第3話【黄泉列車】

 ――翌日の夜。


「ここで待ってればいいのか? 本当に?」

「ああ。乗車券を持っているから、黄泉列車は停まってくれる」


 ユフィーリア、ショウ、グローリア、スカイ、そして八雲神の五人は王都アルカディアを守る城壁の上に立っていた。

 紺碧の空が頭上に広がり、白銀の星々が瞬く。冷たい夜風が頬を撫で、それから何故か夜空から黒い影が地上をめがけて落ちてくる。落ちてくる量こそ少ないものだが、明らかに異形のものだった。

 巨大な蝙蝠こうもり獅子ししの首を持ち山羊やぎの体を持つ合成獣キメラ、薔薇の花が頭の代わりになっているなにか――人ではないことは嫌でも理解できる。

 空から降り注ぐ魔物――天魔。いつもは彼らを相手に戦っているが、今日に限ってはお休みだ。


「ワノクニまで『空間歪曲ムーブメント』を繋げてもいいんだけど、行ったことがないから演算ができないしね」

「……ボクも使い魔が潜り込めないんで、初めてッスわ」


 わくわくとした様子のグローリアの隣で、背筋を丸めた赤い毛玉が言う。

 赤い毛玉の状態は、彼の毒々しい色合いをした髪の毛だった。まるで鳥の巣のようにもじゃもじゃと癖がついた赤い髪は前髪だけが異常に長く、目元を完全に覆い隠している。さらに前髪の上から眼鏡をかけるという眼鏡の存在意義がない使い方をしているので、飛び抜けて変人であるという印象を周囲に与えることだろう。

 よれよれに着古したジャージと突っ掛けサンダルというだらしのない格好をした彼こそ、アルカディア奪還軍最高総司令補佐官のスカイ・エルクラシスである。これでもグローリアの腹心だ。


「カカカカ、黄泉列車なぞ初めてじゃのぅ。儂、あんまり『ヒキツボシ』の外に出ないからのぅ」


 静かな夜空に高笑いを響かせる八雲神に、ひっそりとユフィーリアは「そりゃ、引きこもりって呼ばれてるからな」という言葉を送った。本人が聞こえている風にはなかったが。


「つーか、ショウ坊。今日はいつもの格好じゃねえんだな」

「ああ、あれか」


 ユフィーリアが指摘をすると、ショウは自分の今の格好を見直す。

 いつもであれば上下共に黒一色の洋装で、さらに華奢な体躯を強調するように全身をベルトでグルグル巻きにしてある。変態が好みそうな服装が通常だが、今の彼は和装だった。

 喪服を想起させる黒い着物に、赤いかすり模様が入った羽織を肩からかけている。足元は革靴ではなく、漆塗りの下駄。髪型こそいつものポニーテールに鈴がついた赤い髪紐で飾っているが、格好が見慣れないと落ち着かない。


「故郷に帰るからな。それにこの格好の方が、なにかと都合がいい」

「都合が?」

「見ていれば分かる。――大いに疲れるが」


 口布の下でげっそりとした表情を作るショウに、ユフィーリアは疑問を抱いた。なんで疲れる必要があるのだろうか。

 その時、


「あ、あれかな?」


 グローリアが不意に声を上げた。

 夜空に浮かぶ月から、黒い染みのようなものが生まれる。染みは徐々に大きくなると、ガタンガタンというなにかを揺らす音が耳朶に触れた。

 その黒い影の状態は、蒸気機関車だった。煙突から黒い煙を吐き出しながら虚空を進み、それからユフィーリアたちの前までやってきて停車する。

 ぷしゅう、と目の前の扉が自動的に開くと、そこから車掌が態度悪く顔を覗かせてきた。


「あー、クソ。だりぃ。――おら、乗車券を持ってる客豚ども。さっさと乗車券を出せ」


 そう言う車掌は、黒い髪の美女だった。全身から接客するのも面倒臭いという態度が読み取れる。

 艶やかな黒髪は肩に届く程度の長さがあり、切れ長の瞳は翡翠色をしている。凛とした目鼻立ちは異性というより同性を魅了しそうな雰囲気があり、気怠そうな態度も相まって『格好いい』という印象を与えるだろう。

 着崩した車掌の制服から察するに、まともに勤務する気はないようだ。そもそも客を「客豚」と呼ぶ時点でお察しである。


「美人なのに態度悪いな、お前」

「あ? 営業妨害で殺すぞ若白髪」

「誰が若白髪だ、表に出ろ不良車掌」


 ユフィーリアと車掌による睨み合いが始まったが、ショウが二人の間に入ったことで強制的に終わる。

 車掌が訝しげな表情をその美貌に出すより先に、ショウは五人分の乗車券を彼女の顔面にお札よろしく叩きつけた。


「乗車券ならそこにある。降車駅は東火葬場駅まで」

「顔面に乗車券を叩きつけるとかどんな教育を――」


 受けてやがる、と悪態を吐こうとした車掌だが、ショウの顔を見るなり「ええ!?」と驚きを露わにする。


「あ、あ、アズマ家の当主様!? こんな辺鄙なところで一体なにを!?」

「……早く席に案内してくれ」

「ひゃい!!」


 美人な車掌は態度をあっさりと変えると、バタバタと慌てた様子で蒸気機関車の中に駆け込んだ。それから「ど、どうぞこちらへ!!」などと案内までしてくる。先程までの接客態度とは大違いだ。

 いきなり車掌が態度を変えた光景を目の当たりにして驚いたのはユフィーリア、グローリア、スカイの三人だけで、ショウは呆れたようにため息を吐き、八雲神は「カカカカ!!」と哄笑を夜空に響かせる。


「……え、なに。ショウ坊ってそんなど偉い待遇を受ける人物なの?」

「ど偉いってものじゃないぞい」


 ユフィーリアの疑問に答えたのは八雲神だった。

 薄紅色の瞳に浮かんだ生理的な涙を拭いながら、彼は言う。


「ワノクニはのぅ、四つの御家が仕切っておる。埋葬筆頭のキタオオジ家、水葬筆頭のサイオンジ家、風葬筆頭のナンブ家、そして――」


 そこまで聞いて、ユフィーリアは嫌な予感がした。

 ちらと相棒の顔を見やると、何故か彼はそっと視線を逸らした。


「――火葬筆頭のアズマ家。相棒殿はアズマ家の現当主、例えるなら王族ぞ」


 気が遠くなった。


 ☆


「えー、甲等級の壱〇伍号……ああ、ここだ。こちらです」


 車掌の案内によって通された個室は、まさしく絢爛豪華そのものだった。

 天井から吊り下がる燭台しょくだいは煌々と明かりを室内に落とし、五人座ってもまだ余裕があるほど室内は広い。座席はふかふかで座り心地もいいだろう。

 車掌はひどく緊張した様子で「そ、それではごゆっくり」などと言い残して足早に去っていった。


「……えーと、その」


 気まずい空気の中に取り残されたグローリアが、


「僕、黄泉列車の中を見学してくるね。初めてだし、色々見るところがあるかも!!」

「あ、ボクも行くッス。グローリアだけだと迷子になりそーなんで」

「僕ってそんな信用ないの!?」


 グローリアとスカイは逃げるように黄泉列車の内部の見学に行った。

 八雲神はカラカラと笑うと「儂はかわやに行ってくるぞい」と言い残して、グローリアとスカイとは別方向に逃げた。

 個室に残されたのはユフィーリアとショウだけで、ユフィーリアは胸中で頭を抱えていた。


(どうすんだよォ!! 王族なんて聞いてねえよ!!)


 正確には四神家しじんけというらしいが、扱い的には王族と言っても過言ではない。

 その王族を相手に、ユフィーリアは今まで散々非礼な態度を取っていた。タメ口、あだ名呼び、あまつさえ最初は『空っぽ野郎エンプティ』などと呼んでいた。普通なら打首になってもおかしくない。


「ユフィーリア?」

「はい!! なんでしょう!?」

「何故敬語」

「別にお気になさらず!?」


 唐突に名前を呼ばれて、ユフィーリアは思わず声を裏返した上で敬語で返してしまう。今までは対等に扱ってきたつもりだが、社会的立場で天と地ほども差があった。

 これからショウとどうやって接すればいいのだろうとぐるぐると頭を悩ませていると、列車内に案内放送が流れる。


『えー、黄泉列車をご利用いただき誠にありがとうございます。当列車は彼岸駅、墓守駅、東火葬場駅、南風葬駅を経由して終点は黄泉中央駅となります』


 なんだか聞き慣れない駅の名前がずらずらと並べられたが、どれもこれも不穏な気配しか感じない。彼岸駅、墓守駅とかお化けとか出そうである。

 やがて黄泉列車はゆっくりと動き始め、ガタガタと僅かに振動しながら虚空を走る。車窓の向こうで夜の帳が落ちた世界が後方へ流れていき、黄泉列車は空から落ちてくる天魔の障害など知ったことではないとばかりに夜空を突き進んでいく。


「ユフィーリア、先程から黙ったままだが体調でも悪いのか?」

「へあ!? いいいいえ、滅相もない!! ご心配をおかけして申し訳ねえです!?」

「だから何故敬語」

「ショウぼ、いや、ショウ様が気にすることではありません!!」


 いくら相棒とはいえ、相手は王族である。さすがに態度も改めるべきだろう。

 ところが、ショウ本人は心底嫌そうな表情を浮かべた。それからプイとそっぽを向くと、


「……だから嫌だったんだ」


 それはまるで、拗ねた子供のようであった。


「そんなに大層な扱いを受ける立場でもないのに、本当のことを明かせば全員して離れていく。――それならいっそ、普通の家に生まれた方がよかった」


 吐き捨てるように言う彼は、どうやら自分の家のことを気にしている様子だった。

 確かに、今まで普通に接していた相手が途端に態度を変えたら嫌な気分にもなるだろう。ユフィーリアも同じ立場だったら、と考えると鳥肌が立った。

 王族とも呼べる人物を相手にタメ口など首でも刎ねられそうな勢いだが、知らなければいいだけの話だ。ユフィーリアは軽く咳払いをすると、


「冗談だよ、ショウ坊。まあ、少しばかりからかいすぎた部分もあるけど」

「……冗談でもやめてくれ。ユフィーリアに敬語を使われた暁には鳥にでもなりそうだ」

「おう、それは似合わないって意味合いからか? ちょっと本気のデコピン食らってみる?」

「頭蓋骨が凹みそうだから遠慮しておく」


 それまでの張り詰めた空気はいつのまにか緩和し、ユフィーリアもだいぶ気持ちが楽になった。それもそうだ、彼はユフィーリアの唯一無二の相棒であり、今まで幾度となく死線を潜り抜けてきた戦友なのだから。

 緊張が解れたことで、ユフィーリアは「ふあぁ」と美女にあるまじき大欠伸を繰り出す。列車の揺れも心地がよく、ジリジリと睡魔が忍び寄ってきたのだ。


「眠いのか?」

「んー……悪いショウ坊、膝貸してくれ」

「了解した」


 ポンポンと膝を叩いて迎え入れる体勢を万全に整えたショウの隣に座り、ユフィーリアはゴロリと座席を目一杯使って横になる。ふかふかの座席は寝心地がよく、さらにショウの膝の高さも相まってすぐに眠気はやってきた。

 うとうとと船を漕ぐユフィーリアへトドメを刺すようにして、ショウが妙に優しい手つきで頭を撫でてくる。それが決め手となり、ユフィーリアはすぐに意識を手放した。



 膝の上で眠る美しい相棒の頭を撫でながら、ショウはふと考える。


「……猫っ毛……」


 ずっと気になっていた。

 ユフィーリアの銀髪はとても見事なものだが、彼女自身が手入れを怠っているのでいつもボサボサの状態だ。寝癖はついたままだし、風によって乱れに乱れてもそのままにされている。

 規則正しい寝息まで立て始めたユフィーリアを見下ろして、ショウは決心する。


「手入れをしよう……今がその好機だ」


 ずっと気になっていた。

 もし、ユフィーリアの銀髪が文句のつけどころのないぐらいに艶々のサラサラになったらどうなるか。ふわふわとした猫っ毛も触り心地がよくて気に入っているが、やはり髪の毛は整えておいて損はない。

 綺麗な銀髪を指先で梳きながら、ショウはユフィーリアの髪の毛の手入れを開始するのだった。

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