第1章【唐突の休暇】

 ――奪還軍の天魔憑てんまつきにお知らせするッス。本日より三日間、奪還軍の天魔憑き全員に対して休暇を言い渡すッス。なので働くな、これはアルカディア奪還軍最高総司令補佐官の命令ッス。


 朝方の【閉ざされた理想郷クローディア】に、気怠げな青年の声が全体的に響き渡る。

 ちょうど奪還軍本部へ出勤しようとしていた銀髪碧眼の美女は、足を止めて岩肌に塞がれた仮初の空を見上げる。

 透き通るような銀髪に気品ある青い瞳、目鼻立ちは彫像の如く精緻せいちに整っている。誰もが振り返るような絶世の美女だが着飾るようなことは一切せず、着古したシャツと厚手の軍用ズボン、頑丈そうな軍靴の上から黒い外套を羽織っている。細い腰を強調するように巻き付けられた帯刀ベルトには、黒鞘に納められた大太刀をいていた。

 聞き覚えのある上官の声を聞きながら、銀髪碧眼の美女――ユフィーリア・エイクトベルは「あん?」と首を傾げる。


「なんだっていきなり休暇?」

「なにか理由があるのだろう。確かめに行けばいい」


 彼女の隣を歩いていた黒髪の少年が、淡々とした口調で提案してくる。

 艶のある黒髪をポニーテールに結い、鈴がついた赤い髪紐で縛っている。少女めいた美貌ではあるものの、口元を黒い布によって覆い隠しているので全ては把握できない。炯々けいけいと輝く赤い瞳が、ユフィーリアを真っ直ぐに射抜く。全身黒づくめという格好の上から、華奢な体躯を強調するようにベルトで雁字搦がんじがらめにされた服装は、見る者の劣情を誘う。

 黒髪の少年――ショウ・アズマは「それにしても」と同じような内容を繰り返し放送する上官の言葉に耳を傾ける。


「何故エルクラシス補佐官が命令するのだろうか。彼奴きゃつは面倒臭がりで有名なはず」

「それも理由があるんだろ。これから確かめに行けばいいや」

「なるほど。理解した」


 上官が何故こんな命令を下すのか、その理由を探る為にもやはり奪還軍の本部には向かわなければならないようだった。

 颯爽と歩き始めるユフィーリアの隣を、ショウが粛々を付き添っている。最初こそ背中を追いかけてくるだけだった少年だが、今はこうして進んで隣を歩こうとしてくれている。それがユフィーリアにとっては、ほんの少しだけ嬉しかった。

 彼らは第零遊撃隊――窮地に陥った世界を救うべく奮闘する奪還軍の、最強の剣とも呼べる精鋭部隊である。


 ☆


 空から落ちてきた謎の怪物――天魔。

 雨の如く降り注いでくるその怪物によって地上から追い出された人類は、地下に【閉ざされた理想郷】という巨大都市を築いて生活していた。

 そんな人類の希望の光となったのが、アルカディア奪還軍である。彼らは一部の天魔から契約を持ちかけられて異能力を獲得した人間たちで、しかし体構造や寿命の観点から人間とは大いにかけ離れているので、区別する為に『天魔憑き』と呼ぶようになった。

 天魔憑きは日夜、地上に降り注ぐ天魔と戦って世界を怪物の手から取り戻さんと奮闘している。


「……すっげえな、なんだこりゃ」


 奪還軍本部たる大衆食堂までやってきたユフィーリアは、人でごった返している大衆食堂の様子を眺めて絶句した。その隣に並ぶショウもまた「……何故このような事態に?」と首を傾げている。

 確かに大衆食堂は天魔憑きにとっての憩いの場所とも機能していたが、まさか店に入りきらないほど人が集まるとは思わなかった。これは食事どころか店に入ることすら困難だろう。


「あ、ユーリ!! ちょうどいいところに!!」

「よう、エド。この騒ぎは一体なんなんだ?」


 集団を掻き分けて現れたのは、やたら人相の悪い巨漢だった。

 集団と比べると頭一つ分は身長差がある彼は、灰色の短い髪が特徴だった。銀灰色ぎんかいしょくの瞳には疲労が浮かび、はち切れそうな筋肉を押し込む野戦服がよれよれのしわしわになってしまっている。

 人相の悪い巨漢――エドワード・ヴォルスラムは、疲れたようにため息を吐きながら遅れてやってきた最強の精鋭部隊二人に言う。


「それが聞いてよぉ、奪還軍の本部に入れなくなったんだよぉ。なんか知らないけど、入ろうとすると足が動かなくなっちゃうんだよねぇ」

「マジかよ、病院行く?」

「そういう類のものじゃないことは、俺ちゃんでも分かるよぉ」


 ユフィーリアとショウは揃って首を傾げるしかなかった。

 奪還軍の本部が誰かに占領されたというのならばともかく、奪還軍の本部に誰も入れない状態とはこれ如何に。一体なにが原因なのだろうか。


「グローリアはどうしてんだ。スカイがこんな命令を出すなんて考えにくいだろ、あいつを経由してねえのか?」

「僕のことを呼んだかな?」


 唐突に背後から声が聞こえて、ユフィーリアは美女にあるまじき「うおおおおッ!?」と野太い声を上げて驚いた。

 背後に現れたのは、黒髪紫眼の青年である。烏の濡れ羽色の髪をハーフアップにまとめ、紫色のとんぼ玉がついたかんざしを挿している。中性的な顔立ちは女性にも男性にも見えるが、紡がれる穏やかな声は男のそれである。白いシャツに細身のズボンという簡素な服装をしているが、懐中時計が埋め込まれた死神の鎌が物々しい雰囲気を醸し出していた。

 アルカディア奪還軍最高総司令官――グローリア・イーストエンド。どこにでもいそうな青年だが、天魔憑きを率いる天才と名高い軍師である。

 彼はやれやれと肩を竦めると、


「僕も奪還軍本部の中へ入れないんだよね。おかげで仕事ができないよ」

「お前の場合はもう少し休め」


 ユフィーリアが正論を言うと、グローリアは「それは無理な相談だなぁ」と苦笑する。


「しかし、イーストエンド司令官も閉め出しを喰らったとなれば、何故エルクラシス補佐官はあのような命令を?」

「訳を聞こうにも、本人は本部の自室に引きこもっているしねぇ。『空間歪曲ムーブメント』を使って執務室に戻ろうとしても、どうしても座標の計算が狂っちゃうんだよね」


 諦めたようにグローリアは「お手上げ状態だよ」と両手をひらりと挙げた。

 すると、どうにかして本部の中に入ろうとしていた天魔憑きの連中が「エルクラシス補佐官だ!!」と騒ぎ始める。見れば奪還軍本部の大衆食堂へ赤い髪の青年が降りてきていて、自分の部下である天魔憑きたちの前の姿を現した。

 見れば見るほど、不摂生がたたったような青年である。鳥の巣のようにもじゃもじゃとした赤い髪は鮮血のように毒々しく、さらに分厚い前髪で目元を完全に覆い隠している。赤縁の眼鏡をかけてはいるが、前髪の上からかけるという眼鏡の用途を問いただしたくなるような使い方をしていた。着古したジャージをまとう体躯は鶏ガラのように痩せぎすで、さらに老人のように猫背である。

 姿を現したアルカディア奪還軍最高総司令補佐官――スカイ・エルクラシスに、天魔憑きの文句が殺到する。


「補佐官、どういう意味だよ!! 本部に入れねえんだけど!?」

「休暇は嬉しいけど、いきなり言われても困る!!」

「なにか理由を言ってくれ!!」

「悪かったところは直すから!!」


 後半へ進むにつれて、何故かどうしても別れたくない彼女のような台詞に聞こえて仕方がない。

 ぎゃーすかと喧しく騒ぎ立てる天魔憑きの集団を前に、元凶たるスカイは面倒臭そうにため息を吐いた。


「説明するのもめんど……」

「――うおおおおいッ!? そこは面倒臭がっちゃいけねえ案件だろ!!」


 説明もせずに自室へ引っ込もうとするスカイに、ユフィーリアが大声で待ったをかけた。

 スカイが胡乱うろんげに顔をこちらに向けてくると同時に、他の天魔憑きが左右に割れて道を作る。海が割れる瞬間を目の当たりにしたような感覚になったユフィーリアは、遠慮なくズカズカとその道を歩いていき、最高総司令補佐官と対峙する。


「スカイ、どういうことか説明してもらおうか?」

「――そのままの意味ッスけど」


 スカイは面倒臭そうに赤いもじゃもじゃ頭を掻いて、


「以前、ボクのせーで奪還軍には迷惑をかけたッスから。でも、ボクには給金に言及できるよーな権限は持ち合わせてねーんで、三日間の休暇を言い渡すことにしたッス。その間の全員の業務は、ボクが引き受けるッス」

「ちょっと待って、それは僕もなの? 僕はアルカディア奪還軍最高総司令官として、作戦を考えなきゃいけないんだけど」


 ユフィーリアの後ろをついてきたらしいグローリアが、自分の腹心に抗議する。アルカディア奪還軍最高総司令官である以前に、グローリアは軍師だ。作戦を考えるのが仕事であり、それを奪われてしまうとなにもやることがなくなってしまうのだ。

 その辺りはきちんと理解しているのか、スカイは「そーッスね」と頷いた。


「だからアンタの仕事も奪うッス。三日間は仕事すんなッス」

「そんなあ!? じゃあ僕はこの三日間、やることがないんだけど!?」


 いきなり腹心に冷酷な命令を言い渡されたグローリアは、その紫色の瞳に涙を浮かべた。

 そんな事情など知らんとばかりにスカイはそっぽを向くと、思い出したようにポンと手を打った。


「なら、グローリアには仕事を与えるッス」

「仕事? なにかな、どこを滅ぼせばいい?」


 一人だけ仕事を与えられたとして、周囲から「ずるいぞ」「給金の為に働かせろ」と労働者の鑑のような台詞を叫ぶ天魔憑きをよそに、スカイはグローリアへ仕事を与えた。

 パチンと弾かれる節くれだった指先。ぞろぞろと鼠の使い魔がどこからか現れて、その背中で運んでいた大量の本をグローリアの前に置く。


「今話題の推理小説のシリーズッス。全部で二四巻まであるッス」

「あ、うん……そうだね。そうみたいだね」


 二四冊もある推理小説シリーズのうち、グローリアは一冊を手に取った。その本はどれもこれも分厚く、立派な装丁のものばかりだった。

 推理小説の山を目の当たりにして引き攣った笑みを浮かべるグローリアに、スカイは冷酷に告げる。


「これ全部読んで、感想文を提出するッス」

「仕事じゃない!?」


 驚愕するグローリアをよそに、スカイは本部の自室に戻っていく。

 三日間の休暇を言い渡されて呆然とする天魔憑きたちは、これから三日間なにをして過ごすかと話し合い始める。大量の推理小説を読むように命じられたグローリアは、別の意味で築かれた本の山を前に膝をついていた。

 他の同胞と同じように三日間の休暇を言い渡されてしまったユフィーリアは、相棒へと振り返る。相棒の少年は静かに頷くと、


「ジャックポット行こうぜ」

「了解した」


 休日は満喫しなければならないのである。

 ユフィーリアはこれを機に、ゆっくりと羽を伸ばすことを決めたのだった。

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