第2話【思春期事情のあれやそれ】
ザザ、ザザと波の音が近い。
ベタベタとした潮風が頬を撫で、ショウの長い髪を
「…………」
ショウは黙りこくっていた。
原因は、隣で岩に腰かけてパシャパシャと白い足で海面を蹴飛ばす銀髪碧眼の美しき相棒だ。
ユフィーリア・エイクトベル。
天魔最強と名高い【
(どうした宿主。いつもは馬鹿みたいに話しかけるだろうに)
(喧しい、事情がある)
頭の中に
自分が契約した天魔――【
そう、ショウが口を噤むのは事情がある。思春期的なあれやそれで。
先日の任務で、ユフィーリアは腹を抉られるという大怪我を負った。グローリアによる治療が見込めず、敵の監視の下で傷ついたユフィーリアを癒すにはショウの回復能力を分け与えるしかなかった。
――口移しで、だ。
(愉快愉快。まさかそんな小さなことで悶々としているなぞ、貴様も若いなァ)
(黙れ。頼むから黙っててくれ)
(【
(黙れ)
楽しそうに笑い転げる【
急な措置とはいえ、仕方がなかったのだ。だが、あの時のユフィーリアの唇の柔らかさとか口の中の温かさとか色々と思い出して悶々としてしまうのだ。天魔憑きになったショウであるが、中身はまだ一五歳の思春期の少年である。
表面上は平穏を装っていても、本当は転がってジタバタと暴れたいぐらいに悶々としているのだ。ここ最近、それが思い出されるのでユフィーリアの顔すらまともに見られない。
(どうした、なにを悩んでいる)
(喧しい……)
(先程からそれしか言わんではないか。――全く、気にしすぎだと言っておろうに。あー、あれだ。あの時の判断が間違いだったか、つまり相棒である【
(ぅぐッ)
図星である。
真面目なショウは、結局のところその部分に行き着くのだ。
気分を害しているのではないか、気持ち悪いことをやりやがった、と思っているのではないだろうかと。
だってそうだろう。
ユフィーリアは元々男性であり、その事実をショウは知っている。いくら表面上は女性でも、男性に無理やり唇を奪われれば気分など悪くなるはずだ。
「ショウ坊、どうした? さっきから黙ってばかりだけど」
「……な、んでも、ない」
隣から怪しむような声をかけられて、ショウはハッと我に返った。
見れば、ユフィーリアの青い瞳がじっと自分を写し込んでいる。「体調でも悪いのか?」と不思議そうに首を傾げるユフィーリアからは、ショウの悩みの原因となっているあのときのことなど考えている様子は一切感じられない。
――正直なところ、彼女はどう思っているのだろうか。
【
「……ユフィーリア」
「ん?」
「……えと、その、すまなかった……」
ようやく絞り出した謝罪の言葉は、波の音に掻き消されてしまうぐらいに小さく萎んでいた。
唐突に謝罪を受けた意味が分からず、ユフィーリアは「は?」と言う。
「俺、お前に謝られるようなことをされたっけ?」
「……ノワーリアでの、任務の……その」
「ノワーリアの? えーなんだっけ……どの部分だ……?」
ノワーリアの任務の詳細は覚えているようだが、謝られるようなことは一切記憶にないらしい。
「…………抉られた腹の傷を治す際、その、キ、ぃゃ、せ、接吻、して、しまった、ことなのだが……」
「あー、それか? 別にいいよ、気にすんな。犬猫に顔を舐められた感覚だろ?」
ケロッとした様子でそんなことを言うユフィーリアだが、逆にショウはちょっと傷ついた。
いくら緊急時の対策とはいえ、決死の接吻は思春期には堪えるのだ。それなのに犬猫に顔を舐められた感覚とは一体――。
さらに悶々と考えてしまうショウに、ユフィーリアは「いや、違うな」と否定してくる。
「お前は色々と考えた上で、あの判断をしたんだろ。だったら後悔するなよ、ショウ坊。お前はなにも間違っちゃいない」
「しかし……嫌だったのではないかと……」
「お前ならいいよ」
ザザ、と波の音。
はっきりと聞こえたユフィーリアの言葉に、ショウは顔を上げる。
「いや、まあな。確かに俺は元々男だし、今は異性とはいえ野郎にキスなんてされるのなんざ真っ平御免だ。たとえ人工呼吸でも、俺は死ぬ方を選ぶな」
おげ、と吐く真似をしてからユフィーリアは続けた。
「でも、お前ならいいよ。それはお前が考えて、お前の意思で行動した結果だ。否定も拒否もしない」
「何故、俺だけ……?」
「そりゃあ、決まってんだろ?」
ニヤリと笑ったユフィーリアは、
「手塩にかけて調教した好みの美人が、俺を助ける為にキスまでしてくれたんだぜ。なにされても許しちまうだろ」
その時、ちょうど運悪く「おーい、ユーリ!!」などとユフィーリアを呼ぶ声がどこからか聞こえてきて、ユフィーリアは面倒臭そうに舌打ちをしながら立ち去ってしまった。
置き去りにされてしまったショウは遠ざかっていくユフィーリアの背中から視線を外し、どこまでも続く青い海をぼんやりと眺める。穏やかな波を湛える海は平穏そのものであり、ザザ、ザザと継続的に聞こえてくる波の音が心地いい。
岩の上でショウは膝を抱えて縮こまり、波の音に掻き消されるほど小さな声で呟く。
「どういう……どういう顔で会えば……いいんだ……!!」
(普通にしてればよくね?)
「黙れ【
頭の中に響いた
☆
という訳で、今回の戦地と目的を含めて作戦会議である。
「この海はエージ海と言って、フルール大陸で最大の広さを誇る海だよ。この海底に奪還軍の支部を作り、今回はその支部から異常事態の連絡を受けたんだ」
白い砂浜に集められた奪還軍の同胞たちは、青年の声を静聴している。
作戦の概要を説明しているのは、黒髪紫眼の青年だ。
烏の濡れ羽色の髪をハーフアップにして、紫色のトンボ玉が特徴の
あまり鍛えられていない細身の体躯を隠すように白い上着を羽織り、さらに下は膝丈までの水着という海に適した格好だ。だが、常に携えている懐中時計が埋め込まれた死神の鎌が物々しい雰囲気を漂わせていた。
アルカディア奪還軍最高総司令官、グローリア・イーストエンド。――彼こそが奪還軍を束ねる頂点であり、天才と呼ばれる指揮官だ。
「でも、海に連れて行ける人数には限りがある。そこで、今回は全体の一〇分の一の割合である五〇人前後で作戦に臨もうと思うよ。もちろん、誰も死なないように僕も全力で頑張るから安心してね」
グローリアが穏やかに微笑むと、静聴していた同胞たちの中から「はーい」とスバルが挙手した。
「今回の作戦で、必要な人員はなにが基準となっているんですか?」
「海賊船の探索って話は聞いているから、今回は足の速い子と目のいい子たちが基準となっているよ」
「じゃあ、呼ぶのはシズクだけでよかったのでは? おれはいらなくないですか?」
スバルが悪気なしにそんなことを言うと、すぐ側にいたシズクが「やだやだやだーッ!!」と駄々っ子のように叫んだ。
確かに、彼の言う通りである。シズク・ルナーティアという天魔憑きは、超長距離からの攻撃を得意とする狙撃手だ。視力が優れているのは当然のことで、今回の作戦の内容にもバッチリ適している。
だが、スバルは自分の使い魔である蟲を食わせた相手を操る【
グローリアは苦笑すると「君も必要だよ」と言う。
「君の役割は、なるべく多く手駒を増やして海で動ける人員とすることだよ。今回は五〇人という少人数だからね、戦力が必要になってくることがどうしてもあるんだ」
「な、なるほど……? それならスカイさんの使い魔を使えばいいのでは……?」
「スカイは今回役立たずだよ。だって彼、魚類と両生類が大嫌いだからね」
朗らかな笑みで包み隠さずに言うグローリアに、彼の背後から「なんだとぉ……」という地を這うような低い声が忍び寄ってきた。
声の主は、日傘の下で寝転がっている赤い毛玉――もとい鳥の巣のような赤いもじゃもじゃの髪の毛が特徴の青年だった。
寝癖やら癖毛などの事情が重なってもじゃもじゃとした赤い髪の毛は鮮血の如く毒々しい色合いで、なおかつ分厚い前髪は目元を完全に覆い隠している。さらに前髪の上から眼鏡をかけるという、眼鏡の存在意義を問い質したくなるような使い方をしていた。
鶏ガラのように痩せ細った体を赤を基調としたジャージに包み、
アルカディア奪還軍最高総司令補佐官、スカイ・エルクラシス。
「ボクが役立たずなら何の為に引きずってきたんスかぁ……」
「肉壁」
「ひでえ……でも反論も面倒臭え……」
面倒臭がりを発動させ、スカイはぶちぶちと文句を言いながらも自分の役割を承諾した。それでいいのか。
グローリアは満面の笑みで自分の部下に振り返ると、
「迎えがくるのは夜だから、それまでは自由時間だよ。好きに過ごしてね」
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