第1話【天空の城】

 ひやりとした風が吹いて、容赦なく体温を奪っていく。

 賑やかな収穫祭もすでに終わり、一年が終わるまで残り少なくなってきた。【閉ざされた理想郷クローディア】は相変わらず空から降ってくる異形の怪物に恐怖する人類でひしめいていて、怪物の手から地上を取り戻すべく戦う者たちがいる。


「――ぶえっくし!!」


 物寂しい平原に、豪快なくしゃみがこだまする。

 盛大におっさんめいたくしゃみをしたのは、銀髪碧眼の美女だった。眼を見張るほどの美しい女だが、鼻をすする仕草や言葉遣いなんかは粗雑な男を想起させる。

 透き通るような銀髪はふわふわとしていて、青い瞳は宝石を加工して嵌め込んだかのような気品がある。人形めいた顔立ちは作り物かと見紛うほど整っていて、滑らかな白い肌はシミ一つない。これだけ美しい女なのに着飾ることは一切せず、着古したシャツと軍用ズボン、頑丈な革靴の上から黒い外套という格好をしていた。

 子供の身長はゆうに超えそうな大太刀を揺らしながら平原をのっしのっしと闊歩かっぽする銀髪の女は、舌打ち混じりに呟く。


「寒いなァ……この前はクッソ寒い場所で任務やってたのに……冬とか嫌いだわァ……」

「意外だな。ユフィーリアにも嫌いなものが存在するのか」


 銀髪碧眼の女――ユフィーリア・エイクトベルの後ろを追いかける少年が、淡々とした口調でそんなことを言う。

 艶のある黒髪を鈴がついた赤い髪紐でポニーテールに結い、動くたびにチリチリと小さな音を立てる。炎を想起させる赤い瞳は鮮烈な印象を与え、顔の半分以上を黒い布によって覆っているが、その美貌は隠せていない。耽美たんびな雰囲気の少年は、黒ずくめの服装の上からベルトで全身を雁字搦めにしていた。

 再び「ぶえっくしょい!! ちくしょう!!」とおっさんくさいくしゃみをしたユフィーリアは、相棒である少年――ショウ・アズマをじっとりとめつける。冬が到来しようというこの時期に、黒いシャツと細身のズボンだけという薄着でいられるのは、それなりの理由があってのことだ。


「俺が契約した【銀月鬼ギンゲツキ】は、体温が低いからな。夏は得意でも冬は寒くて凍え死にそうだ」

「…………」


 身震いするユフィーリアに、ショウが両腕を広げた。どうやら「抱きしめるか?」という意思表示のようだが、謹んで辞退させてもらった。

 これが仕事中でなければ、ユフィーリアだって【火神ヒジン】からもたらされるショウの高い体温を享受したかったところだが、そうも言っていられない理由が空からやってきてしまったのだ。

 べちゃ、ばちゃ、という高高度から肉が叩きつけられるような生々しい音が、ユフィーリアとショウの耳朶を打つ。胡乱げに視線をやれば、そこにはモゴモゴと蠢く芋虫がいた。緑色の体には目玉を模した気味の悪い模様が描かれていて、何故かぎょろぎょろと忙しなく周辺を探っている様子だった。


「夢に出てきそうな天魔だな」

「割と本気で気持ち悪い見た目だな。見た目ってやっぱり重視するべきだと俺は思う」


 やれやれと肩を竦めたユフィーリアに対して、ショウは手のひらに炎を灯していた。橙色の炎はやがて変質し、赤い回転式拳銃リボルバーとなる。

 ユフィーリアもまた腰にいた大太刀の鯉口こいくちを切り、仕方がないとばかりに告げる。


「そんじゃ、ショウ坊。お仕事開始だ」

「了解した」


 芋虫が「かかってこいや」とばかりにぶぁぷあああああ!!と意味不明な絶叫を轟かせたので、ユフィーリアとショウの二人は言われた通りに芋虫の怪物へと襲いかかった。

 ちなみに決着は三秒でついた。


 ☆


 世界はある時、空から降ってきた謎の怪物――天魔てんまによって崩壊した。

 人類は天満によって八割近くが殺されて、残った人類は地上を追いやられて地下空間へと逃げ込んだ。地下に作り出した大規模な地下都市【閉ざされた理想郷】にて、人類はおよそ一〇〇年もの間、天魔の脅威に怯えながら過ごすことを余儀なくされる。

 そんな人類の救世主となったのが、一部の天魔と契約をして化け物となった人間――天魔憑てんまつきだった。天魔憑きのみを集めた集団、アルカディア奪還軍が日夜天魔と戦い、地上を取り戻さん尽力している。


「気持ち悪いんだよクソッタレェ!!」


 そんな天魔憑きの中でも最強と名高い【銀月鬼】の天魔憑きであるユフィーリアは、怒号を上げながら大太刀の薄青の刀身をのような姿の天魔へ叩きつけた。刃引きされた状態の刀身では天魔の体を切断することはできないが、頑丈な刀身を叩きつけられたことによって蛾の顔が見事に凹む。ぎょろりとしていた複眼も、衝撃で飛び出していた。

 紫色の血液を撒き散らして死んだ蛾の天魔を蹴飛ばして、ユフィーリアは次に落ちてきたありのような姿の天魔へ飛びかかる。死肉を漁る怪物よろしく死んだ仲間の死骸をもっちゃもっちゃと食んでいた巨大な蟻は、飛びかかってきた銀髪の女に驚いた様子だった。食べかけの仲間の肉が、口元から零れ落ちる。

 このままでは殺される――そう察知した蟻は、触角をピコピコと動かして逃走しようとしたが、


「遅い」


 跳躍一つで蟻の背後に回り込んだショウが、赤い回転式拳銃を突きつけていた。

 無情にも引き金は引かれ、撃鉄が落ちる。銃口から放たれたものは、ごうごうと燃え盛る橙色の火球だった。炎に晒された蟻は香ばしい匂いを漂わせながら、熱さに悶え苦しんで絶命した。


「……なんだか香ばしい匂いがしたのだが?」

「蟻って炒めると香ばしい匂いがするって聞いたことがあるぜ。昆虫食とか知らねえ?」

「そんな不味そうな料理など死んでも食べたくない」

「俺も食いたくねえよ。たとえ金がなかったとしても、虫にだけは手は出さねえ。せめて雑草を食べる」


 明らかに昆虫食など不味いと分かり切っているものに、ユフィーリアが手を出す訳がない。雑草か昆虫食か選べと言われれば、迷わず雑草を食べることを選択する。

 ショウは「……普通に賭博で給金を全額使い込まなければ、食べることにはならないのでは?」と正論をぶち込んできたので、ユフィーリアはあえて聞こえないふりをした。娯楽を制限されるなんてたまったものではない。


「しっかしまあ、今回はなんでこんなに虫が多いんだ?」

「最近増えつつある天魔の掃討が今回の任務だが、こうも偏りがあるのは疑問に思う」


 次から次へと空から降ってくる虫の天魔を前に、ユフィーリアとショウは揃って首を傾げた。

 今も晴れ渡った空から雨の如く降ってくる天魔は、勢いを緩めることはない。これが可愛げのある女の子だったら、ユフィーリアもどれだけ気が楽になっただろうか。

 紫色の体液がべっとりとついた大太刀を黒鞘に納め、ユフィーリアはぼさぼさの銀髪を掻き毟ってさらにぼさぼさにする。

 普通に動物の天魔だったらまだ許せたし、樹木の天魔でもなんら問題はない。

 しかし、虫はダメだ。気持ちが悪い。


「ショウ坊、紅蓮葬送歌グレンソウソウカでどうにかならねえ?」

「残りの天魔の討伐を貴様が引き受けてくれるのであれば、紅蓮葬送歌で一掃することもやぶさかではないが」

「嫌だ。絶対に嫌だ」


 平然とした様子で鬼畜なことを口走るショウに、ユフィーリアは首を横に振って拒否した。

 紅蓮葬送歌はショウの切り札であり、これを使えばショウはお腹が空いて力が出なくなってしまう。最後の切り札をこんな序盤で使ってしまったら、ショウは食料を補給するまで戦えなくなってしまう。いくら最強と名高い天魔憑きのユフィーリアでも、大量の虫の天魔を相手に一人で戦いたくない。

 ほとんど泣きそうになりながら、ユフィーリアは大太刀を抜き放った。ただ抜き放っただけでは、いくら長大な刀身を有する大太刀でも彼我の距離がある虫の天魔まで届かない。

 しかし、ユフィーリアの居合に距離など関係ない。視界にある全てのものは、距離など関係なしに切断される――それがユフィーリアが行使する切断術だ。

 例外に漏れることなく、距離を飛び越えて蟷螂かまきりの首が、蟻の首が、蝶々の胴体が、兜虫かぶとむしの首がボロボロと落ちる。ユフィーリアの意識から逃れたことによって凶刃の前に倒れることはなかった虫たちが、一斉にキーキーと喧しく騒ぎ立てる。


「喧しい」


 ショウの冷たい一言と共に、紅蓮の炎の波が虫たちめがけて襲いかかる。生き残ったはずの虫の天魔は、可哀想なことに全てショウの手によって消し炭にされてしまった。

 生きとし生ける全てのものを焼き尽くすショウの火葬術の前に、虫の天魔たちはなすすべもなく燃やし尽くされた。香ばしいような独特の香りを残して真っ黒焦げになった屍が、そこかしこに転がる。


「俺よりもお前の術式の方がえげつねえよな」

「そうだろうか。まあ痛みを与えることなく一瞬で死ねる貴様の切断術は、相手にとっては救いかもしれんな」


 引き金部分を指に引っかけてくるりと回したショウは、回転式拳銃を握り直す。ユフィーリアも彼の横顔を一瞥すると、大太刀を黒鞘へと納めた。

 今回の仕事は、雑魚の天魔の掃討だ。こうした細々とした仕事もこなさなければ、地上を奪還することなど夢のまた夢となってしまう。侮っているといつか痛い目を見るのは、戦場ではもはや常識だ。

 その時だ。


「――キエエエエエエエエエエエ!!」


 なにやら甲高い悲鳴のようなものが耳をつんざき、ユフィーリアとショウは反射的に青空を見上げた。

 すると、天空から降ってきたなにかが、勢いよく地面に叩きつけられる。ドゴッガアン!! というやたらと耳障りな轟音が響くと同時に、土が巻き上げられる。


「え、なに。なんなの?」

「……気をつけろ、ユフィーリア」


 天空から降ってきた何者かに対して警戒心を抱くショウとは対照的に、ユフィーリアは目を白黒させて驚きを露わにしていた。

 もうもうと立ち込める煙を引き裂いて現れたのは、


「クエエエ」


 抉られた土の上に仁王立ちする、鳥のような怪物だった。

 ただ、鳥と断定するにはあまりに不格好すぎる。頭部がなく、長い首をもたげてユフィーリアとショウを真っ直ぐに見ているようだ。全身は真っ白で、羽毛と呼べるものは生えていない。翼の骨格に沿って細い腕が伸び、小さな足できちんと直立している。

 鳥というより、翼竜のような姿形である。空から落ちてきたのだから、これも天魔の一部なのだろうか。

 バッサバッサと翼をはためかせる翼竜のような怪物は、口もないのに「クケエエエ」と鳴く。気味が悪いことこの上ない。


「あれって術式が効くと思う?」

「不明だ。だが、やってみる価値はあるだろう」


 そう言うと、ショウが赤い回転式拳銃を首のない翼竜に向けた。そして迷いなく翼竜めがけて、火球を見舞う。

 しかし、翼竜はショウの放った火球を、飛んで回避した。「なにをするんだ」とばかりに鳴き叫んだ翼竜は、大空を旋回すると地上に向かってくる。

 ――正確には、ユフィーリアめがけて。


「いらっしゃーい」


 流星のように飛んできた鳥の怪物を待ち構えていたユフィーリアは、切断術を怪物へと見舞ってやる。視界にあれば如何なるものでも切断する神業は問題なく発動し、怪物は縦に一刀両断されて絶命した。

 べちゃばちゃと左右に引き裂かれた鳥の怪物は、その断面を晒すことになった。内臓らしい肉の塊はなく、ただそこにあるのは平べったい肉の塊のようなものだった。内側は赤いのに、ただ赤いだけで怪物を動かせるような筋肉や内臓などは見当たらない。

 天魔はその他の動物と同じで、内臓や血管が存在している。それなのに、この鳥のような怪物にはそれらが一切ない。この状態では生きていることさえままならないはずなのに。


「なんだってこんな気持ち悪いものが生み出されたんだ? ていうかこれなに?」

「……ユフィーリア、大変だ」


 ショウの視線は、中空に固定されている。

 ユフィーリアもつられて空へ視線を投げて、


「……なんだありゃ」


 思わず、ユフィーリアも呟いていた。

 変わらず空から天魔が降ってくる空に、別のなにかが浮いていた。それは荘厳な建物で、蒼天を貫かんばかりに高い尖塔を有し、しかし重力に逆らって悠々と空を漂い続けるもの――。

 

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