第6話 悩ますイレギュラー



 無事にローブ姿の男を退け、フローラの救出に成功したエースとセレシア。最悪の事態を回避できた、という点においては、エースもセレシアもある程度は安心していた。


 ただ、この出来事を『これで終わり』と考えられたかどうかに関しては、エースとセレシアの反応は正反対なものになった。


 セレシアは事件の被害者であったフローラと同じでとにかく無事であったことにホッとするだけで、この出来事が何かしら引っかかりを引っ張り出すこともなく完結していたようだった。


 一方のエースは、関連性のある情報を今朝得たばかりで記憶にも新しいところ。この出来事がその記憶を易々と呼び出しており、むしろこの襲撃でさらなる不安を感じざるを得なかった。



 火は小さい時に消しておく方が被害が少ないのと同じで、この不安も早めに消しておいた方が得策だろう。そう判断したエースが校長室への同行を2人に求めたところ、2人は快く了承。



 ということで、今3人は揃って校長室の前まで来ていた。


 エースにとっては本日2度目の訪問となる校長室。いつもの茶塗りで光沢のある大きな扉を目の前にして、エースは1つ大きくため息を吐いた。


「どうしたの、そんなに大きくため息吐いて」


「いや、1日に2回も来るとはなー……って。これすっごく個人的なことなんだけど、ここは来ても1日1回までっていう感覚だからなぁ」


「1日1回でも、頻度としてはかなり多いと思うんだけど」


「そう……か。そうだよな。俺らの感覚がおかしいだけか」


 エースとミストはその立場上、校長室に来る頻度は教師と生徒をひっくるめてもダントツのトップである。そのため、『来ても1日1回まで』という言葉を易々と口に出来るが、他の人にとってここは3年ないしは6年で10回もくればそこそこ多い方に入るだろう。


 そういう認識のズレを、エースは今更ながらに再確認することとなった。もっとも、しょうがないことではあるのだが。


「そう言えば、ずっと気になってたんだけど……フォンバレンくんやスプラヴィーンくんって、どうしてそんなに校長室に呼ばれるの?」


「あ、確かに。別に成績が悪いわけでも、問題を起こしてるわけでもないのにね」


 本来校長室というのは生徒にとっては呼び出しでしか来ない場所である。そこはエースとミストにとっても同じなのだが、呼ばれる理由として一番思いつくであろう『成績不振』という理由で2人が呼ばれたことは一度もない。


 エースはやや実技寄り、ミストはやや座学寄りではあるが、2人とも学年ではそれなりに上の方である。そんな彼らが成績不振で呼び出されたならば、この学校の生徒は半分くらいが呼び出しをくらうだろう。


 おまけに問題を起こしてきたわけでもないのであれば、エースやミストが呼ばれる理由は普通ではない、ということになる。そうなると、そこまで考えつかない2人が疑問を感じたことは、なんでもないごく普通の反応だ。


「俺とミストは校長の義理の息子だから、雑用の類いが俺らに回ってくる……ってこれ前に言わなかったっけ?」


「ううん。始めて聞いたよ」


「私も……」


「あれ、そうだっけ」


 前に言った覚えがあるのは、エースの思い違いだったのか。


 そうだとするならここで始めてこの事実を明かしたことになるが、この2人ならば何の問題もない。心から信頼できる人たちだと、4年の付き合いで分かっているのだから。


「まぁいいや。雑用どうこうは置いとくとして、目的を果たしに中入ろうか」


 エースは2人との会話をやや強引に切ると、大きな扉の奥にも響くように少し強めに扉を叩いた。そして返答をほとんど待たずに、目の前の扉を開けた。


 奥にはたくさんの書類に目を通していたパードレの姿があった。最初はエースだけだと思い込んでいたのか顔を上げる素振りは見られなかったが、その後にセレシアとフローラが入ってきたタイミングでは目線を上げていた。


「おーうどうしたハーレム野郎」


「会って早々投げる言葉がそれですか……」


 入っていきなり投げられた容赦のない言葉に、エースは呆れ顔でそう返す。他の生徒ならばまず出そうとしない言葉だが、それならそもそもエースに向けて投げられた言葉もないだろう。これはそういう関係を地盤として積み上げられた信頼の上で成り立っているやりとりだ。


 その関係が確かにあることの証として、セレシアとフローラはやや緊張気味だが、エースにはその欠片もなかった。


「んで、どうした。何か用か」


「例の依頼の件です。さっき、ローブ姿の人間に遭遇しました。スプリンコートさんが襲われてたみたいです」


 エースの言葉を聞いて、それまで気のいいおっさんのような状態だったパードレの雰囲気が一変し、眉が少しだけ動いた。


 だが、それ以上の反応はなく、眉の角度が元に戻ると口を開いた。雰囲気だけ、毅然とした校長の状態のままである。


「そうか……。フローラ、ケガはないか?」


「はい。目立ったものはないと思います。セレシアとフォンバレンくんが助けてくれたので」


「ならよかった。セレシアもご苦労様だったな」


「まぁその場にいましたし、襲われてるのに見てるだけってのも、なんかあれなんで」


 言葉ではそう言っているものの、照れ隠しに頭を掻きながらでは言葉に対した説得力はない。しかし、そうやって褒められるようなことをしたのも事実である。


 実際のところ、セレシアがいなければエースはフローラの場所にはたどり着けなかったのだ。エースの中では、あのタイミングで現れたことに関しては超ファインプレーという評価がついている。


「んで、この生徒襲撃に関してだが……エースには前に言ったんだが、セレシアとフローラは周りから聞いたことがあるか?」


「んー……ちょいちょい聞きますね。なんか、依頼からの帰り道に襲われたーって」


「私も同じです。友達が依頼の帰りに襲われて、近くを通りかかった別の友達に助けてもらった、って」


 どうやら、エースやミストとは違い、交友関係の広い2人の元には情報がちらほらと届いているらしい。その事実に、エースは心の中が少しだけ寒くなった。


 ほんの一瞬だけだったので、それに伴う表情の変化はなく、また何かを言うこともなく、エースはパードレの次の言葉を待っていた。


「俺は今報告を受けた事件を、どう見るか非常に迷っている」


「どゆことです?」


 噂程度にしかこのことを知らないセレシアとフローラはともかく、エースも疑問符が浮かぶ返答。復唱しつつ、エースは言葉の意味を聞き返していた。


「今回のフローラが襲われるまで、被害者はすべて依頼帰りの人物だった。だが、フローラは依頼帰りではなく普通に学校にいた時間だ。一連の事件の続きと考えるには、少し難しい部分がある」


「……そういやそうでしたね。これまで依頼帰りばかりだったのに、今回に限っては違う状況。同じと見るか違うと見るか、判断しかねますね」


 これまでと犯人の狙いが変わったように見えることに気づき、首を捻るパードレとエース。判断材料の少なさが判断を鈍らせている。


 一方で、この生徒襲撃に関して噂程度にしか知らず、始めてその標的となったフローラは、不安そうな表情でただその場に立っているだけだった。隣にいるセレシアも、フローラのことを心配しているのか表情は暗い。


「あの、私はどうしたらいいんでしょうか……?」


「そうだな……。何か対策が取れれば何の問題もないんだが、現時点ではそれも難しい。とりあえず、今日家に帰ったら両親にこのことを話しておくべきだろう。これは別にフローラの学びを否定するわけではないが、フローラの魔法は戦闘向きではないだろう?」


「あ……はい。そうですね。完全にサポート向きです」


 パードレの言う通り、フローラの魔法はほぼすべてが回復支援のものとなっている。もちろん阻害魔法も持っているのだが、あくまでも阻害魔法は相手の行動を『阻害』するだけであって『攻撃』ではない。


 つまり、フローラは対人戦には圧倒的に不向きなのだ。そんな生徒が襲われれば、被害が大きくなるのは自明の理である。そうなる前に予防線を張っておくのは、生徒の身の安全を考える校長の対応としては至極当然のことだ。


「両親と話し合って、今後どうするか考えておくといい。相手の意図が読めなくなった以上、2度目がないとは考えられないからな」


「分かりました。家に帰って相談してみます」


「あ、じゃああたしは帰り道ついていきますね。帰り道に2度目がないとは言い切れないと思いますし」


「ああ、そうしてもらえると助かる。エースを行かせるわけにはいかんからなぁ」


 パードレが最後の一文を言うまでは、その場の3人全員が首を縦に振ってもおかしくない内容だったのだが、最後の一文だけで首の角度が変わってしまった。


 言葉の対象となったエースが、真っ先に聞き返す。


「何故です?」


「お前が行ったら『フローラはお前には渡さん!』とかいう展開がありそうだからな」


「真面目な話の最中にさらりとそういうこと言うの、止めてもらえませんかね?」


「何故だ? 別に構わんだろう。ユーモアは大事だ」


「俺は百歩譲って耐性がそこそこあるからいいとしても、スプリンコートさんがそういうわけにはいかないでしょう」


 フローラが非常にピュアな性格をしているのは、いつもの4人どころか同学年においては既知の事実。もちろん、よく校内を徘徊し、どこから手に入れたのか分からない情報を持っているパードレが知らないわけがない。


 むしろ知っているからこそそういう発言をしているのだろう。そしてこれがセクハラとならないのは、ほぼ確実に相手がフローラだからだろう。いじりやすいエースがここにいることも拍車をかけているかもしれない。


「いや、えーと……そういうのは多分大丈夫、ですけど……?」


「なんで敬語?」


 ほんのりと頬を赤く染めつつ、顔を背けながらもそう言うフローラと、何故か敬語になった彼女の言葉へと突っ込むエース。真面目な報告のつもりが、最後の最後で締まりのない雰囲気になっていた。


 もちろん、エースは全く悪くない。


「はぁ……とりあえず報告はしておきましたんで、そろそろ出ますね。また情報が入り次第、伝えに来ます」


「うむ、頼んだ」


 そこを半ば強引に戻しつつ、エースは場をまとめながらきっちりと了解の意思を伝えていた。


「2人も何かあれば俺に報告してくれると嬉しい。もしここに来るのが嫌ならばエースかミストに伝えてくれ。俺としては全然ウェルカムだが、生徒からしてみりゃここに来るのは少々心理的ハードルが高いからな」


「分かりました」


「了解です」


 パードレがフローラとセレシアにも協力を促すような言葉を言うと、これで話は終わりだと示すかの如く再び書類へと目を移していた。


 3人もその動きの変化でここから立ち去っても問題ないと考え、全員一礼をしてから校長室を出た。


 そして、校長室の扉の前でエースが2人の方を振り返って口を開いた。


「本当なら俺も同行したいとこなんだけど、俺はこの後ミストのとこ行かなきゃならないからここでお別れかな。2人とも、帰りに気をつけて」


「うん、ありがとう。帰ったらお父さんやお母さんにきっちり説明しておくね」


「そこまでの道のりはあたしがいる限り、フローラには手を出させないから安心して」


「ああ、頼んだ。じゃあまた明日な」


 手を振るセレシアとフローラの姿を背中越しにして、エースは夕食の買い出しへと出ているミストの荷物持ちへ向かうべく、やや急ぎ目に校長室から遠ざかっていった。

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