第3話【ノアの方舟】
「ユーリ、これ食えるかな」
そう言ってユフィーリアに近寄ってきたのは、
童顔のせいで実年齢よりも若く見られがちであり、琥珀色の瞳がキラキラと輝いている。肌を見せることに対して抵抗はないのか、膝丈の水着以外には弾帯のように爆薬を括り付けたベルトを巻き付けただけの危険極まりない格好をしている。
少年――ハーゲン・バルターがユフィーリアに差し出したものは、
「……なにこれ」
「海で取れた」
ハーゲンの手にぐでっと垂れているのは、なにやら茶色い生き物のようだった。
縦に長く、表面はヌメヌメとしている。海藻のようにも見えるが触ってみるとぷにぷにとしていて、時折ピクピクと震える。
ユフィーリアはハーゲンの手に乗せられた得体の知れない生き物を指先で突きながら、
「いや、うーん、焼けば食えるんじゃねえか?」
「毒とか持ってねえかな」
「食ってみりゃいいじゃねえか。お前どうせ回復するんだろ?」
ハーゲンが天魔憑きになって得た異能力は、体を粉微塵にされても即座に回復することができる『蘇生術』というものだ。事故死や戦死といった外的要因が死亡に繋がる天魔憑きにとって、彼だけは死をも超越した本物の不老不死である。
本人は「別に不老不死とかほしくなかった」とは言うものの、彼は自身を巻き込んで爆発する自爆戦法を編み出してしまったので、もうその発言は撤回するべきだろう。
ユフィーリアに促されて「えー、でも毒で苦しむのオレじゃん」とハーゲンは嫌そうに言うが、視線は手の中の謎生物に注がれている。あともう一押しぐらいで食べそうな気配さえあった。
「ほら食ってみろって。大丈夫、お前なら何度でも蘇る」
「そーかなぁ。よーし、いっちょ食ってみるか!!」
すっかりその気になったハーゲンは、生のまま手のひらに垂れている謎生物を齧ろうとして、
「……それは一応、天魔なのだが。生のまま食すと危険だぞ」
「うわっほい危ねえ!!」
横合いからショウの制止が入り、ハーゲンは手のひらの謎生命体――天魔を海に向かって放り捨てた。海面に叩きつけられたそれはバチャン!! という音と共に
天魔を全力投球して肩で息をする彼は、ユフィーリアの華奢な肩をぐわし!! と掴むと、勢いよく前後に揺さぶり始めた。ぐらんぐらんと容赦なく脳味噌を振り回されて、ユフィーリアは少しだけ意識が飛びかける。
「ユーリ!! 天魔だったよ!! あれ天魔だったよ!? 食べようとしちゃったよ!!」
「未遂で済んだからよかったじゃねえか。あとハーゲン、そろそろ本気で揺さぶるのをやめろ。気持ち悪くなってきた」
「うばばばばばばばばばば」
「なんでお前はショウ坊と同じ慌て方をする訳?」
目をぐるぐると回しながらガックンガックンと前後に揺さぶられるユフィーリアは、ついに「おえッ」と
すると、混乱した様子でユフィーリアを揺さぶるハーゲンの後ろから、ヌッと太い腕が伸びてくる。何某の腕はハーゲンの首に絡みつくと、容赦なく彼を絞めた。
「ぐげえええ」
「潰れた
背後からハーゲンへ奇襲を仕掛けたのは、大変人相の悪い巨漢の男だった。
灰色の短髪と
膝丈の水着だけという格好の彼はパシパシと腕を叩いて解放を要求してくるハーゲンを自由にしてやり、その見た目に似合わず飄々とした口調で言う。
「騒がしいからなにしてるのかと思ったよぉ」
「助かった、エド。このままだと口と鼻からなにかが出てくるかと思ったところだ」
「やだよぉ、ユーリ。美人がそんな他人に見せられない顔面を晒すなんてぇ」
ユフィーリアの冗談じみた台詞に対して、強面の巨漢――エドワード・ヴォルスラムは笑い飛ばす。
「それよりもぉ。この海さぁ、ちょっとまずいよねぇ」
「まずい? なにがだよ」
「海に落ちた天魔が住み場所に適応してぇ、海の底にうようよといるよぉ。これ本当に迎えなんてくるのぉ?」
エドワードの言葉に、ユフィーリアは「うげぇ」と顔を顰めた。
別に自分が対応する訳ではないが、そんなにうようよといる海の底に行きたくない。というか、輸送の最中に襲撃でも受けたら全員揃って海の藻屑になるしかないのではないだろうか。
と、ここでまたしてもショウからのご助言が。
「魚の天魔は美味いと聞くぞ」
「えぇー、それ本当にぃ?」
「本当だ。天敵がいないから、伸び伸びと生きているらしい」
疑うエドワードに、ショウはしっかりと頷いて答える。
それを聞いてしまえば、やることなど決まったようなものだ。ユフィーリア、ショウ、エドワード、ハーゲンの四人はそれぞれ互いの顔を見合わせると、
「素潜りだな」
「
「作るよぉ、それぐらい。今流行りの工作しちゃうよぉ」
「手掴み!? なあ手掴み!?」
そういう訳で。
奪還軍切っての問題児と名高い四人は、さっそくエージ海での素潜りを開始するのだった。そこにいるのは天敵ではなく、美味しい食材だ。
☆
日も暮れて、晴れ渡った空が紺碧に染まり出す。
太陽が沈むと同時に青白い月が顔を覗かせて、しんしんと冷たい月明かりを大地に落とす。白銀の星々がぽっかりと浮かぶ月を彩り、その真下に広がる海は穏やかな波を湛える。
「迎えがくるのっていつだっけ」
「夜には迎えがくるとイーストエンド司令官は言っていたが……」
焚き火を囲いながら、ユフィーリアは枝に突き刺した魚の天魔を火で炙る。ギョロリとした魚の天魔の眼球から涙が流れたように見えたが、気のせいだろうか。
彼女の横では、ショウがこんがりと焼けた魚の天魔をもりもりと貪っている。味付けがなにもされていない野性的な料理だが、彼は文句を言うどころか次の魚に手を伸ばそうとしてユフィーリアにはたき落とされていた。
「一人三匹までって言ったろ」
「てっきり食べないものだと思っていたのだが」
きょとんとした表情で首を傾げるショウに、ユフィーリアは「よく焼いてんだよ」と言う。正直なところ、魚の天魔をそのまま食べることに多少の抵抗があるので、最後のトドメとしてこうして存分に火炙りの刑に処しているのだ。
焚き火を挟んでユフィーリアの向かいに座るエドワードは、半分ほど平らげた魚の天魔を示し、
「でも美味しいよぉ。ショウちゃんの言った通りだねぇ」
「大物は何匹か持って帰るし、家に帰ったら刺身にしようぜ!!」
ちょうど三匹目の魚の天魔を平らげたばかりのハーゲンは、琥珀色の瞳を期待に輝かせながら言った。彼の言葉に、ショウは「刺身……!!」と反応する。
おそらく魚の天魔を捌くことになるのはユフィーリアかエドワードの役目になるだろうが、二人はほぼ同時に「あー、なるほど」と納得する。
「毒見はハーゲンにやらせればいいか」
「そうだねぇ。いざとなったら自爆して全てなかったことにしてねぇ」
「体を張って毒見を実行するとはさすがだ、ハーゲン・バルター。俺は尊敬するぞ」
「あれ!? それってオレの自爆パターン確立してんじゃね!?」
なんか上手いこと言いくるめられたような気がするが、馬鹿なハーゲンはその事実に気づかず「まあいっか!!」などと明るく受け入れてしまう。この突き抜けた馬鹿さも考えものだ。
その時である。
同じく焚き火をしていた奪還軍の同胞が、夜の闇に沈む海を見て
「おい、なんだあれ!!」
「渦潮か?」
「それにしちゃ、なんでこんな陸地に近いところで渦潮が起きるんだよ」
ちょうどいい感じに焼けた魚の天魔に齧り付きながら、ユフィーリアは視線を夜の海へと投げた。
紺碧の空の下に広がる海だが、確かに目視で確認できるほどの近さに渦潮のようなものが見える。渦潮というより、海に開いた巨大な穴のようだ。ぽっかりと開くその穴の奥は闇で塗り潰されて、その先が全く確認できない状態となっている。
うっすらと塩気が残る魚の肉を
「自然現象であんなモンできんのか?」
「いや……なにかが海面で動いているようだ」
海面を睨みつけたショウは、その穴からなにか得体の知れないものが飛び出してくることを警戒して、両手に赤い
彼の言葉を受けて、ユフィーリアもまた警戒心を引き上げる。魚が突き刺さっていた枝を吐き出すと、弾かれたように立ち上がり腰から
エドワードやハーゲン、奪還軍の同胞たちもまた穴の動きに警戒するが、唯一、最高総司令官であるグローリア・イーストエンドだけはのほほんとしていた。
「あ、ようやく迎えがきたようだね」
彼がそう言った次の瞬間。
ザバリ、と海面を掻き分けて巨大な船が出現する。
表面は珊瑚や綺麗な貝殻などで彩られ、帆は張られていない。風の力を受けて海面を進むはずの帆船の形をしているものの、肝心の帆そのものがないので本来の意味を成していない。
全体に水気を纏った極彩色の帆船は、音もなく滑るように海面を進み、陸地に乗り上げてその動きを止めた。勝手に動くとはなんとも不思議な船である。
「お迎えが遅くなりまして、大変申し訳ございません」
どこからともなく響く女の声。
「お待たせいたしました、最高総司令官殿」
そして、極彩色の帆船が内部へユフィーリアたちを招くように扉を開く。
「――さあ、このノアの方舟にお乗りください。海底のアルカディア奪還軍支部まで、こちらの船でご案内いたします」
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