第10話【薄氷鬼の再来】
ふわふわする。
それなりの硬さはあるが、ちょうどいい位置に頭が置かれている。ついでに頭も撫でられている。力加減が絶妙で、まるで子供をあやしているような。
そこで、ユフィーリアは目を覚ます。
「――――ん、ぁ?」
寝起きのせいで掠れた声。
霞んだ視界の先に捉えたものは、赤い瞳。
「目覚めたかね?」
ユフィーリアのすぐ近くに迫るショウの顔。――いや、目の前の彼は果たしてユフィーリアの知るショウ・アズマなのだろうか。
確かに顔立ちはショウにそっくりだ。艶やかな黒い髪に夕焼け空を想起させる赤い瞳、口元を黒い布で覆い隠しておきながらもなお隠せぬ少女めいた美貌。服装は記憶にあるものと違うし、なにより彼が好んで着用している鈴がついた赤い髪紐が髪を飾っていない。
その頭頂部を飾っているのは、ユフィーリアも見覚えがない狐のお面。異様な雰囲気を纏うそれを一瞥し、ユフィーリアは「あー」と寝起きの声で唸る。
「二度寝していいっすか」
「ダメだ」
「あ、はい」
素っ気なく突っぱねられて、ユフィーリアは仕方なしに上体を起こす。
どうやら、あの古びた屋敷の玄関に置かれていたソファに寝かされていたようだ。ぐるりと屋敷中に視線を巡らせるが、同行者だったグローリア、スカイ、八雲神の姿が確認できない。
まさか自分が寝ている間に、誰かに連れ攫われたか?
「そんな恐ろしい表情をしないでほしいのだが」
「寝起きは大体こんな感じなので気にしねえでください」
「それはそれは。婦女子がそんな怖い顔で起きたら、同居人も怖がるだろうに。もっと落ち着きを持って、優雅に振る舞うようにしなさい」
そんなに恐ろしい表情でもしていたのか、ショウに似た男はユフィーリアの頬を摘んでくる。毒気を抜くような彼の振る舞いに、ユフィーリアはいくらか落ち着きを取り戻した。
ボサボサになった銀髪を掻いてため息を吐くと、
「グローリア……ここにいた連中はどこに行ったか分かりますか」
「先に
「なんで?」
「あっちの方で大変なことが起きているからだが」
ショウに似た男は真剣な顔になると、
「ショウが危ない」
「ショウ坊が?」
「ああ。そうだとも」
やはり、ここにいるのはショウ本人ではなかったのだ。
ユフィーリアは納得すると同時に安堵した。目の前の男がショウであると認識してしまうと、自分の中でなにかが崩れるような気がした。
「で、なんで危ねえんだ?」
「そうだな……なんと説明すればいいのか、言葉が見当たらない。あまり詮索しないでもらえると、ありがたいのだが」
「分かった」
ユフィーリアは即答していた。
本当は「なんで危ないのか」「どうして危ないと分かるのか」と聞きたかったが、それを聞いている時間が惜しい。ショウが危ないとなれば、助けに行かなければ相棒としてダメだろう。
ソファから立ち上がったユフィーリアは、踊るようにその場で一回転する。ふわりと黒い外套の裾がドレスのスカートのように舞い上がり、ユフィーリアはショウに似た男に笑いかける。
「お前がなんなのか、この際は聞かないでおくよ。相棒が危険な目に晒されてるって情報で、チャラにしてやるさ」
ユフィーリアはニッと口の端を吊り上げて不敵に笑うと、
「ただし、ショウ坊を助けた暁には逃げるなよ。――お前に話があるからな」
そう言い残して、ユフィーリアは屋敷を飛び出した。
向かう先は水牢御殿だ。
――彼が誰であるか、なんとなくだが予想はついていた。
――けれど、その話をするのは今ではない。
――けれど、その話をするのは彼女ではない。
――だから、ほんの少しだけ後回し。
「……はは、これはこれは手厳しいな」
男はソファの背もたれに体を預けて、天井を仰いで笑う。
彼女は、おそらく知っている。
そして、知っていながら自分に時間を与えてくれた。
今はまだ会う訳にはいかない。今はまだ、今はまだ。
「そう、今はまだ、だ」
全てが片付いたら、彼に謝れるだろうか。
謝罪してもしきれないほど、自分は罪を犯してきた。彼を傷つけて、苦しめて、悲しい思いを何度も何度もさせてきた。恨まれても仕方がないことを、積み重ねてきた。
苦笑いを隠すように、男は頭を飾る狐のお面を顔に嵌めた。
☆
走る。
飛ぶ。
駆け抜ける。
風のような速度で見慣れない街並みを走り抜けるユフィーリアは、近くに放置されていた手押し車を足場にして瓦屋根に飛び乗る。下道は人通りがあるので面倒臭い。
「水牢御殿はどっちだったっけな」
ぐるりと街全体を見渡すのも一瞬のこと。
やけに目立つ建物を見つけたユフィーリアは、屋根伝いに走り出す。その姿を目撃した通行人は「なにあれ」「大道芸人?」「忍者かも」と
それらの歓声すら、ユフィーリアにとっては煩わしいものだ。
(不思議だな。思った以上に体が軽い)
建物と建物の間を飛び越えて、ユフィーリアは自分の体の軽さを実感する。
深淵にて謎めいた赤ん坊を抱かされそうになり、そこでショウに似たあの男に助けられた。もしかしたらあの赤ん坊は、抱いてはいけない類のものだったのかもしれない。そう考えると背筋に寒気を感じたが、今はただ相棒の救出に専念しよう。
瓦屋根を蹴飛ばして建物から飛び降り、あっという間に水牢御殿の前へ辿り着いたユフィーリアは「あ?」と思わず低い声を出してしまう。
「どうなってんだ、これ」
水牢御殿を擁する花街は、ものの見事に荒れ果てていた。
そこかしこに煌びやかな着物姿の少女たちが大の字で伸びていて、中には無惨に首を落とされて絶命している少女もいる。今も水牢御殿の方向から悲鳴や絶叫が聞こえてくるし、一体なんの騒ぎだろうか。
ユフィーリアが闇の中に引き摺り込まれている間に、なにが起きたのか。不思議そうに首を傾げたユフィーリアだが、自分の目的を思い出して騒ぎの中心となっている水牢御殿に足を踏み入れる。
「さてさてっと、ショウ坊はどこにいるかな」
外の花街と同じように水牢御殿も荒れ放題で、床は踏み抜かれていたり、花魁姿の少女たちが壁や床や天井に突き刺さっていたりと地獄絵図が広がっていた。なんだろう、ここ。
「酷ェ有様だな……」
床に伸びている少女たちを越えると、奥の廊下から二人ほど少女たちが慌てた様子で逃げてくる。
ユフィーリアの存在に気づいていないのか、二人してなにやら言い合いをしている様子だった。
「ちょっと!! アンタも逃げないでよ!!」
「冗談!! わたしはまだ死にたくないわ!!」
「あたしもよ!! イノリ様が奥で男の子を連れ込んでるって聞いたから、多分出てこないわ!!」
「許嫁を引き摺り込んで、いいご身分よねあの人も!!」
少女たちは口喧しく騒ぎながらユフィーリアの横を素通りしようとして、
「はーい、ちょっと聞きてえことがあるんだけどなァ」
ユフィーリアが素通りしようとした少女たちに向かって腕を振り抜き、その腕が少女たちの鳩尾にぶち当たる。
腹をぶん殴られた花魁姿の少女たちは、痛む腹を押さえて膝を折った。それからぶん殴った相手であるユフィーリアを睨みつけるが、底冷えのするような視線を受けた途端に「ヒッ」と上擦った声を漏らす。
「その、イノリ嬢が連れ込んだ男ってのが気になるんだが……なあ? 一体どこの誰だ? どんな姿をしてたかってだけでもいいんだわ」
「ああ、あ、あの、その……」
「いいから答えろよ。俺はあんまり女の子を相手に暴力を振るいたくねえからさァ? これ以上焦らすと――」
少女たちの顔面を両手で鷲掴みにしたユフィーリアは、清々しいほどの綺麗な笑みを浮かべて言う。
「俺な、実は【
「か、かみの、髪の長い男の子でした!!」
少女の一人が、恐怖心に耐えきれずに叫び始める。
「髪が長くて、それで、えっと、あ、アズマ家の!! アズマ家のご当主だったわ!!」
「そ、そうよ!! あのアズマ家のご当主で……」
「そうかそうか」
ユフィーリアは少女たちの顔面から手を離しつつ、
「――出迎えご苦労」
「「え」」
少女たちが声を上げたその瞬間、彼女たちの首がゴロリと床の上に転がった。
綺麗な切断面からは、だらだらと鮮血が溢れ出てくる。埋め込まれた白い骨とみっちりと詰め込まれた肉がよく見えた。
座り込んだままの状態を保つ少女たちの死体から視線を外したユフィーリアは、奥の廊下からゆったりとした足取りでやってくる何某に顰めっ面で言う。
「こんなところでなにしてんだ、馬鹿師匠」
「アア? 相棒の坊主が危険な目に遭ってるってのに、オメェは随分と呑気にやってきたモンだなァ?」
廊下の奥からやってきたのは、名前も知らない女の生首を引っ提げた
ぺたぺたと雪駄を鳴らし、襤褸から覗く手足は鍛えられていてがっしりとしている。それなのに右腕だけは薄い氷に覆われていて、さながら籠手のような雰囲気があった。
襤褸の頭巾から見える顔立ちは端正で、褐色肌と白金色の髪がよく似合っている。ユフィーリアを高みから見下ろす瞳の色は、右腕の氷と同じ薄青色を帯びていた。
ユフィーリアの師匠――アルベルド・ソニックバーンズは廊下の奥を顎で示すと、
「行くぞ、馬鹿弟子ィ。さっさとあの坊主を探さにゃ、オイラがどやされちまうわィ」
「話が読めねえんだけど、ショウ坊はそんな危険な奴と一緒にいるってのか?」
「許嫁でィ」
アルベルドは顔を顰めると、
「アズマ家とサイオンジ家の当主同士の結婚は、前々から決まってたんでィ。そんで今回、巫女を取り替える時期に乗じてサイオンジ家は既成事実を作ってあの坊主を引き入れようとしてんだろィ。――まあ、せっかく飼い慣らした手駒だしなァ。あの狡猾な奴らが手放すたァ思えねえが……おい馬鹿弟子? なんでェその怖い面」
ぺらぺらとアルベルドが喋ってくれたおかげで、ユフィーリアは事態をようやく飲み込むことができた。
そして、ブチ切れるのも当然のことだった。
「――――あ? 殺す」
その言葉は、本当に殺意が込められたものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます