第7話【初めての夜】

「ここの部屋を使っとくれ。本当に三人一緒の部屋でいいのかい? なにかあればあと一部屋ぐらいは用意できるから、いつでも言うんだよ」


 そう宿屋の女将に言われて、ユフィーリアたち三人が通された部屋は意外と広々とした客間だった。ベッドが二つ並んで置かれていて、調度品も高すぎず安すぎない簡素なものが選択されている。さらに風呂と便所もきちんと部屋に備えつけられているので、上等な部屋であることは間違いない。


「ふっふーい!! ウチ窓際!!」


 興奮したシズクはドタバタと客間を走り回り、窓際に設置されたベッドに飛び込んだ。柔らかな敷布が弾んで、シズクの華奢な体を容易く受け止める。

 幼い子供のようにはしゃぐシズクを地面に落ちたゴミでも見るかのような目で見下ろしたショウは、シーツの海を泳ぐ青い髪の少女を問答無用でベッドから蹴り下ろした。シズクに対して恨みでも抱いているのか、彼の蹴りは容赦がなかった。

 ショウの蹴りを食らったシズクは壁とベッドの隙間に挟まって、バタバタと騒がしくもがいて隙間から脱出する。乱れた青い髪を手櫛で整えると、シズクは「ちょっとーッ!!」と明後日の方向を見上げるショウに詰め寄った。


「ウチ、キミになんかした!? なんか扱いが酷くない!?」

「うるさい」

「やっぱり嫌ってんじゃね!? だってウチなんもしてねーもん!!」

「喧しい。耳が痛い」


 シズクのキンキンと喧しい声に辟易しているのか、ショウはこめかみをぐりぐりと指で押す。


「大体、こういうものは年長者から選ぶべきだろう。貴様は何歳だ、二〇を超えているようには見えないが」

「これでも二一ですゥ。残念でしたガキンチョ」

「そうか。もう成人しているというのに随分と精神年齢が幼いのだな。ちなみに俺は残念ながら成人していないので、貴様には『ババア』というあだ名を進呈してやろう」

「なーんだとゥ!? どこがババアだクソガキーッ!!」


 うがーッ!! ともはや狂戦士と化したシズクが飛びかかってくるが、ショウは軽々と彼女のへっぽこな拳をあしらう。彼もまた成長しているということか。実にいい傾向だ。

 やがて一分もしないうちにシズクの息が切れ、ヘロヘロとベッドに倒れ込んだ。意外と体力がないようだ。


「さっさと退け。年長者が先だと言っただろう」

「年長者って――あの銀髪のオネーサン?」


 ショウとシズクの視線が、ほぼ同時にユフィーリアへと向けられた。

 二人の取っ組み合いを微笑ましい目で眺めていたユフィーリアは、ひらひらと手を振ってベッド争奪戦を辞退する。


「俺のことは気にすんな」

「ではどこで寝るつもりだ」

「もう寝てんだろうが」


 そう言って、ユフィーリアは今自分の体を支えるソファを軽く叩いた。

 ほどよく硬めで枕代わりのクッションも存在し、足を伸ばして寝ることができるこの上ない好条件だった。実のところ、ユフィーリアはベッドがあまり好きではない。基本的に眠りが浅いので、すぐに起きられる方がいいのだ。

 しかし、ユフィーリアがソファで眠ることになにか思うところがあるのか、ショウが異を唱える。


「きちんとした寝台で睡眠を取った方がいい。ソファで眠れば体を痛めてしまう」

「そんなにヤワじゃねえって」

「しかし、」

「ベッドを譲る代わりにソファは譲らねえからな。お前ら絶対に座るなよ。お前らの寝床があるんだからいいだろ」

「……………………」


 梃子てこでも退かないと察したらしいショウは、ユフィーリアに意見を述べることを諦めたようだった。彼は小さなため息を吐くと、


「先に湯浴みをする」

「おう。鏡の後ろに映った女に気をつけろよ」

「そんなもの見えてたまるか」


 珍しくショウからのツッコミをいただき、ユフィーリアは「ふはッ」と小さな笑いを漏らす。

 玄関近くにある浴室に繋がる扉の向こうへとショウは姿を消し、たっぷり三分ほど経過してから、しゃあああああ、という音が扉越しに聞こえてきた。

 ソファにゴロリと横たわるユフィーリアは、ふとベッドに腰かけて相棒と宣った銀色の狙撃銃をの整備をし始めるシズクを見やった。視線を感じて整備の手を止めたシズクは、不思議そうに首を傾げて「どうしたん?」と聞いてくる。


「いや、さっきのメイドの嬢ちゃんはお前が仕留めたんだろ? 殺したのか?」

「んにゃ。ウチの弾丸は精神に干渉する類だから、意識失ってるだけ。目が覚めたら元気いっぱいよ」


 部品の一つ一つに至るまで銀色に染まった狙撃銃を掲げ、シズクは誇らしげに言う。


「よく言うじゃん? 月に魅入られると頭をおかしくするって。この『月華銃げっかじゅう』もそうって言ってたな」

「誰が?」

「ウチの契約した【月天狗ツキテング】が」

「じゃあ、その狙撃銃は【月天狗】の装備って訳か。ははーん、そういう系統もある訳か」


 元々天魔が装備をしている場合は、実は結構多い。ユフィーリアの契約した【銀月鬼ギンゲツキ】は白鞘に納められた大太刀だったが、ユフィーリアには自分の愛刀があったのでそちらを使っている。長年親しんだ刀の方が使い勝手がいいのである。

 シズクは再び狙撃銃の整備に取りかかり、話し相手がいなくて退屈になったユフィーリアは美女にあるまじき特大の欠伸をする。ちょうど寝床もあることだし、このまま少しだけ眠ってしまおうか。

 うとうとと微睡まどろんでいたユフィーリアだが、昼寝などさせまいとばかりにボウンッ!! と轟いた爆発音にソファから転げ落ちてしまった。硬い床へ顔面から抱きついてしまい、したくもない熱い接吻キスをしてしまう。

 顔面を強かにぶつけたユフィーリアはのっそりと身を起こすと、爆発音が聞こえてきた方向へ視線をやる。シズクも異変に気がついたようで、慣れた手つきで分解していたはずの狙撃銃をあっという間に組み立てる。


「俺が先に行く。お前は後方支援サポートだ」

「おっけーい」


 自分の役割を正しく理解しているらしいシズクは、息を潜めて狙撃銃を構えたまま動きを止める。さすが狙撃手を名乗るだけはある。

 ユフィーリアは音もなく立ち上がり、なるべく足音を立てずに音源へと向かう。

 爆発音は浴室から聞こえてきた。今もなお扉の向こうではガタガタと物音がして、薄い扉に耳をそばだてるとショウのくぐもった声が鼓膜を震わせる。


「――逃げるな愚か者、俺の前に現れたことを後悔させてやる」


 どうやら誰かと会話しているようだが、はて誰に向かって言い放った台詞だろうか。

 浴室には誰も近づいていないし、この部屋にいるのはユフィーリアとショウとシズクの三人だけだ。ショウの髪の中にスカイの使い魔を潜ませているが、上官相手にあんな「後悔させてやる」だなんて真面目な彼が使う訳がない。

 考えられる可能性としては、最初から浴室に誰かが潜んでいたという――。


「ショウ坊、敵襲か!?」


 ユフィーリアは勢いよく浴室の扉を開いた。――あくまで彼女は、相棒の安否を確かめる為の行為だった。

 浴室は煌々と明るい光に満ちていて、つるりとしたタイルの床は水捌けの良さを重視したものだろう。丁寧に畳まれた黒衣が棚の上に置かれていて、すぐそばには全面ガラス張りの浴室が設置されていた。

 ガラス張りということは、浴室が丸見えということで。

 つまり、今まさになにかと対峙したらしいショウが、マスケット銃を構えて棒立ちしているところも見えてしまってる訳で。

 さらに言ってしまうと、彼は衣服をなにも身につけていない状態だから、

 ……創作物ではよく男主人公が遭遇してしまうラッキースケベだが、なんともまあ嬉しくないラッキーなスケベであることか。


「あー、えっと」


 場の空気が凍りついていくことを感じて、ユフィーリアは咄嗟に言い訳を考えた。今思えば、余計なことを言わずに扉を閉めて見なかったことにしてやればいいのに、何故か彼女はそうしなかった。


「り、立派なブツをお持ちで……?」

「出て行け」


 構えたマスケット銃の銃口をユフィーリアへ向けると、迷わず彼は火球を放ってくる。

 ユフィーリアは瞬間移動したのではないかと思うぐらいに素早く浴室から飛び出して、扉を勢いよく閉めた。扉の表面に火球が着弾したのか、再びボウン!! という轟音が室内に響いた。



 ちなみにベッドの上で狙撃銃を抱えて待機していたシズクは、


「うおおッびっくりした!?」


 ショウが起こした爆発の衝撃で壁にかけられていた小さな絵が外れ、ガタンとやたら大きい音を立てて落ちたことに驚いていた。床に叩きつけられた小さな絵は裏返しの状態で倒れていて、なんの絵が描かれていたかすら思い出すことができない。

 その小さな絵の裏側には、一枚のお札が貼りつけられていた。随分と年季が入っているのか、少しばかり取れかかっている。


「うわ、お札が貼ってある」


 あははは、とシズクは笑う。

 果たしてそのお札が意味する事象を、狙撃手の少女は察することができなかった。

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