第5話 非日常の訪れ
パードレから生徒を襲う人物がいる、という情報を受け取ったその日の放課後。授業を無事に終えたエースとミストは、購買で買ったアイスを片手に校内のベンチに2人並んで座ってのんびりしていた。
「いやぁ……今日も暑かったなぁ」
「まぁもうすぐ7月だしね。いやでも夏の近づきを実感するよ」
「分かる。みんな夏服だもんな……」
まだ6月の終わりだというのにすでにうだるような暑さを何日か経験しているという事実に、このままいくと今年の夏はいつもより暑くなりそうだなぁ、とややぐったりしながら考える2人。着ている黒系統の色の夏用シャツに汗のシミがべっとりとついていることからも、今の暑さを感じ取ることが出来る。
「夏は嫌いだ……。氷属性の燃費悪い……」
「確かに夏は溶けやすいもんね」
「お前はいいよなー、季節選ばないから」
「いや僕だって落ち葉の多い秋には風で落ち葉が舞い上がって苦労することがあるよ」
魔法はその効力を場所や自然条件に左右されてしまう、ということは、魔法を使用する上では必ず頭に入れておかなければならないことである。そして育成学校で魔法学習をする前にそれを叩きこまれるほどの基本的なことでもある。
例えば、エースの使用する氷属性魔法。気温の低い冬や寒い地域で使えば魔法による盾などの造形物がいつもより壊れにくくなるが、暑い地域や気温の高い夏に使うと脆くなり壊れやすくなる。
ミストの使う風属性魔法は季節や温度に関する制約はないものの、使用場所によっては砂塵や落ち葉が舞い上がって視界が悪くなったり、周囲のものを吹き飛ばしたりしてしまうことがある。それを逆手にとって目くらましとして使うことも可能ではあるが、あまり好まれる方法ではない。
今は初夏の時期なので、エースにとって少々辛い季節ではある。
そしてそれとは別に、思春期真っ只中の男子生徒という点においても、ある意味辛い時期でもある。
「話変えるし、こういうこと言うと変態にしか聞こえないけどさ、最近スプリンコートさんとプラントリナさんの半袖姿が目に劇薬なんだよなー……」
「確かに変態的思考だけども同意するよ。目のやり場に困り始めてきた」
「まぁ俺らもう17だしな。立派に大人の階段上り始めてるわけだし、そうなってもおかしくはないけども……」
──それでもやっぱり目に劇薬だなー
エースがそう思ってしまうのは、ひとえに4人の付き合いが長いからである。
いつもの4人が出会ったのは中等部時代で、入りたての頃にエースとフローラが同じクラスということでつながりが出来たのがきっかけだった。最初はエースとフローラだけだったものが、エース繋がりでミスト、フローラ繋がりでセレシアが入って来て、エースとミストが双子だとバレてしまった今でも、こうして良い関係を保っている。
それ故に、年月の経過はいつも集まるメンバーを見るとよく感じるのだ。特に、エースやミストから見たフローラとセレシアの姿の変化は著しかったように思う。
性格に関しては変わらずセレシアが明朗でフローラが穏和という対照的な性格。好みや嫌いなものは割と似ている。体つきも似ている。もっと言えば──
「──あ、ダメだ。このままいくと俺変態から戻ってこれなくなる。話題を変えよう」
「エースが変態から戻ってこれなくなるなら、それはある意味成長として歓迎すべきなのか、それとも止めるべきなのか」
「止めろよ。実の兄が変態とか、絶対嫌だろ」
「うーん……それはそうだけど、ポジティブに考えようかと」
「そのポジティブさいらん。普通に考えろ」
面白がってボケるミストに対して突っ込むエース、という構図。季節も時間も場所も問わずに繰り広げられるそれは、エースの気力を奪うには十分だった。
疲れた表情を見せた後、エースはベンチから立ち上がった。
「まぁいいや。俺はそろそろ教室に戻る。買い出しは後から追っかけるわ」
「分かった。絶対にすっぽかさないでよ」
「何事もなければな。朝の話のことだってあるわけだし」
「そういう時は説明してくれれば問題ないでしょ」
ミストが立ち上がり、最後にまた後で、と言って、2人はそれぞれに背を向けて歩き出した。
* * * * * * *
教室へと戻ろうとしていたエースが異変に気づいたのは、高校棟の階段を教室のある3階まで上りきった時だった。
きっかけは偶然目を向けた場所──屋上へと続く階段の方から、手すりを伝って水が垂れてきていることに気づいたことだ。
「なんでここに水滴が……?」
視線を上げた先に見える天井からも、時々水滴が滴り落ちてきているという事実。
どう考えても普通ではないと考えたエースは生じた疑問の答えを見つけに、予定の階を通り過ぎ、濡れた手すりを辿って屋上へと向かう。階段はこれまでと同じ段数なのにも関わらず、やや長く感じたのは何故か嫌な予感がするせいなのか。
階段を上りきると、そのすぐ右に水が少したまっていた。転落防止のためにある腰ほどまでしかない壁には、何かがぶつかって飛び散ったような様相を見せている。
「ここでこんな飛び散り方するんなら、発射されたのはこの扉の向こうからか……?」
推理をするエースの視線の先には、屋上のスペースへと通じる扉。今は締まり切っている。
その扉は、隔てられた先の光景を確認しようとしたエースが引き開けようとしても、全く動かなかった。
おかしいな、と思い、また同じことを全力でするが結果は同じ。鍵は今エースがいる側からしか閉めることが出来ないはずなのに鍵がかかった状態である、という事実が、エースの嫌な予感を現実へと近づけていく。
外から封じられてびくともしない扉に難儀し、エースは次第に焦り始める。薄い扉一枚で隔てられた向こうの空間にて起こっていることを確かめたくとも、学校の扉では安易に破壊することも出来ない。
氷属性の魔法によるものだろうという予想はついている。だが氷そのものに触れられない状況では、エースの手では解除が出来ない。
「あれ、フォンバレンくん?」
「プラントリナさん!? これ、開けれる?」
そんな打つ手なしのエースの元にジャストタイミング、とでも言いたくなるほどに、最適な人材──セレシアが現れた。エースの必死さを感じさせる形相に、セレシアは首を傾げる。
「ど、どういうこと?」
「開かないんだよこの扉。鍵はこっち側だから、多分外から凍らされてる」
「うええ……? よく分かんないけど……分かった。フォンバレンくんが扉を押して、あたしがあっためればいいのね?」
「理解が早くて助かる」
セレシアが扉を温めつつ、エースが扉の取っ手を引く、という適材適所での共同作業を開始する2人。最初はエース1人の時と同じようにびくともしなかった扉も、あっためられたことで反対側で固定していた氷が溶けたのか徐々に動く素振りを見せ始め……
「うおっと!?」
「開いた!!」
全力で開けたエースがよろけるほどすんなりと、扉は完全に開かれた。
「……!!」
「マズい……!」
そしてその先に映ったとんでもない光景に、エースとセレシアの中で切迫感が生まれる。
「ふぐ……んん……」
2人の視線の先、屋上の中にあったのは、首を絞められながらも必死にもがくフローラの姿。窒息するまいと相手の手をどかすことに全勢力を傾けているため、エースとセレシアの存在にはまだ気づいていない。
しかし、絞めていた側のローブを纏った人間は扉が開いたことでこちらに気づいたのか、フローラの首から手を離してこちらへと向かってきた。長い袖の下からは、微かなきらめきが見え隠れする。
「相手は俺がするから、その間に頼む!」
「分かった!」
それが剣であることにいち早く気づいたエースが、得意の高速造形で剣を作り出してその刃を防いだ。高速であるためやや強度には欠けるが、今はこれでも十分だ。
その横をすり抜けるようにして、セレシアが疾風の如き速さでフローラの元へと向かう。ローブ姿の相手はそれを阻止しようと、エースの剣を弾いた隙に手を向けてそちらへと魔法を放とうとするが……
「お前の相手はこっちだっての」
出来た大きな隙を見逃すはずがないエースの渾身の回し蹴りによって、相手は黒のローブをはためかせながら横にすっ飛んでいく。今まで黒ローブで遮られていたその向こう側には、絞められていた首が開放されたせいでむせているフローラと、彼女を介抱するセレシアという緊迫した状況下でも微笑ましく思える姿があった。
「フローラ、大丈夫!?」
「う、うん。ありがとう」
しかしながら、フローラは一時的に助かっただけで、また同じようなことになる可能性がゼロにはなったわけではない。
エースがその場でセレシアとフローラの方向を向いているという隙しかない体勢でいるのにも関わらず、相手はうめき声の一つも漏らすことなく立ち上がった後、エースには目もくれずにフローラの方へと向かっていた。
「あくまでも狙いはそっち、ってことかい」
その様子は当然エースの視界に自動的に入る。相手がそこそこ早い上に元々広くない空間なので、エースが接近するよりも早く相手がフローラの元に到達してしまう。
だが、二度同じ目には合わないだろう。今のフローラの元には、頼れる少女がいる。
「こっちに来ても無駄よ。『ブラム・バースト』!」
セレシアの適性である火属性に分類される魔法の中で、そこそこの威力を誇る爆発系統の魔法。
殺傷しないようにと気遣いが出てしまったのか、使用されたのはその中で最低の威力である『ブラム・バースト』だった。ローブを纏った相手は真正面からの魔法をくらい、まるで反発しあった磁石のように吹き飛ぶ。
しかし、威力の低いものを使ったせいで相手に与えられたダメージは多くはなく、攻撃を受けたローブ姿の人間は受け身をとることに成功していた。
そして数秒間、エースとローブ姿の相手の間でにらみ合いが続く。どちらが先に動くか、相手の出方を伺いながら時間は少しずつ過ぎていき……
少し経ってから先に動いたローブ姿の男が、懐から取り出した何かを投げつけた。
地面に叩きつけられた球状の物体は、割れてその中身をまき散らす。急に発生した眩い光と大きな音はその場にいる全員の視界と聴覚を遮り、同時に行動の制限を強制的に課した。
「あ、おい待て!!」
その中で逃げる足音がすることに微かに気づいたエースがワンテンポ遅れて動こうとするが、眩しさでまともに目が明かないために身動きが取れない。どちらが逃げた方かも分からず、ただその場にいることしか出来ない。
そして時間だけが過ぎ去り、光が収まった後には、嵐の後の凪のように静かな日常が屋上へと舞い戻ってきた。
事が終わったと感じたエースは、ひとまず無事を確認すべくフローラの元へ駆け寄った。
「スプリンコートさん大丈夫?」
「う、うん……」
その顔にはまだ少し恐怖が残っているようにも感じられるが、とりあえず落ち着きは取り戻している様子だ。それを見てこれなら大丈夫だろうと考えたエースの心にも、偽りのない平静が訪れる。
「ねぇ、今のって何だったんだろう」
「俺にも分からん。校長から、最近生徒を襲うやつがいるとは今朝聞いたけど、それは依頼帰りの生徒だけで、フローラはその例からは外れてるしなぁ……」
「そこら辺の細かい事情はまぁ気になるけど……そもそもなんでフローラが襲われたの? そんなこと、フローラはしないよ……?」
どこか自分に言い聞かせるようにも聞こえるセレシアのセリフ。それにはきっと、祈るような気持ちが含まれているのだろう。エースもフローラの人となりは十分に理解しているが、それが可能性の全否定を成しえないことも分かっている。
「俺だって恨みを買うような人物じゃないってことは知ってるよ。でも、相手が襲った原因が恨みではなく妬みだったとしたら、本人の性格関係なく買ってしまうことは十二分にありえてしまう」
「それってつまり……?」
「これ俺の口から言えることじゃないから差し支えない表現にさせてもらうけど、妬みを買ってしまえるほど優れたものが、スプリンコートさんにはあるってこと」
「それなら、確かに襲われても……」
セレシアがエースの発言の意味を理解したのか頷き、その後すぐに自分の言葉にハッとしてすぐにフローラの顔を見る。エースの事実を述べた発言により曇り始めたフローラの表情は、発言したエースにとっても、見るに堪えないものだった。ただ、エースにも非がないことを分かっているセレシアは誰も責めることなく、そっとフローラに寄り添った。
「大丈夫だからね。誰かが妬んでこんな非道に走ってたとしても、あたしが守ってあげるから。あたしはずっとフローラの味方だから。心配しなくてもいいよ」
「うん……」
久しく見なかった、泣きそうな顔のフローラ。そんな彼女を優しく包み込むような言葉をかけ、静かに抱きしめるセレシア。
屋上を吹き抜ける風が髪や服の裾を揺らすその姿は、夕陽に照らされていることもあり、どこか美しく、儚いものに見えた。
そして、その重なり合う姿に対して働いたエースの感性は、後々になって真っ当なものであったと、知ることになる。
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