第1話【彼女の名は】

 ここに一人の女がいる。

 透き通るような銀髪に気品漂う青い瞳。人形の如き顔立ちは老若男女の視線さえも釘付けにしてしまうほど浮世離れしていて、しかし同時に若干の近寄り難さすら感じさせる。白磁はくじの肌にはシミ一つなく、降り注ぐ陽光が肌艶はだつやのよさを強調させる。

 絶世の美女と呼んでも差し支えない彼女だが、自分自身を着飾るつもりは毛頭ないらしい。その証拠に、彼女の格好は着古したシャツと厚手の軍用ズボン、頑丈な軍靴という簡素な格好の上から黒い外套を羽織っているというものだった。細い腰に巻いた帯刀ベルトには、子供の身長ほどはあろう黒鞘に納められた大太刀が吊り下げられている。

 ぼんやりと晴れ渡った空を見上げていた彼女は、自前の銀髪を掻き毟ると鈴の音のような美声でもって叫んでいた。


「そうじゃねえだろうがあああああああああああ――――ッ!!」


 ――彼女の名前はユフィーリア・エイクトベル。

 あの時、異形の怪物から提示された『自分の全てを引き継ぐ代わりに、自分の憎悪も引き継いでほしい』という条件を飲み、契約に応じた黒髪の男が現在の彼女だが、全身整形も裸足で逃げ出すほど見事な性転換を果たしてしまった訳である。

 自前の銀髪をワシワシワシーッ!! と掻き毟り、ユフィーリアは誰も見ていないのをいいことに叫びまくる。見た目が目を見張るほどの美女なだけあって、中身がこれでは残念極まりない。


「全部引き継ぐって言った、確かにそう言った!! でもまで引き継ぐかよ普通!? 見た目がこんなだから『顔面詐欺師』とか『騙された』とか言われるんだよ、俺が一体なにをしたって言うんだ!!」


 性転換してしまった彼女(彼)だが、中身は立派に契約した当時のままである。

 狂ったように「うがががあああああああ!!」と悲鳴を上げながら、そろそろ頭皮が心配になってきそうなほど頭を掻き毟ったところで、ユフィーリアの耳にどちゃ、べちゃ、どすん、ぽさッ、という様々な形状のなにかが落ちてくる音が届いた。


「げ、や、やべえぞ!!」

「なんでこんなところに【銀月鬼ギンゲツキ】がいるんだよ!!」

「エ、アイツ死ンダンジャナカッタノ……?」

「じゃあ、あそこにいる狂ったように銀髪を掻き毟ってる変人は誰だ!?」


 ピタリ、とユフィーリアの動きが止まる。

 どこまでも広がる荒野に、いつのまにか様々な生物――いや怪物がいた。

 それは巨大な三つの首を持つ犬だったり、紫色をしてくちばしから火を噴くにわとりだったり、幹の部分に顔の模様が刻み込まれて根っこの部分を両足にして器用に二足歩行する樹木だったり、めらめらと燃え盛る蜥蜴とかげだったりと多種多様な姿をしている。誰も彼もがユフィーリアに注目していて、そして怯えている様子だった。


「――――――――ふ、ふはッ、ふふふははは」


 ユフィーリアの桜色の唇から、平坦な笑い声が漏れる。

 いつもこうだ。

 味方からは「顔面詐欺師」だの「騙された」だの言われ、彼らのような怪物からは「なんで生きてるんだ」だの「どうしてここにいる」だの見当違いなことを叫ばれて怯えられる始末。前者はともかく、後者にはきちんとした理由があった。

 あの美しき異形の怪物と契約をしたことにより、ユフィーリアはあの怪物の容姿すらもそっくりそのまま引き継いだ。それ故に、かの怪物を知る輩からは「何故生きている!?」と驚愕されるのだ。


「おう、コラ。いいぞコラ、片っ端から遊んでやるよォ、かかってこいよこの野郎!!」


 たった一人で異形の怪物の群れに挑むなど、あまりに無茶だと思うだろう。

 しかし、ユフィーリアには怪物から引き継いだ飛び抜けた戦闘力がある。彼女の前では、どれほど強い力を持っていたとしてもただの雑魚でしかない。

 腰からいた大太刀の鯉口こいぐちを切り、ユフィーリアは怪物たちの群れに突っ込んだ。


 ☆


 ――それが降ってきたのは、およそ一〇〇年前。


 天から落ちてきた悪魔、空から降ってきた魔物、空より地上を蹂躙じゅうりんする怪物――それらを総称して人類は『天魔てんま』と呼ぶようになった。

 フルール大陸にて暮らしていた人類はこの天魔によって蹂躙され、総人口の八割を殺戮された。残された二割の人類は地上を追われる羽目になり、地下深くに大都市を築いて閉じこもることを選んだのだ。

 それから人類は陽の光が当たらない地下生活を強いられ、今もなお天魔に怯えながら暮らしている。


「ぎゃあああああッ!!」


 凄惨せいさんな戦場へと変貌を遂げた荒野に、野太い悲鳴が響き渡る。

 空から雨の如く降り注ぐ天魔は勢いを弱めることなく、絶えず地上を目指して様々な姿の怪物が落ちてくる。だが地上に降り立った途端、彼らの首は胴体から完全に離れる運命を辿った。

 首がなくなった屍を蹴飛ばして、たった一人で大立ち回りを演じるユフィーリアは、半泣きの状態で天魔の群れを相手にしていた。


「あーははははは!! これ残業代とか出るのかァ!?」


 そもそも給与規定とかどうだったっけ、と思うユフィーリアである。

 逃げようとしていた巨大な犬の背中を視界に入れ、ユフィーリアは腰からいた大太刀を抜き放つ。黒鞘から放たれた刃の色は、鈍色ではなく薄青。さながら冷水をそのまま流して固めたかのように、冴え冴えとしている。

 逃げようとしていた犬の背中に亀裂が走り、上下に二分割されて死に絶えた。生温かい鮮血がパッと飛び散り、ユフィーリアは犬の死体からこぼれ落ちた臓物を蹴飛ばして次の獲物を狙う。


「ひ、怯むな!! たかが一人だろ!!」

「一人でも相手は【銀月鬼ギンゲツキ】だ、勝てる訳がねえ!!」

「逃げる!! 逃げる!!」

「逃げるな戦え――ひぃ!! こっちきたぁ!!」


 空から落ちてきた天魔は軒並みユフィーリアの前から脱兎の如く逃げ出し、ユフィーリアは逆にそれらを追いかける羽目になる。

 一方的な蹂躙だ。それはかつて、天魔が人類にしてきた時と同じような。


「逃げんなよォ、こっちだって仕事なんだからよォ」


 ニタニタと美女らしかぬユフィーリアは、逃げようとしていた巨大な熊の毛皮を掴む。その熊は腕が二本と足が四本という悍ましい姿をしていて、さらに毛皮を掴まれたことで「痛い痛い痛い痛い!!」と悲鳴を上げた。

 ジタバタと暴れる熊を右腕一本で押さえ込むユフィーリアは、


「……お前の毛皮ってあったかそうだよな。手触り最高だし」

「ヒギィ!!」


 ただならぬ気配を感じ取ったのか、熊の怪物が涙を浮かべる。

 ぺたぺたと毛皮の感触を確かめるように触るユフィーリアは、得物である大太刀を握り直した。気品漂う色鮮やかな青い瞳は、熊の怪物の毛皮に固定されている。


「ちょっとぐか。天魔の毛皮って高く売れるんだよ」

「――きゃああああ追い剥ぎぃぃぃぃぃあああああああ!!」

「うるさッ」


 あまりにも騒ぐものだから、思わずユフィーリアは熊の怪物から手を離してしまった。その隙に、熊の怪物はどすどすと足音を立てて逃げ出す。


「あ、クソ!! コラ待て!!」


 ふかふかの毛皮を持つ熊の怪物を追いかける為、ユフィーリアは走る。熊は大柄でなおかつ足も遅いので、簡単に追いつけるはずだ。

 しかし、逃げる熊を助ける為に、仲間の天魔たちがユフィーリアの前に立ち塞がってくる。決死の覚悟でユフィーリアに挑もうとしているのか、彼らはやたらと真剣な表情を見せていた。


「行かせるかァ!!」

「邪魔だァ!!」


 自分を奮い立たせる為に雄叫びを上げた二足歩行をする狼めがけて、ユフィーリアは大太刀を突き入れる。ちょうど心臓を串刺しにされた狼は、左右に裂けた大きな口から喀血かっけつを漏らして地面に倒れる。

 動かれても困るので、ユフィーリアはトドメだとばかりに狼の死体を思い切り蹴飛ばした。そのほっそりとした美脚のどこからそんな力が出るのかと問いたくなるほど彼女の脚力は凄まじいもので、高々と空を舞った狼の死体は放物線を描いて背中から落ちる。

 三秒と耐えられずに討伐された狼を目の当たりにして、仲間を守る為に立ち塞がっていた天魔たちは蜘蛛くもの子を散らすかのようにあちこちへ逃げ出す。


「なんで逃げるんだ!!」

「無理だって!! だって【銀月鬼ギンゲツキ】だもん!!」

「あいつに敵う奴がいるなら見てみたいよ!!」

「こっちだって死にたくねえんだよォ!!」


 仲間同士で激しい舌戦を繰り広げる天魔だが、ユフィーリアには全て関係のない話だ。

 それよりも、彼女には先程から苛立っていることがあった。


「さっきから【銀月鬼ギンゲツキ】ってうるせえなァ、お前ら。確かに今の俺はそっくりだけどよ――」


 抜身の大太刀を黒鞘に納める。

 グッと腰を落とし、ユフィーリアは逃げ惑う天魔の背中をしっかりと見据えて、


「俺の!!」


 走り出す。


「名前は!!」


 最後尾を逃げていた熊の怪物に肉薄する。


「ユフィーリア・エイクトベルだっての!!」


 そして抜刀。

 黒鞘から音もなく抜き放たれた薄青の刀身は、熊の怪物の首を胴体から切り離す。熟れた果実が重力に従って落下するかのように、熊の首もまたおぞましい表情を浮かべたままの状態で地面に転がった。

 残された胴体はどう、と遅れて倒れると、鮮やかな切り口から静かに赤い液体を流す。

 熊の怪物の背中を踏みつけて、ユフィーリアは荒野全体に轟けとばかりに叫んだ。


「そこ間違えんなァ!! この単細胞どもが!!」


 元の性別を捨て去る羽目になったとしても、ユフィーリアは中身まで捨て去ったつもりは毛頭なかった。なので、外面だけで判断されるのは最も気に食わないことなのだ。

 天魔の死体が順調に積み重ねられていく戦場には、空から落ちてきた新たな天魔の絶望に満ちた断末魔と、相変わらず見た目だけで判断されて苛立つユフィーリアの怒号の二重奏が絶えず響き渡ることとなった。

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