石の上にも三周年

山本航

石の上にも三周年

 Mの住まいは小ざっぱりとしていて、どうにもよそよそしい緊張感があった。

 長らくの仲であるし、学生時代から彼とつるむのはとても楽しいものだったが、長い人生は私にも彼にも環境の変化を強いた。

 部屋まで来ると無精ひげを生やしたMに出迎えられる。

「やあ、W。相変わらず君は洒落た格好だね。元気だった?」

「まだ一か月も経っていないじゃないか。君の方こそ相変わらずなようだ。もう少し身ぎれいにした方が良い」

 私はMの前に座ると、鞄を脇に置いた。

「そうしたくないわけではないけどね。僕はあまり僕に興味がない」

「確かに天才にはそういう傾向があると聞くが」

「よしてくれ」と言ってMは苦笑する。「毎度ご足労願って悪いね。知っての通り、僕は陰キャでコミュ障で、まともに会話できるのは君くらいのものなんだ」

「気にするな。私がそうしたいからそうしているんだ」

「最近はご近所トラブルに少し憧れる始末だ」

 私は苦笑する。

「あんなもの、何も楽しいことなんてないさ」

 Mがじっと私の目を見、私もその目を受け取る。

「それで? 評判はどうだい?」

 私は言葉を選びつつ、一つ一つ口に出す。

「悪くない。悪くないが、もう少し、という手ごたえだったな」

「要するにボツだね」

 Mは大きくため息をつく。そのまま魂まで抜けてしまいそうなため息だ。

「言っただろ? 評価されてはいるんだ。ただ、君の作品は少し個性が強すぎるというか、一般受けしにくいという話だ」

「作家なんて個性あってのものだろう? 他と同じようなありふれたものを世間は求めているというのかい?」

「いや、もちろん、そういうわけではないが。あまりに理解できない内容では類まれな表現力も独創性も生かされないということだ。決して君に変わって欲しいわけではない。君は君のままでいいと私は考えている。信じてくれ」

 Mはまるで子供を安心させる母親のような微笑みを浮かべる。

「君を疑っているわけではないさ。むしろ僕が疑っているのは僕自身だ」Mは真っ白な天井を見上げる。「本当に僕に才能はあるのか? いつかは作家としてデビューできるのか? いい加減に諦めて第二の人生を送るべきではないか? このまま無為に時間を浪費するよりも」

「何を言うんだ。君は僕と違って無為な時間など過ごしていないさ。君は元々才能がある上に努力を積み重ねてさらに素晴らしいものを書いている。石の上にも三年というだろう。辛抱強く続ければいつかは……」

「もう三年経ってるんだよ」というMは珍しく語気を強めてた。その視線も鋭い。「三周年さ。僕が小説を書き始めてからね。三年やって駄目ならもう駄目なんじゃないか?」

「そんなことはない。君にはしっかりと才能がある。編集部の方々も君の才能を買っている。嘘じゃない。何より直接会うことも拒否するような君と、私を通じての繋がりを絶たないでくれているじゃないか。君は大成すると誰もが信じている。君も自分の力を信じるんだ」

 Mの表情が少しほぐれたように見えた。

「自分の才能を疑ってはいるが、自分には才能が無いと信じているわけではないよ。そうだ」そう言ってMは用意していたらしい紙をごそごそと差し出してくる。「次のアイデアを見てくれないか」

「ああ、そうこなくてはな」

 Mの才能は本物だった。奇想天外な設定。個性的な登場人物にそれをとても魅力的に見せる表現力。意外性に満ちながら説得力に欠けないシナリオ。

 彼が天才でなければ誰が天才だというのだろうか。

 私の中に嫉妬心があることは否定できなかった。それを否定すればよりみじめな気持ちになるのは明らかだ。だから私は心から彼の才能を肯定し、称賛する。

「どうかな? 面白いと思うんだけど」

 これだけの才能を持ちながら、どうしてそうも不安になれるというのか、凡夫の私には分からない。

「最高だよ。見入ってしまった。アイデアだけで作品としての価値があるとさえ言える」

「君は少々大げさなきらいがあるね。自信のない僕としてはありがたいことだけど」

「よし。今日にでも編集さんに会った方が良いな。これで少し相談をしてこよう。何か話しておくべきことはあるか?」

 Mからの要望や相談事項をメモにまとめていく。こうしてメモしているだけでまだ見ぬ物語にわくわくしている自分がいる。

「それと」と言いにくそうにMが呟く。「デビューの可能性が高まるならいくらでも譲歩すると伝えてくれ」

「さっきと言っていることが違うじゃないか。君は君のままで良いんだよ。皆が、世間が君の才能についてくるべきなんだ」

 Mは頭を掻いて恥ずかしそうに苦笑する。

「仮に僕にそれほどの才能があったとしても、そこまでは驕れないよ」

 私は小さなため息をついた。自信などいくらあっても困るものではないだろうに。

「まあ、いいさ。どっちみち不器用な君に君の書きたくないものを書けるとは思えないからな」

「酷い言い草だ」そう言いつつもMは笑い、私も笑った。

 鞄にアイデアを詰め込んで私は立ち上がった。

「近いうちにまた来る。アイデアをさらに詰めといてくれ。いや、もうプロットを作り始めてもいいんじゃないか?」

「ああ、分かったよ。頼んだよ」

 私は彼の部屋を出る。出口の前で所持品検査を受け、返してもらった携帯電話で連絡をとる。

「もしもし。Oさん? 実は面白いアイデアがいくつか浮かびまして、良ければまた次回作の相談をさせてもらいたいのですが……」

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