第2話【攫われた最強】

 重力に逆らって悠々と空を漂うその城は、目で確認した限りではかなりの大きさだ。

 パレスレジーナ城を遥かに上回るその大きな城は、果たしてどういう理屈で空を飛んでいるのか。

 巨大な空飛ぶ城を見上げたユフィーリアとショウは、絶句する他はなかった。あれだけの巨大な物質が重力に逆らって浮いているなど、考えられない事象だ。


「……こういう時、グローリアなら分かるだろうけどなァ」

「聞きにいく暇はないようだ」


 空を漂う巨大な城から、なにかが大量に飛んでくる。

 それは先程、ユフィーリアとショウが倒した首のない翼竜だった。一〇匹では片付けられない。二〇や三〇、それ以上がこちらに向かってくる。

 舌打ちをしたユフィーリアは、大太刀の鯉口こいくちを切った。向かってきたのであれば倒すだけだ。

 ショウもまた、相棒の意思を確かに受け取って、赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめる。ユフィーリアの切断術とショウの火葬術を前に、不可能はない。


「クケエエエエエエエエエエエエッ!!」


 耳障りな大音声だいおんじょうを響かせて、翼竜たちが流星の如く地面めがけて降ってくる。

 ユフィーリアはまず、しっかりと彼らの姿を視界に収める。いつ見ても気持ちに悪い怪物たちだ。天魔とも呼べず、鳥とも言えない怪物。

 相手からやってくるとは好都合である。ユフィーリアは口の端を吊り上げて相手の愚かさを笑い、切断術を発動させた。


「あばよ、くそったれ!!」


 薄青の刀身が、黒い鞘から抜き放たれる。

 陽光を受けて鈍く輝いた刀身が煌めいて、向かってきた五匹の翼竜を上下に分割した。べちゃ、べちゃと肉塊が地面に叩きつけられて、鮮やかな切断面から鮮血が流れる。

 しかし、相手の勢いは止まらない。「クケエエエエエエエエエエエエ!!」「カケエエエエエエエエエエエエ!!」と頭が痛くなるような絶叫を上げると、ユフィーリアから逃げるように距離を取り始める。大きく旋回したあとに、左右から挟撃を仕掛けるつもりなのだろう。翼竜の集団が二つに分かれ始めた。

 そんな相手の攻撃など、幾度となく死線を潜り抜けたユフィーリアに敵う訳がない。大太刀を鞘に納める猶予ゆうよを与えてくれた翼竜たちの愚かさに感謝して、ユフィーリアは大太刀を納刀した。


「いい加減に喧しいぞ」


 ショウもまた、翼竜たちを煩わしく思っていたようだ。能面のような無表情だが、僅かに不機嫌そうな空気を漂わせている。

 赤い回転式拳銃を天空に突きつけると、彼は三度ほど引き金を引いた。銃口から放たれた火球が三発、花火の如く打ち上げられる。

 ごうごうと燃え盛る火球は放物線を描き、ちょうど旋回して地上に突撃しようとしていた翼竜の集団に全てぶち当たる。「くけえッ!?」と慌てた様子で回避したところで、本物の火球から距離を取れば大丈夫――と思うのが大間違いなのだ。


「それで回避できると思ったら大間違いだ、阿呆め」


 ショウですらも嘲笑うほど、相手は愚かだ。

 翼竜たちの間をすり抜けて落ちていった紅蓮の炎の塊は、突如として爆発する。目を焼くほどの橙色の光が吹き荒れて、翼竜たちを容赦なく大量に燃やした。「うけー……」「くけ……」と勢いをなくした翼竜が、炎に包まれて墜落していく。

 ユフィーリアはつまらなさそうに鼻を鳴らしたショウの脇腹を小突き、ニヤリと笑って囁く。


「どうした、ショウ坊。随分と苛立ってるじゃねえか」

「あんな見目の悪い連中を相手にしていて、そろそろ精神的にも参ってきた。早く帰りたい」

「おうおう、ショウ坊でもそんなことを思ったりするんだな」


 最初こそ、命令を遵守する人形のような少年だと思ったら、開き直れば以外と人間味のある少年だった。なるほど、これはいい成長である。

 これは負けていられない。ユフィーリアも切断術で応戦しようと、やってくる翼竜に視線を投げたが。



 ――、でし。



「――――ッ」


 ユフィーリアは息を飲む。

 背筋を撫でた、冷たい気配。底冷えのするようなその声は、


「ユフィーリア!! きているぞ!!」

「ッ!! やっべ!!」


 すぐに思考を切り替えて、ユフィーリアは迫りくる翼竜から地面を転がって回避する。ショウもまた翼竜の群れから回避していたようで、怪我はないようだ。

 地面すれすれを飛んだ翼竜は再び空へと戻り、大きく旋回するとユフィーリアを狙って落ちてくる。首がないので表情は分からないが、おそらく余裕ぶっているのだろう。

 こんな脳味噌がないような怪物に遅れを取るなど、一生の不覚である。天魔最強としての名折れだ。


「こんなところで負けられるかよ!!」


 ユフィーリアは切断術を発動させ、翼竜の集団に切り込みを入れる。

 切断術の凶刃に触れた翼竜は、全部で七匹。体が切断された翼竜もいれば、翼のみを切断されて芋虫のように地面を這う個体もいる。切断樹を逃れた個体はユフィーリアを掠めて空へと戻り、旋回してまた襲いかかってくる。

 今度は鞘に大太刀を納める暇さえ与えてくれないようだった。風を切ってやってくる翼竜に、ユフィーリアは舌打ちをした。

 あれだけ動き回っている相手に、ユフィーリアの切断術は分が悪い。仕留められる数にも限りはある。これでは手の出しようがない。


「くそったれ、本当はこんなモン使いたくなかったが――!!」


 黒い外套の内側から、ユフィーリアは小瓶を取り出した。その中にはパチパチと青白い火花を弾けさせるものが満たされていて、小さな瓶を手のひらに握り込む。

銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕に瓶が耐えられる訳がなく、容易くパリンと手のひらの中で砕け散る。バチバチとした青白い火花がユフィーリアの腕を伝って、大太刀の刀身にまとわりつく。


「黒焦げになりやがれ、この不細工どもがァ!!」


 苛立ちに任せてユフィーリアは叫ぶと、大太刀を翼竜の集団めがけて投擲とうてきした。

 紫電をまとう大太刀は虚空を引き裂いて飛んでいき、翼竜の一匹を串刺しにする。回避したところですでに遅い。大太刀が突き刺さった翼竜から、強烈な雷の波が飛び出したのだ。

 雷によって翼竜たちは黒焦げになり、次々と墜落していく。翼竜の集団が黒焦げになって地面に転がり、ユフィーリアはようやく息を吐いた。


「どうした、ユフィーリア? 調子が悪いのであれば、戻ろうか?」

「……いいや、体調はすこぶる良好だけどな」


 翼竜に突き刺さった大太刀を引き抜きつつ、ユフィーリアは心配するように顔を覗き込んでくるショウに笑って「なんでもねえ、気にすんな」と言う。

 実のところ、なんでもない訳ではなかった。

 声が聞こえたのだ。しかも、とてもよく知っている相手の。


(――気のせいか。いや、でも)


 ユフィーリアは思案する。

 確かにあの時、声が聞こえた。ほんの僅かな時間だったが、呼ばれたような気がしたのだ。

 鹿、と。

 ユフィーリアのことをそう呼ぶ相手は、もうこの世にいないはずだ。グローリアの師匠であるエリス・エリナ・デ・フォーゼとは訳が違う。目の前で、確かに彼は死んだはずなのだ。

 そうすると、やっぱり気のせいに他ならない。


「帰るぞ、ショウ坊。あの城のこと、グローリアに報告しねえと」

「……そうだな」


 ユフィーリアのことが心配なのか、ショウの返答は歯切れが悪い。だが、逆らうことなくショウはユフィーリアの背中を追いかける。

 その時だ。


 ――馬鹿弟子ィ。


「――――」


 今度は、はっきりと聞こえた。

 言葉も鮮明で、ユフィーリアの知っている声だった。ショウは不思議そうに「ユフィーリア?」と首を傾げているが、おそらく彼には声が届いていないのだろう。

 この声を認識したのは、ユフィーリアだけか。

 すると、背後からバサバサという羽ばたきが聞こえてきた。ふと振り返った先には、大量の翼竜が空に浮かぶ城から飛び出してくる光景が広がっていた。あれだけ倒したにもかかわらず、まだ襲いかかってくるのか。


「おいおい、ふざけんなよ。あれだけ倒しただろうがよ!!」

「応戦するべきか!?」

「このまま逃げたら【閉ざされた理想郷クローディア】の居場所が割れるかも知れねえ、応戦するぞ!!」


 血糊がべっとりと付着した大太刀を黒鞘にしまい、翼竜を視線の先に置く。ショウもまた赤い回転式拳銃を構えて、ユフィーリアと同じく応戦する構えを見せた。

 風を切って突っ込んでくる翼竜に、切断術を見舞って牽制してやろうとするが。


 ――馬鹿弟子ィ!!


 耳に触れたその声が、ユフィーリアの判断を鈍らせた。

 切断術を発動する手が止まり、その隙に翼竜がユフィーリアとショウの二人を襲いかかる。バサバサと翼で頭を叩き、視界を塞いでくる。行動を阻害するように翼やら鋭い足の爪やらでユフィーリアとショウを襲い、首のない頭を鈍器よろしく振り下ろしてくる。

 鬱陶しい、非常に鬱陶しい。

 舌打ちをしたユフィーリアは外套の内側から閃光弾を取り出そうとして、


「――くけえッ」

「うわッ、ちょ、おいやめろなにすんだ!!」


 翼竜の一匹がユフィーリアの襟首を掴み、軽々と空へ飛び立つ。首根っこを掴まれているので、ふわりとユフィーリアの体は浮かび上がった。

 なんとか地面に降り立とうともがくが、つま先は地面をギリギリ掠めるだけで体力が削られていく。用事は済んだとばかりに翼竜は去り始め、顔を覆って身を守っていたショウだけが取り残される。


「ショウ坊!!」

「――ユフィーリアッ!!」


 すでに空高く飛び上がってしまった為に、いくら手を伸ばしたところで意味はない。

 ショウは珍しいことに険しい表情を浮かべると、赤い回転式拳銃をこちらへと向けてくる。冷静な彼は的確に翼竜を撃ち抜くだろうが、すでに高く飛び立ってしまった時点で撃ち落とせばユフィーリアが怪我をしてしまうと判断したか。どうしよう、と回転式拳銃を構えたまま立ち尽くすショウに、ユフィーリアは叫んだ。


「行けェッ!!」

「――――ッ」


 ショウはその場から動けなかった。

 翼竜によって連行されていくユフィーリアを、ただ見つめていることしかできなかった。

 それでいい。彼の判断は間違っていない。責めるつもりはないし、嘆くつもりもない。

 おそらく、これはユフィーリアの問題になる。自分の問題に、無関係のショウまで巻き込む訳にはいかないのだ。


「……ん? いや、おいちょっと待て、なんで力が緩まってんだおい!?」


 襟首を掴む翼竜の力が、徐々に弱まっている。

 すでに高度は空を飛ぶ城の上にまで到達する位置になっていて、それなりの高さがある。こんなところから命綱なしで放り出されれば、いくら【銀月鬼】とてただでは済まない。

 アクティエラの時も高高度からなんの脈絡もなしに叩き落とされたが、あの時はシズクがいたから助かったのだ。この場にシズクはいないし、助かる為の手段をユフィーリアは持ち合わせていない。


「ま、待て本当に待ってせめて安全に下ろしてェ!!」


 ユフィーリアの願い虚しく、翼竜はユフィーリアを解放する。

 空中に放り出されたユフィーリアは、真っ逆さまに虚空を漂う城の上部へと突っ込んだ。城の屋根を突き破って城の中へと突入したユフィーリアは、硬い床へと頭をぶつけて気絶を果たす。

 この野郎、絶対に殺してやる。

 意識が深淵に沈んでいく寸前で、ユフィーリアは自分を高高度から叩き落とした翼竜に呪詛を吐くのだった。

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