第十幕 母の責務(Ⅲ) ~因果の末路

 混乱する戦場の只中に出来た一時的な空隙。そこでビルギットとファティマは敵山賊団の首領であるドラメレクと向き合っていた。


「……君がドラメレク? こうして直に会うのは何気に初めてだね。私はビルギット・アーネ・セレシエル。聞いた事はあるよね?」


「ほぅ……」

 ドラメレクが若干興味を惹かれたようにその鋭い目を見開いた。


「お前があの……。くくく、帝国時代に何度も俺を討伐しようとして、ついぞ一度も俺を捕捉できなかった無能な年増・・将軍の噂なら聞いた事があるぞ?」


「……!」

 痛烈な皮肉に当のビルギットよりも、横で聞いていたファティマが色めき立つ。だがビルギット自身は苦笑しただけであった。


「それについては返す言葉も無いね。我が身の不明を恥じるばかりさ」


 実際には当時帝国の高官だったジェファスの内通によって、討伐軍の情報がドラメレクに筒抜けとなって毎回逃げられてしまっていたのだが、彼女は特に反論する事も無く流した。



「ドラメレク……正直君の用兵能力は大した物だよ。これだけの能力を持ちながら何故君は山賊なんかやっているんだ? 君の能力なら売り込み次第では引く手あまただろうに」


 山賊としての悪名は高いが、それを差し引きしても彼の能力を欲しがる勢力は多いはずだ。だがドラメレクはくだらんとばかりに鼻を鳴らした。


「ふん……宮仕えなど俺の性には合わん。どいつもこいつも世間体と保身しか考えん、つまらん小心者ばかりだ。その点ガレスとミハエルの所は割と自由にやれて居心地は悪くなかったが結局は奴等も滅びた。所詮はその程度の連中だったのだ。ならば俺は俺のやりたいようにやらせて貰うまでよ」


「……そしてまた山賊に戻って、罪もない人々を手に掛け続けるのかい?」


「ふん! 有象無象の弱者共などどうなろうが知った事か! 奴等など俺の『糧』に過ぎんわ!」


 傲然と言い捨てるドラメレク。横で聞いているファティマが絶句する。


「な、何て奴なの……!」


「それが君の『答え』なんだね……」


 ビルギットは悲し気にかぶりを振った。彼がそう答える事は解っていた。それでも一度だけは聞いておく必要があった。



「さあ、無駄話はここまでだ! この俺を相手に正規軍を率いてこなかった事を後悔して死ぬがいい!」


 ドラメレクが蛮刀を掲げた。どうやら直接ビルギット達を斬るつもりのようだ。ドラメレクは個人の武勇もかなりの腕なので、ビルギットとファティマでは例え2人掛かりでも勝ち目はないだろう。


「正規軍? ドラメレク、君を倒すのにそんな物は必要ないさ」


 だがそれを解っていながらビルギットは不敵に笑った。つい先頃、遠目に合図・・が上がったのを見て取ったからだ。


「何ぃ? この状況を覆せるような策など……」


 彼女の態度を訝しんだドラメレクがそこまで言い掛けた時だった。




 ――ワアァァァァァァァァッ!!!




 大地や大気を揺るがせるような凄まじい鬨の声が響き渡った。勿論斬り結んでいる両軍の物ではない。


「……っ!? 何事だ……!」


 ドラメレクが周囲に視線を巡らせるのとほぼ同時に、突如としてまるで戦っている両軍を包囲・・するかのように謎の大軍勢が出現したのだ。


 数は数千……いや、下手をすると一万は超えているかも知れないという規模の軍勢だ。


 謎の軍勢は相変わらず凄まじい鬨の声を響かせながら、徐々に包囲を狭めてくる。



「ふぅ……何とか持ち堪えられたね。勝負あったね、ドラメレク」


「き、貴様……。これは貴様の仕業か!? これだけの軍勢……一体どこの国の討伐軍だ!? このガルマニアにこれ程の軍勢を擁する勢力はないはずだ!」


 ビルギットの態度と言葉からこれが彼女の仕業だと理解したドラメレクだが、彼女がどうやってこんな援軍を用意したのか解らず混乱する。


 彼が再びガルマニアに戻ったのは元々古巣だったからというのもあるが、それ以上に大規模な討伐軍を編成できるような勢力がないからというのも大きな理由だったのだ。


 惑乱するドラメレクに、ビルギットは静かな表情でかぶりを振った。



「どこの勢力でもないよ。彼等は……義勇軍・・・だ。つまりは民衆だよ」



「な……」

 絶句するドラメレク。包囲を狭めてくる軍勢の様子をよく見ると、武装が統一されておらず、中には鋤や鍬などの農具を武器代わりに参戦している兵までいた。


「今回の作戦に当たって予めこのファティマに、この州内の街や村を廻って義勇軍を募ってもらっていたのさ。私達の目的は最初からお前の注意をこちらに集中させてここに釘付けにしておく事だったのさ」


「……!」


 最初からこんな大軍勢が迫って来ていれば、間違いなくドラメレクに事前に察知されて逃げられていただろう。それをさせない為に、ビルギットが小兵で戦いを挑んで粘り強く抗戦していたのだ。


 義勇軍の統制はファティマが連れてきていた兵士達が担っている。


「……尤も流石にこれだけの兵力が集まるとは思っていなかったけどね。ファティマの扇動技術は大したものだよ」


 苦笑するビルギットにファティマは肩を竦める。


「私の力だけではありません。この州でのドラメレクの悪名の高さは想像以上でした。そこにビルギット殿の名声も利用させて頂きました。皆、本当にドラメレクを討伐できるならと喜んで馳せ参じてくれましたよ」


「……っ!」

 ドラメレクがワナワナと身体を震わせる。彼は……やり過ぎた・・・・・のだ。巨大勢力がいない事ばかりに着目して、自らがどれだけガルマニアの民に憎まれているかには全く無頓着だったのだ。そして今、そのつけが回ってきた。



「……これぞまさに因果応報だね。君が取るに足らない弱者と断じた者達が、今君を追い詰めている」


「……!! お、おぉ……おのれ……おのれぇぇっ! ふざけるなぁ! 俺はこんな所では終わらんぞぉっ!」


 激昂して叫んだドラメレクだが、素早く踵を返して戦場からの離脱を図る。ビルギット達は憎いが、これ以上かかずらっていると増々包囲が狭まってしまう。今は脱出が優先であった。


 生き残った手勢を率いて活路を見出すべく強行離脱を試みるドラメレク。


「……! 逃がしはしないよ! 皆、追撃だっ!」


 表情を引き締めたビルギットが自らの私兵、そして義勇軍に追討を指示する。寄せ集めの義勇軍とはいえ圧倒的な数の差、そしてそこにビルギットの巧みな指揮が加わる事によって、取り逃がす事無く山賊団を殲滅し、遂に首領のドラメレクを捕らえる事に成功したのだった。



*****



「ぬぅぅ……おのれ……おのれ、貴様ぁぁっ……!」


 即席で作られた義勇軍の仮の本陣。その中央でビルギットの前に引き出されたドラメレクが、まるで噛み殺さんばかりの視線と唸り声で彼女を睨み上げる。


「終わりだ、ドラメレク。君は私ではなく、君が今まで踏みにじってきた物に復讐され敗北したんだ」


「……!」


 しかしその怒りを受け流し、静かに告げるビルギット。彼女が怯む事がないと悟ったドラメレクは急に態度を変えた。


「お、おい、待て。提案があるんだ。俺はお前の軍門に下る。俺の能力は認めていただろ? 何ならマリウス軍に参加してやってもいい」


「……!?」

 その提案にビルギットが目を見開いた。手応え・・・を感じた彼は内心でほくそ笑みながら言葉を重ねる。


「俺が加わればマリウス軍はもっと強くなる! 天下だって狙えるようになるぞ!?」


「ドラメレク、君は……」


「それだけじゃない。俺が今までに集めた財宝も全部くれてやる! 相当な額だぞ!? 何なら一部はお前が個人的に接収しても――」


 ――ザシュッ!!


 聞き苦しい命乞いの言葉は、剣が肉を貫く音によって中断された。



「ぐ……げ……き、貴様……」


 信じられないという表情で血反吐を吐き出すドラメレク。その腹にはビルギットの剣が深々と突き刺さっていた。


「……君は今まで命乞いをする人を一度でも助けた事があるのかい?」


「ぐ……く、そ……くたば、れ……」


 その怨嗟を最後にドラメレクは、自らの血だまりの中に沈んだ。そして二度と動き出す事は無かった。


 義娘であるアーデルハイドの『宿敵』たるドラメレクは遂に死んだのだ。ビルギットはその死に様を見届けると、剣の血を拭って鞘に納めた。



「ふぅ……これで、終わったね。……はは、何だろうね? 仇を討ったはずなんだけど、全然気持ちが晴れないや。長く戦ってきたけど、そう言えば個人的な理由で誰かに復讐したのって初めてかも知れないね」


 ドラメレクの死体を見下ろすビルギットの顔には、戦勝の喜びも、娘の敵を斃して復讐を遂げた達成感も一切浮かんでいなかった。


「復讐って、こんなにも虚しくてやるせない物だったんだね……。この気持ちをニーナ達に味わわせずに済んだ事だけが唯一の救いだよ」


「ビ、ビルギット殿……」


 側に控えていたファティマは思わず気遣わげな声を彼女の背中に掛ける。それ程までに今のビルギットは打ち沈んで憔悴した様子となっていた。先程までの戦を陣頭指揮していた覇気に溢れた女将軍の姿はそこにはなく、その身体自体が小さく萎んでしまったような……そんな印象をファティマに与えていた。



「ここでの用は済んだね。……何だかちょっと疲れたな。早く帰ってあの子達の顔が見たいよ」


「……後の処理は全て私がやっておきます。ビルギット殿はどうか一足早くディムロスへご帰投下さい」


 ファティマがそう申し出るとビルギットは力ない笑みを浮かべ、強がる事も無く素直に頷いた。


「そう、だね。最初から最後まで君に頼っちゃって申し訳ないけど……お言葉に甘えさせてもらうよ」


 今の彼女を一人にしておくのは良くないと思ったファティマは、私兵の中から何人かを選んでビルギットの帰路の護衛に付ける。


「道中、お気を付けて」

「ああ……ありがとう。君もね」


 馬に跨ったビルギットはそのまま供に付けた者達に囲まれながら、フラフラとした様子で立ち去っていった。



「復讐、か……」


 その後ろ姿を見送ったファティマは大きく嘆息した。


「……何をした所で喪われたものは戻ってこない。ただ虚しさが残るだけ。それでも世の中から復讐という行為はなくならない。……人という生き物の悲しいさがね」


 それだけを呟いた彼女は、後は振り返る事無く淡々と自らの仕事をこなしていった……





 民を恐怖に陥れてきた残忍な【賊王】は、自らが虐げてきた民の反逆によってあっけなく討たれた。


 娘達の業を代わりに背負ったビルギットは、その後も事あるごとにこの日の記憶に苛まれながらも、愛する家族の為に戦い続けたという……

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