第4話【鏡の回廊、居座る男】

 ひゅうお、と冷たい風がショウの頬を撫でた。

 氷柱によって地面に縫いとめられた天空の城は、今もなお虚空に浮かび続けている。どういう原理かは分からない、なにか浮力を生み出しているものがあるのだろうか。

 馬車のほろから顔を出して外の世界を観察していたショウは、馬車の中に戻るとその隅っこを見やる。


「……イーストエンド司令官」

「あばばばばばばッ」

「……無理をしてついてこなくてもよかったのでは? エルクラシス補佐官の使い魔を通して指示を出せば」

「ぼ、僕だってやる時はやるんだよ!?」


 馬車の隅っこで死神の鎌に縋り付いて震えるグローリアは、涙目になりながらもそう叫んだ。どうしてわざわざ戦場にまでやってきたのか、ショウには皆目見当もつかない。

 そもそも、グローリアにはまともに戦える能力を有していないのだから、戦場に出なくてもよかったはずなのだ。スカイの使い魔を通してショウに命令を下せば、彼の命が危険に晒される心配はない。

 やる時はやると言っても、体術すらろくすっぽできないもやしっ子がなにを言っているのやら。

 グローリアの判断に首を傾げていると、八本足の馬を通じてスカイが気怠げな声で言う。


【まーまー、大目に見てやってあげてくだせーッスよ。エリスの婆さんを助けた時に発破をかけられたから、今度は自分はやってやる番だって意気込んでるんスよ】

「よ、余計なことは言わないでいいの!!」

【ふひひッ。働かせようとした罰ッスよ、この野郎。抱えてる恥ずかしいモン晒しちまえッス】


 馬自体は可愛らしい顔をしているというのに、何故かスカイの声を通じることによって悪どい笑みを浮かべているようにも見えてしまう。可愛い馬が台無しである。

 可哀想な主人に仕えたものだな、とショウは素直な感想を抱いた。そして自分もまた馬車の床に腰を落とし、瞑想めいそうするように瞳を閉じた。

 術式はまだ使える。空腹さはそこまでない。いつもならユフィーリアがなんでも収納できる外套から携帯食料レーションを出してくれるのだが、頼みの綱である彼女の補給は期待できない。

 無理をせず、体術での無力化を図るか。ユフィーリアを救出でき次第、グローリアの『空間歪曲ムーブメント』によって地上まで運んで貰えばいいだろう。自分の命がかかっているのだから、グローリアもまともに座標の計算をするはずだ。


【見えてきたッスよ】


 スカイの言葉に、ショウは目を開く。

 幌を持ち上げて外を確認すると、確かに巨大な城が眼前に迫っていた。それは息を飲むほど美しく、荘厳な王城である。パレスレジーナ城と同等といっても過言ではない。

 だが、不思議なことに入り口らしいものが存在しない。門扉どころか隠し扉すらない様子である。


【どうやって入るんスか】

「この位置から僕が『空間歪曲』で移動するよ。座標の計算をするから少しだけ時間を貰うけれど」


 そう言って、グローリアは懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を構えて立ち上がる。先程「あばばばばばばば」などと叫んで微振動を起こしていた姿からでは想像もつかないほど、堂々とした姿だった。

 グローリアの『空間歪曲』には不安があるが、まあ彼自身の命がかかっていれば問題ないかと判断する。ショウは『空間歪曲』が繋がるまで待機して――、


【うわッ】

「なに?」

【城からなんか変な鳥が追いかけてくるッス!!】


 スカイの報告に、ショウは再び外を確認した。

 城からなにか鳥のようなものが、何匹も飛び出してくる。首のない翼竜――ユフィーリアを連れ去った、あの怪物。

 ショウは赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめ、馬車から身を乗り出して襲いかかってくる翼竜へと照準する。 あの化け物どもには恨み辛みがありすぎる。


「くたばれ」


 口汚く罵って、ショウは立て続けに三発ほど火球を放つ。

 馬車に襲いかかろうとしていた首のない翼竜は、火球に触れると一気にその全身が燃え上がる。紅蓮の炎に包まれた翼竜は、抵抗すらできずに墜落していく。

 燃やされたことによって体の構造が脆くなっているので、落ちる時の重力やら風やらに耐えきれなかったのだろう。ボロボロと崩れ落ちていく翼竜の、なんと無様なことか。

 しかし、相手の勢いは止まらない。城に近づいてきた侵入者を排除せんと、翼竜は次々と馬車めがけて飛んでくる。その度にスカイが悲鳴を上げる。


「数が多い!!」

「でも頑張ってさばいて!! あと少しでまともなところに繋がりそうな座標を確保できる!!」


 グローリアもまた死神の鎌を握りしめて頑張っている様子だった。スカイも吐きそうになりながら、必死に翼竜から逃げ回っている。

 空腹がどうした。ユフィーリアを助ける為なら、その命ぐらい使ってやれ。

 ショウは自分の胸を服越しにぎゅうと掴むと、その赤い瞳に光を宿す。


「【火神ヒジン】!! 術式の構造を体力依存ではなく生命依存に切り替える!!」

【なるほど。相棒の為に貴様は命を懸けると、そう言うのか?】

「それぐらいしなければ、ユフィーリアは救えん!! 体力が尽きて救えなかったら、話にならん!!」


 誰もが頑張っているのだ。

 だから、自分もそれ以上に頑張らなくてはならないのだ。

 ショウはユフィーリアの相棒だ。相棒を助けるのだったら、命ぐらい賭け皿に載せてやる。

 否定してくるかと思った【火神】だが、彼は面白そうに笑っていた。


【面白い。いいだろう、その命が尽き果てるまで存分に暴れるがいい!!】


 カチン、と自分の中でなにかが切り替わる音がする。

 ショウは赤い回転式拳銃を構え直すと、鎌首をもたげて馬車の中へ突撃しようとしてきた翼竜に火球をぶっ放す。放たれた火球の大きさは通常の拳大ではなく、その二回りぐらい大きなものだった。


「クケエッ!?」


 声帯どころか頭さえ持たない翼竜が、謎めいた絶叫を上げる。

 急いで回避しようとしたところで、放たれた火球がただの炎だとは思わないで貰いたい。回避に成功して安堵した様子の翼竜に、爆発した火球が飛びかかる。


「キエエエエエエエエエエエッ!?」


 たかが火球の爆発ではない。

 それはもはや、手榴弾よりも威力の強い爆発だった。目を焼かんばかりの光の乱舞と、爆風が馬車の中にいるショウとグローリアの二人を煽る。

 熱線を全身に浴びた翼竜は、一瞬で黒焦げになって墜落していく。悲鳴すら聞こえない。風に煽られて脆くなった体がボロボロと崩れ落ち、虚空に消えていく。


「すごいなぁ、そんなこともできるの?」

「術式の構造を体力依存ではなく、生命依存に切り替えた。あの一撃は俺の寿命を削ることで放たれる」

「…………そんなことをして、ユフィーリアは褒めてくれると思う?」

「褒めてくれはしないだろうが、そうでもしなければ救出は難しいと判断した。神宮『斗宿ヒキツボシ』にて、ユフィーリアが命を懸けて悪夢の繭から【火神】を取り戻そうとしてくれたように」


 今度は、自分が命を懸けるのだ。

 ユフィーリアは望まないだろうけど、そうでもしなければ釣り合わない。

 火球の威力を目の当たりにしたらしい翼竜が警戒して近寄ってこないので、グローリアの座標計算は順調に進んだようだった。空間が歪み、さながら水滴を受けた水面の如く揺らぐ。


「『空間歪曲』が繋がったよ!!」

「了解した」


 ショウは翼竜の動きを警戒しながら、グローリアが生み出した空間の歪みに向かう。

 先に空間の歪みへ飛び込んだグローリアを追いかけて、ショウもまた歪みの中へと足を踏み入れる。とぷん、と虚空が揺れて、馬車の中から薄暗い別の空間へ繋がったようだ。

 歪みの向こうに見えた光景は、大小様々な鏡が掲げられた廊下だった。天井から吊り下げられたカンテラが、どこまでも続く鏡の廊下をぼんやりと照らしている。


「ここは……」

「あの天空の城の内部みたいだね」


 先にやってきていたグローリアが、鏡を観察しながら言う。

 ショウも近くにあった小さな鏡の中を覗き込む。一般家庭に存在する手鏡程度の大きさの鏡だが、しっかりとショウの姿を映し出す。炯々けいけいと輝く赤い瞳を持つ、女性じみた美貌を持つ少年。見ていてげっそりする様子も完璧に再現した。


「鏡のようだな」

「なんの変哲もない鏡のようだけど、警戒は怠らないようにしようね」

「イーストエンド司令官、本気で前線にて戦うつもりか?」

「ここまできたのに!?」


 グローリアが紫色の瞳を見開いて「酷い!!」と叫ぶが、ショウは無視して先に進んだ。

 二人分の足音が、静かに鏡の廊下に落ちる。カツン、コツンとどこまでも続く薄暗い廊下を、ショウとグローリアは歩いていく。

 鏡から急に誰かが飛び出してこないとは限らないので、ショウは壁に掲げられた鏡も警戒する。やはり映り込むのは自分と、後ろから続くグローリアだけだが。

 大小様々な鏡が続いていく。自分たちの姿がやはり映り込んでいる。ショウの能面のような無表情と、グローリアのやや怯えたような表情が。


「長いな」

「長いね」

「どこまで続くのだろうか」

「分からないよ」

「イーストエンド司令官は『空間歪曲』で別の場所に飛べないのか?」

「城の内部を把握していないから、計算は難しいかも」


 それほど続かない会話を交わしながら、ショウは鏡に視線を走らせる。

 一枚目の鏡は正方形、二枚目の鏡は円形、三枚目の鏡は何故か三角形で――、

 通り過ぎて気づかなかったが、一瞬だけ、第三者の姿が映り込んだ。


「――――ッ!?」

「ど、どうしたのショウ君!?」


 驚いたグローリアが、ショウの背中めがけてぶつかってくる。

 ショウは鏡に赤い回転式拳銃を突きつけて、鏡を睨みつける。そこにいるのは赤い瞳の少年だけだが、他に誰かがいたような気がしたのだ。

 

 不思議そうに首を傾げるグローリアに、ショウは警戒心を引き上げながら囁く。


「誰かがいた」

「だ、誰かが!?」

「ああ。鏡の中に映っていた」

「鏡の中に映っていたなら、この廊下にもいるはずだけど」


 グローリアの言葉はもっともだ。鏡に映り込みのであれば、その誰かもこの廊下に立っているはず。

 しかし、そんな影は見当たらない。黒く塗られた壁に掲げられた鏡には、ショウとグローリアの姿が映っているだけだ。


「……どうするの?」

「先に進む。イーストエンド司令官は俺の後ろに」

「わあ、ショウ君が頼もしく見える」

「置いていくぞ」


 ショウは鏡の中を丁寧に睨みつけながら、廊下をまっすぐに突き進んでいく。「誰かがいる」という報告を受けたからか、グローリアは挙動不審な様子で追いかけてきた。

 カツン、コツンと二人分の足音が響く。

 響く。

 響く。

 ――――


「止まってくれ」

「えッ」


 ショウが急に足を止めると、グローリアも足を止める。足音は止まったはずなのに、一つだけ足音が聞こえてくる。

 後ろからついてくるものではなく、前からやってくる。カツン、コツン、と徐々に近づいてくる。それなのに、足音の主は見えない。

 ゆっくりと、ショウは鏡の中へ視線を向ける。廊下にはいないはずなのに、鏡には男が映っていた。艶のない黒い髪で背が高く、黒い外套をなびかせた男が立っている。


「……誰だ、貴様は」


 ショウは問いかける。

 鏡の中だけに映り込んだ幻影に、答えることなどできやしないと思ったのに。


「誰だなんて酷えことを言いやがるな、


 聞き覚えのある呼び名に、ショウは顔を上げる。

 僅かに微笑んだ鏡の中にいる男が、ポンと頭に手を乗せてくる。

 次の瞬間。

 ショウの頭の中に、誰かの記憶が流れてきた。意識が記憶の奔流に飲まれていく寸前、男が言う。


「だからお前には、まだ俺を背負わせるには早いんだよ」

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