第9話【もう一人のショウ】

 チクタク、チクタク、と時計の針の進む音が玄関ホールに落ちる。

 ソファに座ってユフィーリアを待っていたグローリア、スカイ、八雲神の三人はいつまで経っても戻ってこないユフィーリアに疑問を抱いていた。


「……遅いね?」

「遅いッスね」

「遅いのぅ」


 三者三様に、ユフィーリアが戻ってこないことを心配するような言葉を口にする。

 あの老爺に荷物を運んでほしいと言われてから、ユフィーリアは屋敷の奥へと姿を消した。それから彼女どころか、あの老爺さえ戻ってくる気配がまるでないのだ。

 ソファ越しにユフィーリアが消えた屋敷の廊下を見やるが、見慣れた銀髪は少しも確認できない。一体どこまで荷物を運んでいるのだろう。


「というか、使用人すらいる気配がねーんスけど」

「……それは僕も思ったよ」


 スカイの言葉にグローリアは頷く。

 目の前にうず高く積まれている風呂敷の荷物は、いまだ誰も取りに来ていない。老爺が言うには「使用人に運ばせよう」としているようだったが、その肝心の使用人の姿が確認できないのだ。

 それどころか、自分たち以外の気配がこの屋敷から感じられない。まるですでに廃墟となった館のような――、


「む、待たれよ」

「どうしたの、八雲神様」

「足音が聞こえるぞい。この屋敷に近づいてきておる」


 八雲神が狐の耳をピクピクと揺らしながら、玄関の扉を睨みつけている。

 グローリアとスカイも、つられて背中にある扉を見やる。

 周囲が静かな影響か、扉の向こうから聞こえてくる足音がやけに大きくなってくる。誰かがこの屋敷に近づいてくる証拠である。

 誰か客人だろうか? もしそうだとしたら、家主である老爺を呼ばないと。


「――邪魔するぞ」


 バァン!! と。

 勢いよく扉を開いてやってきたのは、なんと、


「――あれ、ショウ君?」


 グローリアは思わず声を上げていた。

 扉を蹴飛ばす勢いで開いたのは、なんと水牢御殿すいろうごてんにてサイオンジ家に呼ばれたと建物の奥に消えたショウだった。もう水牢御殿の用事が済んで追いかけてきたのだろうか。

 それにしては、その格好が記憶にあるものと異なっている。今の彼が身につけているものは詰襟シャツと真っ黒な着物と同色の袴であり、さながら書生のような服装だった。

 髪型も違う。彼は鈴がついた赤い髪紐でポニーテールに結んでいるが、目の前のショウはただ後ろに引っ詰めているだけだ。さらに狐のお面を頭にちょこんと乗せている。あんなお面など、グローリアは見たことがない。

 ただ、やはり顔立ちはショウなのだ。赤い瞳に少女めいた儚げな顔立ち、口元を覆い隠す黒い布――ショウの特徴としっかり合致する。


「えっと、ショウ君だよね……? どうしたの?」

「…………」


 ジロリと赤い瞳でグローリアを見下ろしてきたショウは、


「失礼、ここの家主はどちらに行ったか分かる子はいるかね? 少しばかり用事があるのだが」

「え、えっと……え?」


 グローリアは戸惑った。

 ショウの口から紡がれた言葉は穏やかで、声も彼のものとは若干異なる。ショウであれば少年らしく涼やかで凛とした響きがある声だが、今目の前に立っているショウはもう少し低めで大人の余裕と物腰の柔らかさがある。

 見た目そのものはショウなのに、中身が違う。

 彼は一体誰だ?


「……生きておったか、お主」

「八雲神殿。ご健勝のようでなにより」


 ショウもどきは八雲神に笑いかけ、


「それで、家主はどちらに?」

「屋敷の奥じゃ。一人、一緒に荷物を置きに行ってる」

「……その同行した方は女性ですか、男性ですか?」

「女性じゃ。外面だけはな」

「…………なるほど、理解しました」


 穏やかな雰囲気から一転して、ショウもどきが纏う気配が変わる。

 ピリ、とした緊張感の中に紛れる激しい殺意。それはドロドロとして悍ましく、積年の恨みが込められているようなものだった。


「八雲神殿、一つお願いが」

「何じゃい。申してみよ」

「今すぐ水牢御殿へお戻りください。私の連れが現在、水牢御殿の目の前で暴れていることでしょう。彼の指示に従っていただきたい」

「家主を待たねばならぬから、嫌じゃと言ったら?」

「殺します」


 即答だった。

 最古の天魔の一人にも数えられる【白面九尾ハクメンキュウビ】を前に、彼は即座にこう返していた。それが当然だとばかりに。

 八雲神も相手の本気度を察知したのか、小さくため息を吐いてから、


「あの食えぬ爺についていった娘を待つと言ってもか?」

「彼女は無駄です。連れ攫われました」

「ほおう? 何故そう断言できる?」

「【伊弉冉イザナミ】の容態を知っているからに他なりません」


 淡々とした口調で、ショウもどきは言う。

 訳の分からない話であるが、一言一句聞き漏らすまいとグローリアは黙って彼の話に耳を傾けた。そうしなければならないと思ったからだ。


「【伊弉冉】の容態が悪化の一途を辿り、新しい巫女の選出が急務となっています。新たに巫女を選出することを、当主一人しかいないアズマ家が担うことになりました。現状、当主しかいないアズマ家が女性しか担うことができない巫女を選出することは難しい為、アズマ家当主の周辺にいる女性に白羽の矢が立ったのです」

「……つまり、乗車券が複数枚あったのは、そのうちの誰か一人でも女であればよかったと?」

「ええ。アズマ家が連れてくる女性であれば、誰でも」


 ショウもどきは嘆息する。


「それも、数年ほど持てばいいという繋ぎの役割としてぞんざいに扱われるようです。巫女に選出されれば最後、【伊奘冉】の瘴気に当てられて死に至ります」

「そんな……!! じゃあ、ユフィーリアはどうなっちゃうの!?」


 グローリアは思わず立ち上がり、ショウもどきに甲高い声で訴えていた。

 ショウと同じ色の瞳を向けてきた彼は、


「ユフィーリア、というのかね? 彼女とはどう言った関係で?」

「彼女はショウ君の相棒です、ショウ君は誰よりも彼女を大切にしてるんだ!! もしそれが知れてしまったら、ショウ君は絶対に悲しむよ!!」

「グローリア、それ本人の前で言うんスか?」


 スカイが首を傾げる。どうやら、彼は目の前にいるショウが本人ではないと気づいていないようだ。

 グローリアがなんと説明するか考えあぐねていると、ショウもどきが「分かった」と頷く。


「そのユフィーリアという彼女は、私が連れ戻してこよう。少々自信はないがね」


 そう言うと、ショウもどきは無断で屋敷の奥へと突き進んでいった。

 彼の背中が闇の中に消えていくまで見送ってから、グローリアは最高総司令官としてこの場にいる部下と協力者に方針を提示する。


「水牢御殿へ戻ろう。僕は彼のことを信じるよ」

「その方がええじゃろ。彼奴の実力は、儂も太鼓判を押す」


 ソファから立ち上がった八雲神と、ソファにしがみつこうとするスカイの首根っこを引っ掴み、グローリアは水牢御殿へと戻る選択をした。

 その先で待ち受けているものが、嫌な予感がするから。


 ☆


 暗い。

 暗い。

 暗い暗い暗い。


「――――ッてえな。ここどこだ……」


 闇の中に浮かび上がる白い手に引きずられて、ユフィーリアは深淵まで落とされた。

 いや、落とされたという表現は正しいのだろうか。上下左右を見ても深い闇しか見えず、しかし自分の姿だけは何故かぼんやりと闇の中に浮かんでいる。

 ここがどこなのか皆目見当もつかず、ボサボサの銀髪を掻くユフィーリア。よろけながらも立ち上がり、とりあえず出口はないかと探し回ろうとすると、


 ほぎゃあ、ほぎゃあ。

 赤子の泣き声が、ユフィーリアの耳朶に触れる。


 この闇の中は、やけに静かだ。呼吸の音はおろか、心臓の音だって拾えそうなほど静謐に満ちている。

 その中で赤子の泣き声ともなれば、騒音と呼んでも過言ではない。

 どこで赤子が泣いているのか、とぐるりと闇の中を見渡すと、ぼんやりとユフィーリアと同じように闇の中に赤子を抱えた女性が浮かんでいた。


「ああ、どうして泣き止んでくれないの」


 女性は困ったように言う。

 とても若い女性だった。艶やかな黒髪に小豆色の着物、顔立ちは整っていておっとりとした印象がある。垂れ目がちな黒い瞳は、疲れたような色が滲んでいた。

 彼女は白い包みの中で泣く赤子をあやしているようだが、どうしても赤子は泣き止んでくれない。いつまでも泣いている赤子に、困り果てているようだった。


「すみません、そこの人。ちょっと」

「げえ……」


 ユフィーリアは潰れた蛙のような声を上げる。

 正直な話、赤ん坊は苦手だった。力加減が分からず潰しかねないからだ。

 しかし、呼び止められて逃げられる訳でもない。ユフィーリアは仕方なく、手招きして呼び寄せてくる女性に歩み寄った。


「えーと、どうしたんすか」

「この子をあやしてあげてくださいな。あなたなら、きっと泣き止みますわ」


 どこからくるんだ、その自信は。

 ユフィーリアは心底嫌そうな顔をするが、それでも女性は白いおくるみに包まれた赤子を差し出してくる。このまま落とされても困るので、ユフィーリアが赤子を受け取ろうとすると、


「待ちなさい」


 横から第三者の腕が差し込まれて、ユフィーリアの手を取る。そのままぐいっと抗い難い力強さで引っ張られて、誰かに背中を預けてしまう。

 少し高い位置にある顔は、見知った少年のものだった。黒髪で赤い瞳、口元を黒い布によって覆い隠した相棒の顔に――、


「ショウ、坊……?」


 ユフィーリアは疑問符でもって、彼の名を呼んだ。この男が、ショウ本人であると認識できなかった。

 彼はユフィーリアに視線を落とすと、フッと穏やかに微笑んだ。


「間に合ったようでなによりだ。あの赤子に触れてないかね?」

「そ、っすね。触ってねえです」


 コクコクと小刻みに何度も頷くユフィーリアの声を遮るように、今まで泣きじゃくっていた赤子が突如として絶叫した。


「き、貴様!! 何故生きている!?」

「私が生きていて、なにか不都合があるのかね?」


 ジロリと赤い瞳で赤子を睨みつけたショウは、スッと右手を虚空に伸ばす。

 その手に握られたものは赤い回転式拳銃リボルバーではなく、


「消えたまえ」


 ――――拳銃と剣が一体化した、赤い銃剣だった。




 そして深淵を明るく照らすほどの炎が、ユフィーリアの網膜を容赦なく焼く。

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