女神に捧げた氷戦(アイストラグル)
一考真之
第一章:咲かない蕾が咲かせる願い/繋ぎゆく想いのMedley
第1話 異例な双子
薄暗い迷宮の中をひたすら歩いて進む、1人の青年。
左手に持つ消えかけの松明が照らし出すのは、やや癖のついた、かなり黒みが強いダークブラウンの髪型と、深海のような濃い青を宿した少し釣り気味の目。姿だけならやんちゃにも思える風貌だが、纏う雰囲気からはそのようなものは微塵も感じられない。
彼が身に纏っているのは、半袖の黒いカッターシャツに白いズボン。胸元に入っているデザインの凝ったエンブレムは、彼が魔導士育成学校に関わりのある人物であることを示している。
その右手に握られているのは、護身用であろう1本の剣。その剣はよくよく見れば鉄ではなく氷の刃を携え、一切の汚物をその身につけることなく、また近くの松明に屈することなく半透明の輝きを放っていた。
「あーしまった……マジックペーパーの残りないんだった……」
迷宮に少し反響する、自身の失敗を嘆く声。
声の主である青年――エース・フォンバレンは、左手に持っている松明の火をつけ直そうとして、その類が自身のズボンのポケットにないことをたった今理解させられたのだった。
エースを含め、この世界の人々のほとんどは魔法を使うことが出来る。しかし、エースの魔法では火をつけることは出来ない。それは、エースの使用できる魔法――適性と呼ばれている――が氷属性だからである。
一応、魔法陣を書いた紙『マジックペーパー』を使うことにより、自分の属性が何であろうとその魔法陣に対応した魔法を発動することは出来る。だが、紙に魔法陣を書くという準備が必要な実質使い切りアイテムであるため、今のエースには作ることが出来ない。
「頼むから合流するまで持ってくれよ……」
住み着く魔物の討伐のために進んでいる薄暗い地下迷宮を、松明なしで進むのは無謀以外の何物でもない。
この松明の火は、突入時にまだあると思っていた着火手段でエース自身がつけた火であり、もう着火手段を持たないとなるとは合流するまで頼りない灯火に頼るしかない。魔物との戦闘になり、それが長引きでもすれば消えてしまう可能性は決して低くはないだろう。
そして、そのことを出てくる魔物が全く考えてくれないのだから、現実は過酷である。
「ヴゥゥゥ……」
エースの視線の先にある何も見えない暗闇からうめき声のようなものが聞こえたかと思うと、やがてそれの発生源であると推測される魔物、『デッドリビング』が現れた。
迷宮で死んだ人の怨霊が魔力を纏って形を成し、異形の怪物と化したとも言われている魔物である。本来ならば光属性魔法を使用して屠るのが手っ取り早いのだが、ない袖を振ることは出来ない。
そして、厄介な魔物が3体も目の前にいて、松明の火が乏しい状況でも、この魔物を倒すのは今日の仕事である。エースは渋々ながらも戦闘に突入した。
「灯りが消えないことを祈るか……。『リオート・バレット・レイニング』」
松明の火が心配なので、掌の中に収まる剣は使わず、エースは空中で冷気を凝縮させて氷の礫を作り出す。氷属性のオーソドックスな攻撃魔法である『リオート・バレット』の派生魔法『リオート・バレット・レイニング』はエースの呼びかけに答えて現世に氷の礫を大量に作り出すと、重力に逆らう雨の如く真っすぐに放たれる。
魔物を構成するのは魔力である。彼らはその発生源である核をどこかに持ち、全身に行き渡らせていることで生き長らえている。
そのため、魔物の魔力の流れを妨害できる魔法攻撃は非常に有用である。核を貫けば一発、そうでなくても魔法攻撃で流れを妨害し続ければ、人間の出血多量と同じような原理で魔物を倒すことが出来る。
しかしながら、エースの遠距離魔法の命中率はさほど高いとは言えないのが現状であり、3体のうち2体にしか当てられず、また倒せなかった。
残った1体はエースを見ながら、非常に遅い動きでそちらへと近づいている。
もう1度当てるべく、発射体勢を取るエース。頭の中に『また外したの? って言われそうだなー』という、ここが死と隣り合わせな場所であるとは全く理解していないような、緊迫感のない思考を抱えながら、詠唱を始めようとしたその瞬間。
エースの背後から、足音が響いてきた。迷宮の壁に反響するせいで近づくにつれて際立つその音は、エースにとって嫌な足音にも、救いの音にも聞こえていた。
「もう少し工夫というものをしたらどうかな、エース」
「松明がもっとまともだったら、とっくにぶん殴ってる」
「答えになってないけど……まぁいいや。『ヴィント・ブレイドウェイブ』」
エースの背後から飛んだ風魔法がリビングデッドを容赦なく切り刻み、リビングデッドの体を構成する魔力が形を維持できずに霧散する。
そうして、少し騒めいた迷宮の中は、再び静けさを取り戻した。
「ふぅ、助かった。松明、もう結構ヤバそうで」
「だからあれほど言っただろう……。ペーパー切らしてないか確認しておいた方がいいよって」
「はい、すんませーん……」
先ほど魔法の飛んだ方向から現れたのは、男女1人ずつのペア。エースに向けて話しかけているのは、松明を持った青年――ミスト・スプラヴィーン。風属性魔法を操る少年で、エースとは違って遠距離攻撃の方が得意である。
その容姿に目を向けると黒味の強いダークブラウンの髪色や、顔立ちはエースのものと非常によく似ている。
それもそのはずで、エースとミストは双子の兄と弟の関係にある。瞳の色と使用属性を除き、ほとんどの容姿が同じだ。違いが分かりやすいように分け目などの変えられる要素は変えているものの、気にしなければほぼ同じである。
2人の姓が異なるのは、この世界における双子――もっと言うと多生児は、忌まれる存在だからである。エースは父親の姓を、ミストは母親の姓を使うことで『姿のよく似た他人』という体で、今日までの日々を過ごしている。
「というか、スプリンコートさんと一緒なら2人の分共有でよかったんじゃ? 手分けしたのに何で一緒なんだ?」
「……エース、もしかしてヤキモチ妬いてるの?」
「違うっての。気になっただけ。そこんとこ知らないとミストにやられっぱなしでなんかイラつくから、説明頼む」
「だってさ。理由、説明してあげてよ」
エースとミストの視線が、ほぼ同じタイミングで1人の少女に向いた。
2人に『スプリンコートさん』と呼ばれたその少女の名前は、フローラ・スプリンコート。柔らかい金色のセミロングヘアに淡いピンクのリボンカチューシャを付け、水色の瞳をしたその顔は、まさに迷宮に咲いた一輪の花と言っても差し支えない。加えてセーラー服を模した夏用の白い制服を着ていても分かる起伏に富んだ身体とくれば、異性を魅了すること間違いなしだろう。
そんな彼女の性格は、一言で言えば穏和。戦場となり得るこのような場所にいるよりも、街の片隅で花を愛でたり本を読んでいたりする方がお似合いである、とエースもミストも思っている。
その一方で、彼女の回復・支援・阻害魔法に助けられている部分も多くあることを、2人はよく理解している。水属性自体が攻撃よりも支援に向いていることもあり、彼女の頭の良さをフルに生かしている。特に、回復魔法に関しては、エースの氷属性もミストの風属性も支援系の魔法は使えても回復は出来ないため、非常に重宝している。
そんな容姿端麗で成績優秀、そしてサポートのスペシャリストと様々な褒め言葉が投げかけられ、様々なグループに引っ張りだこな彼女にも、もちろんダメなものはある。
「えーと……それは……オバケが怖かったから」
「あー、そういやオバケ苦手って言ってたっけ」
そう、フローラはオバケが大の苦手である。そのため、迷宮では必ず誰かと行動しないと怯えて動けないのだ。その弱点は自他共に認めているものであるため、フローラは必ず誰かに力を借りる。今回もミストに協力を仰ぐことで、どうにか迷宮探索をこなしていたのだった。
「まぁとりあえずここの魔物は大体片付いたし、そろそろ地上に戻ろうか。日が暮れないうちに帰れるといいけど」
「そうだなー。出来るだけ明るいうちに帰りたいな。夜はゴースト系が増えるし、そもそも魔物も生き生きしてるしなー」
「なら早く帰ってあげないとね。いやこの場合はつり橋効果を期待して遅く帰るべきか……?」
「……ホントそこんとこよく頭回るよな、ミストは」
「それが取り得なもので」
ニコニコしながらエースの嫌味っぽい言葉にこれまた嫌味っぽい口調で返すミスト。どちらも本音でありながら、互いを信頼しているから言えるものである。生まれてから今日まで苦楽を共にしてきた、という事実が作り出した強固な信頼関係だ。
「お、光が見えてきた」
エースを先頭に3人が地上への階段を昇り切り、出口の先に見えたのは、沈みかけの夕陽が山々の間から顔を覗かせる光景だった。オレンジ色に照らされながら、3人はその光景をしばらく見つめていた。
その間場を支配していた沈黙を破ったのは、ミストの何気ない言葉であった。
「そうだ。2人とも、今日はいつもの温泉に寄っていかない? 迷宮の中、じめっとしてたし」
ミストの提案に、しばし考え込む2人。いつもの温泉というだけあって寄り道のしやすい場所にあり、非常に魅力的な提案ではあるが、先に帰った方がゆっくり休めるかな、という思いがエースの中には少なからずある。
「温泉かぁ……。さっぱりして帰るのもいいかもね。帰り道に魔物に出会わないといいけど」
フローラのその言葉に同意の発言を返そうと口を開いたエースだったが、考えが音となる前にミストに発言を遮られる。
「エースには選択権ないよ」
「え? は? なんで?」
「なら逆に聞こう。エースはもしお嫁さんが温泉に行きたいと言ったら『勝手に行ってこい、俺は行かない』という薄情な男なのかい?」
「いやそれは一緒に行くけども……って何故お嫁さんの話」
「それは言わずとも分かるだろう?」
「分かるわけないだろいきなりすぎて」
からかわれていることは分かるが、その内容までは理解できずにミストとの言い合いを繰り広げるエース。
「お、お嫁さん……」
その横では、フローラが顔から湯気が出そうなほどに顔を真っ赤にさせたままその場で固まっていた。一言も発しないその姿を心配したのか、言い合いを止めたエースとミストが少し距離を開けながらもその顔を覗く形になる。
「おーい? 大丈夫?」
「顔真っ赤だけど」
「えっ? あっ、うん。大丈夫……です」
「なんで敬語?」
しどろもどろになりながらも言葉を紡ぎだすフローラの姿に、首を傾げながらも深く追求せず敬語になった理由だけを問うエース。その光景を見て、どこか悪魔のものにも見える微笑みを携えるミスト。
理解できずに困惑する兄とすべてを理解して少し弄ぶ弟、という両極端な構図を作り出した双子を含む一行は、ミストの提案通りによく寄る温泉のある村へとその歩みを進めるのだった。
この大陸最高峰の魔導士育成学校であるサウゼル魔導士育成学校に通い、生徒として魔法の勉強をしながら、魔導士として地域住民から集められる依頼をこなす。故に時には、学生の身でありながら死と隣り合わせの環境に飛び込むこともある。
それが、この世界で生きる魔導士たちのほとんどが通る道である。無論、それはエースとミストも同じだ。
しかし、ある重要な1要素――双子であるということが、2人の人生を大きく捻じ曲げている。
――この世界に生きるものの多くが、いつか知る話がある。
それは『昔、人は必ず一度に一つの命を授かることが当たり前とされていたこと』だ。
回数こそ人それぞれではあるものの、神からの授かり物は等しく一度に一つのみであり、それに則った授かりは、自らが神に見守られし人間であること、人間であり動物とは一線を成すものであることへの証明であった。
それ故に、同時に2人以上子を産むことは人であることに疑いをもたらし、神に背いていることの証明であるとも言われた――
が、皆が揃って本当にそのような反応をしていたわけではない。一度に多く授かったことを普段の行いの見返りとして喜ぶもの。普通ではない生まれを訝しみ、疎むもの。故に扱いも人によって異なり、差別は文化や伝承として伝わることは、まだなかった。
しかし、ある一つの出来事を境に、様々だった扱いは暗転の方向に揃ってしまう。
それは、王家に生まれた同い年の兄弟が権力争いを始め、それが周囲を巻き込んで巨大化した後、最終的に国中を巻き込んだ大戦争と化したからであった。その戦争は国民の生活に多大な影響を及ぼし、国は困窮。貧しい暮らしに嫌気がさした人の多くは、ストレスのはけ口と言わんばかりに、罵詈雑言を同い年の兄弟がいた王家へとぶつけた。
その国が他国に領土を奪われる形で滅んだ後から、『一家の安寧、成長を望むのであれば一度にたくさん子を産むべきではない』という言い伝えが広まり、双子やそれ以上を一度に生むこと、同じ年の子供を抱えることを、争いや不幸の種として忌み嫌うようになっていった。
故に、この世界で同時に生を受けた者たちは、何かを偽り続けなければ普通には生きていけない。いくら国の王に理解があろうと、学校の長に理解があろうと、人殺しが罪であろうと、根付いてしまった言い伝えはそう簡単にはなくならない。だから苗字を変え、その出で立ちを偽ってまでも、普通に生きようとした。
そんな話の残る世界で、同じタイミングで生を受けたエースとミスト。
2人もまた、自分たちの人生よりも遠い過去に、少なからず苦しめられていた。
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