第6話【不穏な空気と嘘】

 軽業師よろしく屋上を次から次へと経由したユフィーリアとショウは、少女の両親が経営するらしい宿屋にようやく辿り着いた。

 少女の家族が経営するらしい宿屋は他の高級旅館などに比べるとかなり小さい部類に入るが、ひっそりと裏通りに面したそこは静かなもので、土産屋や料理店がすぐそばにあるところも気に入った。

 少女に案内されるがまま宿屋の中に足を踏み入れると、すぐに出迎えてくれたのは少しばかり太った快活そうな笑顔を浮かべる中年の女性だった。客商売をしている影響か、化粧が濃いのはご愛嬌だ。


「あらまあ、メロがお客さんを連れてくるなんて!! もしかして明日は雨でも降るのかい!?」


 メロと呼ばれた少女は母親らしき中年の女性にしがみついて、やや興奮した状態で嬉しそうに報告する。


「あのね、おかーさん! あのひとたち、まほーつかいなんだよ! すごいんだよ!」

「魔法使い?」


 快活な笑みから表情を一転させ、なにやら怪しむような視線をくれてくる中年の女性。

 冗談で魔法使いだと名乗ったはいいが、まさか本気で信じるとは思いもしなかった。ユフィーリアは苦笑すると共に、少し後ろで佇んでいたショウの脇腹を肘で小突く。


「お前ちょっと小さな炎を出したりできねえ?」

「貴様が吐いた嘘は貴様が責任を持つべきではないのか?」

「別に俺が責任取ってもいいけど、外套にしまい込んであるのは物騒なブツばっかりなんだよ。子供のご期待には添えねえモンばかりだ。その点、お前の術式は見方を変えれば大道芸じゃねえか。十分騙せる」

「嘘の片棒を担がせるつもりか」


 ジト目で睨みつけてくるショウに「命令だ」と伝家の宝刀を振りかざそうとしたが、彼はため息を吐いて一歩前に進み出ると右手を掲げる。五本指を緩く折り曲げると、ボボボッと音を立てて紅蓮の炎がショウの手のひらに集まった。

 ショウの手のひらに生まれた紅蓮の炎は形を変えて、綺麗な球体となってから自然と消える。僅かな熱が宿屋の広間に残った。

 自由度の高い術式だと子供を騙しやすいのだが、果たして大人が騙されてくれるだろうか。少女の方は母親に抱きついて「ほら!」と緑眼を輝かせるが、母親の方は夢でも見たんじゃないかというような微妙な反応だった。

 なので、説得力を持たせる為にユフィーリアが笑顔で対応する。


「我々は【閉ざされた理想郷】で活動をしている大道芸人です。まだ出てきたばかりなので少々路銀に余裕がなく、お嬢さんにお安くしてくれると誘われたのですが」

「ははあ、なるほど。じゃあ今のも大道芸ってことかい?」

「彼は炎を専門に扱う手品師です。もちろんタネも仕掛けもありませんよ」


 タネも仕掛けもあってたまるか、これは術式――天魔憑きのみが扱える魔法のような代物である。

 隣のショウはなにやら視線で訴えてきたが、彼がなにを言いたいのか無視した。言葉で訴えかけてきても即座に口を塞いでやろう。

 ユフィーリアの言葉は説得力があったようで、疑いの眼差しを向けていた母親も納得したようだった。彼女は「そういうことなら」と頷き、ユフィーリアをカウンターで宿泊の手続きをするように促す。

 ここからが正念場だ。天魔憑きであることは騙せたが、まだ値段交渉という難関任務が残っている。はてさて、一体どう話を切り出すべきか。


「ショウ坊、代筆」

「そういえば読み書きができないのだったか」


 ぼんやりと突っ立っていたショウを呼び寄せ、宿泊の為の書類を書かせることにする。ユフィーリアは学がないので文字を読むことはおろか書くことすらできないので、きちんと教養のあるショウが書いた方がいいだろう。

 思い出したように失礼なことを言うショウの脇腹を再び肘で小突くと、ユフィーリアは羽ペンをショウに押しつけた。量が少なくなりつつあるインク瓶の中に羽ペンの先端を突っ込んだショウは、サラサラと流れるような動作で宿泊用の書類に必要事項を書き込んでいく。


「……さすが読み書きができるだけあって、綺麗な文字を書くモンだな」

「字を綺麗に書くようにと矯正させられた。この程度は造作もない」


 書類上に踊るショウの文字は綺麗なもので、なんと書いてあるのか分からないがとにかく綺麗と表現する他はなかった。読み書きができれば彼のような文字が書けるのか。

 その時である。


「――きゃああああああああああああああああああああああッ!!」

 絹を引き裂くような悲鳴が、宿屋の外から響いた。


 それだけで平和ボケした思考回路が戦闘用のものへと切り替わり、ユフィーリアはほぼ反射的に宿屋を飛び出していた。閉ざされた扉を蹴飛ばすようにして開き、静かだったはずの宿屋が面する通り道に飛び出る。

 外へ飛び出すと同時に、ユフィーリアの腹に衝撃が走った。金色の頭に綺麗なワンピースを着た少女――確かメロと呼ばれていた幼い宿屋の少女だ。どうやらまた客引きをするべく外に出たようだったが、息を切らした彼女はユフィーリアの外套を掴んで切羽詰まった様子で叫ぶ。


「おねーちゃん、おねーちゃん! たすけて!」


 新緑の瞳に涙を浮かべて、少女はユフィーリアに助けを求めた。ご丁寧にユフィーリアを突き動かす為の魔法の言葉まで使って、だ。

 なにをそんなに切羽詰まっているのかと少女がやってきた方向へ視線をやれば、数メートル先に姿勢の悪い男が立っていた。老人のように背筋を丸め、ギラギラと血走った目をこちらに向けている。どこか様子がおかしいのは、事情をよく知らないユフィーリアでも理解することができた。

 泣きつく少女を背中で庇い、ユフィーリアは外套の内側に手を忍ばせる。ここで切断術を使わない辺り、まだ良心的だろう。切断術は視界に入った如何なるものでも切断することができる絶技であり、それはつまり、相手は誰であろうと確実に死ぬことになるのだ。

 ここで人間を斬り殺して、せっかく見つけた宿屋を追い出されてはたまったものではない。大道芸人と嘘を吐いた手前、変なことをして怪しまれたくないのだ。


「――ぅ、ぅうう」


 獣のような唸り声を空へと轟かせて、姿勢の悪い男がユフィーリアに飛びかかってきた。遠目からではその顔つきは分からなかったが、面長でまるで馬のような顔をしている。

 歯を剥き出しにしてユフィーリアに掴みかかろうとした馬面の男は、その直前で白銀に輝く鎖で雁字搦がんじがらめに縛られて身動きが取れなくなってしまう。「うぅッ!?」と全身を締め上げる白銀の鎖を引き千切ろうと身をよじるも、四肢の自由を封じられているので無様に石畳の上を這うしかできなかった。

 白銀の鎖は、ユフィーリアの外套の内側から伸びていた。白銀に輝く以外は普通の鎖のようにも見えるが、暴れれば暴れるほど鶏ガラのような痩せ細った体に鎖が食い込んでいき、なおかつ千切れる気配が一切ない。血走った男の目はなおもユフィーリアを捉えて離さず、食いしばった歯の隙間からは血の混じった唾液が垂れ落ちる。

 怯えるあまりとうとう震え出した少女の頭を乱暴に撫でてやりながら、ユフィーリアは正気を失ってじたばたと暴れる馬面の男を見下ろす。理性は消失しているせいか言葉を話すことすらままならず、獣のように「うううう、うううううう」と唸るばかりだ。これでは空から落ちてくる天魔と同じようなものである。

 それにしても、彼は一体なにがしたいのだろうか。まさか幼い少女を襲って楽しむような変態的な趣味を持っているとでも言うのだろうか。


「お嬢ちゃん、このおっさんとなにか話したか?」

「え、あの、おやどさがしてませんかって……」


 なるほど、ユフィーリアの時とまた違う台詞だが、彼女は客引き以外のなにもしていない。話しかけられて変な気を起こしたこの馬面の男の方がぶん殴られて然るべきだろうが、理性をなくして誰彼構わず襲いかかりそうになる今の状態では殴ったところで効果はない。

 さて、どうやって正気に戻すか。

 鎖で雁字搦めにされた状態でアクティエラ内を引きずり回すか、それともいっそ海から突き落としてみるか。どちらの方が効果的に彼の目を覚まさせることができるだろうか。やはりここは水責めの方が正気に戻りそうだし、いざ死んだとしても「正気を失って自分から海に飛び込みました」とでも言っておけばいい。目撃者には箝口令かんこうれいを敷けば問題ない。

 そんな外道なことを考えるユフィーリアの元に、遅れてショウが「どうした」と駆け寄ってくる。石畳の上に転がる理性を失った馬面の男とユフィーリアにしがみつく怯えた様子の少女を交互に見やったショウは、すぐに状況を理解したようだ。彼は一度はっきりと頷くと、


「火葬でよければ今すぐ冥府へ送ってやるが、どうする?」

「そんな答えがすぐに出てくるって怖いわむしろ」


 しかも冗談で言った訳ではなく、彼はどこまでも本気のようだった。その証拠にマスケット銃を呼び出して、その銃口をしっかりと馬面の男の眉間に照準している。あのまま引き金を引けば、銃弾の代わりに生きているならば消し炭のする炎が放たれて馬面の男を骨をも焼き尽くすことだろう。

 面倒なことになったので、もうこのままアクティエラの自警団にでも引き渡すかと珍しく真っ当なことを考えるユフィーリアの耳に、じゃりッという石畳を踏みしめる足音が滑り込んできた。背筋を撫でる冷たい殺気に振り返ると、短い丈の黒いワンピースと純白のエプロンを合わせた給仕服を可愛らしく改造した衣装を着た少女が、不気味なほど無表情でじっとこちらを観察していた。メイドさんの格好をした少女は身の丈を超す看板を担いでいたが、今やそれが武器にしか見えない。

 まさか、彼女も馬面と同じく理性を失っていると?


「やはり火葬を」

「無力化だショウ坊!!」


 こんなところで殺人沙汰などを起こせば、警戒されてアクティエラの内部調査どころではなくなってしまう。ショウは無力化することに不満を感じているようだが、命令に逆らう気配はなく「了解した」とやはり淡々とした口調で返す。

 ショウはマスケット銃の長い銃口を石畳に突き立てて杖のようにすると、生者を焼き尽くす炎を呼び出す。肌を焼くほどの熱気がユフィーリアにまで忍び寄ってきて、幼い少女を背後に庇うだけではもう限界なのでさっさと屋内に避難させる。

 紅蓮の炎は地面を舐めるように移動して、メイドの格好をした少女の足元まで這い寄る。理性を失いながらも驚きで足を止めた少女を取り囲むようにして、火柱が上がった。さながらそれは、劫火ごうかで作られた監獄だ。


「あまり長くやると相手が蒸し焼きになってしまう。素早く撃破を頼む」

「おうよ、任せろ」


 そう言って、ユフィーリアは外套の内側からマスケット銃を取り出した。ショウが持つマスケット銃と同じ型であるが、撃鉄に嵌め込まれた小さな石の色が緑である。

 冷たい銃把に頰を寄せて、ユフィーリアは少女に狙いを定める。引き金に指をかけたところで、ショウに「術式を解け」と命じた。ユフィーリアがすぐに仕留めてくれることを信じて、ショウが炎の檻を消し去る。

 解放されたと少女が認識するより先に、

 少女の背後から飛来したが、少女の後頭部を正確に撃ち抜いた。


「――――ッ!?」


 ユフィーリアは引き金を引いていない。構えたマスケット銃で誤射してしまいそうになるほど驚き、一体どこの誰が少女を仕留めたのか犯人を探す。

 少女を仕留めた輩は、自分からノコノコと出てきてくれた。銀色の狙撃銃を抱えて、青い髪を靡かせた野戦服を着た少女である。


「置いてくなんて酷くなーい!?」


 倒れた少女を素通りしてユフィーリアとショウに詰め寄ってきた青い髪の少女――シズク・ルナーティアは頬を膨らませて怒りを露わにしていた。

 というか、今の今までずっと忘れていた。あの客引きの集団に押し寄せられた時もいつのまにか姿を消していたし、本気でアクティエラ内で野宿でもするのではないかと頭の片隅では思っていたのだが。

 一人で騒ぐ少女を一瞥したショウは、


「なんだ、生きていたのか」

「死んでないやーい!! キミなんかウチに対して辛辣じゃなーい!?」

「喧しい」

「そして冷たい!! キミの使う術式――むがもが」


 余計なことを言いそうになったので、シズクの喧しく騒ぐ口を塞いでやった。ショウに至ってはシズクの腰にマスケット銃の銃口をぐりぐりと押しつけていて、それ以上余計なことを言えば燃やすぞと暗に告げているようだった。

 あくまでショウの炎は手品の一種だと吹聴しているのである。こんなところで怪物と契約した人外だと知れてしまったら、せっかく捕まえた宿屋が以下略だ。


「…………おねーちゃん、おわった?」

「おう、見ての通りだ」


 宿屋の扉を少しだけ開いて、金髪の少女が顔を覗かせてくる。その表情は不安げであったが「終わった」と分かるや、彼女はもの凄い勢いで飛び出してくるとユフィーリアの下腹部に頭突きと共に抱きついてきた。よほど恐ろしい目に遭ったことは嫌でも分かった。

 白銀の鎖にふん縛られた状態で転がされている馬面の男は少女の目の届かない路地裏へ蹴り転がしておいて、あたかも危機は去ったかのように振る舞うユフィーリア。気を利かせてくれたらしいショウが蹴り転がした馬面の男を追いかけて路地裏に向かい、なにやら密かにドタバタとやっていた。そして一仕事終えたように清々しい雰囲気で、物陰から出てきた。

 娘の心配をしてか、母親が「メロ!! 無事かい!?」と宿屋から飛び出してくる。娘が五体満足で、なおかつユフィーリアにしがみついている姿を目の当たりにした母親は感心した様子で言う。


「メロがそこまで懐くなんて珍しいこともあるねぇ」

「……懐かれてんですか、これ?」

「少なくとも知らない人を相手に抱きつくまでしたことはないよ」


 母親の姿を確認した瞬間、少女はユフィーリアから離れて母親に抱きついた。これが普通の反応である。

 大事な我が子の頭を優しく撫でてやりつつ、


「お客さん、随分と腕っ節が強いようだね? 大道芸人じゃないのかい?」

「え、あ、まあ……大道芸のかたわらで傭兵稼業もやってまして」


 つい日頃の癖が発動して手荒な解決方法を取ったが、これでは大道芸人という嘘も破綻してしまう。かろうじて傭兵である設定も盛り込んで事なきを得たが、果たして彼女は信じるか。


「ふぅーん、そうかい」


 彼女はあまり興味がないような――いや、なにかを思い悩むような調子で応じた。信じてもらえたという認識でいいのだろうか。


(いつのまに傭兵になった?)

(仕方ねえだろうが。あれだけ暴れりゃ大道芸人で押し通すのが無理だっつの)


 こっそりと耳打ちをしてきたショウに、ユフィーリアは言い返す。嘘にしてはよくできていると思うのだが、真面目な少年にとってはそもそも嘘自体がよくないものだと認識しているようである。嘘吐きがいけないのはよく分かっているが、仕事上、多少の嘘も必要になってくる場面もあるのだ。潜入任務なんかは特に必要である。

 すると、母親が「ちょっと」と声をかけてきた。まさか先ほどの耳打ちを聞かれたかと肝を冷やしたが、どうやら話題は違うもののようだった。


「あんたたち、うちで雇われないかい?」

「は?」


 雇うとは――という意味を問い質そうとしたが、そういえば傭兵という設定もつけたことを失念していた。彼女はその話をしようとしているらしい。

 彼女は幼い我が娘の華奢な肩をバシンと叩いて、


「アクティエラに滞在中の間、うちのメロの護衛をしてほしいんだよ。この子はうちの手伝いがしたくってしょうがないみたいでね、さっきのようなこともあると怖いし引き受けちゃくれないかい?」

「あー、その、それは俺の一存では決めかねるっていうか」

「引き受けてくれるんなら、対価として滞在中はうちの宿屋にタダで泊めてあげるけどねえ」

「やりますやらせてください」


 即決だった。

 数秒前までは「一存では決めかねる」と言ってお茶を濁そうとしたのだが、一存で決めかねるどころではなくなった。自分の判断で、ショウと相談することもせずに、即答で引き受けた。なんなら断られたって自分から打診する勢いだった。

 ショウがジト目で睨みつけてきたが、ユフィーリアは華麗に無視した。多分彼は「勝手に決めるとはどういうことだ」と言いたいのだろうが、世の中には『タダより高いものはない』という格言が存在するのである。

 ちなみに傍観していたらしいシズクはとうとう耐え切れずに、腹を抱えて笑い転げていた。

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