第1話【夜間任務の依頼】

「すー、すー」

「くぅ……うう、ん」

「むにゃ……ゆーり、あんまり……お酒飲んじゃ……むにゃむにゃ」

「ふはー、ばーくはーつだーい……ぐがー」

「戦術的には問題ないあとは機会を待つだけな訳だけどいかがえなんでそんなに流暢に話せてるかってたまには気分だよ気分」


 薄暗い部屋の中に、規則正しい寝息と寝言といびきが大合唱を奏でている。

 意外と広い室内には三つのベッドがあった。二段に重ねられたベッドと一人用のベッド、それから高い位置に寝床を据えたロフトベッドの三種類である。ベッドの種類は三つだが、寝床はきちんと五人分存在している。

 ロフトベッドの下の部分は空白になっており、その部分を布で仕切ると個室のようになる。そこにソファを置けば、十分な寝床になった。


「すー、くぅ」


 ソファを寝床にしているのは、銀髪の女だった。

 透き通るような銀色の髪に閉ざされた瞼を縁取る長い銀色の睫毛まつげ、目鼻立ちは息を飲むほどの美しさがある。瑞々しい白磁の肌はシミ一つなく、寝ているだけでも絵になりそうな美女だ。

 そんな彼女は、実に大胆な格好をしている。なんと黒い肌着と男性用下着という寝巻きにするには心許ない服装だった。おかげで華奢な肩や細い腕、健康的な太腿などが晒されてしまっている。布団の代わりにしている黒い外套にくるまり、手足を縮こめて彼女はすやすやと眠っていた。

 彼女の名前はユフィーリア・エイクトベル。最強の天魔【銀月鬼ギンゲツキ】と契約をした、最強の天魔憑きだ。

 天魔憑きといえど、精神的には人間のままだ。普通に睡眠も必要とするし、疲れたら寝ることもある。寝なければ精神的な健康にも害を及ぼすので、こうして睡眠は大切なのだ。


「すぅ……む、んん……」


 規則正しい寝息を立てて眠っていたはずのユフィーリアだが、唐突に音もなく瞼を開いた。

 閉ざされた瞼の向こうから見えたものは、色鮮やかな青い瞳である。宝石にも勝る碧眼を瞬かせた彼女は、ゆっくりとソファから身を起こした。


「……そこにいるのは、スカイか?」

【お、正解ッス。さすが最強の天魔憑きッスね】


 ソファの下を覗き込むと、赤いネズミがちょろちょろと床を駆け回っていた。

 鼠は一つしかない眼球でユフィーリアを見上げると、その鼠を介して気怠げな青年の声が聞こえてくる。


【実はユフィーリアだけじゃねーんスよ。奪還軍の全体に伝達してるッス】

「…………マジかよ。一体なんの為に? 嫌がらせか?」

【まさか。嫌がらせをするんだったら、もう少し建設的な嫌がらせをするッスよ】


 建設的な嫌がらせとは一体、とユフィーリアは喉まで迫り上がってきた言葉を無理やり飲み込んだ。

 寝癖がつきまくってボサボサになった銀髪を掻くと、


「――お前ら、最高総司令補佐官殿がいらっしゃったぞ!! 起きやがれ!!」

「はい喜んでーッ!!」


 ユフィーリアの起床を促す声に真っ先に反応を示したのは、毬栗いがぐりを想起させる赤茶色の頭の少年だった。

 赤茶色の短髪と寝ぼけ眼な琥珀の瞳、幼さを残す顔立ちは子供のような印象を周囲に与える。口の端から垂れていた涎を手の甲で拭うと、少年は二段ベッドの上から梯子を使わずに飛び降りてくる。

 白い肌着と猫の絵柄が特徴的な男性用下着のみという格好の少年は、ハーゲン・バルターといった。彼は「え? え?」と部屋を見渡すと、


「いねえんだけどッ!?」

「お前の足元」

「うぎゃあ!! 赤い鼠!!」


 ハーゲンの悲鳴が完全に目覚ましとなったのか、二段ベッドの下の段で丸まって寝ていた巨漢がむっくりと上体を起こす。

 灰色の短い髪と銀灰色ぎんかいしょくの瞳、人相は「世界を救うことではなく、人を殺すことが仕事です」と言わんばかりに悪い。寝起きも相まって人相の悪さに拍車がかかり、泣く子も黙るどころか裸足で逃げ出しそうな勢いだ。頭の上にちょこんと生えた狼の耳と尻から生えたふさふさの尻尾があっても、彼の人相の悪さに歯止めは効かない。

 こちらもハーゲンと同じく白い肌着と可愛らしい犬の絵柄の男性用下着を穿いているが、その下の筋骨隆々とした体躯は隠せていない。彫刻のように惚れ惚れするような体躯だ。

 筋骨隆々の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは大きな欠伸をすると、


「ちょっとぉ、なにぃ? 嫌がらせなら噛み殺すよぉ?」

「上官を相手にそんなことができるんだったら、俺は止めねえけどな」

「それは勘弁してぇ。俺ちゃん、まだ死にたくなぁい」


 すでに意識が完全に覚醒したユフィーリアは、寝床であるソファから立ち上がる。それからいそいそと黒いつなぎに着替え始めたハーゲンに、


寝坊助ねぼすけなカボチャを起こしてやれ」

「自爆していい?」

「馬鹿野郎、部屋まで吹き飛ぶわ」


 爆薬を取り出したハーゲンの脳天をぶっ叩き、ユフィーリアはロフトベッドの梯子を上る。

 いまだに布団にくるまったまま夢の世界から帰ってこない相棒を揺り起こし、


「おい、ショウ坊。スカイが仕事を持ってきたぞ」

「うー……むに……」


 もぞもぞと身を起こしたのは、黒髪赤眼の少年である。

 いつもであれば高く結い上げた長い黒髪は背中を流れ、ぼんやりと眠気を孕んだ赤い瞳は虚空を見据える。少女めいた儚げな顔立ちは全てが露わになっていて、薄い唇から炎の刺青いれずみが刻まれた舌がほんの少しだけ覗いた。

 黒い着流しのみを身につけた少年――ショウ・アズマは眠気を孕んだ赤い瞳を相棒であるユフィーリアに向けて、それからそっと首を傾げる。


「ゆふぃ、りあ……? なに……?」

「スカイが仕事を持ってきたって」

「あいぼう、の、えいぎょーじかんは、しゅーりょーしま、した……ぐぅ」


 ぽす、と前のめりに倒れ込んだショウは、前屈の状態ですやすやと再び夢の世界に戻ってしまった。

 ユフィーリアは「仕方ねえな」と言うと、


「ハーゲン、アイゼはどうだ?」

「やべえ起きない!!」


 ハーゲンは一人用のベッドに飛び乗って布団にくるまる黄緑色の毛玉を叩き起こそうとしていたが、黄緑色の毛玉はピクリとも動かない。

 こちらも布団からほんの少しだけ頭を覗かせた状態で、顔の全体は鳥のようなくちばしが特徴の仮面で覆われている。彼の個性とも呼べるカボチャのハリボテはすぐ側に放置されていた。

 一人用ベッドの主はアイゼルネ。彼も同じく天魔憑きの一人だが、ショウと同じように眠りの世界から帰ってこなかった。

 ユフィーリアは肩を竦めると、


「ショウ坊とアイゼは置いていく。エド、ハーゲン、お前らは着替えてスカイの話を聞くぞ」

「お、おれ、を、おいていくのか……」


 前屈の状態を維持するショウが、くぐもった声で訴えてくる。


「おれは、もう、いらないのか……?」

「だったらちゃんと起きてから文句を言え。俺は起こしたからな」

「おき、おきる……おきるぅ……」


 ショウはもぞもぞと上体を起こすと、枕元に置いてあった鈴がついた赤い髪紐に手を伸ばす。ちりちりと小さな音を奏でる赤い髪紐で長い黒髪を縛ると、眠たげに梯子を降りてきた。

 肌着の上から着古したシャツ、そして厚手の軍用ズボンを穿き、ユフィーリアは一人用のベッドでいまだ眠り続ける黄緑色の毛玉を軽く叩いた。


「アイゼ、起きろ。スカイが仕事を持ってきたぞ」

「んー♪ お仕事なノ♪」


 黄緑色の毛玉がもぞもぞと蠢くと、アイゼルネはようやく覚醒する。「ちょっと向こう見てテ♪ すっぴんのお披露目は恥ずかしいのヨ♪」と言われてしまったので、ユフィーリアは言われた通りに明後日の方向を見やる。

 少し時間を置くと、アイゼルネから「いーヨ♪」とお許しが出たので、視線を元に戻した。そこには鳥の嘴が特徴の仮面から、いつものカボチャのハリボテを装備したアイゼルネの姿があった。


「眠りを妨げた責任は取ってもらおうかしラ♪」

「昇給なら上官殿と直接やり取りしてくれよ」


 ユフィーリアは黒い外套を羽織り、その上から帯刀ベルトを巻きつける。そして愛用の武器である大太刀を腰からけば準備は完了だ。

 エドワードもいつもの迷彩柄の野戦服に筋骨隆々とした体躯を押し込み、ハーゲンも武器である爆薬をたすき掛けして、ショウも真っ黒な服装の上から華奢な体躯を強調するようにベルトを雁字搦めに巻き付けている。アイゼルネもいつものディーラーの服装に着替え始めていて、そのうち準備は完了するだろう。

 ユフィーリアは同居人たちを見渡してから、机の上にちょこんとお行儀よく座って待っていた赤い鼠へ振り返る。


「待たせたな、スカイ。仕事の詳細を話してもらおうか」

【……いや、本当にさすがッスわ。仕事が早い】


 赤い鼠を介して聞こえてくる上官は、どうやら苦笑しているようだった。


 ☆


【一斉に通信をしているから手短に話すよ。これより夜間の任務を開始する】


 赤い鼠を介して聞こえてきたのは、先程まで喋っていた気怠げな青年から打って変わって、凛とした響きのある青年の声だった。

 最高総司令官――グローリア・イーストエンド。彼は赤い鼠の先で待機している自分の同志たちに向けて任務の概要を説明する。


【空から降り注ぐ怪物――天魔は昼間に多くの数が確認できる。だけど、近頃は掃討が功を奏しているのか、地表に降りてきてもすぐに逃げ出して姿を眩ますという頭のいいことをしてきた】

「確かにそうだな。最近だと、地面に降りた途端に一目散に逃げ出すし」


 グローリアの言葉に、ユフィーリアも同意する。

 空から降り注ぐ怪物――天魔によって、人類は地上を追放された。追放された人類は【閉ざされた理想郷クローディア】という大規模な地下都市を築くと、天魔の目を誤魔化しながら長い時を地中で暮らしていた。

 ユフィーリアたちは一部の天魔と契約を交わし、人間の輪から外れた怪物モドキ――天魔憑きである。その天魔憑きたちが集まって武装集団『奪還軍』を作り、日夜天魔から地上を奪還せんと戦い続けている。


【そこで夜間の見張りを増やしたところ、天魔は夜に活発な行動を見せるようになったんだ。天魔が夜に動くとなると、いつこの「閉ざされた理想郷」が見つかるか分からない】


 そこで、とグローリアは言葉を続ける。


【夜の間に天魔の掃討任務を開始するよ。眠いところ申し訳ないけれど、気を引き締めて取りかかってね】


 赤い鼠から聞こえてくるグローリアの命令に、ユフィーリアたちは口を揃えて答えていた。


「了解」

「了解した」

「了解だよぉ」

「りょーかい!!」

「了解♪」

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