第三幕 宿業の帰結
「おぉ! これは……いきなり
マリウスの姿を認めたギュスタヴが喜色を滲ませる。一旦大きく飛び退って仕切り直す。一方アーデルハイドは未だに目の前の光景が信じられずに呆然と彼の姿を見上げていた。
「し、信じられん……私は夢を見ているのか……?」
「アーデルハイド! しっかりして! 一旦下がるんだ!」
だが切迫したマリウスの声にハッと正気を取り戻した。そうだ。奇跡でもなんでも、マリウスが救援に駆け付けてくれたのは紛れもない事実なのだ。
「う、うむ! 済まない、マリウス殿!」
アーデルハイドは急いで身を起こしつつ後ろに離れる。だがギュスタヴは既に彼女の事など見ていなかった。
「ぐふふ……戦ではまみえる事が適わなかったが、ようやく南蛮での借りを返す事が出来そうじゃなぁ?」
「……その戦で折角生き延びたのに、今こうして再び僕達の前に立ち塞がって人々を殺し、僕の大切な人も殺しかけた。最早君に掛ける慈悲はないよ」
「……!」
マリウスの身体から静かな怒りと共に圧倒的な剣気が立ち昇る。それはギュスタヴほどの剣士が思わず気圧されるほどの圧力であった。
自分が僅かでも気圧されたという事実を認められないギュスタヴは、マリウスの右腕に視線を向けた。彼の右の袖は相変わらずヒラヒラと波打っている。それを認めてギュスタヴは再び余裕を取り戻す。
「ぬかせいっ! 小僧が!」
「……!」
ギュスタヴが挨拶代わりに強烈な薙ぎ払いを仕掛ける。マリウスは素早く反応して左手に持つ剣でそれを受けた。
「ぬふふ! そんな隻腕で何が出来る!? あの時のような小細工も通用せんぞ! 今度こそ確実に殺してくれるわ!」
嗤いながらもう一方の剣で追撃を放とうとするギュスタヴ。だが……
「う……おおおぉぉぉぉぉっ!!!」
「……!!」
背後から迫る剣閃に気付いた。ギュスタヴがその存在を忘れ去っていたアーデルハイドが、いつの間にか後ろに回り込んで背中に斬りかかってきたのだ。並みの剣士なら確実に不意を打たれる斬撃。だがギュスタヴは並みの剣士ではない。
「この、小娘がっ!」
凄まじい反応速度で後方からの斬撃に対処。アーデルハイドの一撃を剣で受ける事に成功する。そのままであれば確実に、二刀による反撃でアーデルハイドは斬られていただろう。だが彼は現在、
一瞬とはいえマリウス相手に背を向けてしまった事。それが彼の命運を決定づけた。
「ふっ!!」
神速の一閃。ギュスタヴは驚異的な反射で辛うじて直撃を避けるが、その胴体に深い裂傷が走った。
「がはぁっ!!」
「や、やった……!」
ギュスタヴの呻きとアーデルハイドの歓声が重なる。不意打ちに近いマリウスの一撃に辛うじて反応しただけでも凄まじい事だが、直撃は避けたもののその傷は深く、最早勝敗は決したも同然であった。
「き、き……貴様……卑怯な……!」
「犯罪者相手に正々堂々一騎打ちをする義理も義務もないよ。君に掛ける慈悲はないと言ったはずだ」
「……っ!」
横槍を利用して不意打ちを仕掛けたマリウスを罵るが、彼は氷よりも冷たい視線と口調でギュスタヴを睥睨していた。
「おお……おのれぇっ!!」
「……!」
ギュスタヴは口から血を吐きながら二刀を薙ぎ払ってマリウスを牽制。彼が飛び退った隙に身を翻して全速力で駆け逃げていった。
「あ……! マリウス殿! 奴が逃げるぞ!」
アーデルハイドがその姿を指して声を張り上げるが、何故かマリウスはそれを追う事無く剣を収めた。
「……どの道あの傷ならもう長くはないよ。それに……奴を斃すのは、
「……?」
訝しむアーデルハイドを余所にマリウスは苦笑して肩を竦めた。
「とにかく、もうこの辻斬り事件は解決したって事さ。それより怪我はないかい、アーデルハイド? 今回は本当に肝を冷やしたよ。何となく嫌な予感がして僕自身も単独で巡回していたんだけど、正解だったよ」
「あ、ああ……私なら大丈夫だ。またあなたに助けられてしまったな」
「何度だって助けるさ。でも君こそよく奴を攻撃出来たね? 僕の方こそ助かったよ」
言われて彼女は自分の両手を見た。いつしか恐怖の震えは完全に止まっていた。その理由は明らかだった。
「……マリウス殿のお陰だ。あなたの姿を見て勇気が湧いてきたのだ。しかし不思議だ。何故あれほどの恐怖を感じたのだろう? 今までだって殺されかけたりした事は何度もあったのに……」
先程も感じた疑問だった。確かにギュスタヴの剣気は相当なものだった。だがそれ以上の強さを持つガレスとも相対した経験があるのだ。その時も先程のような恐怖を感じる事はなかった。
「……それはきっと、君にとって失いたくない、別れたくない大切なものが出来たからじゃないかな」
「……!」
何よりも大事な新しい家族……。それと分かたれる事への恐怖だったのだ。
「でもそれは弱さじゃない。大切なものを守りたいという
「強さ……」
アーデルハイドはじっと自分の掌を見つめた。そしてその手が拳に握られる。彼女の中で何か思う所があったようだ。それを見て取ってマリウスはふっと微笑んだ。
「さあ、後の事は僕がやっておくから、今日はもう家に帰っていいよ。きっとミリアム達も心配してるだろうからさ」
「……! そうか、そうだな……。正直今日はもう疲れた。厚意に甘えて帰らせてもらうとする……家族の元に」
「うん、気を付けてね」
「ああ、済まない、マリウス殿。では、後は頼む……」
本当に疲れた足取りで帰路に就くアーデルハイド。それを見届けてマリウスは嘆息した。周囲には衛兵や被害に遭った市民の遺体が転がったままだ。すぐに他の衛兵を呼んで処理しなければならない。そして同時に辻斬りが無事解決したという告知も。
マリウスはギュスタヴが逃げ去っていった方角の空を見上げた。
(後は任せたよ……
死と憎しみに彩られた血塗られた親子関係に今、終止符が打たれようとしていた……
*****
「おのれ……おのれぇ……! あやつらめぇ!」
街外れにある雑然としたスラム街の一角。その更に外れの寂れた区画に、死に掛けの老人の怨嗟が響く。
「皆殺しじゃ! どいつもこいつも皆殺しにしてやる!」
胴体に致命傷を負い、口からも血を垂れ流しながら叫ぶのは、双剣鬼ギュスタヴ。彼が通った後には自らの身体から流れ落ちる血液が点々と跡を残している。
そしてそれだけでなく、何人かの筋者と思しき男達が血だまりを作って倒れ伏していた。運悪くギュスタヴの通り道とかち合ってしまった者達だ。問答無用で斬り倒された死体が、そこかしこに転がっている。
それは死に掛けの獣の最後の足掻きであり、自らの死出の道連れを作ろうとしているかのようでもあった。
騒ぎを聞きつけた他の住民達が怖々と遠巻きに様子を窺う中、ギュスタヴは半ば幽鬼のような足取りで当てもなくフラフラと路地裏を彷徨う。
そしてそんな死に掛けの幽鬼に静かな足取りで近付く者が1人……
「……もう足掻くのはやめなさい、ギュスタヴ。お前は負けたのよ」
「……っ!」
聞き覚えのある声に目を見開いた彼が視線を向けた先……こちらに歩いてくるのは、彼の娘であり
愛用の鎧兜に二刀を携えた完全武装だ。しかしその出で立ちに比して、その顔はどこか悲し気でもあった。
「き、貴様……何故……」
「死体の傷を見た時点で辻斬りはお前の仕業だとすぐに確信しました。今日までずっとお前を探して機会を窺っていたのです。……マリウス様に先を越されてしまったようですが」
「……!」
「ギュスタヴ、今ならまだ間に合います。投降して下さい。今すぐに治療すれば命は助かります」
「……っ!!」
オルタンスの言葉を聞いたギュスタヴの目が限界まで見開かれた。そして間をおかずその肩がワナワナと震える。怒りと……更なる失望によってだ。
「ふ……くく……。この期に及んで尚……」
ギュスタヴの顔が今度は邪悪な笑みに歪められた。
「……儂が何故お前を『失敗作』と断じたか解るか? 弱かったからではない。
「……ッ!」
オルタンスの顔が青ざめ、身体が震えた。だがギュスタヴは容赦なく続ける。
「お前の母を殺し、お前を虐待し続けた儂が憎いじゃろう!? ならお前がやるべき事は一つじゃ! 最後まで儂を失望させるかっ!!」
「くっ……!」
ギュスタヴの気迫に押されるようにオルタンスは二刀を構えた。それを見て頷くギュスタヴ。
「そうじゃ! 儂を斬れ! 斬らねばお前が死ぬぞ!?」
狂笑しつつ自らも剣を構えたギュスタヴは、血反吐を吐きながら最後の力を振り絞るようにオルタンスに向けて斬りかかった。
「かぁぁぁっ!!」
「……ふっ!!」
事ここに至って覚悟を決めたオルタンスもまた全力でそれを迎え撃った。神速とも言える斬撃を繰り出しつつ、2人の身体が交錯する。
そして……2本の剣が路面に落ちる音が鳴り響く。
「ふ……ふふ……それで良い。それでこそ、儂、の……む、す……」
オルタンスの剣は的確にギュスタヴの急所を斬り裂いていた。実の娘によって鮮やかに止めを刺されたギュスタヴ。彼はその結果に満足気な笑いを浮かべると……
ゆっくりとうつ伏せに地面に倒れ伏した。そして二度と動き出す事は無かった。その身体の下に大きな血だまりが出来ていく。
「…………父上」
遂に実の父親をその手に掛けたオルタンス。振り返って父の死体を見下ろすその顔には悲願達成の喜びなどなく、ただひたすらに深い悲しみと憐憫のみが浮かんでいた……
双剣鬼ギュスタヴは死んだ。最後まで死と戦いを求め続け、戦いの中に死んでいった。
本懐を遂げたオルタンスだが、既に彼女には自らの居場所があり、守るべき仲間や友人たちがいた。
甘さを克服し更なる力を身に着けた彼女は、その強さを以って戦に於いて獅子奮迅の働きを見せ、マリウス軍に貢献し続けていくのであった……
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