第4話【ナンブ家当主】

「ユフィーリア、ユフィーリア起きろ。もうすぐで到着するぞ」


 軽く叩かれたことで起床が促され、ユフィーリアの意識は急浮上する。

 重たいまぶたを持ち上げると、見慣れない天井が真っ先に見えた。霞む視界も瞬きを繰り返すことで鮮明さを取り戻し、すぐ横から見知った少年がユフィーリアの顔を覗き込んでくる。

 ユフィーリアの青い瞳と彼の赤い瞳が交錯する。黒髪赤眼の少年――ショウは困ったように眉を下げると、


「起きないならば床に落とすしかないが」

「……起きる、起きるから……床に落とすのはやめてくれ」


 椅子から床に転げ落ちるという無様な格好は晒したくない。

 ユフィーリアは欠伸をすると、上体を起こす。ガシガシと銀髪を掻くと、何故か自前の銀髪はするりと指の間を通り抜けた。

 いつもとは髪の調子が違うことに気づき、ユフィーリアは「ん?」と首を傾げる。ボサボサで寝癖がついて、手入れすら怠っている銀髪だったが、何故か今はサラサラの状態になっている。


「……なあ、ショウ坊」

「なんだ?」

「俺の髪が妙に手入れされてんだけど、お前なんかした?」

「…………さあ? 今日がユフィーリアの髪の調子がよかったのでは?」

「嘘コケ、お前全然視線が合わねえじゃねえか!!」


 明後日を見上げて誤魔化そうとするショウの両頬を、絶妙な力加減でもって抓ってやる。ご丁寧に口笛まで吹いて誤魔化そうとしたものだから、もうこれは絶対に嘘を吐いている証拠だ。

 ショウは「いひゃいぞ、にゃにをしゅる」と訴えると、


「俺はアズマ家当主だぞ」

「お前、御家で差別するのを嫌ってたじゃねえか!! ここぞとばかりに強調してくるんじゃねえ!!」


 抓っていた頬を解放してやると、ショウは恨みがましそうな視線をくれてくる。


「髪の毛を手入れしただけで大袈裟な」

「ついに全部抜ける予兆かと心配しただろうが。せめて起きてる時にやってくれ」

「……起きてる時ならいいのか? そうなのか?」

「やめ、やめろ、撫でてくるな、おいったら!!」


 手入れが完了してツヤッツヤの状態になった銀髪を撫でようと手を伸ばしてくるショウを遠ざけていると、個室に近づいてくる存在をユフィーリアは察知した。遠くから聞こえてくる話し声から、警戒心は解除する。

 閉ざされた扉が開くと、なにやら満足げな表情をしたグローリアと、疲れた様子のスカイが個室に入ってくる。


「黄泉列車って楽しいね!! 食堂車には美味しい紅茶がたくさんあったし、幽霊も乗ってるんだねこの列車!!」

「疲れた……幽霊に片っ端から話を聞いて回ろうとしてるから、本当に疲れた……」


 楽しそうに食堂車でのできごとを語るグローリアの横で、スカイが深々とため息を吐いていた。彼の制止役になるのがとても面倒だったのだろう。

 ユフィーリアはこそこそとショウに「それってなんかアレとかになんないの? 黄泉戸喫ヨモツヘグイとかだっけ?」と耳打ちすると、ショウは「乗車券が生者専用になっているから大丈夫だ」と言う。乗車券にも種類があるのか。


「ふいー、食堂車にも色々な酒があるのぅ。儂は満足じゃい」


 カカカカ、と独特な笑い声と共に扉が再び開き、赤ら顔の八雲神が戻ってきた。全身から酒の匂いが漂っているので、食堂車で酒でも飲んでいたのだろう。

 彼が戻ってくると、室内はふさふさの尻尾でいっぱいになった。ユフィーリアも思い切り半身が八雲神のふさふさの尻尾に埋もれることとなり、その極上の毛並みがさらに眠気を誘う。このままこの尻尾を枕に二度寝でもしようかと考えたほどだ。


「八雲神、尻尾をどうにかしてくれ。もふもふは触っていたいが、視界が最悪だ」

「おおっと、これはすまんかった。ちと縮めようか」


 八雲神が「ふん!!」と気合を入れると、ふさふさの九本の尻尾が萎んでしまう。せっかくふさふさを堪能していたのだが、残念だ。

 ユフィーリアは小さな声で「ちぇっ」と呟くと、


「で、どこで降りるんだったか?」

「降りる先は自分で決めることができる。今回は東火葬場ヒガシカソウバ駅にて降りる予定だ」


 ユフィーリアの何気ない質問に、ショウが淡々とした口調で答える。


「東火葬場駅は、アズマ家の統括する東区画の中心にある駅じゃい」

「あれ? 今回はなんか会議に出席するんじゃなかったの?」


 グローリアが問いかけると、ショウは心底嫌そうに言う。


「……すぐに行きたくない。少し自宅で休む」

「ただでさえ帰省に嫌気が差しているんスから、そりゃ当たり前だと思うッスよ」

「まあ、そうだよね。そう思うのが妥当だよね」

「いやー、分からんぞ。列車の出口で待機しているかもしれん」


 八雲神が冗談めいた口調で言うと、ショウはあからさまに嫌そうな顔をした。そんな未来を想定していなかったのだろう。

 彼は赤い瞳を虚空に彷徨わせると、隣に座っていたユフィーリアの存在に気づき、


「ユフィーリア」

「おう」

「サイオンジ家とキタオオジ家を殺してくれると言ったな?」

「この最強様に任せろ」

「え、なになに? 僕も面白そうだから参加していい? 大丈夫、絶対に勝てる作戦を考えるから」

「めんどくせーッスけど、可愛い部下のお願いなら仕方がねーッスね。思考回路の制御でもやってみッスか?」

「お主ら、考えることが怖いぞ。相手が四神家だということを忘れておらんな……?」


 個室が静かなる殺意と悪意に満ちたその時、黄泉列車の案内放送が流れる。

 気怠げな口調で流れる案内放送は「次の停車駅は、東火葬場駅ぃ」と告げていた。


 ☆


『東火葬場駅ぃ、東火葬場駅でぇす。駅構内を走ると大変危険ですので、ご注意ください』


 黄泉列車の案内放送に見送られて、ユフィーリアたちは『東火葬場駅』に降り立った。

 瓦屋根が特徴的な、木造建築の駅舎である。利用客もそれなりに多いのか、黄泉列車の乗車券を片手に次々と列車内に乗り込んでいく人が見受けられる。

 錆びた看板を掲げる売店や時刻表、列車の待合室など目新しいものばかりで、グローリアは紫眼を輝かせてキョロキョロと辺りを見渡して、ユフィーリアも「凄えなァ」と感想を漏らす。


「出口はこちらだ。行くぞ」


 ショウが先陣を切って、出口である改札へと向かう。先を進む彼の背中を追いかけて、ユフィーリアたちも改札へと向かった。

 駅員たちに多少驚かれながらも改札を潜ると、ユフィーリアたちを出迎えたのは瓦屋根が特徴的な建物の群れだった。白い装束を着た人々が往来を行き交い、人力馬車が道を走り、すぐ側の川沿いには柳の木が植えられている。

 初めて見るワノクニの光景に、ユフィーリアやグローリアだけではなく、スカイさえも「おお」と声を揃えて驚く。王都アルカディアや【閉ざされた理想郷クローディア】とはまた違った趣があり、どちらかと言えば八雲神が国主を務める『ヒキツボシ』と雰囲気が似ているだろうか。


「凄えな、どいつもこいつも白い服を着てやがる」

「ああ、死装束だ」

「……え? 死装束?」


 平然とユフィーリアの言葉に応じたショウが「ああ」と頷く。


「ここは黄泉の国でもあるからな。閉鎖国家と呼ばれる所以は、ここは死者しか訪れることができん」

「……俺らも死んでるって訳じゃねえよな?」

「正規の手順を踏んだから、そのようなことはない。安心してくれていい」


 死者の世界と聞いて少しばかり不安だったが、ショウの台詞を聞いてユフィーリアは安堵の息を吐く。

 すると、俄かに周囲が騒がしくなり始めた。通行人は「アズマ家の当主……?」「いや、それよりもあっちを見ろよ」などと言っている。ショウの存在を言及していることは分かるが、その後半がよく分からない。


「ショウ」


 誰かがショウの名を呼んだ。

 視線が集中する中、カラコロと下駄を鳴らしながらユフィーリアたちの前にやってきたのは、喪服を想起させる黒い着物の上から緑色の縦縞が入った羽織を肩からかけた青年だった。

 声こそは若々しい青年のものだが、顔がよく見えない。ショウは顔の半分以上を黒い布によって覆い隠しているが、こちらは顔全体を黒い布によって覆い隠している。これでは完全に前が見えないだろうが、あたかも前が見えているとばかりに振る舞うものだから違和感を覚えてしまう。

 ぬるい風にやや艶をなくした短めの黒髪を揺らし、青年は嬉しそうに言う。


「おかえり。久しぶり、だね」

「ハルカか、貴様も息災な様子でなによりだ」

「前と雰囲気が、違うけど、王都に行って変わったね」

「ああ、だいぶな」


 ハルカと呼ばれた青年は、次いでユフィーリアたちにぐるりと体ごと向いてくる。一体なにをされるのかと身構えたが、


「初めまして。ナンブ家の当主、ハルカ・ナンブです。ショウの幼馴染です。よろしくお願いします」


 辿々しい言葉で自己紹介をしてきた。

 呆気に取られたユフィーリアは、とりあえず「あ、どうも……」と返す。まさか、あっさり受け入れられるとは思わなかった。


「それよりも、ハルカ。貴様が出迎えとはどうした?」

「ショウ。家に、行ってもいい? お願い」

「それは構わないが……質問の答えになっていないぞ、ハルカ。だからどうしたと」

「【伊奘冉イザナミ】のことで、お話がある。お願い。ここだと、他の二人にどこで聞かれるか分からないから」


 聞き覚えのない言葉を聞いた途端、ショウの機嫌が急降下した。

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