第7話【不穏な気配が忍び寄る】
「寝不足だ」
「そうか。俺は快適な睡眠だったぜ」
「誰のせいだと」
「お前の劣情?」
ジロリと睨みつけてくるショウに対して軽口で返しつつ、ユフィーリアたちは朝からワノクニの街を歩いていた。
朝市かなにかで街は賑わっていて、たくさんの人が瓦屋根の建物が並ぶ通りを行き交っている。死者の国とは謳われているものの、その賑やかさは【
物珍しそうに街並みを見渡すユフィーリアたちとは対照的に、ショウは心底嫌そうに顔を
「どうしたよ、ショウ坊。そんなに嫌だったなら術式でもなんでも使えばよかっただろ」
「そうではない……この先の区域が心底嫌なだけだ」
ショウは深々とため息を吐く。
その理由が分からず首を傾げるユフィーリアに、八雲神が簡潔に説明した。
「この先にある区画はサイオンジ家――相棒殿が死ぬほど嫌う一族が統治する区画じゃい」
「ああ、なるほどな。だから行きたくねえんだ」
ユフィーリアは納得した。確かに嫌いなところであれば、ユフィーリアとて行きたくない。実際、司令官の執務室に足を運ぶ際は気が重くなる。
ショウは先導して歩くが、それでも「嫌だ、嫌だ」とぶつぶつと呟いていた。
「奴になにを言われるか、分かったものではない」
「言い返してやれよ。なんならグローリアでも連れてけ」
「え、僕? 口喧嘩なら自信あるよ?」
自分に話題が振られたことによって、幻想的な紫眼を輝かせるグローリア。聡明な彼であれば、口喧嘩に勝つことなど容易い。
しかし、ショウは首を横に振って「ダメだ」と言う。
「おそらくだが、サイオンジ家は外部の存在が家に入ることを許さない。潔癖すぎるのだ、奴らの一族は」
「ああー……そいつはご愁傷様だ。俺にはどうすることもできねえ」
「家を壊してくれ」
「俺に請求がいかないなら」
真顔でそう返せば、ショウは「うむ……考える」と小さい声で言う。
すると、賑やかな市場も終わりが見えて、目の前に青黒い巨大な門が立ちはだかる。その前には二つの青白く輝く鬼火が浮かんでいて、ショウはその鬼火に話しかけた。
「アズマ家の当主、ショウだ。イノリ・サイオンジに呼ばれている。目通り願いたい」
「門を開けます。お待ち下さい」
鬼火を通して凛とした少女の声が響き、それと同時に青黒い門がゆっくりと開く。
その向こうに広がっていた光景は、
「うわ」
「すごーい」
「……うげえ」
「ほほう、これはこれは」
ユフィーリアは素直に驚き、グローリアは好奇心で瞳を輝かせ、スカイは顔を顰め、八雲神は感心する素振りを見せる。
門の向こうに広がっていたのは、花街だった。
赤や桃色などの暖色系の色彩をふんだんに使用した建物と、艶やかな着物姿の女たちが格子窓の向こうで手を振っている。吊られるのは軒並み劣情を抱く男たちだけだが、彼女たちからすれば劣情を抱いていようがいまいが立派な客だ。
無表情で花街を突き進むショウの背中に、ユフィーリアはこそこそと聞いてみる。
「なあ、あの美人なねーちゃんたちは?」
「全てサイオンジ家の娘たちだ。サイオンジ家は
「……え、それってアリ?」
「事実その通りなのだから、アリなのだろう。ちなみに数十年に一人の割合で男が生まれるようだが、その時は他家に婿養子として出されるらしい」
ツンと澄まし顔でそんなことを平然と宣うショウだが、実はこれ案外すごいことなのではないかと思い始めていたユフィーリアである。
女たちの
ただ、その外装がワノクニの情緒に似合っていない。
けばけばしい色合いの瓦屋根に、毒々しい桃色や赤色を使用した装飾の数々。
「あれがサイオンジ家の本拠地、
ショウが重々しいため息と共に説明してくれる。本当に行くことが苦痛で仕方がないようだ。
彼は心底嫌そうに
「おお、すげえ」
玄関先に足を踏み入れたユフィーリアは、その絢爛豪華な内装に素直な感想を述べた。
高い天井には桜の模様が描かれた雪洞がいくつも吊り下げられていて、煌々と玄関先を照らしている。玄関は履き物を脱いで上がる仕組みになっているようだが、その玄関先も広いもので、赤い番傘が取り付けられた長椅子がいくつも並べられている。玄関先が待合室の意味合いも兼ねているようだ。
興味深げに水牢御殿の内部を観察していると、ひそひそと通りがかった着物姿の少女たちが声を潜めて話し合っていた。
「あれがアズマ家の当主様?」
「随分と可憐な方ですわ」
「でも、あの煉獄を統治する一族の最後のお方ですわよ。実力は歴代当主の中でも随一を誇るのだとか」
「それはそれは……憧れますわ。ぜひお近づきになりたいものです」
少女たちの黒曜石の瞳に、僅かな熱情が篭るのを感じ取った。
なるほど、これは確かに嫌だ。まるで見世物にでもされているような気分がしてきて、アズマ家には直接的に関係のないユフィーリアでさえも居心地の悪さを感じ取ってしまう。
ショウは嫌々下駄を脱ぎ、裸足で建物の内部をずかずかと入っていく。彼の背中を追いかけようとすると、どこからか着物姿の女たちがすっ飛んできて、ユフィーリアたちの進路に立ち塞がった。
「ここは関係者以外立ち入り禁止です。お連れ様は椅子におかけになってお待ちください」
「え、嘘だろ」
てっきり話ぐらいは通っているかと思ったが、どうやらここは
ショウが弾かれたようにユフィーリアたちへ振り返り、やや不機嫌そうにズカズカと戻ってくる。それからユフィーリアたちの前に立ちはだかる女たちに、荒々しい言葉で主張した。
「奴らは俺の関係者だ。同行の許可を出せ」
「なりません。イノリ様の言いつけでございます」
「チッ……イノリの奴め。変なところで石頭だ。嫌がらせか……」
ショウはぶつぶつと文句を垂れると、ユフィーリアたちに申し訳なさそうな様子で言う。
「すまない、玄関で待っていてくれ。すぐに戻る」
「おう」
「ユフィーリアは他の人についていかないように」
「お前、俺のこと何歳児に見える訳? なあ、おい、答えろ」
くるりと踵を返したショウは、パタパタと早足で人混みの中に消えてしまった。
遠くなっていく少年の背中を見送って、残された四人は近くにあった長椅子に並んで腰かける。
「つっても、待ってる間が暇なんだけどな」
「本当にね。でも、ショウ君はサイオンジ家のことが嫌いみたいだから、すぐに戻ってくるとは思うんだけど」
「その保証が一体どこに?」
「僕も騎士団のところへ行く挨拶は、大体五分ぐらいで済ませるよ」
グローリアがキョトンとした表情で言う。体験談と照らし合わせられても、信憑性は低いだろう。
苦笑したユフィーリアは「ああ、そうかい」と適当に話を切り上げた。
その時だ。
「ああッ」
どんがらがっしゃーん、というとんでもない音が水牢御殿の玄関先に響き渡る。
音の発生源は、水牢御殿から大量の荷物を持ってヨタヨタと歩いていた老爺だった。どうやら足を縺れさせてしまい、荷物を取り落としてしまったようだ。風呂敷に包まれた大量の荷物が、あちこちに散らばっている。
「ああ、あああ……」
老爺は嗄れ声であわあわと狼狽し、枯れ枝のように痩せ細った腕で散らばった荷物を掻き集める。そしてもう一度持とうとするが、やはり上手くいかずに荷物を地面にぶち撒けてしまう。
これだけ荷物を抱えていれば誰か一人でも助けに入るだろうとは思ったものだが、冷たいことに誰も助けに入ろうとしない。仕方なしにユフィーリアが重い腰を上げると、
「お爺さん、大丈夫? 僕が荷物を持とうか?」
「おお、おお、これはこれはお優しい若者だ。ありがとう」
素早く老人に手を貸したグローリアに、ユフィーリアは「あ、じゃあ手伝わなくていいか」などと思ってしまった。面倒なことには積極的に関わりたくない。
しかし、グローリアは老人の荷物を両手に抱えると、
「ユフィーリアとスカイも手伝ってよ」
「ええー……ボクにそんな重たいものを持たせるとか正気ッスか?」
スカイがあからさまに嫌そうな顔を見せる。
正直な話、ユフィーリアも勘弁願いたかった。確かに【
それに、ショウから「離れないでくれ」とお願いされているのだ。彼のお願いを無碍にはできない。
すると、老爺が困ったように、
「困ったのう、誰ぞ助けてくれんか……」
「…………チッ」
ユフィーリアは舌打ちをした。
その魔法の言葉に弱い自分が、本当に憎い。
「分かった、分かったよ。運ぶだけな、運ぶだけ」
「おお、おお、心優しい娘さんよ、ありがとう」
見るからに元気になった老爺に騙されたような気さえするユフィーリアは、苛立ちを紛らわせるように散らばった荷物をまとめた。
ショウに怒られた暁には、グローリアのせいにしてやろう。
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