第5話【宿屋を探そう】

 入れば意外と普通だった。


「もっと殺伐とした、それこそ貧民街スラムみたいな場所になってるだろうなって思ったんだけどな」


 短くなった煙草を足元に捨てて、ユフィーリアは石畳の上で燻る小さな炎を踏み消した。

 透明な壁に阻まれて出せと喚き散らす暴徒にもみくちゃにされるという問題はあったものの、潜入自体は呆気ないものだった。これのどこが入るのに苦労するのだろうか、入ってくる人間たちに混ざればさほど難しいことはない。

 飽きずにぎゃあぎゃあと騒がしい暴徒の集団を尻目に、ユフィーリアはショウとシズクを連れてアクティエラのさらに奥へと進んでいく。

 初めて訪れたが、どうやら一番外側の円は宿屋が多いようだ。見上げる建物のほとんどが宿屋であり、格安だの部屋からの景色が綺麗だのとチラシがそこかしこに張りつけられている。ユフィーリアたちが歩くこの通りは裏通りかなにかなのか、透明な壁を叩く暴徒と化した人間たちを除いて人通りは少ない。


「宿屋ばっかりだな」

「どうやらこの場所は『三の島ドライ』という浮島であり、高級旅館や有名な宿屋が揃っているそうだ」


 一体いつ手に入れたのか、ショウがアクティエラに関する観光地図のような小さな冊子をペラペラとめくっていた。途中でページをめくる手が止まるのだが、おそらくいい大衆食堂やレストランを見つけたのだろうか。

 ユフィーリアは、ショウのめくる冊子を横から覗き込む。色彩豊かに飾られた冊子は目を惹く話題ばかりで、写真も見目がいいものばかりが並んでいる。写真を説明する為の文章が横に添えられているのだが、


「読めねえ」

「……見にくいか? 先に読むか?」

「お前のタッパがあるからじゃねえよ。文字が読めねえんだよ」


 そう、ユフィーリアは学がなかった。読み書きができないのである。

 その為、こうして冊子を覗き込んでいるものの写真と挿絵を目で追うばかりで、文章はなに一つ読めない。前後の単語からどういう文章が書かれているか予測するという高等技術も習得できていない。

 ショウは驚いたように赤い瞳を丸くして、


「統一新語が読めないのか?」

「旧語なら少しは読めんだけどな。統一新語はからっきしだ」


 統一新語とは、天魔が降り注いで人類の文明が破綻した直後に出てきた新たな言語である。現在ではこの統一言語が主流となっていて、【閉ざされた理想郷】でも学校に通っていれば必ず習う文字だ。

 ところが、ユフィーリアはこの文字が読めなかった。そもそも学校に通う暇がないので、文字を勉強するという機会さえ失われた。毎日天魔を討伐して、天魔と殺し合いをして、天魔と追いかけっこの末に殺し合いをして、天魔と喧嘩をして――――という殺伐とした日々を送っていたものだから、自然と勉強という概念から遠ざかってしまったのだ。

 ユフィーリアがアクティエラに関する情報を雑誌にて仕入れたと言ったが、あれは統一新語が出てくるより前の言語である『旧語』で書かれていたからまだ読めたのだ。旧語は天魔が降り注いでくるより前の人類の文明が開発した言葉であり、多種多様のものが存在する。

 ユフィーリアは肩を竦めて、


「まあ値段交渉ぐらいはやってやるから、宿は二人で決めろよ。野宿じゃなけりゃ文句はねえ」

「二人……ああ」


 ショウは思い出したように振り返る。

 路地裏に隠れるようにして、銀色の狙撃銃を抱える青髪の少女と目が合った。人混みの中に混じって歩いている時とは打って変わって、元の元気な状態に戻っているようだった。死んだ魚のような目をして覚束ない足取りで歩いていた少女が、目が合った瞬間にその可愛らしい顔を笑いに歪める。


「え、なになに? 泊まるところの話? ウチ文無しなんだけど大丈夫?」

「大丈夫の要素がどこにあるんだよ。お前今までどうやって生活してた訳?」

「天魔を狩るなんて朝飯前だぜい!!」


 自信満々に薄い胸を張るシズク。こいつだけは野宿でもさせた方がいいのではないかとさえ思えてきた。無一文で天魔を狩って生活していたとか、どんだけサバイバル精神に溢れているのだろうか。

 しかし、正直者で真面目なショウ君は思ったことを口に出してしまう素直な子だった。


「ならば貴様は野宿でいいな。別に奪還軍に所属している訳でもなし。それだけ野生的な能力を身につけていれば、街中だろうと問題あるまい」

「女の子を寒空の下に放り出すとかキミってば正気かなー?」


 何故か知らないがいまだにシズクを敵視しているショウは、あろうことかシズクを寒空の下に放置しようとしていた。なんだろう、任務に関係のない少女の同行をまだ許していないのか。

 シズクの訴えを鮮やかに無視して、ショウは冊子をパラパラとめくっていく。この少年、割と強かである。

 どうしたモンかとユフィーリアが銀髪を掻くと、くいくいと小さく外套の裾を引っ張られた。見れば一〇歳にも満たない幼い少女がユフィーリアを見上げ、舌ったらずな口調と子供特有の甘ったるい声で問いかけてきた。


「おねーちゃん、おやどをさがしてるの?」

「あー、まあ」


 おそらく長丁場になるとは思うので、できることなら屋根のある場所で寝起きしたいものである。値段と折り合いが合わなければ外で過ごすことも考えたが、クソ真面目でまだ戦場の常識を知らないショウも一緒に外で過ごさせるのは如何なものか。

 とはいえ、ここは人類最大の商業都市である。商魂逞しい商人たちが客を獲得する為に鎬を削る、ある意味では戦場とも呼べようか。もっと分かりやすく言えばぼったくられそうなのである。

 そんな思考が瞬時に脳を行き交い、少女の「おねーちゃん?」という呼び声にユフィーリアは我に返った。


「だったらうちのおやどにきて! いまならおやすくするから!」

「あー、えー」


 少女の思わぬ勧誘に、ユフィーリアは柄にもなく困惑した。宿が決まっていないので少女の誘いは大変ありがたいのだが、ユフィーリアたちには――正確には、ユフィーリアはある問題を抱えているのだった。

 それを伝えるべきか否かを迷っていると、


「なぬッ!? お嬢さん、宿に困ってんだって!? だったらうちにきな、うちは飯が美味いって評判なんだよ!!」

「どっから出てきたお前!?」


 今まさに小さな少女と会話をしていたはずなのだが、どこから出てきたのかむさ苦しい男が少女をぐいっと押しのけてユフィーリアに売り込みをしてくる。ニカッと笑った時に輝く白い歯に、何故か苛立ちを覚えた。

 そのむさ苦しい男の銅鑼どらのような声に反応したのか、どこからともなく客引きがユフィーリアたちを取り囲んだ。やれ「景色が綺麗」だの「部屋が広い」だのと様々な情報が錯綜し、目を回すほどの売り文句にユフィーリアは頭が痛くなってきた。

 クソ真面目な性格のショウなんかは一人一人の売り文句を聞いてから吟味しようとしているのだろうが、売り文句を聞き終わらないうちに別の誰かが今まで喋っていた客引きを押しのけて機関銃の如く言葉を並べていくものだから大変混乱しているようだった。表情こそは眉一つ動かさない鉄面皮を貫いているものの、狼狽の滲む赤い瞳とやたらと目が合った。助けを求めているのだろうが、ユフィーリアももみくちゃにされている状態なので相棒に構っている暇などない。

 そして同時に、ユフィーリアは何故この辺りに人通りが少ないのか理解した。宿屋が多い『三の島』は、客引きが非常に多いのだ。おそらく都市で客引きの禁止令を定めていないか、それとも形だけは定めているのだが人の目が及ばない裏通りでは鬱陶しいほどの客引きが通例となっているのかの二択だろう。

 こいつら全員叩き斬ってやれば少しは大人しくなるだろうか、と苛立ちのせいで思考回路が徐々に戦闘用のものに切り変わろうとしているユフィーリアは、ふと喧しいほどぶつかり合う売り文句の隙間に差し込むように「あの」とか「その」とかいう子供の声を聞いた。

 そういえば、最初の客引きは小さな少女だった。返答を迷っているうちにむさ苦しい男に横入りされて有耶無耶にされたが、彼女の売り文句を最初に聞いてやるべきだろう。


「ショウ坊、いいか。他の売り文句は聞き流せ、一種の音楽だとでも思えば少しはマシになるだろ。適当な相槌を打って曖昧に答えは誤魔化しておけ、いいな?」

「了解した」


 さすがに四方を客引きに取り囲まれて辟易していたらしいショウは、ユフィーリアの命令をしっかりと聞き届けた。即座にいつも通りの台詞を返したショウを尻目に、ユフィーリアは膝を折って少女の姿を探す。

 大人の太い足に阻まれて見えないが少女は懸命に人集りに突撃しようとしていたが、大人の力にはやはり敵わないのか小さな体を滑り込ませようとすることで精一杯のようである。ユフィーリアはそんな少女の華奢な腕を引っ掴み、力任せに引き寄せる。


「わぷッ」


 さながら畑に埋まり野菜の如く引っこ抜かれた少女は、ユフィーリアの豊かな胸に飛び込んでくる。随分ともみくちゃにされたのか、綺麗な金色の髪は乱れに乱れてしまい、客引き用に着ただろう綺麗なワンピースもまたよれよれになってしまっている。

 少女をしっかりと立たせてやると、ユフィーリアは彼女の森林を想起させる緑眼を真っ直ぐに見据えて指を二本立てた。


「二つ条件だ。一つは値段交渉ができるか。もう一つは――」


 ちら、とユフィーリアは背後を見やる。

 そこには言われた通りに売り文句を右から左へ受け流して、時折相槌を打つ相棒の少年の姿があった。彼の事情を鑑みると、あの条件は外せないだろう。

 改めて少女へ向き直ると、二つ目の条件を提示する。


「できればでいいんだが、泊まる時の飯ってお代わり自由にならねえか?」


 それに対する少女の回答は、


「おねだんは、おとーさんとおかーさんにきいてみなきゃわかんないけど……」


 少女は小さな握り拳を作って、気合いを入れるような仕草ではっきりと告げた。


「ごはんは、おかわりじゆーです!」

「よし決定」


 少女の金髪をわしわしと撫でてやると、ユフィーリアは軽々と少女を抱きかかえた。

 周辺の客引きが何事かと売り文句戦争を一度やめて、ショウもまた「もう聞かなくていいのか?」と首を傾げていた。

 その場にいる全員がユフィーリアに注目する中で、彼女は堂々とした口調で宣言した。


「残念ながら俺らが泊まるところはこのお嬢ちゃんが提供してくれることになった。他ァ当たってくれ」


 唐突の宣言に、どうしても客がほしいらしい客引きたちは口々に文句を並べ立てる。


「ずるいじゃねえか、こっちの方が断然条件がいいってのに」

「どうせ汚くて狭い宿屋だろ。こっちに変えた方がいいって」

「決めるにはまだ早すぎるんじゃないのかい?」


 さりげなく少女の両親が経営するらしい宿屋の悪口まで織り交ぜてきたが、もうあの機関銃よろしく彼らの口から放たれる売り文句を聞く気力はなかったので、ユフィーリアはさっさと逃走経路を確保することにした。

 とはいえ、空を覆い尽くさんばかりに高い建物が乱立し、客引きどもがこれでもかと道に溢れ返っているので逃げるに逃げられない。邪魔な客引きをぶっ飛ばせば逃げ道は確保できるだろうが、そんなことをすればアクティエラの自警団が黙っていない。天魔が相手であるならまだしも、人間を相手に理由のない暴力は振るいたくないものだ。

 どこかに道はないかとやんややんやと騒ぐ客引きどもの文句を聞き流しながら道を探すユフィーリアは、ふと空に向かって伸びる高い建物の群れに目がついた。正確には建物の壁だ。

 裏通りに面した建物の壁には、出っ張りや突き出した看板などが取りつけられている。決して道とは言い難いが、それでも足場になることには変わりない。


「ショウ坊」


 指先で頭上にある古ぼけた看板を示すと、ショウはユフィーリアのやりたいことを理解したのか、すぐさま「了解した」と応じた。


「それでは皆々様――」


 ユフィーリアは外套の裾を、さながらドレスの如く持ち上げる。その流麗な所作は、舞踏会で挨拶をする貴婦人のようにも見えた。

 怪訝な表情を浮かべる客引きどもが目にしたものは、ユフィーリアが持ち上げた外套の裾から滑り落ちてきた黒い円筒だった。重力に従って落ちたその黒い円筒は、石畳に叩きつけられると視界を覆うほどの白い煙を噴出させる。

 甲高い悲鳴や野太い絶叫を背後で聞きながら、ユフィーリアは天魔憑きの跳躍力でもって看板まで飛び上がる。軽やかに古ぼけた看板に着地すると、次は少し先にある窓枠まで跳躍する。


「うきゃあ!?」

「お嬢ちゃん、しっかり掴まってろ。舌噛むぞ!!」


 器用に障害物を足場にして跳躍を繰り返し、ユフィーリアはあっという間に建物の屋上までやってきた。綺麗な建物の最上階は水泳競技場になっているようで、落下防止の為に取りつけられた鉄柵に飛び乗ったユフィーリアと目が合った客がそれぞれ悲鳴を上げた。

 いきなりのことで目を白黒させる幼い少女をしっかりと抱きかかえるユフィーリアの横に、追いかけてきたらしいショウが同じように着地を果たす。さすが『最強』と謳われるユフィーリアの相棒に選任されただけはある。


「お嬢ちゃんの宿屋ってどっち方面?」

「あ、あっち、あっち」


 震える指先が示した方向へ視線を投げ、ユフィーリアは鉄柵から飛び降りる。少女の悲鳴が耳を劈き、誰もがなんだなんだと注目する中で、ユフィーリアとショウはさながら軽業師のようにぴょんぴょんと建物の屋上を飛び回って宿屋を目指す。

 なにがなんだか分からんとばかりに混乱した様子の少女に、ユフィーリアは思い出したように三つ目の条件を提示した。


「ところでお嬢ちゃん、俺ら魔法使いなんだけどそこんとこ大丈夫?」


 ――天魔憑きという単語を使わず、あえて『魔法使い』と名乗った方が子供ウケがいいと判断したのだった。

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