミストのからかいのせいで、フローラが顔を熟れたリンゴのように真っ赤にさせてその場に固まってしまっていたのだ。話をしている最中にそんなことになれば、いつものように気づかせてやらないと当分このままである。
「ミストがからかうから話進まなくなっただろ」
「うーん、まぁこれは僕のせいだね。ごめん」
「いやまぁいつものことだから今更怒る気にもならないんだけど……」
珍しく素直に謝るミストに勢いをそがれて頭を掻くエース。ため息を一つついた後にそう言うと、フローラの眼前で手を振る。
「おーい。帰ってきてくれー」
「へっ? あ、ごめん……」
それは目の前でちらつく手に反応したのか、はたまたエースの言葉のおかげなのか、自分の世界から戻ってきたフローラ。目の前には先ほどと変わらずエースがおり、今度は台所にはミストがいる。
「そうだ。スプリンコートさんは何が食べたい? 出来る限りは要望に応えるけど」
「え、えーと……特にないかな。私のことは気にせず、いつものようにしてくれていいよ」
「まぁ、そう言わずに。スプリンコートさんはお客様なわけだし、好きなもの食べてってよ」
台所で買ってきたものの仕分けをしながら、ミストはそう言った。
すると、その言葉がフローラにとって何かおかしかったのか、湧き上がる笑いをこらえきれなかったかのようにクスクスと笑い始めた。理由の分からないその光景に、エースとミストは揃って首を傾げ、そして問いかける。
「どうしたのさ、急に」
「何かおかしいことでも言ったかな、僕」
「ううん。やっぱり2人は双子なんだなー、って。そっくり」
フローラが優しく笑い続けている中、エースとミストは彼女が言った言葉だけでは笑い始めた理由は理解できなかった。
「うん。じゃあ、晩御飯のメニューはスプラヴィーンくんのおすすめをお願いします」
「おすすめねぇ……。なんか上手くはぐらかされた感じはあるけど、よし分かった。今から作り始めるから、エースは解説役よろしくね」
「りょーかい。さて、続きを話そうか」
その後は、晩御飯が出来るまでフローラの疑問や自分たちの秘密を出来る限り答え続けたエース。ミストが料理を運んできたあとは、いつもと違う3人での晩御飯を、新鮮な雰囲気と共に楽しむのであった。
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