第6話【雪原での蹂躙】

 曇天から降り続く雪の量が増えてきた。

 容赦なく体温を奪っていく戦場に、ユフィーリアは舌打ちをした。寒くなればなるほど思うように体が動かなくなるし、さらに雪のせいで視界が塞がれている状態だ。この状態でどうやって勝てと。

 ごうごうと吹雪が酷くなってきて、冷たい風に荒れ狂う銀髪を押さえる。ユフィーリアは苛立ちに任せて「あークソが!!」と叫んだ。


「雪が酷すぎて前が見えねえ!!」

「どうなっている……イーストエンド司令官は無事だろうか?」


 一緒についてきたショウはグローリアの心配をするが、それよりもこちらを先に片づけなければ死んでしまう。

 ユフィーリアは、かろうじて吹雪の向こうに見える人影を睨みつける。

 このクソ寒い中にいるにもかかわらず、彼女は真っ白な着物だけという薄着のままだ。さすが【雪鬼ユキオニ】と名乗るだけはある、寒さに対する耐性は高いようだ。

 かじかんできた手で無理やり大太刀の柄を握りしめたユフィーリアは、背後にいるだろうショウに呼びかける。


「おい、炎でこの吹雪をどうにかできるか?」

「可能だろうが……そうも言っていられない状況だ」

「あ?」


 なんだかショウの反応がおかしくて、ユフィーリアは背中へと振り返る。

 背中合わせで立つショウは、雪の中でも色鮮やかな主張をする赤い回転式拳銃リボルバーを握りしめて、雪の中を睨みつけていた。能面のような無表情ではあるものの、やや厳しめに眉根を寄せている。

 彼の視線の先には、ユフィーリアと対峙する存在と全く同じ人物が立っていた。この豪雪地帯で着物という薄着のまま、裸足の状態でこちらを嘲笑っている。


「おいおいおい、なんで!?」


 ユフィーリアは絶叫した。

 雪があれば復活することは言っていたが、まさか雪があれば【雪鬼】は増殖もできるというのか? そんな反則なことがあっていいのか?


「ふははは。我らは【雪鬼】――雪から作られし鬼よ」

「当然ながら、雪があれば増殖も可能。無限にな!!」


 二人の【雪鬼】はユフィーリアとショウを嘲笑い、それから両腕を広げる。

 すると、どういうことだろうか。吹雪の向こうで人影が増えた。モコモコと雪の中で人の形をなしていき、やがて同じ【雪鬼】が生まれた。――合計四体。

 じり、と距離を詰めてくる【雪鬼】。彼女らは引き裂くような笑みを浮かべたまま、ユフィーリアとショウを確実に殺す為に近づいてくる。


「やだね、本当に。モテモテで困っちゃう」

「どうするつもりだ?」

「俺のスタンスは変わらねえ。勝つ為ならどんな手段でも使うのが俺のやり方だ。――という訳で、ショウ坊」


 ユフィーリアはショウへと振り返って、満面の笑みで親指を下に向けた。


「この辺一帯を、燃やせ」

「――――了解した」


 理不尽な命令にも、彼はコクリと頷いた。

 赤い回転式拳銃へ祈りを捧げるように瞳を閉じた少年に、なにか嫌な予感を感じ取ったらしい【雪鬼】たちが襲いかかる。その手に装備したのは氷の塊――しかも先端が尖っていて、槍のような機能を有している。

 しかし、ユフィーリアがいる限り、ショウに指一本どころか髪の毛一本だって触れることは許されない。


「近づいてきたのが間違いだったなァ」


 最初に到達したのは、右から飛びかかってきた【雪鬼】だった。

 積もった雪を踏みしめ、ユフィーリアは大太刀の鯉口こいくちを切る。その青い瞳は吹雪の中にあっても剣呑な光を宿し、相手を踏み止まらせる。その青い瞳に睨めつけられた【雪鬼】は、果たしてなにを思っただろうか。

 戻ったところですでに遅い――見えていれば適用されるユフィーリアの神業が、発動する。


「――――ッ」


 一息で大太刀を鞘から抜き放つと、薄青の刃が届く範囲の外側にいた【雪鬼】の首を確実に落とす。首を落とされた【雪鬼】の体は瓦解して、再び雪に戻ってしまった。


「ッ!! よくも姉妹を」

「へえ、あれって姉妹だったのか。一卵性? 顔似てるから双子かねェ」


 左から襲いかかってきた【雪鬼】の顔面に、ユフィーリアは薄青の刃を突き立てる。どしゃ、と鮮血や肉片の代わりに雪の欠片が飛び散って、【雪鬼】は雪の状態に戻る。

 これで二人の【雪鬼】を排除することができた。ユフィーリアは刃についた雪を払い落として、残った二人の【雪鬼】に視線をやる。青い瞳で睨みつけられた二人は、あからさまにビクリと震えて反応する。


「雪があれば増えるんだろ? だったらうちの相棒は鬼門だろうなァ」


 なあ、そうだろ。

 常識的に考えて、雪は炎に弱い。そして相手が天魔という生命体であるならば、ショウの火葬術は最も効果があると言えようか。

 こう、と吹雪の中に僅かな熱源が生まれる。白い雪の中に見えた赤い破片。それは足元からやってきて、一帯の雪原を燃やし尽くす。

 純銀の世界に出現した灼熱は、容赦なく極寒の中で生きる鬼を焼き払う。


「――紅蓮地星グレンチセイ!!」


 それは、豪快な火柱だった。

 曇天の空さえも吹き飛ばさんとばかりに出現した火柱は、二人の【雪鬼】をまとめて消し炭にする。二つの断末魔が重なって聞こえ、そして二人の綺麗な顔はものの見事に溶かされて消えた。


「……これで終わりとなると、意外と呆気ないものなのだが」

「いやー、そうでもねえと思うぜ」


 経験上、増殖までしてくる天魔との戦闘が楽に終わった試しはない。

 ユフィーリアはそう言うと、ふと吹雪の向こうを見やった。

 倒したはずの【雪鬼】が、再び蘇っていた。だが、その蘇生はまだ中途半端のようで、右腕がやたらと短い。頰も痩せこけているので、火葬術によって溶かされた箇所の修復はまだされていないのだろう。

 薄氷色の瞳で睨みつけてきた【雪鬼】は、犬歯を剥き出しにして叫ぶ。


「おのれ……おのれ、愚物が!! この【雪鬼】をまだ愚弄するか!!」

「いやいや、愚弄だなんてとんでもない。これは蹂躙じゅうりんだ、お前をただ一方的に殺して殺して殺して殺して殺すだけのな」


 引き裂くようにして笑ったユフィーリアに、真っ白な雪の鬼の表情は絶望に染まる。掠れた声で「……狂ってる」と呟くが、まあ確かにそうだろうとユフィーリアは認める。

 相手に容赦などしない。それがたとえ、どんなに可愛い女の子であっても頭が痛くなるような言動をする馬鹿野郎でも、ユフィーリアは等しく死を与えるだけだ。増殖するだけしておいて、なにもしてこない【雪鬼】の方がユフィーリアにとっては「なにがしたいの?」と問いたくなるぐらいだ。

 抜き放った大太刀を黒鞘へしまい、ユフィーリアは徐々に回復へ向かう【雪鬼】へ言う。


「どうした、もうネタ切れか? それともショウ坊の術式を警戒しているのか? そりゃそうだろう、お前は雪から作られてるんだから。炎を操るショウ坊の火葬術は効果覿面てきめんだろ」

「…………まだだ!!」


【雪鬼】は吐き捨てる。

 ユフィーリアはそこで、【雪鬼】の本気を見たような気がした。むくむくと彼女の体が大きくなり、そして吹雪の向こうにいるはずの鬼の少女が成長していく。人間の身長の二倍、三倍と質量は増していき、最終的に彼女は見上げるほど巨大化した。

 巨人の天魔とは、何度か遭遇したことがある。だが、ここまで果たして大きかっただろうか。


「……これは【毒婦姫ドクフヒメ】と同じくらいの身長だな」

「あ、そうだそれだ」

「今まで倒した敵の存在を忘れるとは」

「だって【魔道獣マドウジュウ】とか悪夢の繭が印象に残りすぎてて、あの【毒婦姫】の記憶が風化した」


 かつて王都を占拠していた【毒婦姫】は、今や悪夢の繭などの強烈極まりない記憶に塗り潰されて風化していた。そう言えばそんな相手いたな、という認識でしかない。

 確かに今の【雪鬼】の身長は、その【毒婦姫】と同じぐらいだろうか。彼女から見れば豆粒ほどしかないだろうユフィーリアとショウを見下ろして、【雪鬼】は笑った。


「これなら勝てる。これなら負けない。――どうだ、愚物!! これなら負け」

「愚物愚物うるせえなァ」


 ユフィーリアは吐き捨てる。

 見下してくるような口調を使ってくるが、それが気に食わない。ユフィーリアの苛立ちは最高潮に達していた。


「クソみたいに寒いし、お前は潰れるどころかでかくなるし、思い出したくもねえ天魔のことを思い出すし、あー今回も散々な戦いだぜおいふざけんなよ最近の俺ってばマジで疫病神でも憑いてんのか」

「…………貴様の戯言に付き合っている暇などない」


【雪鬼】が巨大な手のひらを掲げた。

 その手に生まれたものは、青い氷の塊。ピキピキ、パキピキと空気中の水分が凍りつき、彼女の手の中にはあまりにも大きな氷塊が出現する。

 薄氷色の冷たい瞳でユフィーリアを見下ろした【雪鬼】は、勝利を確信して叫んだ。


「これで終わりだ!!」

「――――だと思うだろ?」


 ユフィーリアは切断術を発動させる。

 投げつけられた氷の塊は、ユフィーリアを押し潰すより先に真っ二つに切断されてどこかへ飛んでいった。【雪鬼】が絶句する中で、ユフィーリアの楽しそうな笑い声が吹雪に紛れて響く。


「いやー、お前が本当に馬鹿で助かった。雪でできてるから、脳味噌も雪ってか? 考える能力がないようでよかったよかった」


 ユフィーリアは、その美貌に似つかわしくない引き裂くような笑みで絶望を与える。


「なあ、お前――なんか足りねえと思わねえのか?」

「ッ!!」


 ユフィーリアが余計なことを喋っていたのは、彼の存在を悟らせない為だ。

 雪を素体とする【雪鬼】には、彼の火葬術が有効打となる。ただ、その技を使うには一分ほど時間をかけなければならない。

【雪鬼】が気づいた時にはもう遅い。彼女は引き攣った表情で背後を振り向くが、その瞬間にが襲いかかってきた。


「ぎゃあああああああああああ!!」


【雪鬼】の大絶叫が、曇天に響き渡る。

 炎の腕によって抱きしめられた【雪鬼】は、じゅうじゅうとその巨大な体を溶かしていく。なんの躊躇いもなく溶かされていく【雪鬼】に、ユフィーリアはひらひらと手を振るだけの簡単な別れの挨拶とした。

 彼女の後ろでは、黒髪赤眼の少年が赤く燃え上がる回転式拳銃に祈りを捧げている。

 紅蓮葬送歌グレンソウソウカ――ショウの最後の切り札が、決まった。


「いやだ、あつい、あついいいいいいいいいい!!」

「熱いのは当たり前だろ。炎だぜ? 熱くねえ炎なんざこの世にはねえんだよ」


 じゅうじゅうと溶かされていく【雪鬼】の左眼球が、ポロリと外れる。

 ガラス玉のような眼球から溢れてきたものは、薄氷色をした結晶だった。【雪鬼】が「あッ」と気づいた時には、ユフィーリアはすでに動いていた。

 雪の上に落ちようとする薄氷色の結晶をしっかりと睨みつけ、ユフィーリアは抜刀した。切断術が発動されて、薄氷色の結晶が真っ二つにされてしまう。


「いや、やだ、ゆきまじょ、ゆきまじょ、さまぁ……!!」


【雪鬼】は、炎に包まれて消えていった。おそらく左眼球に埋め込まれていたあれは、【雪鬼】の核だろう。核を破壊されてしまえば、今度こそ再生はしないはずだ。

 これで終わったのだろう。ユフィーリアは細く長い息を吐いて、それから大太刀を黒鞘へ納めた。すると、唐突に背後から衝撃がやってきて、見ればショウが背中に額を押しつけていた。巨大な火柱に加えて紅蓮葬送歌という大技も使った影響で、彼の腹の具合は限界を超えたのだろう。

 やれやれと肩を竦めたユフィーリアは、外套の内側になにか食べ物は入っていないかと探る。ちょうど携帯食料が見つかったのでそれを引っ張り出したユフィーリアは、ショウの頭を軽く撫でながら携帯食料を差し出す。


「ほら、食えよ」

「…………すまない、感謝する」


 細々と感謝の言葉を伝えてきたショウは、携帯食料の包装紙を破る。直方体の茶色い物体をもそもそと消費しながら、彼はふと遠くを見やって言う。


「あちらの方……」

「どうかしたか?」

「吹雪が強くなっていないか?」


 ユフィーリアも、ショウの視線を追いかける。

 その時、崖の方面が純銀に染まった。

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