第3話【蒼天の城へ突入せよ】
ユフィーリア・エイクトベルが連れ攫われた。
気味の悪い翼竜に連れて行かれた相棒は、あらん限りの言葉で「行け」と叫んだ。その姿をただ見ているしかできなかった自分は、どこまでも愚かで弱い生き物なのか。
ショウ・アズマは、どうやって【
(――どうすればいい、どうすれば)
スカイの使い魔で状況は確認されているはずだ。
ショウは覚束ない足取りで、古びた
今朝も、グローリアから討伐任務を言い渡された際に乗り込んだものだ。ユフィーリアと一緒に乗って、彼女は「いつ乗っても壊れそうな昇降機だよなァ」と笑っていた。今は、その声すら遠い。
「…………」
昇降機が停止する。
ゆっくりと建て付けの悪い扉を開ければ、ショウを迎えたのは耳障りな雑音の群れだった。今ではすっかり
彼らを守る必要がどこにある。脆弱で愚かしく、他人を頼ることしかできない肉の塊どもなど、生きていてなんの益がある。
――ああ、彼女がいないだけで、こんなにも世界とは愚かしいのか。
(――全て消してしまおうか)
そう、全て。
相棒を守れなかったという責任に押し潰され、自暴自棄になったショウは、その手に炎を灯す。――生きている万物を燃やし尽くして
だが、それを阻止してきたのは、
「適用『
「――ッ」
赤い
物騒なオブジェを作り出した原因は、時間を止められたことにある。呼吸や言葉までの時間は奪われず、ただショウの動きだけを止めるに留めたようだ。
そして、それができる唯一をショウは知っている。
「自分ができなかった責任を、人類全員に負わせようとしちゃダメだよ」
カツン、と歩み寄ってくる人影がある。
暗闇から虚空を掻き分けてやってきたのは、黒髪紫眼の青年だった。平素なら浮かべているはずの穏やかな笑みは消え去り、今はただ真剣そのものの表情だけが残る。幻想的に輝く紫色の瞳でショウを見据えた彼は、懐中時計が埋め込まれた禍々しい死神の鎌をくるりと回すと、
それだけで、ショウは時の呪縛から解放される。ガクン、と倒れそうになるが、なんとか膝をつくことだけは堪えた。
黒髪紫眼の青年――グローリア・イーストエンドは、ショウがやってきた昇降機に乗り込んだ。
「乗れ」
「…………了解した」
命令には逆らえない。
そう実家で調教されたのは、今や昔の話。神宮『
だが、今は。
この命令だけは、どうしても逆らう気になれなかった。
グローリアの命令に従って、ショウは昇降機に再び乗り込む。グローリアが扉を閉ざし、そしてレバーを倒して地上へと向かった。
「……ユフィーリアが、」
「連れ攫われたんでしょ? スカイの使い魔を通して報告を受けた」
「…………すまなかった」
「謝ることかな?」
「俺はそう判断する」
昇降機の隅で縮こまり、ショウは口布の下で己の唇を噛みしめた。
「イーストエンド司令官は、奪還軍の誰よりもユフィーリア・エイクトベルに重きを置いているから」
この一言に尽きた。
グローリア・イーストエンドは基本的に差別はしないものの、やはりどこかユフィーリアの戦力に頼っている節がある。彼女は紛れもなく強いし、天魔最強たる【
だからこその、謝罪だ。
その重きを守れなかったことに対する、謝罪だ。
グローリアは昇降機の隅で縮こまるショウを一瞥すると、あからさまなため息を吐いた。まるで失望したと言わんばかりのため息に、ショウの緊張感も増す。
「確かにそうだね。彼女の力を過信していた。紛れもなく強いし、天魔との戦争においても間違いなく主戦力になる」
だけど、とグローリアはショウに歩み寄った。驚いて仰け反るショウに、グローリアは不機嫌そうな顔を近づける。
「君の、ユフィーリアの隣に並びたいという意思は、その程度のものなの?」
「…………」
言葉が出なかった。
ショウはあの時、確かに決めたのだ。ユフィーリアの相棒になると、その隣にいるべきなのは自分なのだと決めたのだ。まだその資格はないかもしれないけれど、精進してきちんと彼女に認めてもらえるようにと。
グローリアは、その意思を見抜いていたのだ。
「逆に僕はこれをいい機会だと思っているよ。ユフィーリアが戦えなくなる時がくる、なんてことは考えたくないけれど、考えられない未来ではない。切り札である『
チン、と昇降機が地上に到着したことを知らせる鐘が聞こえる。
扉を開けば、広大な大地がどこまでも広がっていた。果てには
そして晴れ渡った空に変わらず浮かぶ、あの巨大な城。ユフィーリアを連れ去った、あの蒼天の巨城。
「だから、これはいい機会だ」
グローリアは懐中時計が埋め込まれた死神の鎌をくるりと回すと、石突で地面を叩いて背中に続くショウへと振り返った。
「僕たちで彼女を助け出そう」
その堂々とした誘いに、ショウはなんと返事をすれば分からなかった。
言葉を探すように視線を虚空に彷徨わせて、それからゆっくりと答えらしきものを述べる。
「できるのか?」
「やってもいないのに、不可能だとは決め付けられないよ。できなければまた別の方法、別の手段がある。この世界における、あらゆる手段を使ってでも彼女を助ける」
それを堂々と言えてしまうのだから、この最高総司令官は恐ろしい。
ショウはそれが言えずにいた。口を噤み、言葉を失い、視線を足元に落としてただ目を逸らす。グローリアという青年が、あまりにも眩しすぎる。
この世の全ては、彼の手のひらで踊らされる。彼が
そんな、堂々とした人物になりたいものだ。
「ショウ君。何度でも聞くけれど、君は本当にその程度の弱い意思しか持ち合わせていないの? ユフィーリアの相棒は、その程度なの?」
「…………俺は」
「それなら、君の能力を買っている僕の目が狂ったということだね」
ショウは顔を上げる。
笑っていた。グローリア・イーストエンドという青年は、いつものような穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「なんで数いる同胞の中から、ユフィーリア・エイクトベルという最強の相棒に君を選んだのか分かる?」
「…………不明だ」
「彼女の能力は一撃必殺だ。視界に入ったあらゆるものを、距離・硬度・空間を問わずに切断する能力――それは多分全体にも使えるだろうけれど、一度発動すれば再び発動するのに時間がかかる」
ビシ、とグローリアはショウに指先を突きつけた。
「君は、ユフィーリアが生き残る為の盾となり、手段となる。その火葬術はやはり体力による制限がついて回るけれど、その分自由度が高い。彼女だけに戦闘の負担を強いるのではなく、彼女に寄り添いながら彼女の背中を押してやり、彼女を守る障壁にもなる自由がある」
ショウの火葬術は、自由度が高い。遠隔操作も可能だ。
他の誰もがなし得ないことを、ショウだけができる。さながら魔法使いのように勇者のそばに寄り添って、戦いの面で勇者の背中を押してやる。
自分には決め手はないが、ユフィーリア・エイクトベルならできる。
――ああ、そうか。それでいいのか。
「力不足だと思っていた」
「そんなことはない。君は確かに成長している」
「奴の隣に並ぶのは、烏滸がましいのだと思っていた」
「その認識を、僕は否定しよう。君は間違いなく、ユフィーリアの相棒に相応しい唯一の
「…………イーストエンド司令官」
ショウ・アズマは、もう迷わない。
これが本当に、最後だ。
彼女の相棒は自分だけで、その隣は誰であろうと譲らない。彼女も相棒だと認めてくれたのだ。
だから、
「――どうやったら、ユフィーリアを助けられる?」
さあ、始めよう。
彼女を助ける為の、小さな戦争を。
☆
「まずはあの城を止めないとね」
「『時間静止』でも使うのか?」
「そんなものを使っていたら、僕が戦えなくなっちゃうじゃないか」
「イーストエンド司令官を戦力の頭数に入れるのか?」
「君って辛辣だね!?」
グローリアは目を剥いて抗議してくるが、ユフィーリアがいつも言っている判断がやはり正しいと思う。
作戦を練る能力は長けていても、グローリア・イーストエンドという青年はどうしても弱い。とてつもなく弱い。だからユフィーリアも、常日頃から「あいつは頭数には入れない。弱いから」などと言っていた。
しくしく、とわざとらしく泣き真似を見せたグローリアだが、新たに登場した老婆を前にすると、途端に居住まいを正した。この現金な奴め。
「あらあら、とても立派なお城ですね」
穏やかに笑うその老婆は、どう考えてもこの戦場に似つかわしくない。
雪のような白髪と新緑の如き瞳、年の功を表すように刻まれた
「それで、あのお城を繋ぎ止めればいいんですね?」
「そう。お願い、エリス」
老婆――エリス・エリナ・デ・フォーゼは、そっと城に手をかざした。
すると、どうだろうか。空を漂っていた城の下部からピキピキと氷柱が伸び始めた。三本ほど地面に向かって垂れ落ちた氷柱は地面に錨よろしく突き刺さり、地面に縫いとめることに成功する。
【
「完璧だよ、エリス!!」
「あら、嬉しいわ。でも、あのお城までどうやって行くつもりです?」
「それはもちろん、スカイの使い魔さ」
でしょ? と彼が振り返った先には、すでに準備万端らしい八本足の馬が引く馬車があった。
ぶるる、と馬は
【人使いが荒いッス】
「働け」
【満面の笑みで!? こ、これ以上ボクを働かせるんスか!!】
使い魔の持ち主――スカイ・エルクラシスは嘆くが、グローリアはどこ吹く風だった。堂々とした足取りで馬車の中に乗り込むと、グローリアはあまりにとんとん拍子に話が進んでいくので立ち尽くしたままのショウを呼びかける。
「ほら、行くよ。ユフィーリアを助けるんでしょ」
「…………行動力がありすぎやしないか?」
今後の展開に一抹の不安を覚えながらも、ショウはグローリアに促されるまま馬車に乗り込んだ。
全ては極めて順調に進んでいる。
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