第5話【絶対零度と共に現れる魔女】

「やあ、ユフィーリアとショウ君。ご苦労様」


 唐突に虚空が水面のように揺らいだと思ったら、細い腕がニュッと伸びてくる。

 次いで体、頭と空間の歪みから出てきて、最後に首根っこを掴まれた赤い毛玉のようなものが引きずられてきた。

 懐中時計が埋め込まれた死神の鎌をくるくると回しながら、黒髪紫眼の青年――グローリア・イーストエンドはユフィーリアとショウに労いの言葉をかける。


「よう、理不尽司令官殿。俺らはちゃんと仕事をしただろ?」

「そうだね。僕の思うように仕事をしてくれたよ。さすが第零遊撃隊だなぁ」


 ユフィーリアの嫌味に対して、グローリアはにこやかな笑みで応じる。

 さすが最高総司令官、口が達者である。腕力ではいくらでも勝てるが、口論になった途端に負ける自信がある。

 グローリアは結界を展開する八雲神へと振り返ると、


「八雲神様もご苦労様です」

「注文は出入り口の閉鎖だったが、それでいいのかえ? 白い塔全体も覆うことは可能だろうがのぅ、規模がちと一人で賄うのはのぅ」

「ええ、それで問題ありません。あとは他の同志の支援をお願いします」

「承知した」


 うむ、と頷く八雲神。

 朗らかに笑うグローリアは「じゃあ、第零遊撃隊に次の任務だよ」と会話を続けようとする。


「その前にいいか?」

「なにかな?」

「お前の手に持ってるそれは一体どうするつもりだ?」


 ユフィーリアの指先が、グローリアの手元を示す。

 懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を握っていない左手で、彼は自分の補佐官であるスカイ・エルクラシスを引きずっていた。よく見ると白目を剥いた状態で無造作に引きずられているので、もう少しで天へ召されることだろう。

 グローリアは悪びれることなく「ああ、忘れてたよ」とにこやかに言うと、


「スカイ、そろそろ起きて」

「死ぬ……死ぬ……」


 スカイは掠れた声で訴えるが、グローリアはやはりニコニコと笑いながら「起きてってば」と言いながら襟首を離す。

 後頭部を地面に強く打ち付けても、スカイは復活しなかった。完全に手足を投げ出した状態でだらけ、譫言のように「死ぬ……死ぬ……」と繰り返していた。

 グローリアはやれやれと肩を竦めると、


「仕方ないなぁ」


 懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を掲げると、その石突いしづき部分でスカイの腹を軽く突く。「ぐえッ」という蛙が潰れたような呻き声を漏らすと、優秀な補佐官はようやく復活した。


「扱いってモンを学んでくだせーッスよ」

「君に対する扱いはこれで十分でしょ」

「ゴミみたいに引きずられる気持ちを分かってねーッスわ。いっぺん体験してみてくだせーッスよ」

「陽の光に当たりたくないから地上に行きたくないって駄々を捏ねた君を擁護することはないよ。未曾有の危機なんだから、いい加減にしなさい」


 さすが天才と呼ばれた最高総司令官である。口論では誰にも負けないようだ。

 グローリアに言い負かされたスカイは、渋々といった風に起き上がる。それから使い魔の黒猫を呼び寄せると、黙って仕事をし始めた。ブツブツとなにか呟いているので、情報収集でもしているのだろうか。

 彼が大人しく仕事をし始めたところを確認すると、グローリアはユフィーリアとショウへ向き直る。


「ユフィーリアとショウ君は、裏に回って新しく入口を作ってほしいんだ。なるべく高いところに作ってほしい」

「高いところに? 一体何故」


 ショウが不思議そうに首を傾げると、グローリアが理由を説明する。


「八雲神様によって本来の入口は塞いでもらったけど、これだと僕たちが入れないでしょ? でも同じ場所に入口を作ると、天魔がまた溢れ出てくる可能性があるから、少し高めの位置に入口を作れば簡単に出てこれないかなって」


 朗らかに笑うグローリアは、


「大丈夫、君たちならできるよ。だって幾度となく難関任務をこなしてきた、精鋭部隊なんだから」

「なんだかなァ、その言葉で絆されてる気がするんだよなァ」


 ユフィーリアは銀髪を掻くと「まあいいや」と頷く。

 任務の内容は新しい入口を作ることだから、白い塔の調査とはまた別だ。――とはいえ、白い塔の内部を調査することになるだろうが。


「ショウ坊、行くぞ。ご注文は新しい入口だとよ」

「ああ、了解した」


 ショウは頷くと、先を歩くユフィーリアの背中を追いかけた。

 グローリアは遠ざかっていく部下の背中を眺めながら、朗らかな笑顔を浮かべたまま呟く。


「まあ、上手く入口が開くとは思っていないけれどね」

「…………うーわ、アンタはそんな奴ッスよね。ユフィーリアとショウ君の勘は当たったわ」

「最強殿は災難だのぅ……」


 スカイと八雲神は、遠ざかっていくユフィーリアとショウの背中へ同情の視線を送るのだった。


 ☆


 とりあえず、新しい入口であれば塔の反対側を選ぶべきだろう。

 ユフィーリアとショウは白い塔から溢れた天魔の残党から逃れつつ、白い塔の裏側に回った。まっさらな状態の白い塔を見上げ、ユフィーリアは腕を組んで首を傾げた。


「これ、どの位置に穴を開けりゃいいんだ?」

「どの位置でもいいのではないか?」


 隣に立つショウは、適当な言葉で返す。


「どうせ白い塔に侵入することになるのだから、入りやすい部分に入口を作ればいいのでは?」

「ンじゃあ、あそこに開けるかァ」


 ユフィーリアは指先を白い塔に向ける。

 そこには、白い塔の表面にひび割れが入っていた。いつのまにそんなものが入っていたのだろうか。白い塔に刻まれた文章を見つけた時には、あんなひび割れなどなかった気がする。

 ショウは白い塔に刻まれたひび割れを見上げて、


「……あんなもの、いつのまに?」

「まあ、目印ってことでいいだろ。ちょうどいい高さもあるし」


 ひび割れは、そこそこ高い位置にあった。天魔憑きであれば跳躍のみで届きそうなものである。

 ユフィーリアは大太刀の鯉口こいぐちを切ると、


「でもなァ、俺の術式は切断であって切り込みを入れることはできねえからなァ。成功するか分からねえぞ」

「それでもやるしかあるまい、任務なのだから。いざとなれば貴様の拳でどうにかなるだろう」

「……ショウ坊、なんか投げやりになってねえ?」


 ユフィーリアがジト目で睨みつけると、ショウは「そんなことはない」と否定した。

 すると、ひゅおおお、とユフィーリアの外套の裾を冷たい風が揺らす。冬と呼べるような季節ではないが、体の芯まで凍えるほど冷たい風だ。


「あらあら、なにかお困りごとですか?」


 聞き覚えのある気品のある声に、ユフィーリアは緊張感を覚えた。

 この声を聞くと、自然と背筋が伸びる。隣に立つショウへ視線をやれば、彼も無言で頷いていた。

 冷たい風が運んできた気配は、間違いなく彼女であると。


「可愛い教え子に助けを求められましてね。微力ながらお手伝いさせていただきますね」


 朗らかに微笑む気配と共に、バキバキとなにかが凍りつく音が耳に滑り込んでくる。

 それは巨大な氷柱だった。ユフィーリアとショウは虚空に浮かぶ巨大な氷柱を見上げて、あんぐりと口を開けた。

 巨大な氷柱はゆっくりと尖った先端を、ひび割れた白い塔の先端に差し込んでいく。さすがに巨大な氷柱を防ぐことはできなかったのか、白い塔の表面はガラガラと崩れて穴を開けた。


「これで新しい入口ができましたね。よかったです」


 ユフィーリアとショウはゆっくりと振り返る。

 少し離れた位置に、優雅に笑う老婆が立っていた。

 雪原の如き白い髪を複雑な編み込みでまとめ、色鮮やかな若草色の瞳は弧を描く。怜悧な印象を受ける顔立ちには年齢を感じさせる皺が刻まれ、しかしそれらも含めて百合の花のような凛とした佇まいが綺麗だ。

 濃紺のワンピースとモコモコした白いケープを羽織り、氷と炎という相反する属性の異能力を操る魔女は優雅に微笑んだ。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ……どうも、エリス姐さん」

「エリス・エリナ・デ・フォーゼか。助力、感謝する」

「はい、挨拶ができてよろしい」


 美しき魔女――エリス・エリナ・デ・フォーゼに、ユフィーリアとショウはあえて本音を隠した。

 


「――――あら?」


 エリスが優雅に微笑みながら、疑問に満ちた声を上げる。

 それはそうだろう。あの白い塔は天魔の巣窟になっているのだ、下手なことをすれば間違いなくとんでもないことが起きる。

 ガラリ、と。

 白い塔に突き刺さっていた巨大な氷柱が内側から押し出されて、地面に叩きつけられ砕け散る。その向こうから顔を覗かせたのは、


「――――あああッ、うがああああああッ!!」


 大気を揺さぶるほどの大音声を轟かせ、白い塔に開いた穴から顔を覗かせた巨人が塔を突き破って出てきてしまった。

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