第5話【吸血鬼の姫君】

「吸血鬼の隠れ里か。聞いたことはあるが、まさか本当にあるとはな」


 ショウを抱えたユフィーリアは、目の前に広がる城下町を眺めて言う。

 以前、吸血鬼の親玉がグローリアと会談しにきたことがあったか。その際に天魔の襲撃に備えて警備の任務に就いていた覚えがある。吸血鬼のお姫様と戯れたのもその時だったか。

 吸血鬼は基本的に夜行性の種族であり、夜こそ本番だ。城下町は静かなものだが、数人の小さな子供が銀色の髪をなびかせて、城下町を駆け回っている。さすが『夜の貴族』と呼ばれるだけはある。


「ぜんいん、きゅうけつきなのか?」

「ああ、そうだ。この街には吸血鬼しかいない」


 ショウの何気ない質問に、キングが答える。


「吸血鬼は余所者には厳しいがな、天魔憑きに関しては寛容だ」

「同じ化け物だからか?」

「それもあるが、我ら天魔憑きは果敢に天魔に挑んでいるところを評価されているようだ」


 キングは「我輩を評価するとは、彼奴らも偉くなったものだな」と不満そうに鼻を鳴らす。天魔憑き以前に、彼は一国の王様だ。自国民ならいざ知らず、吸血鬼どもに評価されるような覚えはないのだろう。

 彼は質のいいマントを翻して、吸血鬼の隠れ里の大地を踏む。ユフィーリアも、先を進むキングの背中を追いかけた。


「あ、お姫様のところに泊まってるおにーちゃんだ」

「なんか綺麗な人も連れてるぞ」

「どこからきたんだろう?」

「人間かな?」

「銀髪? 吸血鬼じゃないよね?」


 興味津々といったような視線を向けてくる子供たちを一瞥し、ユフィーリアはクイーンの介助をしてやりながらキングのあとに続いた。

 子供たちの騒ぎを聞きつけたのか、家屋から大人の吸血鬼が顔を出してくる。勝手知ったるとばかりに堂々と吸血鬼の隠れ里を歩くキング、その後ろに続くユフィーリアとクイーンを好奇心に満ちた目で見てくる。居心地が悪いことこの上ない。


「見世物パンダになってるような気分だな」

「吸血鬼にとっては、天魔憑きが珍しいものに見えるのでしょう。私は目が見えないからあまり感覚は分かりませんが、お姉様、少し我慢なさってください」


 ユフィーリアの腕にしがみつきながら歩くクイーンは、


「今回の騒動に詳しい人物は、古城に住んでいるお姫様なんだ」

「お姫様か。――そういや一度会ったことあるな。めちゃくちゃおちょくりまくったけど」


 ユフィーリアは遠くにそびえる古城をぼんやり眺めながら、王都を訪れたあの銀髪の少女の姿を思い出す。

 傍らには銀髪の美丈夫が付き添っていた。おそらく彼はお姫様の父親――吸血鬼たちの頭領だったのだろう。決して馬鹿にしたことはないのだが、いい印象を与えなかったことは間違いない。


「詳しいのはお姫様の方か? 頭領の方は?」

「頭領は死んだらしいのです」


 光を宿さない瞳をユフィーリアに向け、クイーンは寂しげに微笑んだ。


「あの赤い瞳の天魔に殺された、とお姫様は言っておられました。それから彼女はお父様の敵を討つべく、赤い瞳の天魔の研究をしてらっしゃるようです」


 ☆


 古城は異様な雰囲気を纏っていた。

 紺碧の空を貫かんばかりに高い尖塔を有し、前庭では真紅の薔薇が咲き乱れている。城門ではガーゴイルが来訪者を睨みつけていて、ユフィーリアにしがみつくショウが小声で「きもちわるいせきぞうだ」と呟いていた。

 巨大な古城の扉の前に立ったキングは薔薇のモチーフが掲げられた長杖の先端でコンコンと地面を叩くと、


「吸血鬼の姫君よ。客人を連れて参った。開門を要求する」

『うるさいわ。そんなに声を張らないでも聞こえるわよ』


 扉の向こうから、やや強気な印象を与える少女の声が聞こえてきた。

 それと同時に、ギィィと蝶番が軋む音と共に扉がゆっくりと開く。キングは「生意気な小娘だ……」などとぼやきつつ、


「さあ、姉上。古城内は暗いので、足元に気をつけてください」

「助かった、キング」

「いえ、姉上の為ならばこの程度のことなど造作もありません」


 キングはにこやかに微笑み、ユフィーリアを古城内に誘導する。

 導かれるがままに、ユフィーリアは古城内へ足を踏み入れた。

 大理石で作られた床。高い天井。明かりが消えたシャンデリアが吊り下げられていて、巨大な窓から差し込む青白い月明かりがぼんやりと古城の玄関口を照らしている。

 正面には二階に繋がる階段が伸びていて、何枚か絵画が飾られている。優雅に微笑む銀髪の美丈夫が豪奢な椅子に座り、側には同じく銀髪で毒々しい赤い瞳を持つ少女が無表情でこちらを見つめている。どこかで見たことのある顔だと思ったら、王都を訪れた吸血鬼の姫君か。


「あら、どこかで見たことがある顔だと思ったら」


 カツン、と音がした。

 二階に繋がる階段を降りている、銀髪の少女と目が合う。

 蝙蝠こうもりのモチーフが特徴の燭台を手にした彼女は、炯々と輝く赤い瞳をじっとユフィーリアに向けている。赤を基調としたドレスに身を包み、赤いリボンで透き通るような銀色の髪を飾っている。

 少女は階段をゆっくりと降りつつ、


「奪還軍の天魔憑き――第零遊撃隊の片割れじゃない。もう一人いたはずでしょう? 死んだのかしら?」

「羽虫風情が、姉上に生意気な態度を取るとは許せん。その首を叩き折ってやる」

「キング、落ち着け。今はこっちが相手を頼る時だ」


 薔薇のモチーフがついた長杖を握るキングを制し、ユフィーリアは階段を降りる銀髪の少女を見据えた。


「赤い目の天魔を知ってるって聞いた。そりゃ本当か?」

「ええ、本当よ。お父様の敵を討つ為に、私は奴らの研究をしているの」


 正面の階段を降りながら、少女は頷いた。


「そいつの死体から触手が出てくるってことは?」

「もちろん知っているわ。天魔の性質を変化させる効果を持っていることもね」

「その被害に遭った奴がいるのは?」

「…………まさか、その子供が?」


 少女は怪訝そうに瞳を細める。

 ユフィーリアの腕の中に抱かれるショウは、少女を睨み返していた。「ショウ坊、睨んでやるな。可愛い顔が台無しだぞ」と冗談めかして言いながら、


「触手に貫かれて、子供になっちまったんだ。直してやれるか?」

「……そうね。直せるわ。別に直してあげてもいいけれど」


 ついに階段を降りきった少女は、カツコツと靴を鳴らしながらユフィーリアに歩み寄る。

 赤い瞳が、じっとユフィーリアを観察する。ショウが「なにをみている」と威嚇するのを無視して、彼女は条件を提示した。


「あなたの血を吸わせてちょうだい」

「ころす」

「殺す」

「ショウ坊、キング。落ち着けお前ら」


 腕から飛び出そうとするショウの首根っこを引っ掴み、杖で殴りかかろうとするキングの行く手を阻んで制しつつ、ユフィーリアは少し考える。

 吸血鬼に血を吸われると、座れた相手も吸血鬼になると聞いたことがある。そんなことがあってはならない。これからも天魔との戦いは続いていくのだから。


「俺が吸血鬼になるってことはねえよな?」

「直接吸ったら、吸血鬼の呪いが感染してしまうわ」


 あっけらかんと言う少女は、


「だから葡萄酒ワインの杯いっぱいに血を流してほしいのよ。できるでしょう? 手を切るぐらいなら」

「ああ、それぐらいならまあ」

「姉上、いけません。こんな羽虫に姉上の血を渡すなど!!」


 キングが抗議の声を上げてくるが、ユフィーリアは「別にいい」と受け入れる。


「ショウ坊が助かるんなら、血を流すぐらいなんともねえよ」

「交渉成立ね」


 少女はフフンと笑うと、


「ルナリア・エヴァンス・ヴァンピールよ。ルナと呼んでちょうだい」

「どうも。ユフィーリア・エイクトベルだ。長けりゃユーリって呼んでくれ」

「ええ、そうするわ。あなたの名前、長くて呼びにくいもの」


 少女――ルナリア・エヴァンス・ヴァンピールはドレスの裾を翻して、


「こっちよ、きて」


 彼女は古城の奥へと向かっていく。

 ひやりと冷たい風が肌を撫でるへ歩く吸血鬼の少女の背中を、ユフィーリアは追いかけた。

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