第二幕 剣鬼哀歌(Ⅱ) ~修羅の業

「……!!」


 駆け付けた先は、路地裏を流れる大きな用水路の上に掛かった橋の袂であった。そこに……暗い外套を纏って血濡れの剣を携えた見るからに怪しげな男と、その足元に血だまりを作って息絶える女性の姿があった。服装からして市民の女性のようだ。


「……っ! 貴様……!」


 間違いなく件の辻斬りだ。無力な市井の女性にまで手を掛ける非道な殺人鬼に、アーデルハイドは怒りに燃えて目を吊り上げる。彼女の後ろには既に追いついてきた衛兵隊も剣や槍を構えている。絶対に逃がしはしない。


「……貴様が街を騒がせている辻斬りだな? ようやく捕捉したぞ。もう逃がしはせん。我が国を不穏に騒がせ、無辜の民を手に掛け人心を恐怖に陥れた罪を贖ってもらうぞ!」


 既に捕縛するという段階は過ぎている。この危険極まりない殺人鬼は誅殺あるのみだ。しかしアーデルハイドと大勢の衛兵に迫られている辻斬りは、絶体絶命の危機にも関わらず肩を震わせて笑った。


「ふぁはは……半分当たり・・・か。お前は、マリウスの女の1人じゃな? ようやくまともな獲物・・が食いついたわ」


「な、何だと……?」


 この状況にも関わらず余裕を滲ませる殺人鬼に不審を抱くアーデルハイド。男は笑いながら外套を取り去った。


「……!」


 外套の下から現れたのは……鎧兜に身を包み、二刀・・を携えた老齢・・の剣士の姿であった。



「き、貴様……まさか、ギュスタヴ・・・・・、か……?」



 アーデルハイドはこれまで直接まみえた事はなかったが、その特徴だけは聞き及んでいた双刀の老剣鬼。果たして目の前の老人は肯定した。


「いかにも。先の戦ではよくもこの儂を虚仮にしてくれおったなぁ?」


「……っ!」

 先のヨハニス街道で行われた決戦の仔細は、当然アーデルハイドも聞き及んでいる。ギュスタヴは彼女の義母であるビルギットに、その卓越した用兵で翻弄されたらしい。


 まさかその恨みを晴らす為だけにこんな事を仕出かしたのだろうか。



「隊長、お下がりください! 賊は我等にお任せを! 掛かれ!」


 ギュスタヴの雰囲気に呑まれて思わず後ずさるアーデルハイドを庇うように、衛兵たちが前に出てギュスタヴを討ち取らんと殺到する。


 10人以上の臨戦態勢の衛兵たちが一斉に掛かれば或いは……と、アーデルハイドは淡い期待を抱くが……


「ふん! 邪魔するでないわ、雑魚共が!」


 ギュスタヴは鼻を鳴らすと、二刀を交差させるように構えて自ら衛兵たちの只中に突っ込んだ。


 次の瞬間、血煙が舞った。


 ギュスタヴがその二刀を振るうごとに衛兵が血しぶきを上げて倒れ伏していく。衛兵から繰り出される攻撃を余裕をもって躱しながら、まるでその中を縫うように自在に動き、すれ違う毎に新たな血煙が風に乗って舞い散る。それはまさに死をもたらす一陣の風であった。


 その風が衛兵たちの間を吹き抜け終わった時、10人以上いたはずの衛兵隊は全員が血の海に沈んでいた。アーデルハイドが何か能動的な行動を取る暇さえなかった。 



(つ、つ……強い! 話には聞いていたが、まさかこれ程とは……!)


 正真正銘の怪物だ。かつて曲がりなりにもこの怪物に戦いを挑んだソニア達やキーアの勇気を、心の底から称賛したい気分だった。


 ギュスタヴがヌラッとした動作でアーデルハイドの方に向き直った。彼女の身体が反射的にビクッと震える。


「も、目的は何だ? 我等への復讐か!?」


 両手で剣を構えながらも声が震えてしまうアーデルハイド。老剣鬼は凄絶な笑みを浮かべる。


「勿論それもあるが、とにかく誰か斬りたくて仕方ないんじゃよ。それがお前らであれば復讐もできて一石二鳥という訳じゃな。この州もお前らのせいですっかり治安も良くなって、辻斬りくらいしかやる事がないんじゃよ」


「……っ!!」

(く、狂ってる……!)


 アーデルハイドは絶句してしまう。戦に敗れて落ち延びて、それでも人殺しを止められないというのだ。しかもマリウス軍に対する復讐心まで備わっているのだから尚更たちが悪い。


「ぐふふ、さあ、お喋りはここまでじゃ。お前も死んでもらうぞ?」


「……!」


 ギュスタヴが二刀の切っ先をわざと地面に擦らせるようにして近付いてくる。アーデルハイドは顔を青ざめさせながらも必死に踏み止まって剣を構え直す。


(く、くそ……身体の震えが止まらん……!?)


 彼女は自分が純然たる恐怖を感じている事を自覚した。これまで多くの戦を経験してきた。ロルフやタナトゥスら自分より遥かに実力が上の敵とも斬り結んできた。だがその時もこのような恐怖を感じた事は未だかつて無かった。


「ふぁはは、怯えておるのか。とんだ腰抜けよの」


 彼女の恐怖を見て取ったギュスタヴが嘲笑う。しかし彼女が恐怖で震えているのは紛れもない事実なので反論すらできない。


「ふん!」

「う、うわっ!!」


 武器が接触する金属音。アーデルハイドが辛うじて構えていた剣は、老剣鬼の一閃で容易く手から弾け飛ぶ。衝撃に押されて彼女はその場に尻餅を着いてしまう。


 身体の震えは止まらず、歯の根が合わずにカチカチと鳴る。ギュスタヴはそんな彼女に容赦なく切っ先を突きつける。


「ひっ……!」


「ぐふふ、お前を殺したらマリウス軍の奴等は衝撃を受けるじゃろうなぁ? お前の死体を発見した時の連中の顔を見るのが楽しみじゃ」


「……っ」



(い、嫌……嫌だ……嫌だ。死にたくない。死にたくないっ!)


 全てはこれから始まるはずであった。敬愛する主君。可愛い義妹、尊敬する義母。愛する家族に恵まれ、ようやく強敵であったガレス軍を下し、これから天下へと羽ばたいていくはずであった。 


 このディムロスの宮城で、今後もマリウスの力になると誓ったのはつい先日の事であった。こんな所でこんな狂った殺人鬼の手によって、その未来を閉ざされてしまうのか。


(嫌だ……私は、こんな所で……ミリアム! た、助けて……義母上! 助けてくれ、マリウス殿!!)


 いつしか彼女の目からは大切な人達との惜別の涙が溢れていた。だがそんな彼女に死の刃は容赦なく振り上げられた。


「死ねぃっ!!」


「――っ!!!」


 最早これまでと、彼女は固く目を瞑って自らを斬断する衝撃を待った。


 ――ガキィィィッ!!


「…………?」


 しかしいつまでたっても彼女の身体に刃が振り下ろされる事はなかった。その替わりに何かを受け止めたような鈍い金属音が響き渡った。


 アーデルハイドが恐る恐る目を開くとそこには……



「あ……あ……そ、そんな……。これは、奇跡、か?」



 ギュスタヴの剣に割り込むようにして別の剣・・・がそれを受け止めていた。その剣を握るのは、


「ふうぅぅぅぅぅっ!! ホントに危機一髪だったぁっ! 大丈夫かい、アーデルハイド!?」


「マ、マリウス殿……!!」


 それは巡察には参加していなかったはずの、この国の君主マリウス・シン・ノールズその人であった!

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