序章【託された願い、それから】

 町が燃えている。

 あちらこちらで火の手が上がり、人々は逃げ回り、それを追いかけるのは空から襲撃してきた化け物どもだ。――人はそれを天魔てんまと呼んでいたが、詳しい名前までついているのか不明だ。


「――す、まない……自分を、助けてくれませんか」


 木に寄りかかった男は、下半身を食い千切られた状態のまま、なんとか意識を繋ぎとめていた。それはひとえに、自分の腕に抱かれた小さな命を誰かに託さなければ、という使命感によって生かされていた。

 断末魔と悲鳴の二重奏が響く中、細々とした男の『助けて』に応じたのは、たまたま町へ立ち寄った流浪るろうの剣士だった。抜き放たれた刀は赤く濡れそぼり、切っ先から雫が落ちる。何体もの天魔をほふった証であり、それだけ流浪の剣士が強いことを示していた。


「なんでィ」

「この、子を……どうか……自分の、大切な息子なのです……」


 おぎゃあおぎゃあと泣き続ける赤子を差し出した男は、流浪の剣士へ涙を流しながら懇願した。


「この子を……お願いします……立派な、騎士に……育てて……」

「任せろィ。――あー、でも騎士になれるか分からねえけどな」


 差し出された赤子を抱きしめた流浪の剣士は、男が最期に笑いながら息を引き取ったのを確認して、すぐにその場から離れる。これ以上、同じ場所にいてはいけないことを知っている。

 おぎゃあ、と火がついたように泣く赤ん坊を、流浪の剣士は見下ろした。

 男に似て、僅かに生えた黒い髪と涙で潤む黒曜石の瞳。猿のような顔をしているので可愛いかどうか判断できないが、息子と言っていたので男の子なのだろう。

 安請け合いをしてしまった。白金色の髪を掻き毟った流浪の剣士は、深々とため息を吐く。


「オルトレイ・エイクトベルの嫡男、ユフィーリアだったかィ。オメェも災難だな」


 彼は両親の顔も知らないまま、今後を生きていくのだろう。

 それなら、この理不尽な世界にも立ち向かえるように、強く成長しなければならない。

 赤子を抱きしめた流浪の剣士は、粗野な言葉で独り言を紡ぐ。


「恨むなら、オイラじゃなくて天魔を恨めよ。この世界はすでに終わっちまったィ――あの化け物のせいでな」


 静かに終わりゆく世界に生まれた赤子が、それから最強と呼ばれるようになるのは、もう少し先のことである。

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