第7話【魔王の君臨】

 意識が浮上する。

 泡沫うたかたの夢からようやく解放されたスカイは、ゆっくりと瞳を開いた。視界は分厚い前髪で覆われていて、髪の隙間から見慣れない天井が覗いている。

 どこだ、ここ。

 夢から覚めたスカイが最初に抱いた疑問はそんなもので、まだあの泡沫の夢の世界から帰ってきていないのかと思ってしまった。


「――スカイ? 起きたの!?」


 聞き慣れた声が、起き抜けのスカイの耳に届く。

 視線を移動させると、まず最初に認識したのは紫色の瞳。烏の濡れ羽色の髪をハーフアップにまとめ、かたわらには懐中時計が埋め込まれた死神の鎌が立てかけられている。

 グローリア・イーストエンド。

 スカイの常識に照らし合わせればアルカディア奪還軍最高総司令官の青年だが、あの泡沫の夢に続きがあれば平和ボケした阿呆になっているはず。

 紫色の瞳を潤ませて「よかった……よかったよ……」と安堵するグローリアに、スカイは確認するように問いかけた。


「……ここ、どこッスか。奪還軍の本部って訳じゃねーッスよね」

「ここは病院だよ。【閉ざされた理想郷クローディア】の第一層にあるんだ」

「……天魔と和平を結ぶなんつー、馬鹿げた真似はしてねーッスよね……?」

「なに言ってるの、スカイ? 僕がそんな生易しい手段を選ぶと思う?」


 心外な、とばかりにグローリアは答えるが、やはりここはスカイの知る現実世界だった。自分の知る、敵に対して容赦の欠片もないグローリアである。

 スカイは「ふひひッ」と笑うと、


「やっぱり、アンタはソッチの方がいーッスよ」

「……スカイ、どうしちゃったの? 寝ている間になにかあった?」

「平和ボケした世界に閉じ込められてたッス。とっても幸せで、誰もが笑顔で、退屈しかねー世界ッス」


 だから、壊した。

 だから、殺した。

 なにもかも、なにもかも、すべからく、自分の仲間たちを傀儡くぐつにして世界中を蹂躙した。夢の世界は崩壊し、ようやくスカイを解放したらしい。

 本当はあの世界に閉じこもっているのも悪くはなかったけれど、天魔がいなくなった世界を堪能するのは現実世界であってもいいだろう。

 鈍い痛みを訴える頭を押さえて、スカイはゆっくりと上体を起こす。何日眠っていたのか知らないが、全身が凝り固まっていてギシギシと軋む。


「……?」


 額を押さえて、スカイは首を傾げる。

 使い魔と感覚を繋いでいたはずなのだが、全て繋がりが絶たれている。一人だけ知らない場所に放り出されたような、寂しいというか落ち着かない感覚に陥る。


「《接続コネクト》」


 使い魔と感覚を繋げようと術式を展開しようとするも、範囲内に使い魔の影がないので術式が届かない。

 スカイは首を傾げて、事態を知っているだろうグローリアに問いかける。


「グローリア、地上はどーなってるんスか?」

「…………えっと」


 グローリアは言いにくそうに言葉を濁す。

 彼のそんな反応に、スカイはなにかを察知した。だからグローリアに飛びついて、


「教えてほしーッス。ボクが寝てる間、なんかあったんスか」

「……君の使い魔が暴走し始めたんだ」


 観念したようにグローリアは答えて、


「今はユフィーリアたちが食い止めているけれど、戦線が崩れるのも時間の問題だよ。なにせ君の使い魔だ、無闇に傷つける訳にはいかないからね。だから、なるべく傷つけないようにって言ったんだけど」


 その先を聞くことはなかった。

 スカイはグローリアの肩を掴み、ブンブンと前後に激しく揺さぶる。


「今すぐ!! 今すぐ地上に連れて行ってほしーッス!!」

「わわわわわ、スカイ待って待ってなんでそんなに暴走してるの待ってぇ!?」


 脳味噌を容赦なく揺さぶられたグローリアは、演算どころではなかった。

 しばらくグローリアが立てないほどに揺さぶってしまったことに、スカイは後悔の念を覚えた。


 ☆


 殺せ、いや殺すなーッ。

 殺したいのに殺せないってなにそれ拷問!?

 殴れ殴れ!!

 殴っても死ななければいいんだろ、こっちがやられちまうよ!!


「…………すげー怒号と罵声が飛び交っているんスけど」

「そりゃあ、そうでしょ。みんなには『絶対に殺すな』って言ったんだもん」


 揺さぶりから回復したグローリアの『空間歪曲ムーブメント』によって、スカイは地上までやってきていた。

 分厚い曇天が空を覆い、その下に広がる世界はまさに地獄絵図。見覚えのある仲間たちが本来の敵である天魔とも呼べない怪物を相手にしているが、殺すなと言われているので苦戦しているようだった。

 特に最前線で戦っている銀髪の女と黒髪の少年は、絶妙な連携で暴走する使い魔を退けているが、彼らの疲労は表情から読み取ることができる。


「スカイ、ここからなら使い魔の主導権を取り戻せる?」

「…………やってみるだけやってみるッスけど、あんま期待しない方がいーッス」


 スカイは深呼吸をして、暴走状態に陥っている使い魔に意識を向ける。


(――術式の展開。《接続》)


 意識を細く伸ばしていき、まずは近くにいた鼠の怪物に術式を潜り込ませる。眼球が一つしかない鼠の怪物だが、手持ちの使い魔の中では最も体が小さいので小型の通信機代わりとして用いていた。

 のだが、


「――ッ」


 ぶつ、と無理やり神経を引きちぎられるような痛みが、脳裏に走る。

 スカイは痛みに顔を顰めて、心配そうな表情でかたわらに佇むグローリアに「接続できねーッス……」と言う。


「誰かがボクの使い魔を乗っ取ってる状態ッスね……」

「心当たりはある?」

「……まあ、一応」


 こんなことをする奴なんて、一人しかいないだろう。

 リリィ・エルクラシス――忌々しいスカイの母親。


「【夢獏ユメバク】っつー天魔を知ってッスか」

「聞き覚えがないけれど」

「ッスよね。結構昔の天魔ッスけど、夢を自在に操る天魔ッス」


 グローリアは紫色の瞳を瞬かせると、


「つまり、スカイの使い魔は夢の中に閉じ込められてるって訳?」

「眠り続けていたボクから伝播でんぱしたんでしょーけど、ボクが主導権を握れねーとゆーことは夢の中に閉じ込められてるって考えて間違いはねーッス」


 こんな卑劣なことを考えるのは、やはりリリィぐらいのものだろう。

 あのアバズレ、どこまで自分の息子を苦しめるのだろうか。やはりあの女は母親でもなんでもない、あの女の股から生まれた自分を恨みたい。

 とはいえ、ここで悩んでいても仕方がない。スカイは「策はあるッス」とグローリアに言う。


「全員を撤退させてほしーッス」

「撤退?」

「ボクに任せてほしーッス」


 グローリアはスカイの決意になにかを言いかけたが、彼の決意が揺るがないと判断すると懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を曇天に掲げる。


「適用『時告げの鐘ベル』」


 スカイはその術式を知っている。

 時計塔の鐘の音を再現するもので、奪還軍では撤退を告げる合図として用いられていた。その音は近くで聞けば確実に鼓膜が破れるほど凶悪な威力を誇るのに、何故か当本人はケロリとしているというおかしな仕様となっている。

 急いで耳を塞ぐと同時に、曇天に撤退を告げる鐘の音が鳴り響いた。

 がらーん、ごろーん、と荘厳な鐘の音が戦場を駆け巡る。使い魔を相手にしていた奪還軍の天魔憑きたちは、弾かれたように鐘の音が聞こえた方向を見上げた。それから彼らはグローリアとスカイの姿を認めると、暴走する使い魔との戦闘を切り上げて撤退し始めた。


「でも、スカイ。彼らを撤退させてどうするつもりなの?」

「…………ボクが泡沫の夢から出てきた方法を試すだけッスよ」


 あの泡沫の夢を壊した方法は、確かに覚えている。実践したことがないが、でもやってみる価値はあるだろう。

 撤退してきた天魔憑てんまつきたち――特に第零遊撃隊のユフィーリアとショウは、スカイに対してなにかを言いたそうにしていた。労いの言葉の一つでもかけてやるべきなのだろうが、すぐに使い魔の対応をしなければ奪還軍が数によって押し負けてしまう。

 だから、


「お疲れッス。今まで戦線を支えててくれて感謝してるッス。あとはボクに任せてほしーッス」

「……お前になにができるんだ?」


 ユフィーリアからの辛辣な言葉に、スカイは「ボクにしかできねーことッス」と答える。


「だから全員、手出しは無用ッス。――ボクは平気なんで、本当に手出しはしねーでほしーッス」


 そう言って。

 スカイは、たった一人で前線へ向かった。

 誰もが驚き、グローリアも切羽詰まった声で「スカイ、危ないよ!!」と叫ぶ。仲間の天魔憑きの脇を通り抜け、スカイは一人で暴走状態の使い魔と対峙する。

 津波のように押し寄せてくる使い魔の群れをしっかりと見据え、スカイは珍しく猫背の姿勢を正した。ピンと背筋を伸ばして、少しでも彼らの主人であるという認識を持たせる為に。


「――この間抜けども、誰に逆らおーとしてるんスか」


 スカイは吐き捨てる。

 生温かい風が、スカイの目元を覆い隠す分厚い前髪を攫う。その下から現れた瞳の色は翡翠、そしてその虹彩には。


「【魔王マオウ】の御前ッスよ、ひれ伏せ駄犬」


 ――紫色に輝く、魔法陣が浮かんでいた。


「契約の限定解除、術式の昇華を開始」


 ガチャン、と自分の中にある鍵のかかった部分が、音を立てて壊れた。

 スカイの双眸に浮かんでいた魔法陣が、バラバラに解けて再び繋がる。それは先程の幾何学模様きかがくもようとは打って変わって、より複雑な魔法陣を織りなしていた。


「《さあ、凱旋だ。壊れた玉座を蹴飛ばして、汚れた王冠を脱ぎ捨てて、しかしその威光は幻想さえも蹂躙せん》」


 ふわり、と。

 重力に従って、スカイの体が浮かび上がる。

 一体なんの魔法を見せつけられているのか、と誰もが思った。いくら天魔憑きだったとしても、重力に逆らって浮かび上がることなどできやしない。

 それなのに。


「《夢よ終われ、願いよ潰えろ、この世には絶望と理不尽しかないと嘆き悲しむならば――泡沫に叛逆せよ》」


 スカイは右手を持ち上げる。

 瞳に浮かぶ魔法陣と同じものが、スカイの背後に展開される。妖しく輝く複雑怪奇な幾何学模様の中心が揺らめくと、黒いなにかが音もなく飛び出てきた。

 それは、龍の首だった。

 漆黒の鱗を持ち、ギラリと輝く爬虫類の瞳で暴走する使い魔たちを睨みつけ、左右に引き裂けた口からしゃがれ声が紡がれる。


【――ほう、なるほど。状況は理解した。幻想を破壊するのだな?】

「できねーッスか?」

【愚問だ、宿主。我が名は「魔王」――幾万の傀儡の頂に立つ王よ】


 左右に引き裂けた龍の口に、黒い光が灯る。

 スカイは口の端を持ち上げて笑うと、


「――黒き龍皇の咆哮ドラゴンブレス!!」


 龍の口から放たれたものは、漆黒の炎だった。

 大地を埋め尽くさんばかりに襲ってきた使い魔たちは、龍の口から放たれた黒い炎に残さず焼き尽くされる。

 しかし、焼かれたのは使い魔の体ではない。その中に巣食う、夢の世界に閉じ込める術式そのものだ。


「絶望しかない世界でも、夢には縋らねーッス」


 破壊されていく夢の残滓ざんしを眺めながら、スカイは吐き捨てた。

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