第4話【氷の棺にて眠る老女】

 晴れ渡った蒼天を貫かんばかりに高くそびえる氷の塔は、妙な威圧感をユフィーリアとショウへ与えてくる。ひやりとした空気の原因はこの氷の塔だったのか、と納得もできた。

 氷の塔の付近にいるだけで、先ほどまで麗らかな陽気だったのが嘘のように、極寒の地へ放り込まれたかのような感覚が肌を突き刺す。ぶるりと身震いをしたユフィーリアは、外套の上から二の腕をさすって暖を取ろうとした。


「なんだってこんなモンがあるんだよ……」

「不明だ。どういう意味があって、このような氷の塔が作られたのだろうか」


 透き通る青い尖塔せんとうへと平然とした足取りで近寄っていくショウに対し、ユフィーリアは一歩も動けないでいた。

 ぶっちゃけ、寒い。完全に防寒対策を忘れてきた。寒さにはある程度の耐性があるはずなのに、まさかゼルム雪原がここまで寒いとは思わなかったのだ。

 いっそのこと防寒具でも装備するかな、とユフィーリアは外套の内側を探ろうとして、


「大丈夫か」


 ふわり、と。

 温かな手のひらが、ユフィーリアの頬に触れる。

 見れば、ショウがユフィーリアの頬を手で包み込んでいた。【火神ヒジン】の恩恵を受けた温かな手のひらは、今のユフィーリアにとって最高の暖房具といっても過言ではない。

 ぽかんとするユフィーリアに、ショウは赤い瞳を瞬かせて不思議そうにしている。「対応を間違えたか?」と問いかけてくる彼に、ユフィーリアは否定した。


「どうした、お前。今日はサービス精神旺盛だな」

「普通の対応だと思うのだが」

「どこがだよ。前のお前だったら考えられねえよ」


 これも開き直りの力なのか、そうなのか。

 自分の意思を持つとデレが全開になると理解したユフィーリアであった。


「それよりも、この氷の塔を調べてみるべきではないか?」

「まあ、そうだよな。これ調査だしな」


 ショウのすべすべで温かな手のひらの恩恵を、いつまでも享受している訳にはいかない。

 名残惜しいがショウの手のひらから離れ、温かさが消えないうちに調査してしまおうとしたユフィーリアに、ショウがポンポンと肩を叩いてくる。


「ユフィーリア、ユフィーリア」

「なんだよ、ショウ坊。もう腹でも減ったのか?」

「なにか瓶のようなものはないか? なければ筒のようなものでも構わないのだが」

「瓶だァ?」


 唐突に謎の要求をされたユフィーリアは、彼の行動の原因を怪しみながらも外套の内側から酒の空き瓶を引っ張り出した。前に酒を購入して、中身を飲んでゴミだけを外套の内側に放置したままだった。

 それをショウに手渡すと、彼は飲み口を手で塞ぐ。なにをするのかと思えば、ぐっと飲み口に手のひらを強く押しつけた。まるで空き瓶へなにかを押し出すかのように。

 すると、ぽっと瓶の底が光り輝いた。茶色い瓶なので中身はよく見えないのだが、内側から煌々と輝いている。


「火球を押し込んで、暖房具の代わりにした。これで寒さも少しは和らぐはずだ」

「…………だからどうしちゃったの、お前。サービス精神旺盛すぎんだろ」

「相棒の状態に気を使うことは当然だろう」


 開き直りって恐ろしい。

 ユフィーリアは改めて感じた。

 瓶の内側でめらめらと燃える火葬術の炎だが、普段は生者を焼き殺す為の力を孕んでいるものの、火葬術が適用されないガラスを挟めば、これ以上の暖房具として最適なものはない。消えたらまたやってもらえばいいのだから、金もかからないので便利なことこの上ない。

 火球を入れた酒瓶を懐に抱えて、ユフィーリアは「おう、ありがとな」と礼を言う。本当にサービス精神が旺盛すぎて、ありがたいのだがちょっと対応に困ってしまうことも事実だ。

 さて。

 冷え冷えとした空気を放つ氷の塔は、溶ける様子が全く見られない。試しに殴ってみるものの、骨を通じて鈍い痛みが全身に広がっていくだけで、傷一つつかなかった。


「氷のくせに硬い!!」

「切断術でも使えばいいのでは?」

「それだと表面を撫でるだけで終わっちまう。両断したいんならもう少し離れねえとな」


 ユフィーリアの切断術は、ただ視界で認識できればいいという訳ではない。しっかりと始めから終わりまで認識した上で居合を放たなければ、中途半端に切れ込みを入れた状態で終わってしまう。

 この氷の塔を切断するには、その距離が足りない。下がろうにも氷の塔が崖いっぱいにどんと鎮座しているので下がれず、ならば崖の上まで戻って切断術を発動すれば上だけしか切れない。なんとももどかしい状況である。

 かといって、ショウの術式は適用外だ。生きとし生けるものを燃やし尽くして灰燼かいじんに帰す火葬術は、生きている相手にしかその炎は適用されない。目の前にある塔は氷であり、生きている訳ではないからだ。


「む。ユフィーリア、大変だ」

「どうした、ショウ坊。これ以上に大変なことってあるのか?」

「この氷の塔の中に、誰かがいるようだ」

「中にィ?」


 ショウが氷に顔を近づけて言うので、ユフィーリアもそれに倣うことにする。

 氷に顔を近づけると、ひやりとした冷気が鼻頭を撫でた。ぶるりと寒気に体を震わせたユフィーリアは、薄暗い氷の中に人影を見る。

 それは、老婆だった。

 大人しめな印象のあるワンピースともこもことしたケープを肩からかけて、それから彼女は眠るように瞳を閉じている。顔は皺だらけではあるものの、ただ醜く歳を重ねた結果が出ている訳ではなく、厳格な印象を与える。背筋も不思議なことに真っ直ぐ伸びていて、姿勢にも厳しさが滲み出ていた。


「婆さんか? この氷に巻き込まれたんかな」

「天魔の仕業だろうか」

「これだけ巨大なら、きっとそうだろうよ」


 ともあれ、異変があれば上官に知らせるのが調査の基本である。

 ユフィーリアは外套の内側を漁り、手のひら大の緑色のゴツゴツとした石を取り出した。「それはなんだ?」と不思議そうにするショウをよそに、ユフィーリアは石を足元に向かって投げつける。

 天魔最強と名高い【銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕によって地面に叩きつけられた緑色の石は、衝撃に耐えられずに割れてしまう。が、本来の使い方はこれでいいのだ。

 割れた石から、もくもくと緑色の煙が立ち上る。驚くショウに、ユフィーリアは彼の反応を楽しみながら説明してやった。


「これは伝令結晶スフィアって言ってな、天魔のどっかの部分を加工して作った代物だ。それなりに値段は張るけど、スカイの使い魔がいない状況なんかには便利だぜ」

「これはどこに繋がっているのだ?」

「グローリアのとこ。あの汚ねえ部屋に水晶玉みたいなの置いてあるんだよ。あそこに伝令結晶の通信が集束される」


 話しているうちにもくもくと緑色の煙が人の姿をなし、黒髪紫眼の青年の姿が映し出される。彼は朗らかに笑いながらユフィーリアの通信に応じた。


『どうしたの、ユフィーリア。伝令結晶なんてわざわざ使ってくるなんて』

「婆さんが氷の中に閉じ込められてんだけど、これはどうしたらいい?」

『……………………え?』


 黒髪紫眼の青年――グローリアの表情が固まった。朗らかな笑顔が引き攣り、それからもう一度問い質してくる。


『ごめん、なんて言ったの?』

「だから、婆さんが氷の中に閉じこもってるって」

『それはどこ? どの辺り? 座標は? ――ううん、いいや。伝令結晶を使ってくれたことは幸いだったかな。待ってて、すぐにそっちに行くから』

「あ、おい!!」


 ユフィーリアが止める間もなく、グローリアの姿が掻き消えてしまう。「あいつ通信を切りやがった!!」と悪態を吐いたユフィーリアは、面倒臭そうにガシガシと銀髪を掻き毟った。

 成り行きを見守っていたショウは、氷の塔を見上げて呟く。


「この氷の塔になにかあるのだろうか」

「さあな。まあ、ここまでくるって言ってんだから、その時に聞いてやればいい」


 わざわざ温かいところからこんなクソ寒い場所まで足を運ぶと相手が言っているのだから、ユフィーリアはその時に彼へ問い詰めてやればいいかと考える。多くを語らない彼だが、そこはそれ、拷問でもなんでもして吐かせればいいだけの問題だ。

 楽な調査だと思ったのだが、やはり一筋縄ではいかないようだ。

 早くも暗雲が見え始めた任務に、ユフィーリアはやれやれと肩を竦めた。

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