第6話【眠りは薔薇の香りと共に】
悪魔を模した薄気味悪い
先導して歩く銀髪の吸血鬼――ルナの背中を追いかけるユフィーリアは、そんな薄気味悪い燭台を見上げて呟く。
「……あの燭台は、お嬢さんの趣味か?」
「そんな訳ないでしょ。お父様が『吸血鬼っぽくしたい』と言うから、取り付けただけよ」
ルナはツンと澄ました態度で応じ、ユフィーリアは「ああ、そう……」と答えるしかなかった。
どうにも女の子を相手にすることに慣れていない。奪還軍は九割が男性で、ユフィーリアの周りにも男しかいなかった。この年頃の女の子を相手にする機会など、奪還軍に所属する限りでは皆無に等しい。
「ゆふぃーりあ、ほんとうにやつをしんよーしてもいいのか?」
「俺やグローリアの力でどうにかできるんなら頼らなくてもよかったんだがな、この状態で下手なことをしてお前が二度と戻らなくなるのが怖い」
ユフィーリアに抱っこされた状態のショウが不安そうな光を宿す赤い瞳を投げてくるので、ユフィーリアは素直に答えた。
餅は餅屋という言葉がある。あの赤い目の天魔の研究をしているのであれば、その研究者に対処を任せるしかないだろう。下手なことをしてショウが元の状態に戻らないことが、ユフィーリアにとっての恐怖だ。
すると、ルナが「ここよ」と言って立ち止まる。
彼女の目の前には、巨大な扉が鎮座していた。扉の表面にはやはり悪魔の絵が描かれていて、金色の装飾が施されている。銀色にしないのは、吸血鬼に銀が通じるからだろうか。
「ここは研究室なの。入って」
ルナは扉を押し開けて、ユフィーリアたちを部屋の中に招き入れる。
扉の向こうに広がっていたのは、背の高い本棚が壁に沿って並ぶ広い部屋だった。高い天井に掲げられたのは、金環の中に浮かぶ青い球体。青い球体の周囲を取り囲む金環が、揺らしてもいないのにぐるぐると回っている。
ずらりと並ぶ背の高い本棚には、背表紙を見ているだけで頭が痛くなってくるような難しい本ばかりが詰め込まれていた。おそらくページを開いても、中身は一切理解できないだろう。
「その子を、そこに寝かせてちょうだい」
ルナがほっそりとした指先で示したのは、部屋の中央に置かれた寝台である。
一人用の寝台のようで、敷布や枕は清潔なものが使用されている。なにか仕掛けが施されている様子もない。寝台の側にはなにやら実験機材が置かれた机が設置され、寝台に寝転がった患者の診察をする為のものだろう。
ショウが不安げにユフィーリアのシャツを掴んできて、ユフィーリアはそんなショウの頭を優しく撫でてやる。
「大丈夫だ。ちょっと見るだけだから」
「…………ふあんだ。このままかいぞうされなければいいが」
「天魔憑きじゃなくて改造人間にされそうな気配があったら、俺が迷わず殺すから大丈夫」
当然のように言うユフィーリア。
身分とかなんとか関係ない。相棒であるショウに身の危険が迫れば、迷わずルナのことを殺害する勢いである。
ルナは「変なことはしないわよ」と言うと、
「直すだけだわ。――まあ、流れた血はいただくかもしれないけれど」
「その首を切り離されたくなけりゃ、今すぐ言葉を訂正しろ。俺は本気だぞ」
ショウを抱きかかえたまま大太刀の鯉口を切るという芸当をするユフィーリアに、ルナは「冗談に決まってるじゃない」と肩を竦めた。
「その子には眠って貰うわ。そうすれば診察しやすいの。変質してしまった部分も元に戻しやすいわ」
ルナはそんなことを言うが、今は信用するしかなかった。
ユフィーリアは寝台にショウを下ろしてやると、ショウは指示に従って寝台へ転がる。小さな手をこちらに伸ばしてきたので、ユフィーリアは黙って彼の手を握ってやった。
「じゃあ、始めるわね」
ルナがショウの瞳を覆うように手のひらを乗せて、
「眠りを導く――」
ふわり、と漂う薔薇の香り。
不安に駆られてユフィーリアの手を強く握っていたショウの小さな手から、フッと力が抜ける。僅かに胸が上下しているので、眠っていることは間違いない。
「ふぅん……なるほど……」
ショウの額に手を翳しながら、ルナは納得したように呟く。
「あの変質の因子をすぐに断ち切ったのは賢明な判断だわ。あのままだと、まず間違いなくこの子は消滅していたでしょうね」
ルナの輝く赤い瞳がユフィーリアを一瞥し、
「さすが最強と言ったところかしら。悪運が強いわね」
「……そりゃどうも」
特に褒められた気はしていないので、ユフィーリアもぞんざいに応じる。
ルナは「あら、褒めてるのよ。一応ね」と言い、
「足りなくなってしまった因子を補うことができれば、この子は元の状態に戻るわ。それに契約した天魔の……【
「大事には至ってないってことでいいな?」
「ええ」
ルナの診断を受けて、ユフィーリアは脱力しそうになった。
ともあれ、大切な相棒が大事に至らなかっただけ儲けものである。これで「助かりませんでした」では、フルール大陸全土に存在する赤い目の天魔を殲滅しなければ気が済まなかった。
まずは助かるという診断に安堵の息を吐いたユフィーリアは、
「どうすりゃ足りなくなった因子ってのを補えるんだ?」
「まあ、簡単に言えば生殖行為かしらね」
「…………あん?」
「聞こえなかったかしら? 生殖行為って言ったのだけれど」
ルナはそれが当然とばかりの口調で、
「粘膜による因子の譲渡によって、この子の足りなくなってしまった因子は補えるわ」
「…………いや、いやいやいや、待て待て待て待て」
真っ直ぐに、そこになんの疑いも汚い感情もなく、純粋な気持ちで言うルナに、ユフィーリアは首を横に振って待ったをかけた。
だっておかしいだろう。
生殖行為って、つまりは、その――。
「あら、あなたたちそんな関係じゃないの?」
「関係じゃねえんだよなァこれが!!」
首を傾げるルナに、ユフィーリアは怒声でもって応じる。
全く、最近の連中はどうしてそんな関係に持っていこうと言うのだろうか。ユフィーリアとショウでは年齢が一回り以上も離れているし、下手をすればユフィーリアの方が騎士団に連行されかねない。
それに、ショウはまだ未成年である。たとえ天魔憑きになって、永久に歳を取らなくなったとしても、まだ未成年なのだ。
そんな彼に手を出してみろ、すぐに捕まるに決まっている。そして世間のユフィーリアに対する印象は、最強という二文字から変態という二文字に切り替わる。
「ただでさえ一三も年齢が離れてるってのに、できる訳ねえだろ!?」
「あなた、そんな綺麗な顔をして結構歳食ってるのね」
「うるせえその首を切り離されてえか!? 一応気にしてんだよ!!」
というか【
そんなことよりも、問題はショウだ。
ただでさえ年齢が離れているのに、今の状態は子供である。そんな状態でアレやソレをやってみれば、危ないことになるに決まっている。
「別の方法はねえのかよ!?」
「そうねぇ、できないならちゅーで妥協してあげるわ」
「マジかよおい!!」
ユフィーリアは天井を仰いだ。
先程の提案よりは難易度が下がったが、それでもやはり高いものは高い。やったらやったで罪悪感に駆られて自首するしかないかもしれない。
ルナは「まあ、今すぐとは言わないわ」と言い、眠るショウからそっと手のひらを離す。
「まずは診察してあげた対価をよこしなさい」
「あー、
葡萄酒の杯いっぱいとなると、かなり出血することになると思うのだが、彼女はもしかしてユフィーリアに「死ね」と言っているのだろうか。
別に痛いのは慣れているのだが、あまり血を出して貧血状態になったら戦えなくなってしまう。それに致死量まで血を取られると、ユフィーリアも無事では済まない。
ルナは「そこまで多く出してもらうことはないわ」と言いながら、
「ほら、杯って言ってもこの程度の大きさよ」
「案外小さいな」
「シャンパングラス程度ね」
ルナが取り出した酒杯は、細長い形のものだった。想定していた葡萄酒の杯より、だいぶ小さい。
同じく彼女はナイフをユフィーリアに差し出し、
「これで手のひらを切って、この
「あ、おう。分かった」
ユフィーリアはルナが差し出すナイフを手に取ると、なんの躊躇いもなく手のひらに刃を添えてスッと滑らせる。
よく研がれた刃がユフィーリアの柔らかな手のひらを裂き、新鮮な赤い液体が流れ出す。腕を伝い落ちる前に酒杯へ鮮血を流し込むと、酒杯の底にポタポタと赤い液体が落ちる。
「あら、いい色ね」
「お前のお眼鏡に叶うかどうか分からねえがな」
酒も飲むし煙草も嗜む、さらに毒草を使った煙草を普段から常用しているので、毒耐性はついているかもしれないが、血の美味しさは保証しかねる。
酒杯の底に鮮血が少しだけ溜まると、ルナが「もういいわ」と告げる。
「はい、
「そんなに少なくていいのかよ」
「いいのよ。あんまり出しすぎると、あなたが死んじゃうでしょ? 恨まれたくないもの」
ルナは酒杯の中で揺れる鮮血を明かりに透かして、それからくるくると酒杯を回す。
まるで高級な葡萄酒を飲むかのように香りを嗅ぎ、ルナはついにユフィーリアの鮮血へ口をつけた。
「あら……」
「なんだよ。不味いか?」
「いいえ、とても美味しいわ。とてもね」
ゆっくりと味わうようにちびちびと飲みながら、ルナは楽しそうに言う。
「あなた、そんな口調で飄々とした性格をしてるけど、経験がないのね。そりゃあさっきのような態度をするわねぇ」
どんがらがっしゃん、とユフィーリアはルナの言葉に動揺して、治療の為の道具を取り落としてしまった。
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