第6話【悪夢の繭】

「――それで、四天してん。『繭』の状況は?」

「昨夜から一二人体制を継続しておりますが、芳しくありません。あまり状況はよろしくないかと」


 前方から聞こえてくる葛葉くずのはとその息子との会話に耳をそばだてて、ユフィーリアはさながら泥棒の如く二人を尾行する。

 滞在を許された社の中を移動しているようだが、八雲神やくもがみの居室とはまた違った奥地へとやってきていた。この社があまりに巨大すぎて、もはや先導する二人の存在がなければ、確実にここまでやってくることは不可能だ。

 後ろからやってくるユフィーリアの存在に、先を歩く二人が気づく様子は一切ない。なにやら不穏な会話をしながら、廊下を右へ左へと曲がっていく。


(――繭?)


 聞き慣れない単語に、ユフィーリアは密かに柳眉を寄せた。

 繭とはなんの繭の話だろうか。昆虫の繭であるならユフィーリアも何度か目にしたことはあるが、まさかこの『斗宿ヒキツボシ』の中に彼らが懸念するほどの繭があるのか。

 話の詳細を聞くべくユフィーリアは葛葉と彼女の息子の会話に意識を集中させるが、彼ら二人は頑丈に施錠された襖の向こうに消えてしまった。自然とユフィーリアの歩みが止まり、二人が消えた襖を見上げる。

 襖の表面には太い金属製の鎖が埋め込まれて、襖が簡単に開かないようにと何重にも縛られている。さらに鎖の上からは独特な形状をした紙縒こよりがいくつも下がっていて、なにを示しているのか全く分からない札が襖の表面にベタベタと貼りつけられている。――それだけで立ち入ってはいけない場所であることは、学がないユフィーリアでも分かった。


「鎖は断ち切りゃいいが、札を剥がすのはさすがになァ……」


 ぼさぼさの銀髪を掻くと、ユフィーリアは別の入り口がないかと襖を物色する。

 その時だ。


「ッ!?」


 唐突に背後から聞こえてきた青年の声に、ユフィーリアの心臓が跳ねる。

 完全に油断していた。目の前の襖に夢中で、背後から忍び寄ってくる存在に気がつかなかったユフィーリアの落ち度だ。

 振り向きざまに外套の内側からマスケット銃を抜き放ち、その銃口を背後で佇む相手へ突きつける。その反応速度はさすが『最強』とも言われるだけあり、しかし銃口を突きつけた相手にユフィーリアは息を飲む。

 壁に取りつけられた燭台の明かりが、彼の鋼色をした髪を鈍く照らす。高みからユフィーリアを見下ろし、突きつけられたマスケット銃の銃口に驚いた様子すら見せない薄紅色の瞳。黒い袴が特徴の巫女服の背後で、髪と同色の狐の尻尾が九本揺れている。

 神宮『斗宿』国主――八雲神が、そこにいた。


「爺さんだから寝てるかと思ったけど、案外夜更かしも得意なんだな」

「爺さんとは失礼じゃのう。八雲神とは呼んでくれんのか」

「八雲の爺さん」

「むぅ……いい感じに合わせてくるとは……ま、いいじゃろ」


 八雲神は不満げにしていたが、ユフィーリアが「八雲の爺さん」と呼ぶ不敬には文句を言うことはなかった。

 この国の支配者に武器を向けるとは、失礼にもほどがあるだろう。グローリアに見つかったらなんと言われるだろうか。そもそもこの場に常識の塊であるショウがいなくて助かった。

 色々と考えたことはあったが、ユフィーリアはゆっくりとマスケット銃を下ろした。それから外套の内側にマスケット銃をしまい込み、何事もなかったかのように振る舞う。


「煙草吸いたくて外に出ようとしたら迷ってな。こんな奥まったところまで来ちまった」

「葛葉と四天を尾行しておったのは後ろから見ておったぞ。儂の妻と息子になにか用事でもあったんかのう?」

「へえ、妻と息子だったんか。そりゃ知らなかった。人妻には手を出さねえ主義なんだ、悪かったな」

「カカカカ、なに、御主ともあろう者が人の嫁にまで手を出すような愚か者ではないことぐらい分かっておるわい」


 八雲神は呵々と笑うが、次の瞬間、彼はふとその笑みを消し去って言う。


「して、御主。この場は立ち入りを禁じておるはずなのじゃが――感心せぬな、【銀月鬼ギンゲツキ】よ。他人の個人的な空間を土足で踏み荒すとは、少々躾がなっておらぬのではないかえ?」

「――悪いが、俺は首輪つきの獣じゃねえんだぜ」


 肌を撫でる緊張感は、間違いなく目の前の神様もどきが発しているものだ。

 しかし、ユフィーリアは相手の雰囲気に飲まれることなく反論した。それだけではなく、笑みさえも浮かべている。


「お前――?」

「ほう? 何故そう思う?」

「簡単な話だ。――グローリアの勧誘を断った言葉に引っかかった。あの時のお前の態度なら『断る』ってのが妥当だと思うが、あの『嫌だ』の印象だと『奪還軍に協力してもいいけど、俺が「斗宿」から離れるのは嫌だ』に聞こえたんだよなァ」


 どうよ、とユフィーリアは自信満々に胸を張る。すっかり探偵気分のようだが、これで推理を外したら憤死ものである。

 ところが、八雲神はなんだかばつが悪そうな表情を浮かべてみせた。ユフィーリアの推理に反論しようと何度か口を開くものの、いい言葉が見当たらないのかそっと閉口する。


「御主は、勘が鋭いのう」

「そりゃどうも。――で、答え合わせは?」


 このまま嘘を吐き続けるということであれば、ユフィーリアは無理やりにでも八雲神に吐かせるつもりでいた。たとえこここが敵陣のど真ん中であっても、ユフィーリアの方針は変わらない。

 上官のグローリアの生命が脅かされるのであれば、どんな手段でも使う。

 この戦争の勝利には、彼の存在は必要不可欠なのだから。

 口の端を吊り上げて笑うユフィーリアになにかを感じ取ったのか、八雲神は薄紅色の瞳をツイと逸らした。「…………これだけは、外には知られたくなかったんじゃがの」とポツリと呟くのが聞こえた。


「そうじゃ。儂は隠しておる。そして最高総司令官殿の誘いを断ったのも、御主が予測した通り、儂は『斗宿』を離れることができんが故に拒否した」

「それなら、その隠してるブツを見せてもらおうか」

「断ると言ったら?」

「この扉を無理やり破ってやろうかな。結界が張ってあるようだが、なに、そこら辺の巫女さんを捕まえて結界を解くもよし。もし解けねえってんなら」


 不敵に笑ったユフィーリアは、外套の内側から懐中時計を取り出した。おとぎ話のモチーフが随所に施された、銀製の懐中時計である。

 その懐中時計を目にした八雲神は怪訝そうに首を傾げるが、やがて合点がいったのか舌打ちしない勢いで顔を顰めた。


「『白兎の銀時計ホワイトラビット・クロックス』か。よもや、御主は【夢少女ユメショウジョ】の天魔の討伐にまで成功していたとはな」

「半年ぐらい前にな。たまたま俺が担当していた戦線にひょっこりやってきたから、討伐させてもらったよ」


 ユフィーリアが有する懐中時計は、グローリアの術式である『時空操作』の劣化版のようなものだ。それは【夢少女】という人の姿をした天魔が持っていた装備で、自分を中心とした半径五メートル以内のあらゆる事象の時間を戻すという離れ業をしてのける怪物だった。

 しかし、見えてさえいればあらゆるものを距離を飛び越え切断できるユフィーリアには関係なく、五メートルの範囲を超えてしまえば【夢少女】の攻撃は適用されない。あっさりと凶刃の前に倒れた少女の姿をした天魔から、ユフィーリアは脅威の源となっていた『白兎の懐中時計』を強奪したのだ。

 その脅威は主人である【夢少女】を亡くした今でも適用され、それは半径五メートル以内の中にある全てのものの時間を戻すことができる。結界が張られる前まで時間を戻せば、八雲神が隠しているものなど簡単に分かる。


「どうする? 自分で明かすか、無理やり明かされるか。無理やり明かすのは好きじゃねえんだが、必要に駆られりゃやるぜ?」

「……………御主、卑怯だと言われんか」

「褒め言葉だな。勝つ為なら手段を選ばないのが、奪還軍の規則でね。うちの最高総司令官を見てりゃ分かるだろ」


 八雲神は深々とため息を吐いた。

 彼の実力ならば、ユフィーリアを捩じ伏せることなど容易だろう。最古の天魔の一体に数えられる【白面九尾ハクメンキュウビ】は神と恐れられた天魔、その神通力は計り知れないものがある。物理ではユフィーリアに及ばないとしても、その前に抑え込んでしまえばいい。

 しかし、それはあくまで【銀月鬼】までに通じる戦術だ。【銀月鬼】と契約したユフィーリアに、果たして通じるものだろうか。


「……仕方ないのう」


 八雲神はユフィーリアの横を通り抜けて、頑丈な鎖で封じられた襖の前に立つ。

 彼が鎖に手をかざせば、入り口を縫いつけていた頑丈な鎖が一瞬で弾け飛んだ。手品じみた行いにユフィーリアは青い瞳を見開くが、八雲神が静かに開いた襖の向こうから感じた禍々しい空気に呼吸が詰まる。

 風がないはずなのに、吸い込まれるような空気の流れがユフィーリアの外套の裾を揺らした。


「……【銀月鬼】の契約者よ、御主の名前はなんと?」

「ユフィーリア・エイクトベル」

「そうか、ユフィーリア……なるほど。あい分かった」


 八雲神は襖の向こうに満たされた闇に踏み込んでから、こちらに振り返る。寂しそうな笑みを浮かべて、それからユフィーリアを闇に導く為に手招きをした。

 まとわりつくような闇に、ユフィーリアは意を決して踏み込んだ。


 ☆


 不思議と足音は聞こえない。

 不思議と息遣いが聞こえてくる。

 水を掻き分けて進むような感覚に、ユフィーリアはひっそりと顔を顰めた。

 音も聞こえないはずなのに、先導して歩く八雲神の息遣いが不思議と大きく聞こえてくる。意識を傾ければ心臓の鼓動すらも拾えてしまいそうだ。


「なあ」

「静かに」


 青年の背中に話しかけると、ピシャリと一蹴される。


「この向こうにいるそれは、世にも恐ろしい怪物だ。――心して見よ」


 老獪じみた青年の口調は、いつのまにか緊張感漂うものへと変わっていた。

 ユフィーリアもさすがに軽口を叩ける余裕はなく、言われた通りに閉口するしかなかった。またそのまま、深い闇を掻き分けて進むしかない。

 ずぶり、ずぶり、と闇の中を進んでいく二人は、やがて茫と浮かぶ燭台の明かりに迎えられる。闇を掻き分けた先、広がっていたのは新円状の部屋だった。


「――――」


 八雲神に導かれてやってきたそこに、そしてその部屋の中心に据えられたモノを目の当たりにして、ユフィーリアは息を飲んだ。

 緩やかな曲線を描く新円状の部屋に沿うようにして、一二人の狐巫女が等間隔に並んで正座をしている。彼らは部屋の中心を支配するそれを睨みつけて、あるいは現実を受け入れたくないと目を逸らすかのように固く閉ざし、一心不乱に同じ詠唱をひたすら紡いでいる。

 そしてどこまでも広い部屋の中心には、黒い闇のがどんと鎮座していた。

 大樹と表現するのが的確かどうか、ユフィーリアには判断がつかない。天井にまで届くその闇色の大樹は、幹の部分が丸々と膨らんでいた。――さながらそれは、赤子を孕んだ妊婦のようだ。


「……こいつァ」

「分からん」


 八雲神は言う。

 その薄紅色の瞳は、真っ直ぐに黒い大樹を睨みつけていた。よく目を凝らせば肉感を持つその大樹は、床に張った根が徐々に侵食していく。だが巫女たちの懸命な詠唱によって、侵食しようとしていた根はずるずると後退していった。

 進退を繰り返す大樹と、それらを詠唱によって抑え込む狐巫女たち。退魔調伏を得意とする狐巫女たちが手こずるとは、なかなかに曲者のようだ。


「儂はこれを『悪夢の繭』と呼称している」

「……だから繭、か」


 ユフィーリアは、改めて悪夢の繭と呼称されるその黒い大樹を見上げた。

 天井に枝を広げて寄生し、床にも根が広がっていく。なんとか狐巫女たちの尽力によって食い止められている状態だが、それでもこの状況がいつまで続くか。


「あれが破裂すれば、世界に絶望が撒き散らされることとなろう。儂は、そんなことは望まぬ。『斗宿』が壊れることも、そして世界が壊れることも」

「――【魔道獣マドウジュウ】が喜びそうな状況だな、そりゃ」


 ユフィーリアは苦笑する。

 以前の任務で相手にした絶望から生まれし天魔【魔道獣】の存在を思い出して、頭が痛くなった。あれの相手は非常に面倒くさかった。

 絶望を吸い上げて成長していくその様に苦労させられたし、倒すのには絶望を打ち払う必要があった。――結果的に、一人の少女の犠牲によって【魔道獣】は討伐できた。

 しかし、この悪夢の繭は【魔道獣】の時とは違う。破裂すれば、世界中に被害が飛んでいくというおまけ付きだ。


「――なあ、八雲の爺さんよ」

「なんじゃい」

?」


 ユフィーリアはそれでも、不敵に笑っていた。


「うちの司令官だったら、この悪夢の繭とやらの対抗策を練るぐらいできるだろうよ。なにせ天才様だ。こんな困難ぐらいで『できませんでした』って言わねえだろうよ」


 アルカディア奪還軍最高総司令官であり、天才と囁かれるグローリアであるならばこの状況など簡単に覆すことができるだろう。それには彼にもこの部屋にまでご足労願う必要があるが、まあ問題あるまい。どこぞの補佐官とは違って、彼は意外と動き回ることが好きだから。

 八雲神は少しだけ考えるそぶりを見せたが、ゆっくりと首を横に振った。


「それはならん」

「なんでさ」

「確かに、最高総司令官殿であるならばこの繭に対処できるやもしれん。――じゃが、事はそう簡単に運ぶとは思えん」


 八雲神は苦しそうにそう言った。

 彼ら退魔の熟練者であっても、この悪夢の繭を完全に駆除することはできないのだ。ユフィーリアがそんな軽い調子で言っても、現実はそうやって上手く運ぶことはない。

 それは戦場でも同じことが言える。戦術通りに現実が動いた試しはなく、しかし戦場にいる彼らを動かす指揮官は想定外も想定する。何手先も未来を読む。そうして勝利をもぎ取ってきた。

 だから。

 今回も。


「言ってみろよ、八雲神。――『助けて』の言葉で、未来は変わるかもしれねえだろ」


 八雲神の喉が蠢く。

 出かけた言葉を飲み込みかのように。

『助けて』を求めたくても求められず、それでも求めようかと口を開きかけて。



「――――あらあら、いけませんわ八雲神様。そんなお外の人間様に助けを求めるだなんて」



 、と。

 柔らかい肉を抉る音。

 それは、八雲神の腹から聞こえてきた。

 ユフィーリアは視線を下へやる。八雲神もつられて、自分の腹へと視線をやった。

 八雲神の腹から、少女の華奢な腕が突き出していた。八雲神の鮮血によって真っ赤に汚れたそれを乱雑に引き抜いた、得体の知れない狐巫女はうっそりと笑う。


「貴方様を殺せなくなってしまうではありませんか」


 膝からくずおれた八雲神を支えるユフィーリアは、背後から八雲神の腹を貫いた狐巫女を睨みつける。

 艶のある黒い髪に、同色の狐耳が頭の上で揺れている。尻尾の数は三本と少なく、妖しく輝く紫色の瞳に最高総司令官の面影を見てしまう。だが、彼の朝靄の如き美しさはなく、毒々しい紫色の瞳はユフィーリアに支えられている八雲神を見据えていた。

 彼の血で汚れた腕をペロリと舐め取り、少女は笑みを深める。


菖蒲あやめ……御主は、なにを……ッ!!」

「あら、まだ生きてらしておりましたか。さすがは国主、腹を突いただけではそう易々と死にませんか」


 くすくすくす、と。

 黒い狐巫女は楽しそうに笑っている。そして少女はくるりと踵を返して、軽やかな足取りで悪夢の繭へと近づいていく。――いや、正確には悪夢の繭を懸命に抑え込んでいる狐巫女たちの元へと。


「テメェ……なにしようとしてる!!」

「決まっているではありませんか」


 少女は一人の狐巫女へと抱きつくと、


「こうするのですよ」


 ごきり、と。

 その狐巫女の首を、

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