第13話【魔女の核は卵の中に】

 海賊船に乗って先にニライカナイへ向かったショウを追いかけたユフィーリアが見たものは、右腕を吸盤のついたタコの触手へ変貌させてショウの首を絞めるおぞましい姿をした人魚の姿だった。

 それだけではなく、彼の口から白く小さな石のようなものが吐き出されてしまう。あれは何故か敵から与えられた、地上でも同じように過ごすことができる空気飴エア・キャンディだ。あれを口の中に入れている限りは、ユフィーリアもショウも他の同胞たちも、地上と同じように過ごすことができる。

 空気飴が吐き出されてしまえば、この海の底の気圧と空気のない世界によってショウが死ぬ。その焦燥が、ユフィーリアを行動させた。


(――死なせるかッ!!)


 ユフィーリアは海賊船から飛び降りると、青い世界を泡と共に漂う空気飴を拾うと口の中に含む。

 すると、どうだろうか。何故かユフィーリアの体が軽くなったのだ。おそらく複数個含めば、地上で過ごす以上に体が軽くなるのだろう。それを利用してユフィーリアはショウより少し目線を高く飛び上がると、彼の頬に手を添える。

 そして、


「――――ッ」


 ユフィーリアは、ショウと唇を合わせる。

 口の中に含んだ空気飴の一つを、ショウの口の中に捻じ込む。彼の口の中に空気飴が転がり込んだことを確認すると、ユフィーリアはいた大太刀の鯉口を切る。

 このクソッタレな触手は――このクソッタレなアバズレ魚は、絶対に許さない。


絶刀空閃ぜっとうくうせん――!!)


 一太刀で触手を切断。

 解放されたショウを担いで、ユフィーリアは後ろに飛び退く。

 歪んだ顔を見せるアグラ――いや【海魔女ウミマジョ】を睨みつけると、ユフィーリアは精一杯の挑発をしてやる。


「よう、お魚ちゃん。楽しい時間は終わりだぜ。こっからは略奪と戦争のお時間だ、覚悟しろよ」


 ☆


 ようやくの真打登場に、戦場の誰もが安堵した。

 そしてユフィーリアもまた、安堵した。それは腕の中の少年の存在だ。


「ショウ坊、大丈夫か? 一瞬だけ気圧に晒されたろ」

「問題ない……天魔憑きの体はそこまでヤワではない」


 小さく咳き込みながら、ショウはユフィーリアに強がったような口調で言う。

 ユフィーリアはショウの額を軽く指で弾いてやると「ばーか」と笑う。


「あんまり無理すんなよ。俺の相棒はお前だけだろ」

「……確かにそうだ。無理をしないように注意しよう」


 肩を竦めたショウは赤い回転式拳銃リボルバーを手に呼び出すと、


「それでも、貴様と共に戦うことを許してほしい」

「当たり前だ。お前がいなけりゃ、俺は死んじまうよ」


 ユフィーリアはショウの頭を乱暴に撫でてやると、悍ましい人魚姫へと振り返る。

 切断された触手からは、紫色の液体がビュービューと絶えず噴き出している。藍色の瞳で睨みつけてくる人魚と対峙し、ユフィーリアはやれやれと肩を竦める。


「せっかくの美人が台無しじゃねえか。随分と不細工に成り果てたな、人魚姫様?」

「この……【銀月鬼ギンゲツキ】ィ!!」


 紫色の液体を噴き出させる触手を振るうと、海の中に紫色の液体が霧状に広がっていく。

 一歩を踏み出そうとしていたユフィーリアは、覆い隠される視界のせいで踏み留まる。迂闊に突っ込めば、果たしてどんな結末が待ち受けているか分かったものではない。

 すると、


「ユーリにだけ」

「カッコつけさせるのは、ちょーっと許せねーッスよ」


 ユフィーリアの前に、赤い髪の青年が一角獣と共に飛び込んでくる。

 一角獣ユニコーンの尖った角から透明な壁が作られて、ユフィーリアを含めてその後ろに待機する同胞たちを守るように覆う。水の流れに漂って迫ってくる紫色の霧が、透明な壁によって阻まれる。

 その横を、毬栗いがぐりのような髪をした少年が爆薬を咥えた状態で走っていった。横から一瞬だけ見えた表情は心底嬉しそうなもので、紫色の霧の中に飛び込むと甲高い「きゃあ!?」などという悲鳴がユフィーリアの耳朶に触れる。


「はれるやーッ!!」


 嬉々とした奇声を海の世界に響かせると同時に、爆発音が海の底を揺らす。

 爆風によって紫色の霧が吹き散らされる。同じく肉片と赤い鮮血が、海の青い世界を汚してしまった。おそらく肉片は自爆殺法を実行したハーゲンと、


「……惨い死に様だな」


 ショウが呟く。

 紫色と赤黒い血煙が晴れると、その向こうには再生を始めたハーゲンの体と魚の下半身しか残らなかった【海魔女】の死体があった。その死に様はショウの言う通り「惨い」の一言だ。

 ショウの首を絞めたのだから、いい気味だともユフィーリアは思う。だが、呆気なく【海魔女】は死にすぎだ。


「……【絡繰姫カラクリヒメ】と同じか?」


 ユフィーリアはグローリアへ振り返ると、


「グローリア、お前は【海魔女】が単為生殖する天魔だって知ってたか?」

「最初は知らなかったよ。でも、彼女が産んだ卵の群れを見て確信した――」

「た、卵!? お前さん、卵を見たってのか!?」


 海賊船から降りてきた【骸骨海賊ガイコツカイゾク】の船長――テイラーがグローリアに詰め寄る。

 いきなり骸骨に詰め寄られて驚いたグローリアだが、ユフィーリアが「そいつが本来の海底支部の支部長さんだよ」と投げやりに言うと、彼は何度も小さく頷いた。


「【海魔女】が僕たちのことを捕まえようとしていたのも、これからかえる卵の餌にさせられるつもりだったんだ。なんか、岩みたいな卵がたくさん地下空間に……」

「クソ!! おい【銀月鬼】殿、まずいことになるぞ!!」


 テイラーがユフィーリアに振り返って叫ぶ。

 なにがまずいことになる、とユフィーリアが言おうとしたところで、テイラーがまずいと叫んだ理由を続ける。


「【海魔女】がもう卵を産んでるってこたァ、もうすぐ孵化する時期だ!! そして【海魔女】が死んだ今、新たな【海魔女】が誕生するぞ!!」

「ンだとぉ!?」


 ユフィーリアはテイラーの話に驚く。

【海魔女】が年に一度に産卵期を迎えるという話は聞いていた。そしてたくさんの手下を増やすということも、テイラーからの情報通りだろう。

 だが、すでに卵を産んでいたとは思わなかった。そしてその卵から、新たな【海魔女】が誕生することも想定外だ。

 ユフィーリアは燃え盛るニライカナイに視線を投げる。

 綺麗な珊瑚礁は、ショウの火葬術によって容赦なく燃やされた。人魚たちもまた消し炭になったことだろう。

 しかし、その卵はまだ無事な場合は――?


「グローリア!! その卵はどこにあった!?」

「え、と。ニライカナイの地下空間にあったよ!!」

「こうしちゃいられねえ!! 【銀月鬼】殿、すぐに地下空間に向かわねえと――!!」


 テイラーがなにかを言う前に、ユフィーリアは指笛でエドワードを呼び寄せる。それからショウを担ぎ上げると、風のように走るエドワードに飛び乗った。


「お客さぁん、行き先はぁ?」

「決まってんだろ!!」


 灰色の背中に跨りながら、ユフィーリアは燃え盛るニライカナイを睨みつけて、


「ニライカナイの――地下空間だ!!」


 ☆


 紅蓮の炎に包まれるニライカナイの中を、ユフィーリアとショウを乗せた灰色の狼が風のように走り抜ける。途中で何人か、炎から逃れた小さな子供の人魚が襲いかかってきたが、軒並みショウの火葬術によって消し炭にした。

 燃え盛る珊瑚礁を駆け抜けていくと、炎の影響が及んでいない一際大きな貝殻の塔がユフィーリアたちの目の前にそびえ立つ。入り口には上に続く階段と、下に伸びる階段の二種類が存在した。


「ここか!!」


 ユフィーリアは走るエドワードから飛び降りると、階段を下ろうとする。それから少しだけ思い留まって、


「エド、お前はグローリアのところに戻れ!!」

「どうしてよぉ、俺ちゃんも一緒に」

「生まれてくる人魚の陽動撹乱は誰がやるんだ? 少なくとも、とどめを刺す役目は俺かショウ坊のどっちかになるだろうよ」


 心配そうに見つめてくる灰色の狼に、ユフィーリアは大胆不敵な笑みを見せる。


「いいか、エド。グローリアのところに戻ったら、テイラーに一斉砲撃の用意だけ頼め。どうせロクなことが起きねえ、最大火力を用意しておくに限るだろ」

「……分かったよぉ、ユーリ」


 ショウを下ろしたエドワードは、去り際に「そうそう」と振り返る。

 狼の姿をしていても、ニヤリと笑う表情が簡単に想像できた。


「ユーリったら、ショウちゃんに人工呼吸するなんてねぇ? お熱いことで」

「エド。お前ここに残るか? 代わりに生まれてくる大量の人魚のお相手をするか?」

「やなこった。俺ちゃんは大人しく伝令係になりますよぉ、じゃーねぇ!!」


 エドワードは急いでユフィーリアの伝言をテイラーに伝える為に、炎の中を駆け抜けていった。

 燃え盛る珊瑚礁の中に取り残されたユフィーリアとショウは、互いに顔を見合わせる。


「……人工呼吸……」

「だって口ん中に空気飴を押し込むには、それが一番自然な形だったからな」


 ユフィーリアは下に伸びる階段を降りながら、ニヤリと笑って相棒へと振り返る。


「サービスだぞ、喜べ」

「…………阿呆め」


 ショウは背後からユフィーリアを小突くと、ユフィーリアは軽く笑いながら階段を降りる。

 階段は薄暗く、ひやりとした冷たい空気が肌を撫でる。その気味の悪さに、ユフィーリアは舌打ちをする。


「ショウ坊、念の為にいつでも火葬術を全力で打ち込めるようにしとけ」

「了解した」


 そう言って、ユフィーリアはショウに携帯食料レーションを手渡す。先程、彼が紅蓮葬送歌グレンソウソウカを使ったことはなんとなく見えていたのだ。

 早速とばかりに携帯食料を口の中に運ぶショウ。黙々と口の中に携帯食料を運んでいた彼は、背後からユフィーリアの肩を叩く。


「なにか音が聞こえてくるぞ」

「音?」

「なにかを突き破るような、そんな音だ」


 ユフィーリアは耳を澄ますと、確かにそんな音が聞こえてくる。ショウへ振り返ると、彼も小さく頷く。それから急いで階段を駆け下りていく。

 一段飛ばして階段を駆け下りていくと、徐々になにかを突き破るような音が大きくなってくる。ようやく見えた地下空間に駆け込むと、そこに広がっていた光景に息を飲む。


「うわ」

「もう生まれているのか……!!」


 壁や足場などにびっしりと生まれた一抱えほどもある卵から、腕や魚のヒレが伸びている。卵の殻を突き破って、ついに【海魔女】の新たな子供たちが生まれてこようとしているのだ。

 そして、その中でも一際大きな卵にヒビが入り、頑丈そうな殻を突き破って艶かしい腕が伸びてくる。ついでタコのような触手が殻を蹴飛ばして、最後に粘ついた液体を纏った少女の体が殻の中から起き上がる。

 青い蓬髪を掻き上げた蛸足の少女は、孵化の瞬間を目の当たりにしたユフィーリアとショウを目ざとく見つけると、ニィと嬉しそうに微笑んだ。


「おはようございます、有象無象」

「おはよう、嘘吐きの人魚姫」


 生まれたばかりの悍ましい姿をした海底の魔女の姿をした【海魔女】に、ユフィーリアは大胆不敵な笑みを見せた。

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