第8話【そして深淵に引き摺り込まれる】

 荒々しい足音を奏でながら、ショウは襖が立ち並ぶ廊下を突き進んでいく。途中で綺麗な着物姿の少女たちとぶつかりそうになったが、礼儀として「すまない」と手短に謝罪してまた歩き出す。

 目指すは最奥――そこにいる水牢御殿すいろうごてんの主人に呼び出されているのだ。


「イノリ、呼び出しておきながら出迎えも寄越さないとは常識知らずにも程があるだろう!!」


 ようやく辿り着いた最奥の部屋の襖を勢いよく開きながら、ショウは部屋の主人に怒声を叩きつける。

 そこは、とても広い和室だった。何畳あるのか分からない奥に広い部屋は、噎せ返るような甘い煙によって満たされる。その煙の発生源は、最奥の座敷で肘掛ひじかけにしな垂れかかる、艶やかな着物姿の花魁おいらんだった。

 豪奢に飾り付けた艶やかな黒い髪に、青く化粧を施した口元。淡雪の如き肌にはシミ一つなく、しかし妖艶な花魁の様子とはかけ離れた黒い布が目元を完全に覆い隠す。

 一体いくらするのか分からない豪華な着物を大胆に着崩し、胸元を露出させて異性を誘う彼女は、長い長い煙管キセルを咥えてショウに笑いかける。


「あらあら、ショウちゃんじゃない。よくきたわねぇ」

「他人の話を聞かないところは相変わらずだな、イノリ……ッ」


 絶世の美女といっても過言ではない花魁――イノリ・サイオンジを前に、ショウは憎悪の視線を向ける。

 常識知らずで我儘、他人の心など意にも介さない彼女のことが、昔から嫌いだった。ただ、昔に比べれば今の方がもっと嫌いだ。できるなら話したくないし、今すぐ戻りたい。

 イノリは「つまらないわねぇ」と甘い煙を吐き出しながら、


「少しぐらいお話をしたっていいでしょう? アンタ、あたしの許嫁なんだから」

「死んでも貴様となど結婚しない」

「命令だ、と言ってもかしら?」


 目隠しされているにもかかわらず、彼女は妖艶さを孕んだ視線を投げてくる。


「アンタ、お人形ちゃんでしょう? 一体どれだけ調教されたか分かってるかしら?」

「…………」


 ショウの赤い瞳が眇められる。

 意思を奪うほどの調教を先導し、施したのはサイオンジ家だ。自分たちの一族を都合よく動かせるように、と。

 それが忌々しくて仕方がないが、今は違う。


「ああ、貴様と婚姻するぐらいなら猿を相手に求婚をした方がマシだ」

「……変わったわね。アンタ、自分の意思を持つようになった訳?」

「どこかの誰かのおかげだ」


 自分の意思を持て、と言ったのは相棒のユフィーリア・エイクトベルだ。彼女の自由奔放で豪放磊落な性格に感化された。

 彼女の隣にいたいから、とショウは自ら選択したのだ。

 イノリは「ふぅん」と呟くと、


「まあいいわ、アンタが意思を持とうが興味ないし」

「そうか、帰っていいか?」

「馬鹿ね、帰らせると思ってるの?」


 カン、と煙管の吸殻を箱に落とすと、イノリは面倒臭そうに言う。


「アンタのところから巫女を出すことが決まったわ。【伊奘冉イザナミ】様のご容態が悪化しているのよ、早急に巫女を交代しないと顕現すらできなくなってしまう」

「そんなこと知るか。貴様らの一族で出せ、俺の一族はもう俺しか残っていない」


 このワノクニを取り仕切る天魔――【伊弉冉】は、巫女と呼ばれる女性に憑依して現世に顕現している。数十年に一度の交代時期を迎えようという中で、何故ショウだけしかいないアズマ家が巫女を選出しなければならないのか。

 サイオンジ家は掃いて捨てるほど女性が余っている。彼女たちの中から選出すればいいだろう。そうすれば四神家から選出しなければならないという独自の法則にも合致しているので、問題はないはずだ。

 しかし、イノリは「あら」などと惚けたように言う。


「女の子ならいるじゃない、アンタのすぐ側に」

「……やはりユフィーリアを狙っているのか……ッ!!」


 ショウは素早く赤い回転式拳銃リボルバーを生み出すと、イノリに突きつける。

 目隠しをされた状態でも、イノリはショウが回転式拳銃を構えている姿が見えるようだった。火葬術を放ってこようとする相手を前に、妖艶な花魁は鼻で笑う。


「アンタがあたしに勝てるとでも?」


 すると、彼女のすぐ側の畳から水が染み出てくる。

 じわじわと畳を濡らす透明な水は、ゆっくりと盛り上がってショウに迫ってきた。


「ッ!!」


 ショウは咄嗟の判断で飛び退き、迫ってくる水の山を回避する。

 湧き出てくる水は再び畳の隙間に消えていき、そして濡れたはずの畳はいつのまにか乾いていた。あまりにも突拍子のない光景に混乱するだろうが、これが彼女の天魔憑きとしての異能力だ。

 水葬術――サイオンジ家は代々【水神スイジン】という天魔と契約をし、水を意のままに操る異能力を受け継いでいる。


「炎は水に弱い――昔からそう決まっているのよ。アンタがあたしに勝てると思っている訳?」

「遊郭の最奥に引きこもり、ぐうたらしている貴様に勝てる方法など腐るほどある」


 ショウとて、相棒の影に隠れていた訳ではない。彼女にふさわしい相棒でいられるように、と毎日の鍛錬は欠かさない。

 炎は水に弱いと言うのであれば、炎を使わなければいい。最近では体術の鍛錬にも手を出し始めた、拳であれば勝てる。

 くすくすと笑うイノリは「すごい自信ねぇ」とショウを嘲り、


「でも、残念。この部屋に踏み入った時点で、アンタの負けよ」

「なに……ッ!?」


 問い質そうとしたその瞬間、膝から力が抜けてショウは畳の上に頽れる。

 体に力が入らない。回転式拳銃を維持する為の体力も削られて、手の中からついにその姿を消した。意識も朦朧としてきて、だがイノリが笑っている姿だけは確認できる。

 霞む視界の中でなんとか花魁の姿を収めると、ショウは低く唸るような声で言う。


「おのれ、イノリ……!! 貴様ァ……!!」


 そこで意識が途切れてしまう。





 畳の上に倒れ伏した許嫁の少年を見下ろして、イノリ・サイオンジはくすくすと笑う。


「もう遅いわ。全ては滞りなく進んでいるの。――巫女の選出も、婚姻もね」


 誰もいない部屋で楽しそうに笑うイノリは、パチンと指を弾く。

 すると、畳の隙間から水が漏れ出てきて、倒れ伏したショウを持ち上げる。ザザザザと畳の上を滑るように移動する水の山は、ショウをどこかへ運んでいった。


「【伊弉冉】様が気に入らなくても、数年持てばいいだけよ。あたしとアイツが既成事実を作るまで、持ってくれればね」


 ☆


「ああ、ああ、ここじゃよ、ここ」


 老爺に案内された場所は、賑やかな花街から外れたところにある洋館だった。

 大量の荷物を分散して持ったユフィーリアたちは、老爺の案内によって洋館の中まで足を踏み入れる。

 ギィと蝶番が軋む音と共に観音開き式の扉が開き、真っ先に出迎えたのは広々とした玄関だった。天井は高く、よく掃除がされている石の床はぴかぴかの状態である。来客を待たせるようにと備えられたソファや応接テーブルは、洋館の雰囲気に合った瀟洒しょうしゃなものが使われていた。


「すげえな、こんなところがあったんだな」


 ユフィーリアは素直な感想を述べる。

 老爺は「ほほほ」と笑うと、


「荷物はそこの机に置いてくれんかの? あとで使用人に運ばせよう」

「うはー、ようやく終わった……引きこもりには重労働すぎじゃねーッスかね」


 スカイが真っ先にテーブルの上に荷物を下ろし、促されてもいないのにソファに腰かけて休み始める。「手ェ痛いッスわ」などと言う彼の後頭部を、グローリアが引っ叩いた。


「勝手に座っちゃダメでしょ。ショウ君を水牢御殿に置いてきちゃったんだから、そろそろ戻らないと」

「おやおや、そんなすぐに帰らんでも。お茶でも飲んでいってもよかろうて」


 老爺は「ほほほ」と笑うと、グローリアとスカイにソファで座って待つように促す。それを聞いたスカイは「ほーら、このお爺ちゃんは優しーッスよ」と茶化し、グローリアはムッと唇を尖らせる。

 ユフィーリアも彼らに倣って荷物をテーブルの上に置くが、老爺に「ああ、すまんなお嬢さんや」と止められる。


「その風呂敷の荷物は、こっちまで持ってきて貰いたいんじゃよ。すまんが、運んでくれんかの?」

「マジかよ、仕方ねえな」


 年寄り相手に威嚇する気にもならず、ユフィーリアは仕方なしに一番上に乗せられた風呂敷を抱えて老爺の背中を追いかける。


「いってらっしゃい、早く戻ってきてね」

「気をつけてー」

「儂らはここで待っとるぞい」

「お前らの薄情者」


 グローリア、スカイ、八雲神は完全に休憩する姿勢に移行しているようで、梃子テコでもソファから動く気配はないらしい。

 ユフィーリアは彼らに恨みがましい視線をくれてやり、渋々と先を行く老爺を追いかけることにした。


「こっちじゃ、こっち。少し暗いが、足元に気をつけるんじゃぞ」

「はいはい、分かった分かった」


 なんだか最初の頃より弾んだような声音に、ユフィーリアは疑いもしなかった。

 ピタリと閉ざされた扉だけが並ぶ暗い廊下を、老爺の導きによって辿る。コツコツと妙に足音だけが響く。不思議と先を歩く老爺からは足音がしなかった。

 だから、その時点で異変に気付くべきだったのだ。


「なあ、爺さん。この荷物――」

「ここじゃよ、ここ」


 老爺はピタリと足を止める。

 廊下に並ぶ扉とはまた違い、少しだけ装飾が豪華な扉の前で老爺は立ち止まった。ゆっくりと荷物を抱えるユフィーリアへと振り返り、そして部屋の中へ誘い込むように扉を開けてくる。

 ギィ、と蝶番が軋む音がやたら大きく聞こえてきた。老爺はしわくちゃな顔に朗らかな笑みを浮かべると、


「この中に、その荷物を運んでくれ」

「…………」


 投げ入れてやろうか、とも考えたが変な真面目さを発揮してしまい、ユフィーリアは部屋の中に足を踏み入れてしまう。

 そこは、光が一切ない深淵だった。かろうじて入り口付近はまだ視認できるほどの明るさは残されているものの、部屋の奥は完全に闇に沈んでいる。それこそ、どこに家具があるかも分からないぐらいに。


「おい、爺さん。この荷物ってどこに――」


 振り返ると、ギィィィィと扉が老爺の手によって閉められていく。

 思考回路が止まりかけた。なんでまだ部屋の中にいるのに、扉を閉ざそうとしている?


「おいジジイ!! 待て!!」


 ユフィーリアの言葉など聞こえていないとばかりに、老爺は容赦なく扉を閉ざす。それから遅れて、ガチャンと外から鍵をかけられる音も。


「おい、コラ!! ここを開けろ!!」


 荷物など放り捨てて、ユフィーリアは閉ざされた扉をガンガンと叩く。

 おかしい。扉を壊さない勢いで叩いているが、扉が壊れるような気配がない。【銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕で壊れない扉が存在するとは思わなかった。


「ジジイ!! 開けろやゴラァ!!」


 破落戸もかくやとばかりに怒鳴りつけるユフィーリアだったが、その罵声は唐突に途切れることになる。

 ガシ、と誰かに足を掴まれたのだ。


「は?」


 あの枯れ爺の為に用意していた罵詈雑言が引っ込んだ。

 ユフィーリアは、ゆっくりと自分の足に視線を落とす。誰が掴んでいたって、姿が見えなければ対処しようがない――そう思っていた。

 なのに。

 なんで。

 闇の向こうから伸びてくる、誰のものかも分からない白い腕が、自分の足を掴んでいるのか?


「はあ!? あ、ちょ、やめろ引っ張るな!!」


【銀月鬼】の力でもってしても抗えないほど強い力で、ユフィーリアは白い腕によって深淵へと引きずり込まれてしまった。

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