三周年記念イベントの

楸 茉夕

Thank you for the 3rd anniversary!

 見慣れた町並みが目の前に広がっていた。

「……え」

 ここは鳥をモチーフにした種族の国なので、そこここに羽根や翼を意匠化した装飾が施されている。下がっている国旗の紋章も翼と杖だ。この種族は魔力が強い。

 城門を入るとすぐに広場があり、それを囲むように宿屋、酒場、武器屋、道具屋などが並ぶ。今は広場が風船や花、様々なガーランドで飾り付けられ、中央には「Thank you for the 3rd anniversary!」の横断幕が掲げられていた。今日からこのMMORPGの三周年ウイークなのだ。

 広場から真北に延びる大通りを行けば、王城がある。入口に設備が集中しているので便利だからと、ログイン後まずここへファストトラベルするプレイヤーは多い。彼もその一人だ。

 問題は、今彼が見ているのがゲーム画面ではなく、現実に感じられる風景だということだった。

「ええー!」

 叫ぶ。周囲にいる人々は気にも留めない。たくさんいるはずなのに妙に静かで、聞こえるのはやはり聞き慣れたBGMだ。

「なにこれー!」

『何叫んでんのファーさんw』

 ぽいん、と軽快な音と共に緑色の吹き出しが目の前に飛び出した。フレンドチャットのウインドウだ。

「うお! 文字! 文字が!」

『文字? 何が?』

「チャット!? チャットかこれ!」

『ええ……何、今日はそういうプレイ?w』

 今度は、ぼいん、とちょっと低い音がする。

 ≪今日、“千尋の谷”のクエストに行く人、ご一緒しませんかー?≫

「こっちは全体チャットか!」

 改めて周囲を見回せば、遠くにぽつぽつと吹き出しが浮かんでいる。聞こえない範囲で打たれた全体チャットだろう。

「ドロさん! お、おれの! おれのウインドウどうなってる? フレンド? パーティ? 全体?」

『全体だけど……ほんとにどうしたのファーさん』

 ちょいちょい、と視界に揺れる物があったのでそちらを見ると、フレンドのドロシーが手を振るモーションをしながら立っていた。鳥の種族の女性で、職業はメイガス。頭の上には「Dorothy」の文字。最近は「さざなみのローブ」という、青いヒラヒラしたローブがお気に入りだという。軽く微笑んだ顔は、たまに瞬きする意外に表情を変えない。「怒る」や「泣く」といったコマンドを入れれば変わるに違いない。

 このまま全体チャットで続けるのは周りに迷惑なので、フレンドチャットに切り替えようとする。

「フレチャ、フレチャ……切り替えかたがわかんねえ!」

『ちょっとファーさん落ち着こう。うちにおいで?』

 言うなり、ドロシーは転移魔法で飛んでいった。後を追おうとして、転移魔法の使いかたがわからないことに気付く。

「どうやって飛ぶの!?」

 思わず声を上げれば、ぼいん、とウインドウが開く。

≪ご新規さんですか? 転移魔法は、海辺の町でクエストをクリアしないと使えませんよ≫

「そうでしたね! ありがとう!」

 新規どころではなく、このゲームの開始直後からやっている。そうとわかる装飾品を身につけているのだが、それを知らないということは教えてくれた相手の方がおそらく始めて間もない新規プレイヤーだ。

 彼は思わず周囲を見回し、窓ガラスに映る見知った姿を見付けて動きを止めた。おそるおそる覗き込めば、水色の髪と目、獣の種族なので人間の耳の代わりに獣耳が側頭部にある。職業はレンジャー。性別は最後の抵抗で男。頭の上には「farbell」の文字。

「おれだーーー!」

 三年前にキャラメイクしたまま、髪の色くらいしか変えていない顔がそこにはあった。彼―――彼が作ったファーベルというプレイヤーキャラクターは、城門の脇に立つNPCに話しかけてみた。ぺこん、とまた違う音がしてウインドウが開く。

[こんにちは! 旅の人ね、ここはヴィーザの城下町よ。中央広場の噴水が名物なの]

「う、うん……知ってる」

 念のためにもう一度話しかけると、

[こんにちは! 旅の人ね、ここはヴィーザの城下町よ。中央広場の噴水が名物なの]

「ですよねー!」

 鳥の種族少女型のNPCは眉一つ動かさず、一語一句違わぬ言葉を繰り返した。当たり前だ、そういう仕様になっているのだろうから。

(ドロさん家、たしかこの国の区画だ!)

 彼女―――中身は男、所謂ネカマだが―――が鳥の種族であることに感謝しつつ、彼は居住エリア目指して駆け出した。


     *     *     *


 事情を話すと、ドロシーは鼻で笑った。

『ハァー? ファーさん、ちょっとラノベの読み過ぎじゃない?www』

「違うって、ほんとだって! でなきゃおれだってフレチャに切り替えてるわ」

『そういう演技要らないからw 何、俺ツエーしたくなっちゃったの? よし、闘技場行こうか。付き合うよw』

「だから違うって!」

 声を上げれば、ドロシーはため息をついて肩を落とすモーションをした。

『あのね、ファーさん。現代日本で何にもなれない人間が、日本よりも条件の厳しい異世界で何かになれるわけないんだよ。チートでラスボス倒して楽しい? それとも美少女ハーレムでも作る?www』

「おまえは転生系ラノベに恨みでもあるんか」

 三年間ほぼ一緒にプレイしてきて、今ではオフラインでも友人のドロシーがこの反応では、他のフレンドに話したら、遅い中二病かと生温かい目で見られるか、そっとフレンドを切られるかだろう。おそらく、自分もフレンドがそんなことを言い出したら生温かい目になる。

『いや、ないけどさー』

「もうみんなわかってんだよ、村人Aはどこに行っても村人Aだって。でも夢を見たいんだよ! 世界で一番辛いのは自分で、努力してるのも自分で、今の自分は本当の自分じゃなくて、生き辛いのは全部他人のせいだって、自分は一切悪くないって、信じたいんだよ!」

『ファーさんのほうがひでえwwwwww』

「フィクションの中でくらい夢見させてくれよ! ……じゃなくてだな。おれは現実的に現状をどうにかしたい」

『冗談じゃないなら、一旦落ちて入り直せば?』

「……ログアウトの仕方もわかんねーんだけど」

『ついにファーさんも廃人の仲間入りかw 頑張れw』

「ちーがーうー。ほんとにほんとなんだって。信じてくれよ」

『まあ、たしかにさっきから知らないモーション連発してんだよねw 表情豊かだしw』

「wじゃねえよ! じゃあ信じろよ!」

 何を思ったか、ドロシーは珍妙なダンスのモーションを始めた。ロボットダンスとフラダンスを混ぜたような謎の仕草で、ストーリーイベントの儀式に必須なので、ある程度まで進めれば全員が踊れるようになる。

『これできる?』

「む……無理」

 ファーベルは真似ようとして挫折する。ゲーム中のキャラならコマンド一つで寸分違わず踊れるが、今のファーベルには無理だ。身体のどこをどう動かせばいいのかわからないし、振り付けも覚えていない。

『これは?』

 ぼふん、と音がしてドロシーは石像に変身する。これもイベントで使うモーションだ。

「無理に決まってんだろ!」

『ちなみにやり方は、メニューを開いて左下の』

「知ってる! なんならショトカに入ってる!」

『ショトカwww なんでwww』

「なんとなく。いや今そんな話してる場合じゃなくてだな」

「これだとどう?」

「うわあ!」

 突然ドロシーが男の声で喋り出し、ファーベルは仰け反った。

「ボイチャにしてみた。どうよ」

「ドロさんから男の声が! 野太い声が! こええ!」

「誰が濁声の変態だ。ファーさんもボイチャにしてみ」

「だからわかんねって。おれは普通に喋ってる」

「喋ると全体チャットになっちゃうのか」

 どうやらドロシーは信じてくれたようだ。微笑んで瞬きしかしない美少女の顔から男の声が聞こえるのは不気味だが、ボイスチャットだとキャラから声が出るようになるらしい。

「そういう三周年のイベントかな。いいなーファーさん。選ばれし者じゃん」

「全然嬉しくない。怖い。帰りたい。普通に三周年遊びたい」

「メニューの出しかたわかればログアウトできんでないの? 三番ボタン押してみ」

「何度でも言うぞ。ボタンなんてない」

「えー、じゃあこう、手を翳して『メニュー!』って言ってみれば」

「手を翳して? ……メニュー!」

 ファーベルは右手を前に出して言ってみたが、何も起きない。それを見たドロシーが笑い出す。

「ギャハハハハ! マ、マジでやりよった……フ、フフ、フフフフフハハハハ!」

「おまえがやれっつったんだろ!」

 恥ずかしさにドロシーを小突こうとすると、見えない膜があるようにつるりと身体の表面を滑った。

「うおっ、何これ! 殴れねえ!」

「フフ、フ、ハハハ、パーティアタックは、フフフ、できない仕様だからじゃないの?」

「笑いすぎ」

 もう一度小突こうとしても、やはり手は勝手にドロシーを避けてしまう。ためしに蹴ってみたが、結果は同じだった。なんだか面白くなってきて、ボクシングのジャブの真似事をしてみる。

「メニューの開き方がわかれば……」

 呟くと、ピピ、と音がしてメニューが開いた。

「おわ!」

「え?」

「で、出た! メニュー出た! ……あ、消えた。なんで! ドロさん殴ったから出たのか?」

「なんでだよ。右手じゃなくて左手なんじゃね」

 ドロシーの声は笑い混じりだったが、ファーベルは藁にも縋る思いで左手を突き出してやってみる。

「メニュー!」

 ピピ、とメニューウインドウが開いた。

「出たー!」

「おお、よかったじゃん」

 今度は消えないように注意深く、ファーベルは目の前に現れたウインドウに指先で触れた。それで選択できそうだったので、消えないうちにと急いで「ログアウト」を選ぶ。

「それじゃ落ちるから!」

「おう、またなー」


      *   *   *


 後日、夜。

 一緒に三周年記念の討伐イベントクエストに行くフレンドの準備を待っている間、手持ち無沙汰になり、ファーベルはドロシーにフレンドチャットを飛ばした。ついこの間の奇妙な体験を語る。

『―――っていう夢を見たんだわー。おれにも転生願望みたいなのあんのかなー』

 奇妙な沈黙の後、フレンドチャットが返ってきた。

『いやそれ、夢じゃないし』

『……え?』

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三周年記念イベントの 楸 茉夕 @nell_nell

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