第12話【勝利の号砲を鳴らせ】

「いや……いやあああ!! 私の子供たちが、私の卵たちがぁッ!!」


 アグラは燃えていく珊瑚礁を眺めて、悲痛な声を上げる。

 子供たち、というのはニライカナイで生きていた人魚たちで間違いはないだろう。ユフィーリアとテイラーが話していた内容を思い出しながら、ショウは納得する。

海魔女ウミマジョ】であるアグラ・シーグラスは、年に一度の産卵期に大量の卵を産んで我が子を増やす単為生殖の天魔らしい。果実酒をちびちびと飲みながらも、ショウはきちんと話を聞いていたので覚えている。


「ショウ君、それにエドワード君たちも。よかった、駆けつけてきてくれて」


 一角獣ユニコーンを側に侍らせたアルカディア奪還軍最高総司令官――グローリア・イーストエンドが安堵したように笑っている。どうやら見た目から怒っている気配は見えないが、彼の中身までは推測できない。

 とはいえ、間に合ってよかったのも事実だ。ショウは狂ったように叫ぶ【海魔女】を華麗に無視して、上官であるグローリアに近寄る。


「ユフィーリアや他の同胞たちはあとから向かうと言っていた。それまでの指示を頼む」

「任せて!! シズクちゃんは後方支援に、スバル君は虫を食わせた手駒を【海魔女】の残りにぶつけて!! エドワード君たちは疲れているところ悪いけど、鮫や魚たちの陽動撹乱をお願い!! ショウ君は【海魔女】本体の足止め、できれば討伐を!!」

「了解した」

「了解よぉ」

「あっははははは、ようやくお株が回ってきたねッ!!」

「分かりました、司令官!!」


 的確に指示を飛ばすグローリアの言葉に従って、ショウは赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめて【海魔女】に突撃する。

 水を操る【海魔女】と炎の術式を行使するショウでは、圧倒的に不利なのはショウの方だ。グローリアもそれが分かっているから、足止めを命令してきたのだ。「できれば討伐」というのは希望的観測に過ぎない。

 それでも、ユフィーリアが前線に戻ってくるまでの間ぐらいは、戦線を持たせる。


「おのれ……おのれ、地上の有象無象ども!! 我が子をよくも!!」


【海魔女】は憎悪に満ちた目で睨みつけてきて、右腕を大きく横へ振るう。

 彼女の腕の動きに合わせてショウへ襲いかかってきたのは、なんと巨大な水の流れである。横から押し寄せてきた水流に、ショウは抵抗できずに流されてしまう。

 それどころか、鮫や魚たちを追いかけようとしていたエドワードたちや、グローリアたちまでも水に押し流されてしまった。やはり海の支配権を奪い取った天魔なだけある。


「生まれてくる我が子や、元気に生きていた我が子を傷つけ苦しめた恨みだ……!! 貴様らも水に押し潰されて死んでしまえ!!」


【海魔女】が吠えると、海底に転がっていたショウたちの上から水の流れが押し潰そうとのしかかってくる。

 やはり海の支配者と呼ばれる天魔に、普段慣れない戦場を強いられたショウたちが敵う訳がない。地上ではどんな敵が相手でも勝ててきたが、今回の戦場ほど辛いものはない。

 体の上から押し潰そうと襲ってくる水の流れに逆らうようにして、グッと体を持ち上げるショウは赤い回転式拳銃を握り直すと、


「【火神ヒジン】……!! 薙ぎ払え!!」


 ショウを中心として紅蓮の爆発が起きる。

 網膜を焼かんばかりの炎が溢れると、水を操る【海魔女】へ牙を剥く。海の中を駆ける紅蓮の炎に驚いた【海魔女】の意識が逸れると、上からのしかかってくる水の流れが弱まった。

 その隙に、ショウは【海魔女】めがけて突っ込む。驚いて藍色の瞳を見開く【海魔女】の顎に、ショウは掌底を叩き込む。


「ぅぐッ」

「せいッ!!」


 さらに彼女の脇腹へ回し蹴りを叩き込んで、押し潰そうとしたお返しとした。

【海魔女】は「このッ!!」と再び水流でショウを吹き飛ばそうと腕を振り上げるが、


「さっせなーい!!」


 背後から正確に飛んできた弾丸が、美しい人魚の肩を貫いた。

 青い世界に少量の鮮血が滲む。【海魔女】の美貌が苦悶で歪み、ショウから遠く離れた銀色の狙撃銃を構える狙撃手を睨みつけた。


「この……!! ぃぐッ」


 再び発砲音。

 百発百中の狙撃手であるシズクが次に射抜いたものは【海魔女】の左目だった。

 頭蓋骨を貫通し、抉れた左目から血の涙を流す彼女の憎悪はさらに深まっていく。注目がシズクに集まったところで、ショウは自分の切り札を完成させた。


紅蓮グレン――」


【海魔女】の下に、紅蓮の輝きが宿る。

 気づいた時には、もう遅い。


「――葬送歌ソウソウカ!!」


 青い世界に紅蓮の炎が吹き荒れる。

 全てを焼き尽くす紅蓮の炎が、海の支配者である【海魔女】に通用しないことぐらい理解している。それでも、少しでも彼女から視線を逸らすことができれば――!!


「甘いわッ!!」

「ぐッ」


 吹き荒れる炎を割り裂いて、吸盤がついた触手が飛んでくる。

 紅蓮の炎が消えると、美しい人魚の右腕がおぞましい蛸のような触手になっていた。触手はショウの首に巻きついて、ギリギリと絞めてくる。

 酸素のない海の世界なのに、呼吸が阻害される。口の中に残された空気飴を吐き出さないように、ショウは吸盤を引き剥がそうと巻きついてくる触手と首の間に手を差し込む。


空気飴エア・キャンディを吐き出してしまえば、深海の気圧によって押し潰されて死んでしまう。かといってこのままでは――!!)


 その時だ。


「――――撃てぇぇぇ!!」


 海の世界に、号令が轟く。

 その直後に、いくつもの砲声が響き渡り、砲弾の雨霰あめあられが容赦なく降り注いだ。そのうちの何発かは【海魔女】めがけて放たれて、彼女は避ける為にショウごと引きずって降り注ぐ砲弾を回避する。


「この、砲撃は……」


【海魔女】が青い世界に視線を向ける。

 ゆっくりと青い世界にやってきたのは、ボロボロの海賊船の群れだった。帆柱には骸骨の紋章が描かれた海賊旗が掲げられていた。


「海賊船……【骸骨海賊ガイコツカイゾク】の!!」

「そうさ、その通りィ!!」


 先頭を優雅に進んでいた海賊船から、一人の骸骨が顔を出す。

 立派な海賊衣装に身を包み、海賊帽子を頭に乗せて、曲刀を腰に差した骸骨の船長――キャプテン・テイラー。彼は空虚な眼窩をぐんにゃりとひん曲げると、カタカタと顎関節を鳴らしながら笑う。


「ご機嫌よう、クソ魚。海の支配権を奪いにきたぜ」

「それは不可能ではありませんか? この私――【海魔女】に勝てるとでもお思いで?」

「勝てるさ。なにしろ、こちらには最強の女神様がついてらっしゃる」


 自信満々に言い放つテイラーに、その女神とやらが想像できない【海魔女】。

 随分と想像力が貧困な人魚である。この戦場において、最強の女神様と言えば紛れもなく彼女と決まっているのだ。


「有象無象が束になってかかってきたところで、貴方が私に勝てるとは思えませんが」

「その有象無象にこれから蹂躙されるんだ。遺言でも考えてるんだな、クソアバズレ魚ちゃんよ」

「支配者を相手に口の利き方がなっていませんね。手始めに、貴方の息がかかっているだろうこの少年から殺しますか?」


 そう言うと、ショウの首に巻きついた触手がさらに力を込めてきた。

 あまりの苦しさに意識が遠のくショウ。霞む意識の中、ついにその口から空気飴エア・キャンディと共に酸素を吐き出してしまう。

 キラキラと輝く貴方に紛れて、白い小さな石のような飴が海の中を漂う。気づいた時にはすでに遅く、海の底による気圧と空気のない死の世界がショウに牙を剥く。


(くそ……ここ、で……こんな。ところ、で)


 死にたくない。

 キラキラと輝く空気飴に手を伸ばすと、霞む視界の向こうでなにか黒いものが過ぎる。それが空気飴を拾うと、


「よくやったな、ショウ坊」


 ふに、と柔らかいものが触れる。

 硬いものが熱い舌を通じて、ショウの口の中に転がり込んでくる。それと同時にきちんと呼吸ができるようになった。

 視界の端で揺れる銀色の髪、深海の中でもなお色褪せない青の双眸。すぐ近くに迫った人形めいた美貌が、ゆっくりと遠ざかっていく。


「ユフィーリア……」


 穏やかに微笑む美しき相棒――ユフィーリア・エイクトベルは腰からいた大太刀の鯉口を切ると、一太刀でショウの首を戒める触手を切断する。

 咳き込むショウを片腕だけで担ぐと、彼女は表情を引き攣らせる【海魔女】を睨みつけて、


「よう、お魚ちゃん。楽しい時間は終わりだぜ。こっからは略奪と戦争のお時間だ、覚悟しろよ」

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