序章【血に濡れる月下の薔薇は、真実を見るか】

 その日は、とても月が綺麗な夜だった。


 自宅である古城には、真っ赤な薔薇ばらを咲かせる花園がある。

 真紅の薔薇は夜の庭によく映える。紺碧の空に浮かぶ青白い月との相性は抜群だ。

 その薔薇が咲き誇る花園の中心で、父が夜空を見上げていた。透き通るような銀糸の髪に毒々しい赤い瞳、陶磁器のような白い肌。中性的な顔立ちに、薄い唇から小さな牙が覗く。

 美しい面立ちに憂いを含んだ表情を浮かべ、父は娘であるルナへ振り返る。


「ああ、ルナ。ここへきてはいけないよ」

「何故ですか、お父様」


 ルナは父に問いかけた。


「星屑が降り注ぐ。彗星がやってくる。それは、世界の終わりを運んでくるのさ」

「……なにを仰っているのですか、お父様。いつもの妄言であれば、今すぐお止めください」

「ルナリア・エヴァンス・ヴァンピール」


 父は、ルナに向かって微笑んだ。

 彼女の本当の名を口にして。


「愛しているよ、我が娘よ」


 その時だ。

 薔薇が咲き乱れる生垣の向こうから、毛むくじゃらな腕が伸びて微笑む父の喉を掻き切った。

 飛び散る鮮血。膝から崩れ落ちる父。薔薇の生垣の向こうに毛むくじゃらな腕が引っ込んでいき、ガサガサと草花を掻き分けていく音だけが夜の風に乗っていく。

 その光景を呆然と眺めていたルナは、薔薇のような唇から甲高い悲鳴を迸らせた。


「お父様ぁ!!」


 母を亡くし、男手一つで自分のことを育ててくれた父の死を前に、娘のルナが正気を保てるはずがなかった。

 月を彩る白銀の星々は、静かに惨劇を見下ろしている。

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