第5話【無意味に潜む勝利の鍵】

『なあ、貴族の屋敷ってなんであんなに無駄に広いんだ? 無駄に』

『無駄にって言葉をやけに強調するよナ♪ そりゃ、まあ、あれだロ♪ 権力を見せつける為じゃねーノ♪』


 いつか、どこかで、銀髪碧眼の天魔憑てんまつきがカボチャの被り物をしたディーラーと話している姿を見かけた。

 安い酒を舐めながら交わしていた会話の内容は、屋敷の構造についてだった。


『特にあの、ばるこにぃ? あれがなんか意味分かんねえんだよな』

『いいじゃン♪ 広い屋外通路だとでも思えバ♪』

『俺は屋内で戦うことなんざないからなァ』

『屋内戦はオレ様の十八番ヨ♪ もっと面白い建物の構造を教えてしんぜよウ♪』

『その話、三〇秒以内に終わる?』

『早くも飽きが回ってきてル♪ なんでヨ♪』


 なんとはなしに、その会話の内容に耳を傾けていた。

 特に意味はない話だけれど、少しだけ興味が唆られる内容だったのだ。


『例えば――最近だと子供部屋だナ♪』

『子供部屋ァ?』

『最近の流行は、子供部屋を頑丈にすることダ♪ なにしろ子供は大いに騒ぐしナ♪ 部屋の構造はとびきり頑丈にしていてもおかしくなイ♪』

『具体的にはどうするんだよ』

『まずは窓♪ 簡単に子供が落ちないように、格子窓にすル♪ 続いて扉♪ 外から鍵をかけられるようにすル♪』

『外から鍵とか……虐待か? 子供を閉じ込める為にか?』

『そーじゃなイ♪ 貴族の屋敷には、強盗が押し入ったりすル♪ そういう時に、親はまず子供を逃がそうとすル♪ 子供を安全な場所に避難させる為に子供部屋をあえて頑丈に作らせるのヨ♪ そこが子供たちの、最後の砦となるよーにネ♪』

『ふぅーん、世の中の親ってのはよく考えてるモンだな。心配なら体術でも習わせればいいのに』

『すぐにそーやって野蛮な考え方に辿り着いちゃうの、オレ様は好きヨ♪』


 そして話は脱線して、賭博場がどうのという話になってしまった。

 建物の構造は、よく分からない。グローリアが相手にしているのは、空から降り注ぐ謎の怪物だからだ。彼らが家を持つ訳ではないし、屋内戦が想定されるような展開には今後ずっとないだろう。

 それでも。

 頭の中に一瞬だけ過ぎったのは、あの永久凍土に存在した温かな学校の中で行われた、魔女との決闘だ。


(そうか、子供部屋は頑丈に……そして屋外通路の役割を持つバルコニーだね。なるほど、屋内戦に長けているアイゼルネ君だからこそ知っている情報だね)


 なにかに使える訳ではないが、記憶の隅に留めておこう。

 そんなことをぼんやりと考えながら、グローリアは冷めた紅茶を一気に飲み干した。


 ☆


(ああ、あの知識を覚えておいてよかった)


 全ては自分が勝つ為の布石となる。

 グローリアは緩みそうになる口元を引き締めると、氷の屋敷を見下ろしたまま一言だけ規則を付与する。


「規則付与。寝室にはバルコニーがあり、それは隣の部屋へと繋がっている。子供はそのバルコニーを伝って、隣の部屋まで逃げる」


 規則を付与されたことにより、小さな子供の人形は殺人鬼の人形に殺されるより先に、屋外へ飛び出してしまう。


「なッ!?」

「反則だとは言わせないよ」


 屋外へ飛び出した子供の人形は、地面に落ちることなく寝室の隣の部屋へ移動する。

 驚愕に瞳を見開くエリスに、グローリアは穏やかな笑みを浮かべたまま言う。


「僕は一切、反則なんてしていない。――バルコニーは立派な建物の構造の一つだよ」


 エリス・エリナ・デ・フォーゼの敗因は、常識が昔のまま停滞していたということだろう。

 グローリアにはたくさんの仲間がいる。今もなお、どこかで【雪鬼ユキオニ】と戦っている第零遊撃隊の二人やスカイ、他にもたくさんの天魔憑てんまつきが彼の味方だ。彼らの持つ知識は、時にグローリアを助ける手立てとなる。

 例えば、今のように。

 この知識は、建物の構造に詳しいアイゼルネから密かに仕入れた、なんでもない情報だ。


「そんな……!!」

「敗因は、自分の情報不足だとは思いますが?」


 グローリアは、規則違反を犯した訳ではない。

 むしろ、これは立派な戦術だ。

 世の中には『知らない方が悪い』という言葉がある。まさしくその通りだ。無知は時に敗因となる。どんな小さな情報でも、下らない情報でも、些細な情報でも、それはいつしか自分にとっての勝ち筋となるのだから。


「付与した規則は取り消すことができません!! ならば、わたしもそのバルコニーとやらが使えるはずです!!」

「ええ、そうでしょうね」


 エリスの主張に、グローリアは頷いた。

 別になんら問題はない。殺人鬼がバルコニーを伝ってグローリアが操る子供を追いかけたところで、バルコニーが繋がっている隣の部屋の窓を封じてしまったら行き止まりだ。

 ――いや、それだけでは足りない。この魔女を出し抜くには、行き止まりを作っただけでは甘い。


(相手は斧を持っている。行き止まりを作ったところで、意味なんてない。窓ガラスを割られれば、簡単に侵入なんてできてしまう)


 それなら。

 グローリアは紫色の瞳を音もなく眇めると、この戦略遊戯の規則付与に関する穴を利用することにした。


「どうしたのですか? 逃げないのですか?」


 予想外のことに対応しきれていないようにも見えたが、子供の人形が逃げる気配を見せないことから、エリスは早くも勝利を確信したらしい。

 余裕すら見せる彼女に、グローリアは「逃げますよ」と当然のように返す。


「貴女こそ、いつまで焦らすおつもりですか? 獲物が無防備に立ち止まったままだというのに、襲いかからないのですか?」

「…………なにを考えているか分からないので、警戒しているだけですよ」


 エリスは少しだけ声を低くして言う。

 確かにその通りだろう。エリスが警戒するのも頷ける。

 なにせ、今しがたグローリアはエリスの知り得ない情報で、彼女を出し抜いたばかりだ。今度はどんな手を使ってくるのか、聡い彼女は全力で警戒している。あらゆる事態を想定しているようだが、彼女の化石のような知識ではグローリアに敵うはずがない。


 彼女は失念していた。

 自分が相手にしている青年は、幾度となく戦場で戦死者を出さなかった紛れもない『天才』なのだと。


 バルコニー部分をのろのろと亀のような速度で移動する殺人鬼の人形を眺めながら、グローリアは密かにため息を吐いた。

 次の手はもう決めてある。あとは殺人鬼がやってくるのを待つだけだ。


「警戒するのも無理はありません。どうぞ、そのままゆっくりといらっしゃってください。ああ、別に部屋に落とし穴を仕掛けるような真似はしませんので、ご安心ください」


 穏やかな微笑を浮かべたまま、グローリアは嘘のように聞こえる台詞を吐く。

 我ながら、どこまでも嘘のように聞こえるなとは思った。もちろん、グローリアの台詞は真実である。この部屋には落とし穴など仕掛けない。

 やがて、殺人鬼はついに子供が待ち受ける部屋へ姿を見せる。おそるおそる部屋の床を踏み、落とし穴や罠が仕掛けられていないことを確認すると、エリスはようやく安堵の息を吐いた。


「だから言ったでしょう。落とし穴は仕掛けないって」

「その言葉、誰が信じますか」

「ええ、そうですね。自分でも警戒するような言葉遣いにしましたので。――規則付与、その部屋は子供部屋だ」


 短い規則付与。

 単なる部屋の指定である。

 グローリアはそれだけ付与すると、子供を部屋の外に逃がす。当然、殺人鬼は逃げる子供を追いかける。


「規則付与。子供部屋の扉は外から鍵がかかるようになっている。構造は極めて頑丈、防犯の為に斧でも破ることはできない」

「!!」


 エリスが息を飲んだ。


「当然ながら、子供は扉を閉めて殺人鬼を閉め出した。さらに鍵もかけて、子供部屋に閉じ込めた」


 さらに、子供の行動まで指定する。

 氷の屋敷にも変化があり、子供を追いかけていた殺人鬼の人形が透明ななにかで行く手を阻まれていた。扉が閉まったことで、外に出られなくなったのだ。

 鍵は外からかかる仕様になっている。その為、殺人鬼が屋敷の全ての鍵を持っていたとしても、外からかかってしまった鍵を外すことはできない。


「ならば、またバルコニーから出て――!!」

「規則付与。子供部屋の窓は落下防止の為に、格子窓になっている。もちろん頑丈だから外せない」

「はあ!?」


 エリスが叫んだ。

 窓から逃げようとしていた殺人鬼の行く手が、さらに阻まれる。グローリアが指定した通りに、子供部屋の窓が格子窓になってしまった。今までバルコニーと繋がっていたのに、これでは矛盾してしまう。

 そう、矛盾だ。グローリアはこの矛盾を利用した。


「戦略遊戯の規則付与は、どうしてもどこかに矛盾が生じてしまう。その場合は、あとから付与した規則が適用される」


 誰もそんなことは言っていないが、かつてエリスと対峙したことがあるグローリアは知っていた。

 いくつも規則を付与していくと、必ずどこかで矛盾が生じる。その場合は、あとから付与した規則を正しいものとするのだ。

 グローリアはバルコニーを繋げた際に、部屋の指定をしなかった。隣の部屋と言っただけで、部屋の構造までは指定していない。

 指定したのは全て、バルコニーを繋げたあと。

 故に、バルコニーが繋がった先が子供部屋である規則が適用され、さらに子供部屋は格子窓になっている規則が適用され、バルコニーが繋がっていたという規則はなくなった。


「そんな……」

「殺人鬼から逃げ切れば、戦略遊戯は終了でしたね」


 グローリアは笑いながら、


「殺人鬼が行動不能になってしまえば、自動的に子供の勝利となる。――貴女の負けです」

「…………!!」


 エリスは椅子から転がり落ちた。よほど負けたことが堪えたのか、彼女はガタガタと震えている。

 たかが戦略遊戯でも、自信を持っていた分野で負けるのは辛いものなのだろうか。グローリアが彼女にかける言葉を選んでいると、


「だめ……」


 エリスが細々と言う。


「ダメ……逃げてぇッ!!」

「え?」


 次の瞬間。

 視界が純銀に塗り潰された。

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