第2話 3人のんびり帰り道
迷宮から学校への帰り道、というよりも各所から学校に帰ろうとするとその道中にてほぼ確実に寄ることになるのが、この温泉町であるカリダスである。
エースと同じ学校の学生たちが依頼の帰りに多々寄る場所であるため、普段は同じ依頼帰りの同校生に会うこともある。時々一方的に突っかかられたりすることがあるのだが、今日は人が少ないのか同校生に会っても突っかかられることはなかった。
ということでひと悶着もなく安全に温泉のある施設にたどり着いた3人。中に入ると、今が夕方であるためか人は多かった。
「やっぱ中は多いのな」
「すごくもわっとするね」
「みんなどこかから来たのかな?」
エース、ミスト、フローラの順に三者三様の一言を述べた後は、これまで来た時と同じように靴を脱いで靴箱に入れ、まずは真正面の受付へと向かった。
「3人分、お願いします」
「はい、3人分。これタオルね」
「ありがとうございます」
代表してミストがタオルと鍵を3つ分、受付の初老の男性から受け取り、少し離れたところで配分する。
この後は浴場へ向かうことになるが、もちろん倫理観の問題から男女の浴場は別であるため、男2人女1人の構成である今回は、必然的にフローラが1人での入浴となる。
んじゃまた後でなー、というエースの声を聞いたあと、少しだけ湧いた寂しさを抑え、フローラは一人女湯の方へと入っていく。脱衣室へとたどり着くと、身に纏う衣服を順に脱いでいった。
そうして素肌を隠す一切のものがなくなった後に現れたのは、凄まじくとまではいかなくとも、同年代と比べると抜きんでたスタイル。服装を間違えようものなら一斉に視線を浴びること間違いなしの体が、今は惜しげもなくその姿を晒している。それを1枚のタオルで前側だけ隠しつつ、フローラは浴場へと入っていった。
開放感のある広い浴場は、奥に湯があり、手前が体を流す場となっている。
まずは慣習に倣って体を流す方へと向かい、椅子に座った後はやや癖のついたミディアムウェーブヘアはその毛先まで、迷宮に潜って匂いや汚れがついた身体は手足の末端まで、これでもかというくらいに念入りに洗っていく。
そして洗い終わったあとには髪を癖がつかない程度に軽くまとめてから、奥にある温泉にその身を浸からせた。肩まで湯に浸かった瞬間に、体から一日で溜まった疲れや汚れが一気に剥がれ落ちていく感覚を全身で感じる。
「はぁ……生き返る……」
自分でも年寄り臭いと思うようなセリフを、湯に体を沈めた状態で口にするフローラ。もしこの言葉をミストが聞いていたならば、おばあちゃんみたいだね、と言われそうではある。
とは言え、今の感覚を的確に言い表そうと思えば、このセリフしかなかった。
──今日も疲れたなぁ……
夏であるため大きく開かれた天井。そこから見られる星空を仰ぎながら、フローラは色んなことを考える。
日帰りではあったが、迷宮に3人でこもっていたフローラたち。いつもはもう一人同級生の女子がいて4人で様々な依頼をこなすのだが、その間ちゃんと役に立てているのかな、と、不安になってしまうのがいつものことであった。
それ故に過去に1度だけ、気になって聞いたことがあった。自分はちゃんと役に立っているのか、と。
同級生の女の子は「当ったり前でしょー」と笑顔で、ミストは「いてくれる方が安心できる」といつもの優しげな顔で、エースは「いてくれるから全力出せる」と明るい表情で言ってくれた。
フローラにとってはその言葉が嬉しかった。
自分が周囲からサポートのスペシャリストと言われていることは知っているが、フローラ自身は自分のことを1人では戦闘の出来ない置物のようなものだと評価している。必ず誰かについていかなければ依頼すらこなせない生徒だ、とも思っている。お化けが苦手で、攻撃魔法が使えない。他の人からしてみればそれだけでしかない要素でも、フローラ自身からしてみればスペシャリスト要素をかき消す十分なディスアドバンテージなのだ。
それ故に、自分を頼って色んな所に連れて行ってくれることは嬉しい。それはエースたちだけではなく、他のグループの人たちと行くときも同じである。
しかしながら、同じ嬉しさでも程度はきちんと存在する。フローラがこの嬉しさを一番よく感じるのはエースといる時だ。適当に依頼を選んでいるせいなのか、同じ場所に行くことはあまりない。時折やや遠い場所になり移動することも苦労が伴うことがあったが、フローラにとってはそれでも楽しいし嬉しい。何故一番嬉しいのか、その理由は至極簡単だ。
フローラ・スプリンコートという少女は、エース・フォンバレンという少年に片想いをしているのだ。もう3年近くにもなるその想いは、相手が世間一般で忌み嫌われる双子であろうと関係なく、ただ好きな気持ちがあれば十分だと思っているからこそ続いたもの。
だが、その恋を成就させることは難しいことをフローラは嫌というほど分かっていた。エースに向けられている視線の多くは、決していいものではない。彼自身の性格を悪く言うつもりはないが、はっきりとした物言いや、同級生たちよりも大人びた雰囲気もあって浮きやすく、評判は悪いものが目立つ。それ故に、エースはきっと自分を受け入れることはないだろう。例え自分がなけなしの勇気を振り絞って想いを告げたとしても、だ。
エースが優しいことを、フローラは十分に理解している。だからこそ、その切なさで心を締め付けられる。今のままの関係が一番いいんだ、とも思ってしまう。
その一方で、この想いを叶えたいと思っている自分も確かに存在している。相反する2つの思いが、フローラの中でせめぎ合う。
恋する乙女の悩みは解決する様相を見せることもなく、フローラは空を見上げながら、一人ため息を吐いていた。
* * * * * * *
一方その頃、壁を挟んで反対側、作りは女湯と左右反対の男湯。すでに身体を洗い終えたエースとミストは、温泉に並んで浸かりながら話をしていた。
「今日も疲れたね」
「そうだなぁ……」
こちらも1日に溜まった疲れをほぐしていくように、のほほんとした空気が流れている。いつもは互いに言い合いをすることもあるが、こうして穏やかな空気を作り出すこともある。
「そういや、今日プラントリナさん来れなかったのなんで?」
「今日は別の依頼なんだってさ。何でも、小さい子向けの魔法教室だとか」
「なるほど。確かに似合いそう。子供好きって言ってたし」
2人の会話に出てきた『プラントリナ』という姓。普段学校にいる時には同じクラスで授業を受けることもある、セレシア・プラントリナという女子生徒のことだ。いつもは彼女を加えた4人で行動することが多いエースたちだが、彼女とて一個人である。今日のように別行動をすることもあり、必ずしも4人が揃うわけではない。
だが、その一方で、エースとミストだけは何があっても揃ってしまう。それは彼らがすでに双子であるとバレてしまっていることの裏返しでもある。エースだけ、ミストだけが別のチームに入ることは、今はほとんどなくなった。
フローラやセレシアのように友好的な付き合いをしてくれる人は少数だが、ならば大多数が2人のことを忌み嫌うかというと、そういうわけでもない。
忌み嫌うのはだいたい3割ほどの生徒であり、残り7割のうち6割弱はその場に合わせて取り繕い、1割強が程度の違いはあれど友好的、という感じになっている。つまりは、敵とも味方とも言えないような存在がいるのだ。
「ねぇ、エース」
「どした?」
「君はスプリンコートさんのこと、どう思ってるの?」
「……だいぶ唐突だな」
唐突なミストからの質問に、エースが表情を変えることはなかった。ミストの聞き方が真剣だと分かれば、エースも真剣に考えるしかない。
「そういうの、よく分からないからなー……。今はまだなんともいえない。好きなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。一緒にいて楽しいとは思うけど」
「それって立派な『好き』ってことだよね」
「どうだかな。自分の中では答え出せないっぽい」
それでも出されたエースのはぐらかすような答えにミストが苦笑交じりに言葉を返すと、エースは目線を逸らしてそう言った。その目は、どこか悲しさを感じさせる。
「ただ、これだけは言える。もし誰かを好きになったとしても、その想いを伝えることは出来ない」
「……そうだね。運命だから。どれだけ抗っても目の前にあり続けるものだからね」
悲しい現実は、今もなお残り続ける。時代がどんどん理解へと向かって行こうと頑張っていても、根付いたものはそう簡単に消え去りはしない。少なくとも、エースとミストが生涯を終えるまでになくなることはないだろう。
それはつまり、今自分の中にある想いがどのような形になろうと、それを伝えるチャンスはやってこないものである、ということだ。皆に愛されながら生き続ける少女と、疎まれながら生き続ける少年。その関係は近くとも、隔てる壁は厚い。
「そろそろ上がろうぜ。早く帰らないと夜道は大変だからな」
「ああ、そうだね。そろそろ上がるとしよう」
重くなってしまった空気から逃げるようにして、2人揃って温泉から出る。その後きちんと体を拭いてから浴場を出て元の制服姿に着替え、男湯と女湯の分かれ道まで戻る。
そこから見えた右前方にあるそこそこ大きめのフリースペースには、他の客も何人か見られた。
小さな売店でコーヒー牛乳を買った2人は、近くの小さなベンチに腰掛けて休憩することにした。
「いやぁ……さっぱりしたあとはこれに限るね」
「それは違いない」
2人揃って瓶のふたを開け、一気に飲み干したその姿。性格の違いを感じさせない程、非常によく似ている。
似ているからといって誰かがそれを追求することはない。疑わしきは避けて歩けばよく、そもそも彼らの知り合いはここにはほとんどいないのだから、誰かが話しかけてくることはない。
たった1人、彼女を除いて。
「お待たせー」
「お、早かったなー」
「僕らも今出たところだよ。もう少し落ち着いてから出る予定だし、スプリンコートさんも何か買って来たら?」
「じゃあ、そうするね」
湯上がりでいつものリボンカチューシャを身に着けていないフローラに対して、空の瓶を手に持ちながら提案する2人。
その提案に乗ったフローラが自分の飲み物を買いに行ってから程なくして、どっちがその空の瓶を返しに行くかという話をしていた。
「さて、どっちが返しに行く?」
「いつものようにじゃんけんで決めるか」
「連敗中だけど大丈夫?」
「大丈夫だよ。じゃあいくぞ、じゃーんけーんぽん」
「また僕の勝ちだね。エース行ってらっしゃーい」
「ちくしょう、これで何連敗だっけなぁ……」
じゃんけんに負けたエースは空の瓶2本を返しに行くべく渋々立ち上がり、先ほどの店まで向かった。
この温泉の売店の売り場面積は決して広くはないが、飲み物の種類は10種類とそこそこ多い。そのどれを飲むか迷っているのか、ガラスケースを目の前にして悩んでいるフローラの姿が店内に見えた。
瓶を返すついでに、エースは後ろから声をかけてみることにした。
「すごく迷ってるな」
「種類が多くて……。フォンバレンくんは何にしたの?」
「俺はいつものようにコーヒー牛乳だよ。他に飲みたいのないし」
「じゃあ、私もそれにしようかな」
「払おうか?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。りょーかい」
自分で自分の飲むコーヒー牛乳の代金を払うフローラをおいて、エースは先に元座っていた場所へと戻る。
そこで待っていたのは、よく見るミストの意地悪な笑みだった。
「ふられたね」
「なんでそうなる」
帰ってくると、やはり投げかけられたミストのからかいに対して半自動的な反応を返して、エースは椅子に座った。一度落ちた視線が元に戻ったその先に、買い終わったのかこちらへと向かってくるフローラの姿が見える。
それから数分間、他愛ない会話を交わして休憩を十分にとった3人。夜の帳が落ち始めていた温泉から学校までの帰り道を辿って、汗をかかないよう戦闘を避けながら歩いて帰るのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます