第7話 訪れる変化
それは、謎の襲撃とその報告から2日後のことだった。
エースとミストは、何故か朝一番で校長室に呼ばれていた。緊急性を要していそうなその呼び出しを断ることは立場上出来ないので、授業を休むことを担当教員に告げる時間もなく校長室に向かった2人。
そこで告げられたのは、『今から依頼主のところへ出向く。何も言わずについてこい。授業に関しては何とかしてやる』という内容が丸っきり分からないものであった。
ミストが反論しようとするも急ぎだから後で話す、とりあえずついてこい、ということで、全く内容を引き出すことが出来ないままで2人は馬車に乗るしかなかった。何も知らないままというのは腑に落ちないところではあったが、色々と援助してもらっている身なので拒否という形での抗議はもちろんのこと、最初からその場の流れに乗る以外の選択肢が選べるはずもなかった。
そうした秘密だらけの行動の末にたどり着いたのは、今2人の目の前にある一戸建ての家。無論、この場所がどういうところでここに来たことが何を意味するのかなど、何も知らない2人には分かるはずもない。
「校長、そろそろ教えてもらえませんかね……」
「まぁそう急ぐな。急いては事を仕損じる、というだろう」
「ですが、何も分からなければこちらも不安になります。節度というものを考えてください」
ここまで来て何も話さないパードレに、ミストは言葉には怒りを、顔には呆れを込めてそう言っていた。顔に示しただけで言葉を用いなかったエースも、全く同じ気持ちである。
「ならば、もう少しだけ待ってくれ。後で必ず話す」
「必ず、ですよ」
念を押すような強い口調でミストの言葉が飛んだが、それで展開が早くなるわけではないのはエースも含め百も承知。とりあえず、パードレの言う『もう少し』の分だけは待つことにした。
そのパードレは目の前の家の玄関の扉の前に立つと、扉を数回軽く叩いた後、低く凄みのある声を響かせた。
「サウゼル魔導士育成学校校長、パードレ・ファルシュだ。開けてもらえないだろうか」
やや小さいかと思われたその声は中まで届くには十分な声量だったようで、白塗りの玄関扉の奥から1人の男性が現れた。本人かどうかを確認せずに開かれたところを見ると、目の前の男性はすでにパードレと面識があるようだ。
「おお……学校長様。ようこそおいでくださいました」
白塗りの扉を最大まで開いた後、丁寧な礼をした目の前の男性。物腰柔らかな印象を受けるその姿をエースとミストが見ていると、相手も自分たちの姿に気づいたようだった。
「失礼かもしれませんが、そちらの方々はどなたでしょうか?」
「俺の義理の息子のエース・フォンバレンとミスト・スプラヴィーンだ。実力と性格は保障する」
「息子さんとは……。これは失礼しました。どうぞお入りください」
疑いの視線を向けたことの非礼を詫びているのか一度頭を下げてから、目の前の男性が扉を開け広げた。
中に入ると、玄関口から1本の廊下が続いていた。靴を脱いで上がり、清潔感のある白壁の間を誘導に従って歩いて行くと、おそらくリビングであろう開けた場所にたどり着く。
「今椅子をそちらに持っていくので、どうぞお掛けください」
そのリビングの中央にテーブルがあり、それを取り囲むように収められている4つの椅子のうち1つを出入口側に持っていくことで1対3の話し合いの場が出来上がった。もちろん3の方にエースたちが座り、残った1つには男性が座る。
そうして全員が座席に座ったところで、男性が口を開いた。
「では用件を……といきたいところですが、その前にそこのお二人に自己紹介をしなければなりませんね」
その口から出た言葉の矛先がいきなり自分たちに向いたため、聞くだけだろうと思っていたエースとミストは若干反応が遅れた。
ただそのタイムラグは誤差に出来る範囲内だったので、場が滞ることなく話は進んでいく。
「私の名前は、テレノ・スプリンコートと言います。お二人には、同じ姓を持つ生徒に心当たりがございませんか?」
その問いが言い切られる前、苗字が声として発せられた段階で、エースとミストは目の前の男性が誰の親なのか気づいた。そして同時に、ここが誰の家であるかも気づいてしまった。
「もしや、ここはフローラ・スプリンコートさんのご自宅ですか?」
「そうですね。あなた方と同じ学校に通うフローラ・スプリンコートは私の娘です。いつも娘と仲良くしてもらって、ありがとうございます」
「あ、いえ。ずっと変わらず接してもらってますし、お礼を言いたいのはこちらです」
互いに相手への感謝のお礼を言って頭を下げる。
テレノにとっては、それは社交辞令のようなものかもしれないが、エースたちにとってはこのお礼は心からの言葉であった。この行動が今も変わらずに接してくれる人物が少ないことの裏返しとも言えるが、いることが救いなのだから偏屈なことなど思えない。
「では、早速ですが本題、それも結論に移りましょう。私の娘を、そちらのお二方の家に預ける、ということですが……よろしくお願いします」
テレノの口から語られ、パードレがここまで決して語ることのなかった依頼の内容。エースとミストは驚きで目を丸くし、気持ちだけはすでにひっくり返っていた。
「校長、めちゃくちゃ大事なことじゃないですか……」
「そうだ。とても大事なことだ。だからこそ、この話が外部に漏れる可能性を限りなく低くするために、あえてお前たちに話さず来たんだ。どこで行ってもゼロにすることは難しいが、ここならば漏れる可能性は限りなく低いと俺は考えた」
「それは分かったんですけど、心の準備というのがあってですね……」
「すまない。この依頼に関しては、漏らさないことが引き受けの絶対条件だったからな」
ここに来て、謝罪の言葉と行動を見せるパードレ。
時間としては『もう少し』よりも長かった気はするが、聞けたというのなら問題はない。エースとミストは、とりあえずこれまでのことは水に流しておくことにした。
「それにな、この依頼はお前らにしか頼めないものだった。今はここにいないがフローラ・スプリンコートの母親とテレノさんは、先日の襲撃のこと聞いて、フローラを安全な場所に預けよう。預けるならば、彼女が最も信頼している人にしようと考えた。そこで白羽の矢が立ったのが、お前ら二人……正確には、エースに、だがな」
だが、その後に告げられた事実に対しては流すことなど出来ず、反応も戸惑いの色を出す程度のことしか出来なかった。確かに付き合いはだいたい4年くらいにはなるが、それだけの理由で自分たちが信頼に値する人物だと思われたことはかなり意外な事実である。
「確かに、4年も付き合いがあるとは言えども、あなたたちが年頃の異性であることは変わりませんし、正直預けることはためらいもありました。うちの娘の自慢をするような形にはなりますが、どこに出しても恥ずかしくない優しい子ですから、断らなくてはいけない場面で強く言い切れずに押し込まれてしまう可能性も捨てきれません」
話を聞きながら、それは確かにあり得る可能性だとエースとミストは思っていた。優しいかわりに強く物を言えないフローラの性格は、4年もあれば理解している。その性格が普段は良い方向に働いたとしても、限定された状況下で悪い方向に作用してしまえば普段積み重ねたものなど一気に崩れ去る。
だから、テレノの言うことには一切の反論はしなかった。綺麗事を並べたところで証明が出来なければ可能性の壁に押しつぶされるだけだ、とよく理解しているからである。
「でも、きっと娘にとっては、あなたたちは他の人とは違う存在なんでしょうね。依頼から帰ってきた日にあなたたちのことを時々話していることは前から知っていましたし、あなたたちのところへ預けることを言ったら娘は何も言わずに頷いてくれました。学校の寮が危険だと考えたわけではないのですが、敵が誰でどこに潜んでいるか分からないのなら、異性と同居させてでも守ってもらう方がより安全と考えました。どうか、お願いします」
図らずしてフローラが自分たちのことを潔白であると証明してくれていた、という事実は、少しだけ2人の心の緊張を溶かした。
次いで、話が終わるのを待っていたパードレがまずエースを、次にミストを、というように交互に見た後に、口を開いた。
「そういうことだ。無論、手を出した瞬間にとんでもない未来が待っていることだけはここで言っておいてやる。それを頭においた上で……頼めるな、2人とも?」
パードレを介して投げかけられる、テレノからの依頼。娘想いの父の姿と大きな決断をこれでもかというほど見せられれば、約束がなかったとしても2人の答えは1つしかなかった。
「校長の頼みは、元から断らない約束でしょう。もちろん引き受けますよ」
「俺もミストと同じです。スプリンコートさんを守るっていう事態の大きさもあって、若干気後れしてますけど」
「ホントは飛び上がりたいくらい嬉しいくせに」
「ここでそういうこと言わなくてもいいだろミスト」
エースの仕方ないとでも言うような承諾の言葉にミストがツッコミを入れ、それにエースが反論する、といういつものやりとり。真剣な話し合いの場には本来あわないものだが、今回は逆にそれが功を奏したような様子だった。
「あなた方のそのような苦労を感じさせない姿を、娘は気に入ったんでしょうな。非常に仲がいいのが分かります」
「まぁ、義理の親としても、それは同じ思いです。能力も高いですし、こちらも大助かりです」
親同士、どこか頼もしそうに2人を見ている。
普段はほとんど投げかけられることのないその視線を2人は嬉しく感じ、この依頼にやりがいとでも言うべきものを感じた。
「では、改めてよろしくお願いします」
「分かりました。娘さんのご安全は、必ず保証致します」
パードレとテレノ、両者が社交辞令のような言葉と共に頭を下げて、この話し合いは終わりを告げた。
その帰り際、玄関口で靴を履いている2人に対して、テレノが話しかけて来た。
「2人ともにお伺いしたいのですが……私の親戚の娘にセレシア・プラントリナという子がいるのですが、お二人は知り合いですか?」
「はい。スプリンコートさんと同じようにいつも仲良くしてます」
「……もしよければ、気にかけてもらえませんか? あの子はうちのフローラと非常に仲がよく、もしかしたら今回のことも気にしているかもしれません。これは覚えていれば、くらいの気持ちですが、お願いします」
セレシアもフローラと同じように2人とずっと仲良くしてくれている身。同じクラスということもあり、断る理由などない。なぜテレノの口から、と一瞬だけ思ったが、すぐにその疑問が愚問だと気づいて即座に頭の中から消した。
「はい。分かりました」
「では、娘の件、よろしくお願いします」
最後にまた互いに一礼して、2人はスプリンコート家を出た。表に停めてある馬車に乗ると、先に乗っていたパードレと共にまた学校へと戻っていく。
「最後、お前らはスプリンコートさんと何を話してたんだ?」
「えーと……なんか、プラントリナさんがスプリンコートさんの父親の親戚の娘らしくて、この前スプリンコートさんが襲われた件を気にかけてるかもしれないから、少し気にしてくれないか、とのことでした」
「そうか…………。ならいい」
自分から聞いておいて返す反応がそれか、と突っ込みたくなったエースだが、その後パードレが何かを考え込むような素振りを見せ始めたため、それ以上の言葉は出さなかった。
どこか不穏な空気を漂わせている生徒襲撃事件はまだまだ解決の要相を見せず、校長からの依頼は進行中の看板を掲げたままだったが、2人の日常にはさらに新たな依頼が舞い込んできたのだった。
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