シュガーハニー・アイスティー
TARO
記念日
少し、まどろみながら、カーテンの隙間から窓の外を見る。雨だ。水滴が窓を走っていて、赤いテールランプが尾を引くのが見えた。まだ起きるには早そうだった。しばらくベッドの上で目を閉じていた。もう、目が覚めて、二度寝することはできないようだった。どうしても、明日の期待に胸を膨らませてしまうのである。
「起きるか」と私は独り言を言った。ベッドを出て、カーディガンを羽織ると、台所にお湯を沸かしに行った。私はいそいそと紅茶の支度をし始めた。ポットに人数分+1の茶葉を入れた。一人なので、茶匙二杯分である。
やがて、笛吹きケトルがヒステリックな音を立て、お湯が湧いたことを知らせた。私は急いで火を止める。ガサツな瞬間だな、と思った。もっと優雅にいられるはずなのに。笛吹きを上げとくべきだった。
茶葉がお湯に浸って十分開くまで、まだ時間があるから、暇な私は部屋を眺めた。壁に掛かっている古い時計。日曜日のフリーマーケットで手に入れたものだ。新しい電池を入れても、すぐに遅れてしまう。時計として役に立たないが、形が気に入っているので、そのままにしてある。お陰で私にとって大切な記念の時刻をさし続けてくれるのだ。
そして、棚には写真が飾ってある。二人で写っている写真。あの人と写っている写真。大好きなあの人がこっちを見て笑っている。
ああ、つい想いに耽ってしまった。紅茶はすっかり出し過ぎで苦くなってしまった。仕方ないので砂糖を入れて、温め直してから、ミルクティーにした。
私の日常はこんな感じだ。取り立てて発表することもない、退屈な日常。安い給料の職場で働き、派手に振舞うことなくいつもひっそりと生きている。
そんな私が挫けることなく
昼が過ぎ、雨が上がった。窓を開けると、湿ったアスファルトの匂いがした。思わずその空気を深く吸い込む。そうすることで明日への期待が高まり、少しの不安を打ち消してくれる。
思えば決して順風満帆ではなかった。一緒にいてほしいのに、拒否されたことがあり、私はつい我を見失って泣き喚いた。すると結局、彼は私のわがままを受け入れてくれるのだった。
一度なんか、帰ろうとする彼を私は裸のまま外まで追いかけたことがあった。本気を見せるために、包丁を握りしめた。もちろんこれはほんの見せかけのつもりだった。あなたを傷つけるなんて、私に出来っこないもの。でも、あの時はちょっと刺しちゃってごめんね。近所の誰かが通報したせいよ。お巡りさんが来て、引っ込みがつかなくなっちゃったの。
その出来事の後、あなたはお父さんと一緒に謝りに来てくれた。私が悪いのに、お金まで置いて行ってくれた。
私、あなたとしばらく距離を置こうと思った。一人でしばらく考えたかったの。ごめんね、寂しかったでしょ? 私は分かったわ、やっぱりあなたが好き。いてもたっていもいられなくなって、私はあなたの会社まで会いに行った。その時のあなたの驚いた顔と言ったらなかったわ。
その夜、私は彼を想いながらベッドに入った。明日になれば彼がやってくる。夢の中でも一緒に居られたらいいな。
今日は彼と初めて出会ってから三周年の記念日。大切な日。六月の雨の日、好きな人に冷たくされて、ただでさえ落ち込んでいた私は、ヒールを溝に取られて足首を捻ってしまった。あんまり痛くてうずくまるだけの私に気づいて、あなたは優しく声をかけて、私をおぶって運んでくれた。その時のあなたの背中の温度を今でも覚えている。あなたの背中は優しくて広かった。
ああ、もう午後になる。約束していた時間になる前に支度しなくては。お湯を沸かしてお茶の準備。テーブルには彼の大好きなマドレーヌを用意した。私は張り切った。今日という大切な日、もう、私はあなたを離さない。私は全てを捧げるつもりだった。彼もきっと応えてくれるはず。私たちは一つになるの。
さあ、濃いめに入れたアーモンドフレーバーの苦い紅茶。砂糖と、蜂蜜をたっぷり入れて冷やしたら完成。六月のじめっとした気候にうってつけ。
チャイムがなって、私は彼を出迎えた。彼は見知らぬ男を連れて来ていた。でもね、かまわないの。誰であろうと関係ない。二人を邪魔することはもう誰にだってできないのだから。
彼に飲ませましょう、Sugar honey iced tea
私も飲むの、Sugar honey iced tea
さあ、みんなで飲みましょう、Sugar honey iced tea
シュガーハニー・アイスティー TARO @taro2791
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