第8話【現実でも】

「――《接続コネクト》」


 スカイは共有術を発動させて、夢の世界から解放された使い魔と感覚を繋ぎ直す。術式さえも使い魔に共有させて、広大な情報網を築き上げていく。

 元に戻っていく感覚だった。自分の視野が広くなり、自分の耳では拾えない音が聞こえて、自分の肌では認識できない感覚が、果てしなく広がっていく。


「あー、よーやく元に戻ったッス……」


 幾万にも及ぶ使い魔と感覚を繋ぎ直したスカイは、ようやく元通りになったとため息を吐いた。

 これでまたあの面倒な仕事に追われる日々がやってくると考えると気が滅入ってくるが、それでも平和を得る為にはやらなければならないのだ。「仕事とかマジで面倒ッスわ……」などとぶつくさと呟きながら、さて【閉ざされた理想郷クローディア】に戻るかと踵を返す。


「すーかーいー?」

「あ」


 すっかり忘れていた。

 スカイの目の前には、満面の笑みを浮かべるグローリアが立っていた。さらにその後ろには、アルカディア奪還軍の実働部隊まで。今までの所業を全て見られていたのだ。

 視線をそっと逸らしたスカイは、誤魔化しの言葉を探していた。だが、あれだけの大技を出しておきながら「全部幻想ユメでした」なんて言い訳が通用するとは思えない。


「……えーと、その」

「今のなにかな?」


 グローリアがにっこりと微笑みながら、やたら緊張感のある声で問いかけてくる。


「契約の限定解除? 術式の昇華? ――君は一体なにをしたのか、分かってるのかな?」

「…………その、はいッス」

「契約の限定解除なんて危険だよね? しかも術式の昇華ってなにかな? 説明してくれるよね、もちろん?」


 どうやら言い逃れは許してくれないようだ。

 スカイは迷った。大いに迷った。

 天魔憑てんまつき以前に人間ではないスカイだからこそ為せる技であって、その事実を説明すれば全員のスカイを見る目が変わってしまう。スカイは【魔王マオウ】とリリィ・エルクラシスの子供であり、その役目は【魔王】と契約をして【魔王】の新たな肉の器になることなど口が裂けても言えない。

 だが、状況がそれを許さない。グローリアの無言の圧力に耐えかねて、スカイは観念したように口を開いた。


「ボクは人間じゃねーッス」

「知ってるよ。僕も同じだもん」

「そーじゃねーッス。天魔憑き以前に、ボクは人間じゃなかったんスよ」

「…………それは、どういう意味かな?」


 さあ、言え。

 言ってしまえ。

 そして、彼らの前から姿を消せ。


「ボクは【魔王】と人間の間にできた子供ッス。この体には、半分天魔の血が混ざってるッス」


 周囲が水を打ったように静まり返る。

 誰もが固まり、息を飲み、そしてスカイを見つめている。彼らと視線を合わせられずに、スカイは顔をうつむけた。


「ごめん……本来なら、多分、アンタらの敵になってるッス。半分とはいえ天魔ッスから。だから、ボクはアンタらと一緒にいちゃいけねーんスよ。だってそーッスよね、天魔憑きだけど、でも半分は」


 スカイの訴えを遮って、グローリアが告げた答えは簡潔だった。


「知ってたよ。君が半分だけ天魔だって」

「だったらなんで」

「でもそれが、なにか問題でもあるのかな? 君自身が人類に牙を剥いた訳でもないのに」


 グローリアは朗らかな笑顔を保ったまま、


「今回のことは、黒幕がいるんでしょ? それが君から使い魔の主導権を奪った元凶であって、君自身はなにもしていない。だったらいいじゃない、スカイはスカイなんだから」


 グローリアの言葉に同調するように、他の奪還軍の天魔憑きも頷く。


「どっちかって言ったら、グローリアよりもスカイの方が性格面では信用できるよな」

「同意する。面倒だなんだと言う割には、与えられた仕事を素早くこなす姿は好感が持てる」

「色々と便利よねぇ、補佐官の情報網ってねぇ」

「だよな。地上の情報とかすぐに知らせてくれるもんな」

「逆に言えば監視されてるよーで怖い部分もあリ♪」

「みんな、意外と僕の扱いが酷いよね!? そろそろ泣くよ!?」


 ユフィーリアの冗談めいた本気の言葉をショウが同意して、グローリアがやや涙目の状態で叫ぶ。他の天魔憑きも「情報に関しては感謝してる」だの「別によくね?」だの「つーか半分だけ天魔っているんだね」だの耳を塞ぎたくなるほど騒ぎ始める。

 共通して言えることは、奪還軍とは意外と寛容だったのだ。半分だけ天魔の血が流れているスカイを気味悪がらずに、笑って受け入れてくれたのだ。

 じわりじわりと湧き出てくる温かな感情が面倒臭くて、こそばゆくて、スカイは着古したジャージの上から自分の痩せ細った胸板をガリガリと掻いた。感じたことのない感情の波に、どう反応すればいいのか分からなかった。


「まー、その、適度に頑張るんで、見捨てねーでほしーッス」

「冗談じゃないよ、君を見捨てるなんて!!」


 他の天魔憑きに散々いじられたグローリアが、そう叫ぶ。


「君を見捨てたら、天魔との戦争になんて勝てる訳がないじゃないか。君こそ、天魔を傷つけないでなんて生易しいことを言わないよね?」

「言う訳ねーじゃねーッスか。少なくとも、ボクにとって天魔は面倒な敵ッスよ」


 半分だけ天魔の血が流れていようが、その認識は変わらない。

 吐き捨てるようにスカイが言うと、グローリアは「じゃあ、いいじゃないか」と応じた。あまりに軽い反応だった。


「じゃあ、帰ろうか。もう疲れただろうし」


 ☆


「そーいや、どーしてボクのことを知ってたんスか」

【え?】


 ようやく自分の住処に帰ってきたスカイは、数多の水晶板に囲まれた薄暗い部屋の中心で膝を抱える。

 世界中に散らばった使い魔は、今も地上の情報をスカイへと届けてくれている。風の音、天魔の会話、鳴き声――様々だ。全てがスカイにとって貴重な情報で、グローリアにとっては作戦の要とも言えようか。

 いつものように情報収集をしながら、スカイはグローリアにそう問いかけていた。

 彼はスカイが半分だけ天魔であると知っていた。スカイは誰にも教えたつもりはないのだが、何故グローリアは重大な機密事項を知っていたのか。


【君が眠りから覚めなくなって、病院に担ぎ込んだ時かな。血液検査をしてもらったんだけど、君の血液型が出なかったんだよ。正しくは判定できなかった】

「……人間でもそんな現象なんてありそーッスけど」

【だから、ちょっとだけ記憶を覗かせてもらったよ。個人情報を探るようで悪い気はしたけれど、まあ仕方がなかったことだし】


 軽い調子で笑うグローリアだが、その言葉の意味はかなり恐ろしいものだった。他人の過去を勝手に覗くとはこれ如何に。

 時間と空間を操る彼だからこそ為せる技なのか、とスカイは苦笑した。あまり彼に逆らわない方がいいのかもしれない。


【それはそうと】

「なんスか」

【君はどんな夢を見ていたのかな?】

「過去を見れたんだから、覗けたんじゃねーッスか?」

【僕は過去に起きた事実は覗けたけど、君がなにを見てなにを思ったか分からないんだ。だから、君の口から聞かせてくれると嬉しいんだけど】


 そんなことを言うグローリアは、やたらと楽しそうだった。

 スカイはあの泡沫うたかたの夢の内容を、このいじり倒してきそうな気配しかしない彼に話すのが嫌だった。あの世界はとても平和で、みんなの笑顔で溢れてて、だからこそ退屈で、できることなら思い出したくなかった。

 だがグローリアに【はーやーくー】とせがまれたので、スカイは観念して話し始める。


「……あの世界は天魔がいなかったッス。天魔と和平を結んだから、もーボクらは戦う必要がなかったんスよ」

【そうなんだ。でもその現実は絶対にあり得ないね、僕が許さないから】

「【閉ざされた理想郷】は歓楽街として残ってたッスけど、人類は地上に出てきて平和に暮らしてたッス。もちろん、奪還軍のみんなも色々と楽しそーに過ごしてたッスよ」

【それはいいなぁ】

「グローリアは推理小説とか、大衆小説を読み漁る読書家になってたッスよ」

【平和になったらそれもいいかもね】

「ユフィーリアやショウ君なんかは相変わらずッス。平和になったらなったで、また厄介ごとでも持ち込んできそーな予感はあるッスけど」

【特にユフィーリアがね。彼女、自分が問題を起こしてるって自覚はあるみたいだし】

「…………あとは、特に」


 嘘だ。

 本当は、グローリアにも話していない夢の話がある。

 あの泡沫の夢の中で、グローリアはスカイに「大切な友達」と告げたのだ。友人がいなかったスカイにできた、初めての友達である。しかも一番身近にいた人物からそう呼んでくれたのは、とても嬉しかったものだ。

 だが、現実世界にそんな関係を持ち込むのは禁忌だろう。泡沫は泡沫の中で済ませておくのが有効なのだ。

 あの世界は崩壊した。スカイが自らの手で崩壊させたのだ。――確かにあの夢の中で生きていた彼らを、スカイは余さず殺したのだ。


「グローリア」

【なにかな?】

「いつか、ボクらが戦場から解放される時ってくるんスかね」

【くるよ。その為に僕たちはこうして毎日、寝る間も惜しんで作戦を立ててるんじゃないか】

「……ボクがぶっ倒れた原因ってそれじゃねーッスよね?」


 まさかとは思うが、徹夜に付き合いすぎてリリィ・エルクラシスの術中に嵌ってしまったのだとしたら、それはそれで嫌なものだが。

 擦り寄ってきた黒猫の頭を撫でながらスカイが虚空を半眼で睨みつけると、


【そんなことないよ。腹心である以上にである君を、粗末に扱ったりなんかしないよ】

「……………………」


 大切な友人。

 グローリアはなんでもない調子でそんなことを言ったが、スカイは聞き逃さなかった。


「ボクのこと、友人だと思ってたんスか」

【そうだよ。いつでも君のことは大切な友人だと思ってるよ】


 しかも否定することもなかった。


【だから平和になったら君と色んなものを見て、色々と話がしたいな。日向が苦手な君を無理やり外に引っ張り出すのは気が引けるけど、天魔のいなくなった空を眺めながらお茶でも飲みたいよ。もちろん、ユフィーリアやショウ君と一緒に賭け事をしても楽しいだろうし、エリスと一緒に本屋に入り浸ったりするのも悪くないけれど、やっぱり最初は君と戦争の疲れを労いながら「やっぱり平和はいいものだね」って話したいかな】


 グローリアの願望は人並みであった。

 卑劣極まりない作戦ばかり考えるのに、願いは純粋無垢な子供のようで。

 スカイは「ヒヒッ」と笑って、


「ボクでよければ、喜んで」

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