断章【それは、魔女と子供のしあわせな日々】

 ――その日は珍しく、晴れていた。


 そこは雪の中に住まう魔女が作った『学校』で、濃紺の海の上に巨大な氷の箱が浮かんでいた。氷の中は不思議と暖かくて、凍えて死ぬようなことは決してなかった。ただ、薄着で生活したことはないのだが。

 透き通るような氷の天井から漏れる陽光は輝いていて、七色の光を教室に落とす。魔女に拾われた生徒たちは全部で三五人。そのうちの三四人は、楽しそうに走り回りながら七色の光に「綺麗だね」「素敵だね」と感想を述べている。


「あなたは行かなくていいのですか?」

「僕は興味ないよ」


 椅子の代わりに使っている木の箱の上に座る子供は、年相応らしくない言葉で魔女の質問に応じた。艶のある黒髪と空の色をした瞳、顔立ちは中性的で男にも女にも見えてしまう、そんなひどく曖昧な子供だった。

 子供の視線は、手元の分厚い書籍にだけ向けられている。同年代の子供の歓声を聞きながら、子供は紙面に走る文字をひたすら追いかけている。


「読書ばかりではつまらないでしょう?」

「つまらなくないよ。授業の予習と復習は生徒の基本だもん」

「いいえ、つまらないはずです。つまらないのです。――なので、この本は没収です」

「あっ」


 子供の手から、魔女はあっさりと分厚い本を抜き取った。

 慌てて魔女が抱える本人手を伸ばすが、彼女は子供の手をピシャリと払って「ダメです」と言った。


「休む時は休まなければなりません。これは常識です」

「予習復習だって常識でしょ。エリス、僕は間違ったことを言った?」

「先生、と呼びなさいと言ったはずですが。グローリア、あなたに常識はありませんか?」


 魔女の言葉に冷え冷えとしたものを感じ取って、子供はぐっと押し黙った。

 楽しそうにはしゃいでいる同年代の生徒たちを遠い目で見やる子供は、どこか混ざりたそうにしているけれど自分からはとても言葉には出しづらいようだった。口を噤み、そして羨ましそうに同級生たちを見つめている。

 そんな子供を見かねた魔女が、子供の目の前に手を差し出した。皺くちゃだけど、指先まで綺麗な手だった。


「よく見ていてくださいね」


 魔女の手のひらに、ピキピキ、パキパキと音を立てて氷が出現する。

 青い光を帯びる氷の塊は花へと形を変えて、魔女の手の中に残った。ひやりとした冷気が頬を撫で、子供は目の前で起きた魔法に青い瞳を輝かせる。


「すごい!」

「わたしが魔女と呼ばれる所以ゆえんです。えへん」


 魔女は自慢げに胸を張り、しかし聡い子供は「でも冷たいよね……」と言う。

 その言葉を待ってましたとばかりに魔女は微笑んで、


「わたしはもう一つ魔法が使えるのですよ。見ていなさい」


 手の中に作られた氷の花が、紅蓮の炎に包まれる。

 ごう、と虚空から出現した炎が氷の花を覆い隠してしまうが、ピキピキ、パキパキと熱い炎が凍りついてしまう。魔女の手のひらには氷の花ではなく、なにやら不思議なオブジェのようなものができあがっていた。

 鳥が羽ばたいているようにも見えるその不思議なオブジェを観察し、子供は首を傾げる。確かにすごい魔法だったが、子供にとっては氷の花の方がすごい魔法のように思えたのだ。


「あ、あれ、あまり関心がありませんか?」

「氷の花の方がすごいなって思ったけれど」

「はうあ!? わ、わたしはまた子供の心を読み違えてしまったのですかーッ!?」


 子供の反応が薄いあまり、衝撃を受ける魔女。

 ――まあ、確かに子供らしい反応とは言い難いか。

 自分の言動を振り返って反省した子供は、落ち込んだ様子の魔女にポツリと言う。


「僕もエリスのようになれるかな」

「……あなたは立派なわたしの生徒ですから、きっとなれますよ。とびきり優秀で、とびきり自慢のわたしの生徒です」


 そう言って。

 魔女は若葉の色の瞳を、ゆるりと曲げて微笑んだ。穏やかな笑みは子供にとっても安心できるもので、自慢の生徒という言葉を口の中で反芻した子供は「そっか」とちょっとだけ恥ずかしそうに頷いた。


「じゃあ、次の戦略遊戯では負けないからね」

「言いましたね? いいでしょう、受けて立ちます」


 子供は不敵に笑って、魔女は穏やかに応じて。

 そうして平和な時は過ぎていくはずだった。

 これまでも、これからも。

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