第五幕 三人娘冒険譚(Ⅱ) ~甦る悪夢

 夕刻を過ぎ、日が沈んで夜と言って差し支えない時刻。日中人でごった返していた大通りも皆が家路に着いた事でめっきり人影が少なくなり、これ以上の売り上げが見込めないと判断した商売人達も早々に店じまいをしていく。


 その代わりにそういった行商人や夜遅くまで仕事をしている人工などが集まる酒場が賑わいを見せ始める。住宅街の方でも立ち昇っていた炊事の煙が徐々に消えていく。そんな時間帯。


 大通りから外れて高級住宅街のある方向に向かって路地を歩く3人の人影があった。



「ふぅ……すっかり遅くなっちゃったわね。やっぱり楽しい事してると時間が過ぎるのが速いわ。……まあ先生には怒られるかもだけど」


 先頭を歩くサラが楽し気ながらもちょっとげんなりした表情を見せる。その手には今日の『戦果』である様々な服飾や小物の入った袋が握られていた。


 彼女は師匠であるエロイーズの元に住み込みで奉公している立場なので、門限を破った事で怒られるのは間違いない。しかし彼女はもうエロイーズに怒られ慣れていたし、それよりも今日の楽しみの方が優先だった。


「はぅぅ……。つ、疲れたぁぁ……」


 一方その後ろを歩くミリアムは本当に疲れ果てた様子でフラフラしていた。戦の行軍よりも疲れたかも知れない。肉体的な疲れというよりも精神的な疲労の方が大きかった。


「ごめんなさいね、ミリアムさん。私達、楽しくてすっかりはしゃいでしまって……」


 そんな彼女の様子を見て、申し訳なさそうに肩を縮こまらせるのはリリアーヌだ。本人は無自覚なのに非常に素材・・のいいミリアムに対して、いつしかサラと2人で競うようにあれやこれやとお洒落を勧めて、半ば着せ替え人形のように扱ってしまった。挙句に夢中になってこんな時間まであちこち連れまわしてしまったのだ。 


 自分達は楽しかったが当のミリアムには負担を掛けてしまい、迷惑に思われたのではないだろうかと気になり出したのだ。


 だがミリアムは苦笑しつつもかぶりを振った。



「いや、こういうのは初めてで慣れてなかったから確かに疲れたけど、何て言うか……心地良い疲れっていうのかな? 私元々武官の家の生まれだったし、こっちに来てからもお姉様もお義母様もそういう所は余り気が利かないし……こんな風に友達・・と一緒に遊びに出掛けて買い物して……ていう経験自体が殆ど無かったんだ」


「ミリアム……」


 彼女の境遇はサラ達も聞いている。少ししんみりしてしまうが、ミリアムは本当に大丈夫だからという風に手を振った。


「だから今日は確かに疲れたけど……本当に楽しかったんだ! その……皆さえ良ければ、また休みの時にはこうして皆で一緒に遊んだりしたい。だ、駄目かな……?」


「……!」

 リリアーヌとサラは共に息を呑んだ。普段凛々しい武人の少女が見せる上目遣いの懇願の表情は、色々な意味で破壊力抜群であった。


「ミリアムさん……! そう言ってくれて嬉しいわ! 勿論よ! また是非一緒に遊びましょう!」


「そうそう! 友達なんだから遠慮なんていらないのよ? むしろ嫌だって言ってもまた連れまわしちゃうから」


 リリアーヌが顔を赤くして意気込むと、サラも同意するようにうんうんと頷く。ミリアムは少し感動して涙ぐんでしまう。


「ふ、2人共ありがとう。これからも宜しくね?」


 3人の少女は改めて友情を確認し、皆で笑い合った。そしてその後は幸せな気持ちでそれぞれの家に帰るだけとなった。ここで何事も無く家に帰れていれば、楽しい思い出の一ページとなるはずであった。だが……



「ぐふふ……仲良き事は美しきかな……」



「……っ!?」


 人通りの途絶えた夜の路地に、3人の行く手に立ち塞がるかのように人影が現れる。3人の少女は思わず硬直してその歩みを止める。


 耳障りな笑い声を響かせながら月明りの下に現れたのは……脂ぎって肥満した身体を高級な服に押し包んだ、醜い細目の中年の男であった。しかし一見柔和なその細い目から隠しきれない邪な欲望が漏れ出て、少女達を値踏みしていた。


 明らかな不審者にリリアーヌは青ざめ、ミリアムとサラは咄嗟に彼女を庇うような位置取りになる。しかしリリアーヌが青ざめたのは、ただ不審者が現れたからというだけではなかった。


「ぬっふっふ……いけないなぁ。君達のような可愛い女の子がこんな時間まで外を出歩いてちゃ……。悪い人に攫われちゃうよぉ?」


「……!」


 まさにその『悪い人』の典型のような男がズイッと身を乗り出してくる。リリアーヌの典雅な美貌が増々蒼白になる。彼女はよろっと後ずさった。


「あ……あ……そんな……な、何で? だ、だって、あなた達はもう……」


 その男は彼女にとっては悪い記憶を凝縮したような存在。かつて彼女の家に借金を背負わせ無理やり彼女を娶ろうとした、悪徳商人のボルハであった!



 しかし彼はミハエルの誘いに乗ってガレス軍に参加していたはずだ。そしてガレス軍はマリウス軍との戦いに敗れ滅び去った。この男がここにいるはずはないのだ。


 ボルハが気色悪い笑みを浮かべる。


「ああ、ガレスやミハエルはただの雇い主ってだけさ。あいつらが死んだからって僕まで一緒に滅びなきゃならない理由はないよねぇ?」


「……っ!」


「あいつらには投獄されてた所を助けてもらった借りがあったから協力していたけど……あいつらが死んだ以上もう僕は自由だ。ぐふふ……リリィちゃん。僕はねぇ、ずっと心残りがあったんだよ。即ち、その寸前まで行きながら君を手に入れられなかったという心残りがねぇ!」


「……ッ!!」

 リリアーヌの顔色は最早青を通り越して白くなっていた。終わらない悪夢に、その可憐な目に涙が滲む。それを認めたボルハが増々喜色を浮かべる。


「だから僕はずっとこういう機会を狙ってたんだよ。こうやって……君を容易に拉致できる機会が訪れるのをねぇ」


 気色悪い男が気色悪い妄執を垂れ流してリリアーヌを脅えさせるのをこれ以上看過できずに、ミリアムが拳を固めて前に進み出る。


「リリアーヌ、安心して。こんな奴、君に指一本触れさせやしないから」

「そ、そうよ! こんな奴、あたし達がとっちめて詰所に突き出してやるんだから!」


 一応護身術の心得があるサラも、ミリアムに触発されて勇敢にも一緒に進み出てきた。臨戦態勢の少女2人が迫って来てもボルハに焦りはない。むしろ嬉しそうに顔が脂下がる。


「んんー……勇敢な子達だねぇ? リリィちゃんほどじゃないけど、君達も中々可愛いねぇ! 気に入ったよ。君達も僕の物にしてあげよう」


「……っ!? こいつ……!」


 下種な視線に晒されてミリアムとサラの身体に鳥肌が立つ。そしてそれを払拭する為に、怒りに身を任せてボルハに打ち掛かろうとして……



「……でもいいのかなぁ? 2人共リリィちゃんからそんなに離れちゃって?」


「何を…………っ!!」


 ミリアム達が訝しむ暇もあればこそ、周囲の建物の陰から複数の男達が姿を現す。どいつも明らかに堅気ではない雰囲気だ。恐らくはボルハが金で雇っている私兵達だ。そして自分達の周りだけでなく……


「きゃああっ!?」


「へへ、暴れんじゃねぇっ!」

「ひっ!?」


 後ろから忍び寄っていたらしい男がリリアーヌを抱きすくめて、その首筋に刀を突きつけていた。暴力に耐性の無いリリアーヌは可哀想な程に青ざめて、小さな悲鳴を漏らして硬直してしまう。


「リリアーヌッ!? しまった……!」


 彼女を人質に取られてしまった形のミリアムが歯軋りする。目の前のボルハの存在感が色々な意味で強烈で、それに気を取られる余りに周囲に潜む男達の存在に気付かなかったのだ。


 気付いていればリリアーヌの側から離れるなどという愚は犯さなかった。もし義姉のアーデルハイドがこの場面を見ていたら全力で殴られて叱責されているだろう、痛恨のミスであった。



「ぬっふっふ……抵抗したり大声を上げたりしたら、リリィちゃんの可愛い顔に傷が付いちゃうかもねぇ? いや、もしかしたら弾みで殺しちゃうかも? それが嫌なら大人しくしていてね?」


「く……!」

「そ、そんな……」


 ミリアムが悔し気に歯噛みする。その隣ではサラが泣きそうな顔になっていた。ミリアムには解った。この手の男は脅しだけじゃない。やると言ったら本当にやる。


 それを悟ってミリアム達は揃って両手を挙げて降参のポーズを取った。周囲の男達が素早く駆け寄って2人に縄を掛け、後ろ手に縛り上げる。リリアーヌも同様に後ろ手に縛られた。


「ぐふふ……さて、それじゃ君達皆、僕の隠れ家にご招待するよ。楽しい時間の始まりだ!」


 喜色を抑えきれないボルハの合図で引っ立てられるミリアム達。ミリアムは割れんばかりに歯を噛み締め続けていた。



 彼等が去った後には、3人の少女が今日1日買い物して回った品物が袋に収められたまま道端に転がっていた。それは平和で楽しい日常の残滓であった……

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