第5話【アズマの本家】

 木製の門扉は大きく立派で、その先に鎮座する屋敷は貴族のものかと勘違いしてしまうほどに見事なものである。

 広々とした屋敷なのに使用人などの姿はなく、伽藍ガランとした印象がある。


「……どうした?」

「……いや、お前の家って立派すぎじゃね?」


 立派な門扉の前に立ち尽くすユフィーリアは、その広く立派な屋敷を前に圧倒されていた。

 王族だと前情報はあったが、やはりその情報は正しかったようだ。【閉ざされた理想郷クローディア】の第三層にある貴族たちの住居区画でさえ、こんな立派な屋敷は存在しない。

 平然と門扉を潜って自宅の敷地内に足を踏み入れたショウは、不思議そうに首を傾げて言う。


「まだ質素な方だと思うが」

「これが質素!? お前、謙遜しすぎだろこれ!!」

「八雲神が国主を務める『ヒキツボシ』には負けるし、サイオンジ家とキタオオジ家の双方の方が立派だぞ」


 ショウが嫌悪している二つの家の名を出して、彼は小さい声で呟く。


「奴らの家は城だからな」

「城? 嘘だろ、おい。王族と同義だと言っても、マジで城!?」

「そのうち見ることが叶うだろう。趣味の悪い城だからな」


 ショウが吐き捨てるように言い、自宅である屋敷の中に入っていってしまう。その背中を追いかけて、ユフィーリアたちも意を決してアズマ家の敷地内に足を踏み入れた。

 門扉から玄関まで石畳が敷かれ、何年も無人だったというのに塵一つ落ちていない。使用人がいる気配はないのに、不思議なことだ。


「ね、ねえ、ユフィーリア。やっぱり靴って脱いだ方がいいの?」

「だろうな。さっきショウ坊、下駄を玄関で脱いでたぞ」

「ボク、突っ掛けサンダルなんスけどいーんスかね。場違いじゃねーッスか?」

「それを言うなら僕だってそうだよ!! こんなに屋敷が立派ならもう少しいい服を着てきたのに……」


 ユフィーリア、グローリア、スカイの三人はショウの屋敷があまりにも立派なので緊張していた。戦場以上に緊張していた。

 唯一、同行者の中で平然とした態度でいれるのは八雲神ぐらいのものだろう。立派な九本の尻尾をゆさゆさと揺らしながら、八雲神は「カカカカ」と笑う。


「いつもは堂々としているどころか、図々しさの塊のようなお主らが、借りてきた猫のように大人しくなるのは愉快なものじゃな」

「こ、この野郎……言わせておけば……」


 ヘラヘラと笑う八雲神を睨みつけるユフィーリア。

 すると、すでに屋敷に入ったショウが、玄関先から顔を覗かせながら言う。


「どうした? なにか問題が?」

「ぼ、僕たちこういう形式の屋敷をあまり訪れないから、ちょっと入り方の作法がね……あははは」


 グローリアが苦笑いで説明すると、ショウも合点がいったようだった。彼は「ああ」と納得したように頷くと、


「土足厳禁なので、履き物は玄関で脱いでくれ。脱いだ履き物はどこか適当な場所に置いておけば問題ない。これから屋敷の中を案内する」

「お、おう。それでいいのか……」

「むしろそれ以外になにかする訳でもない」

「玄関先で踊ってから入室とか?」

「それを本気でやろうものなら精神状態を疑わざるを得ないのだが」


 ショウがひどく真面目な態度で言うものだから、ユフィーリアは「まあそうだよな」と苦笑した。玄関先で踊ってから入る文化など【閉ざされた理想郷】にも存在しない。

 とりあえず、ショウの指示通りにするべきだ。ユフィーリアは頑丈な軍靴を玄関先で脱ぐと、綺麗に揃えられた漆塗りの下駄の隣に同じように揃えて置く。グローリアとスカイも、彼女と同じように玄関で靴とサンダルを脱いだ。


「こっちだ」


 広い玄関先から長い廊下を辿り、ショウはユフィーリアたちに屋敷の中を案内する。

 ずらりと並んでいるふすまには紅葉や桜などの木々や睡蓮すいれん菖蒲あやめなどの綺麗な花々が描かれているが、どこもかしこも閉ざされたままである。しばらく屋敷の主人は不在だったにもかかわらず、廊下や天井には埃一つ見当たらない。


「なんでこの屋敷って綺麗なんだ? お前、普段から掃除しにきてた?」

「いいや。普段、屋敷の管理はハルカ――ナンブ家に任せている。奴らは風葬術を行使する故に、掃除が得意なのだ」

「え、術式を掃除道具として扱ってんの? 器用な連中だな」

「俺も最初の頃は火葬術を料理に使えないかと思ったものだが、台所が全焼したことがきっかけでもうやらないと決めた」

「お前はなにしてくれちゃってんの?」


 さすがにユフィーリアもツッコミをせざるを得なかった。術式を日常生活に取り入れるなど、よほどのものぐさでなければやらないことだ。

 ユフィーリアでさえ術式は使わずにきちんと家事をこなすのに、火葬術など使えば台所など黒焦げになるだろう。


「この部屋で待っていてくれ。俺はハルカと少し話をしてくる」

「おう。暗がりに連れ込まれて押し倒されたら悲鳴を上げろよ」

「そんな馬鹿なことをする輩ではない」


 ショウはユフィーリアたちを広間に通すと、先程の顔を隠した青年と共にどこかへ立ち去ってしまった。

 遠ざかっていく足音を聞きながら、ユフィーリアは目の前に広がる和室を確認する。

 何畳あるのか分からないほど、どこまでも広い部屋だった。床の間には花が生けられていない花瓶が鎮座し、掛け軸には達筆すぎて読めない文字が書かれている。

 部屋に面した廊下からは庭が見え、綺麗に整えられた生垣に椿の花が咲いている。さらに、それなりの広さがある池があり、水面には睡蓮の花が漂っていた。池の中で優雅に泳ぐ魚は、ユフィーリアたち来客の存在など知らずに、広々とした池の中ではしゃいでいる。


「……エドたちとこないでよかった」


 ユフィーリアは心の底から安堵したように言う。


「エドたちが同行者だったら、確実に走り回って壁の一枚や二枚ぐらい叩き壊してる」

「君たちの年齢って一体いくつなの? 子供でももう少し落ち着きがあるよ」

「心は少年だからさ、俺らは」


 グローリアの頭の中身を疑うような台詞に、ユフィーリアはやや誇らしげに言うのだった。


 ☆


 自宅に帰ってくるのも、随分久しぶりだ。

 ショウは感慨深げに思いながら、屋敷の奥まった場所にある自室の襖を開ける。

 襖を開けた先には、たくさんの書籍が詰め込まれた本棚が特徴的な小ぢんまりとした部屋が広がっていた。壁一面に設置されて巨大な本棚は天井まで届くほど大きく、上から下まで様々な書籍で埋まっている。部屋の隅には文机がポツンと鎮座していて、机の上は綺麗に片付けられていた。

 ショウは押し入れから座布団を二枚取り出すと、一枚を顔を隠した青年――ハルカ・ナンブに投げて寄越す。一枚は自分のものとして使った。


「それで、ハルカ。【伊奘冉イザナミ】がどうした? どうせまたキタオオジ家とサイオンジ家が盛り上がっているのだろう」

「…………」


 ハルカは畳の上に座布団を置き、その上にゆっくりと正座をする。それから彼は、辿々しくも静かな調子で言葉を紡いだ。


「【伊奘冉】様のご容態が、悪化した。そろそろ、巫女を用意しないと、ダメみたい」

「ほう? それならどこの家が選出するのだ。キタオオジ家か、サイオンジ家か? 貴様のところは男児が多いから、おそらく巫女の選択肢から除外されているだろうが」


 ショウは皮肉混じりに言う。

 このワノクニを取り仕切っているのが、古来からこの極東地域に存在していた天魔――【伊奘冉】だ。

 しかし、その【伊奘冉】はこの世に顕現する為に巫女と呼ばれる選ばれし女性に憑依しなければならない。その巫女は数十年に一度だけ交代しなければならないのだが、その巫女を選出する家系はキタオオジ家、サイオンジ家、ナンブ家、そしてアズマ家の四神家しじんけと呼ばれる一族のみしか許されていない。

 もうそんな時期だったのか、と他人事のようにショウは思う。ショウの一族であるアズマ家は、現在ではすでにショウしか存在していない。選出できる巫女がいないのだから、当然選択肢からは除外されるに決まっている。

 ――そう思っていた。


「選ばれたのは、アズマ家」

「……は? 冗談だろう」

「冗談で、こんな話を持ち出さない」


 黒い布の向こう側で、ハルカが顔を顰めているのが分かる。

 選出できる巫女の存在がないのに、どうしてアズマ家が巫女を選出しなければならないのか。どこからか女児でも攫ってこいという命令か。

 忌々しげに舌打ちをするショウに、ハルカが「消去法もある」と言った。


「会議では、消去法でアズマ家に決まった。ショウの家は、参加していなかったから」

「それでか。狡い奴らめ」

「そして、ショウ、お前もキタオオジ家の思惑に、乗ってしまった。だから、

「…………連れてきた?」


 ショウが眉を寄せ、そして彼の言葉の意味を理解する。

 言葉の意味を理解したその瞬間、血の気が引いた。


「まさか――」

「アルカディア奪還軍。四人の同行者のうち、。キタオオジ家の発案」


 そして、とハルカは無情にも言葉を続ける。


「ショウは、その思惑にまんまと嵌った。失えば世界的に大損害、でもワノクニとしては全くの無関係な、史上最強の天魔憑き」


銀月鬼ギンゲツキ】――ユフィーリア・エイクトベル。

 ショウの大切な相棒にして、アルカディア奪還軍最強の天魔憑き。

【伊奘冉】の巫女として選出されてしまったのは、彼女だったのだ。

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