第4話【吸血鬼の隠れ里】

 抱き上げた子供は随分と可愛らしい顔立ちをしている。

 本来であれば口元を隠す為の黒い布は胸元まで落ちていて、かろうじて引っ掛かっている黒いシャツはワンピースのようになってしまっている。小さな足は地面につかず、ぶらーんと空中に揺れていた。

 小さい子供はやや不機嫌そうな赤い瞳でユフィーリアを睨みつけ、小さな手でペシペシとユフィーリアの腕を叩く。


「ゆふぃーりあ、そろそろおろしてくれ」

「お、おう」


 我に返ったユフィーリアは、ショウの小さな足に大きさの合わない革靴を履かせてやって地面に下ろす。

 革靴をかっぽかっぽと鳴らしながら、ショウは地面に落ちた他の衣服を拾い上げる。モタモタと衣服を畳んでいるが、体が縮んでしまった影響で上手く畳めずにぐちゃぐちゃな状態となってしまう。


「…………」


 無表情でぐちゃぐちゃになった衣服を見下ろすショウは、ポトリと地面に落ちてしまった布の塊を両手で抱えると、無言でユフィーリアに押しつけてきた。


「もっていてくれ。いまのじょーたいではきれない」

「あー、まあそうだよな……」


 小さな子供の状態では、まともに衣服も着れないだろう。

 ユフィーリアはショウに押しつけられた衣服を畳んでやり、黒い外套の内側に放り込む。それから「どうすっかなァ」と首を傾げた。


「とりあえず、グローリアに相談してみっか」

「そうだな」


 小さなショウは同意を示すように頷いた。

 立ち上がったユフィーリアは、ぐるりと森の中を見渡してスカイの使い魔がいないか確認する。消し炭になった触手だったもの以外に、動物の姿は見えなかった。

 森から出る他はないのだろうか。ユフィーリアは極少の舌打ちをすると、


「仕方ねえな」


 そう言って外套の内側から取り出したものは、手のひら大のゴツゴツとした緑色の石である。特定の人物と連絡を取ることができる道具『伝令結晶スフィア』だ。

 この石を地面に叩きつけて割ることで、グローリアの部屋に置かれている水晶玉に繋がるのだ。どうせ最高総司令官のことだ、本部の執務室にいるはずに違いない。

 今まさに伝令結晶を叩き割ろうとしたその時、暗がりからガサガサという音が聞こえてきた。


「――ッ」

「ゆ、ゆふぃ……」

「静かにしろ、ショウ坊」


 ユフィーリアはショウを背中に庇い、音が聞こえてきた方向を睨みつけて大太刀の柄に手をかける。

 もしかして、あの猿の天魔の仲間だろうか。ここで戦ってユフィーリアも子供の姿にされてしまうと、勝てる戦いも勝てなくなってしまう。ここは逃げる手段を選ぶのが得策か。

 いや、まずは相手を確認してからだ。敵であればショウが逃げるまでの時間を稼いで、それから走って逃げれば問題ないだろう。


「おお、おお。話し声を聞いて歩いてみれば、まさかこんなところでお会いできるとは思わなんだ」


 暗闇から聞こえてきたのは、聞き覚えのある青年の声だった。

 ユフィーリアは瞳を見開いて驚きを露わにし、そして警戒を解く。同じようにショウも、忌々しげに暗闇を睨みつけていた。

 ザッカザッカと草木を蹴飛ばし、掻き分けて、青年が姿を現す。

 燃えるような赤い髪の上で輝く煌びやかな王冠、凛々しい顔立ちに左右で色の違う赤と黒の瞳。自信に満ち溢れた笑みを浮かべる彼は、この薄暗い森に似つかわしくない王様のような豪奢な服装に身を包んでいた。

 薔薇のモチーフが飾られた長杖ロッドを携えた青年は、バサリと質のよさそうなマントを翻して高らかに言う。


「お久しぶりです、姉上。陽の国タスマンが国王、キング・チェイズ――ただいま推参いたしました!!」


 ☆


「おう、キングか。久しぶりだな」

「ええ、ええ!! 再び姉上と巡り会える日をお待ちしておりましたとも!!」


 暗闇から現れた青年――キング・チェイズは、ニコニコとした満面の笑みでユフィーリアとの再会を喜ぶ。

 ユフィーリアも、こんな場所で知り合いに会えるとは思っていなかった。天魔が化けているのかと思ったが、彼の次の行動で本人であると確信した。


「おや? あのクソ生意気な子供がいないようですが? 姉上を放り出して、一体どちらへおいでです?」

「おい、それはおれのことか。このぐおうめ」


 ユフィーリアの足にしがみつきながら、ショウが舌っ足らずな口調で抗議する。

 キングの赤と黒の瞳が足元にいるショウを映すと、彼は「プッ」と噴き出した。


「ふははははははは!! 無様な姿よな!! 生意気にも姉上の相棒と名乗るのだから罰が当たったのだ、ふははははははは!!」

「いまのきさまになにをいわれてもいたくもかゆくもない」

「姉上の隣に並ぶことすらできない子供がなにを言い出すかと思えば、ただの強がりか?」


 腹を抱えて笑うキングは瞳に浮かんだ涙を拭う。

 そんな彼を嘲笑うかのように、ショウはユフィーリアを見上げて両手を目一杯に広げた。


「ゆふぃーりあ、だっこ」

「はいはい」


 ユフィーリアはショウを抱き上げてやると、彼は自慢げに「ふふん」と笑った。

 これに嫉妬したのはキングである。悔しそうにギリギリと歯を鳴らして、


「こ、この野郎……我輩では逆立ちしても姉上の『だっこ』など要求できんのに……!!」

「ざまあみろ」

「姉上!! 今すぐこのクソガキを地面に下ろしましょう!! 姉上がまともに戦えなくなるのはいただけません!!」


 キングがヤケクソになって主張してくるが、ユフィーリアは「ええー?」と言う。


「いや、だってこいつ地面に下ろしとくと誘拐されそうじゃん? こんなに可愛いんだし……」

「いまのきいたか、きんぐ・ちぇいず。おれはかわいいらしいぞ」

「姉上!! そのガキを殺す許可を!!!!」


 キングが子供になってしまったショウに嫉妬する姿に首を傾げ、ユフィーリアは「あ、そう言えば」と問いかける。


「王様がお供もつけずに一人でお散歩か? ちょっと感心しねえぞ」

「いえ、供はつけておりますとも」


 すると、遅れてザッカザッカと草木を掻き分けて金髪の修道女シスターが姿を現した。

 紺色の修道服を身に纏い、胸元で輝く小さな十字架。黄金を溶かし込んだかのように見事な金髪をなびかせて、兄である王様を見つめる瞳は色鮮やかな青い色を帯びている。

 木の幹に手をついて、修道女は「お兄様ぁ……」と情けない声を上げる。


「こんな足場の悪い道を私に歩かさないでくれないだろうか。目が見えないのだから、介助ぐらいしてもいいではないか」

「おお、我が愛しい愚妹のクイーンよ。忘れておったわ」

「お兄様、またビショップに怒られるぞ」


 呆れたようにため息を吐く修道女はユフィーリアへと向き直ると、深々と綺麗な一礼を見せる。


「お久しぶりです、お姉様。またお会いできて嬉しいです」

「おう、クイーンか。お前も一緒だったんだな」

「くいーん・ちぇいずか。ひさしいな」


 ユフィーリアに続いて、ショウも修道女に挨拶をする。

 修道女――クイーン・チェイズはにこやかに微笑むと、


「ここでお会いできてよかった。ここは危険ですので、どうか私たちが滞在している街にいらしてください」

「滞在? どこかに泊まってんのか?」


 ユフィーリアが首を傾げると、キングが「うむ」と頷く。


「近頃、天魔の連中が様子のおかしな動きをしているのが散見されていまして、実は詳しそうな奴らに見解を聞きにきた次第です」

「おかしな連中って、猿の天魔のような奴らか?」

「猿? いえ、そのような奴らはいなかったような……」


 キングは少し考える素振りを見せて、


「どれもこれも、目が赤く充血していたというのが共通の認識ですが。姉上は、そのような天魔は見かけられませんで?」

「……いや、今さっき見かけた」


 ユフィーリアは頭の中で先程の猿の天魔の様子を思い出す。

 あの天魔は、瞳が赤く輝いていた。夜だから状態は正確に読み取れないが、もしかしてあれは充血していたのではないだろうか。


「そいつの首を落としたら、ショウ坊が縮んだんだよ」

「なんと……そうでしたか。てっきり危ない薬品でも飲まされたと思いました」


 クイーンが安堵したように微笑む。彼女は全盲のはずだが、おそらく声の高さで判断したのだろう。


「ともあれ、この場を離れる必要がありますな。姉上、安全なところに辿り着いてから最高総司令官に連絡するといいですぞ」

「おう、悪いな。案内を頼む」

「もちろんです」


 キングはバサリとマントを翻して、迷いのない足取りで森の中を突き進んでいく。遠ざかっていくキングの背中を一瞥して、クイーンは「もう、介助をしてほしいと言ったのに」と呟いた。


「クイーンは俺の腕に掴まってくれ。ショウ坊を抱えてるから、掴み心地は悪いだろうが」

「いいえ、お姉様の優しい心遣いに感謝します」


 クイーンは女神のような微笑でユフィーリアに応じ、するりと腕を絡ませてくる。それから、全盲の彼女に歩幅を合わせて歩き始めた。


「それで、あの赤い目の天魔に心当たりはあんのか?」

「ええ。変質した天魔だと、詳しい人は言っておりますが」

「変質した?」

「その変化した性質は、他の天魔にも伝播するようです。おそらくですが、ショウ様が縮んでしまわれたのは、その変質した部分が伝播した影響でしょう」


 キュ、とショウの小さな手がユフィーリアの外套を握る。

 元に戻るのか分からない状況だ。不安になるのは分かる。ユフィーリアはショウを安心させる為、彼の背中をポンポンと撫でてやった。


「それで、戻る方法はあるのか?」

「変質した部分を元の状態に戻せば戻るかと。その為に、詳しい人に調べて貰わなければ」

「それが今から行くところにいんのか?」

「はい」


 クイーンが「もう到着しますよ」と言うと、パッと視界が開けた。森を抜けたのだ。

 その向こうに広がっていたのは、石造りの古城を中心とした城下町だった。規模は王都アルカディアと比べると劣るだろうが、それでも立派な国であることが窺える。

 先に到着していたキングが、夜の帳が落ちる城下町を背にして綺麗な笑みを浮かべた。


「ようこそ、姉上。ここは吸血鬼の隠れ里、ルナサリアです」

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